東都 南地区β- 九月三十一日 午前二時
堅い靴底が駅構内のセラミックタイルを叩く。
異なる硬質物が反発し合う音は、深夜の闇へ高く遠く響き渡る。
「今時の若い奴らは人海戦術がわかってねェなぁ...グループ行動だけは評価してやるけど」
ロングコートを翻して走る緑髪の男は、柱の影へと身を潜めながら異色双眼を細めてインカムへ問いかけ
る。
『金目的で雇われた人間だからな。まともな作戦で来る訳がない』
「はっ、確かに言えてら。追って来た奴らはもう撒いた、じきにそっちに行くと思うぜ......おっと、二五〇
メートル先、目標確認。護衛は二人」
『了解』
冷静に言葉を折り返して来る男の声と共に、ハンドガンへマガジンを装填する音が混じる。
「解ってんだろうが、生死不問は目標だけだ。やり過ぎんなよ?」
『ペイント弾で殺れる訳ないだろう……こちらでも敵影確認』
「掃除は頼んだぜ」
『あぁ』
短く返った返事を聞くと同時、柱の影からその長身を晒して敵陣へ向かい走りだす。
高く響いた此方の足音に気付き振り向いた巨漢の顔面を掴み視界を遮る。怯み無防備な贅肉腹へ膝を捩じ込めば、突然の衝撃に声も出ぬまま此方へと体を傾ぐ。
視界を阻む醜男を弾いて、自身の背後を狙って下ろされた棍棒を片腕で受ければ、鈍い音が体内に響く。
「なっ?!」
「不意を狙うんなら、気配は消した方が良い、ぜ!」
殴打された腕を難なく伸ばし、手首を摑み取り、力の流れに沿わせて醜男の上へと投げ落とせば、下敷きとなった男の吐瀉物に塗れながら凶者は目を回す。
「大方、多勢に無勢なんて思ってたンだろ?敵に回した相手が悪いなァ」
「ヒ、ィッ...!」
圧倒的な負戦に身体が竦んだのか、目標の青年は腰が砕けたのかその場にへたり込む。
それは息巻いていた烏合も同じだったのか、ある者は目前で見た事象に硬直し、ある者は蒼白になって震えて逃げ腰に足を引く。
「そいつをこっちに寄越せ。したらソイツをどこで手に入れたかは聞かねェでいてやる」
アタッシュケースを抱えたまま顔色を青くさせて震え、立ち上がれない若者の眼前へ手を伸ばすも、青年は逆立てた髪が乱れる程に首を横に振り、合金製のそれを腕の中へと更に抱き込んだ。
「おいおい、あれ以上オトモダチに怪我させたか無いだろ?」
「あああ、あんな奴ら、トモダチなんかじゃない!都合の良いドレイだ!金さえ払えば何でもするただ─」
─ ダンッ!
足裏を顔面に埋めたい衝動を堪え、愚直な言葉を紡ぐ青年の背を支えるモルタル造りの壁を蹴る。
鉄を仕込む靴底を受けた壁は、罅入りの足跡を残して破片を飛び散らす。
「金さえ払えば、ねェ。お前さん、東都一の大学行ってる割に、随分と莫迦なんだなァ?」
それ、マジで言ってんのか?
横顔間近の強蹴。
耳に響く破砕音。
言い捨てた言刃。
波状に襲ってくる恐怖心に耐えかねたのか、目標の腕は弛緩し鞄がずるりと落ちる。
身体をガクガクと震わせて此方を見上げる青年から足を引き、見た目以上に重みのある鞄の鍵を外せば、数十枚のディスクとドラッグらしき包みが詰め込まれていた。
「はいビンゴ。最近は逃がし屋もあっからなぁ......預かり人で良かったぜ」
遊びに満足した子供のように笑い、詰められていた荷物の数を確認して鞄を閉じる。
項垂れてしまった青年の腕を後ろ手に拘束して、インカムの向こうにいるであろう相棒へ声をかければ、「早かったな」と応答が入った。
「今回は当たりだ、回収も終わったぜ。そっちは?」
『アンタとの追いかけっこで疲れていたようだ、早々に片付いた』
「情けねェ、俺らよりも若いってのに...最近のガキは体力も歯応えも無さ過ぎんだろ」
『同感だ。それで、この後は......』
男の声に耳を傾けようとするも、視界の端の動きに気づき視線だけ動かす。
身体を壁に沿わせた青年が逃走を試みようと立ち上がり始めるが、それを逃す訳など無く。
躊躇らうことなく爪先を鳩尾へ叩き込めば、鈍い感触と嗚咽をあげて前のめりに落ちた。
「悪ィ、なんだって?」
『引き渡し場所に向かえば良いのかと訊いたんだ』
謝罪のない聞き返しを気にしていない様子の相棒の問いに返事と指示を送り、通信を切る。
呻く青年の襟首を片手で掴んで顔を覗き込めば、口か舌を切ったのか口角から紅混じりの唾液を垂らして白目を剥いている。
一般成人男性が普通に蹴りを入れてもそれなりの威力はあるが、男の場合はこの職業柄で脚力も一般人より高く、仕込鉄による威力増加もある。その襲撃を急所一点集中で真面に受けたのだ。
先ほど足先に覚えた違和感から察するに、骨が罅入った可能性もあるだろう。
(死亡存命不問案件だから気にする必要は無ェが...)
右目を閉じ左目に意識を集中させ、男の腹部へと視線を動かして該当部位を見れば、心配したような事に
はなっていない。
確認が取れたことに僅かな安堵を胸に落とし、空いている片手でアタッシュケースを抱えて、惨たらしく伸びた醜人を足で退かす。
「根性は見上げたもんだが、そいつはここで発揮するモンじゃなかったな」
投げた言葉に目を見開き、青年は唇を戦慄かせるが、返す言葉が見つからないのか俯く。
此方から仕掛けて圧倒的な力量差を見せてなお、力の抜けた足で逃げようと踠けるだけの気力があるなら、通報する勇気を出していれば良かったものを。
能力を持たない一般人いえど、自身の今後に大きく響く汚点を自ら付けた代償は重く伸し掛かるだろう。
「大体、端金もらって動く奴なんざ碌なモンじゃねえ。手前ェみてーなガキなんざ、遊び金払ってくれるカモとしか思ってねェだろうよ」
「...も......ない、だ.........」
地面と服布が擦れる音に混じり僅かに聞こえた声に足を止め、青年を見やる。隙あらば噛みつこうとする狂犬のように、憎々しげに睨め見上げる様子に、首を傾げて見せる。
「アンタ、も、金...動い、てん...だろ...!」
「それは否定しねーよ。ま、俺ァ相棒と一緒に国家認可持ってるんでな。あんなヤツらと一緒にされ
ちゃァ困る」
国 家 認 可
「ぁ、アンタ...まさか......」
痛みと怒りに赤らむ顔が一転、目を見開いたまま血の気がみるみると引き、青年が声を失う。
それに構うことなく出口に向かえば、眩しい程の赤いランプが目に映る。
「戻ったか」
物々しい制服姿の人間に混じり、鏡写しに描き写したような姿をした男が一言落として目を細め笑う。緩く首を傾いで声なく返答し、気絶した人間の山を見て驚愕している青年から拘束を外せば、待機していた警官が手早く錠をかける。
「暫くは東都第一収監所で社会勉強し直せ。今日喧嘩売った相手がどんな奴か、よーく教えて貰ってこい」
担いでいたアタッシュケースを別の警官に渡し、緑髪の男は紫水晶色の左眼へ照準器の様な紋様を浮かばせ、柔らかく静かに嗤った。