東都 北西地区β- 十一月十一日 午前十一時二十七分
冷たく澄んだ空気が、水に濡れた手を更に冷やす。
御影石の石塔を磨き終え、一人で来る時よりも量のある仏花を大体の目安で等分に分け飾り、
「疾風、茶はどうしてる?」
「缶だったらそのまま置いてくれ」
都築からの問いに軽く答えながら柄杓で花立てへ水を注ぎ、開いたロケットペンダントを水鉢へ置く。
人気は少ないが、男三人が墓を掃除している姿は少々異様な光景だろうか。
頭の片隅でそう思いながら、火の灯された線香束を受け取理、香炉に供えて手を合わせる。
二人が合掌するのを見つつ取り出した煙草を銜え、桶に残った水を地に撒いてやり、疾風は壁石に腰下ろした。
「悪いな、休みだってのに来てもらって」
「構わねえよ、どうなったか気になってたしな」
その報告に来たんだろ、と問われ首肯する。
「報告って言っても大した内容じゃねぇけど。なぁ?」
「警察から届いた報告書読んだ限りだが、手口についての自白はしたものの、容疑としては認めていないらしい」
「なんだそりゃ、子どもの言い訳かよ」
「そう思うよな」
疾風の返答に頷きながら都築が肩を竦め頭を掻く。
事件を引き起こした高遠 静瑠は、引き渡し後から実に四日間を掛けて一連について取調べが行われた。
三日目には参考人として被害者である姫築達と共に呼び出されて調書を取られたのだが、その際に高遠は渚の顔を見るなり能力で入れ替わろうとし、その場で再逮捕となった。
現在は西都第二収監所へ移送され、影ができないよう四方八方を照らされた独房にいると聞いている。
煙草に火を入れ一口だけ吸い、供物台に灰皿とともに供え、入れ替えるように缶茶に手を伸ばす。
ロケットに写る伊純に「貰うぞ」と一言掛け、栓を開けた。
「玉突き死亡事故の件も、高遠静瑠が起こしたモンだったらしい。西都の機関長が昨日わざわざ連絡くれたって社長が言ってた」
「やっぱりな」
「本人の話によると、車を影で飲み込んだ後に自分の影と車の影を入れ替えて向きを変えた、とか。にわかに信じらんねえけど」
「身体の入れ替わりを体験した俺からしたら、納得だわ」
女言葉で話していた自分の姿を思い出し、背筋に悪寒が奔ってゆく。
堪らず身震いすれば、どうかしたのかと疾斗に首を傾げられるが、「茶で冷えただけだ」と苦笑った。
「あ!管理人さん、おにいさん!」
突然響いた子どもの明るい声の方向へと顔を上げる。
「おー飛鳥か。なんだ、学校サボりか?」
「ううん、今日は創立記念日なんだって。こっちのおにいさんは?」
「んー、俺たちのオトモダチ?」
「なんでハテナつけるんだ、おい」
仏花を握り走り寄って来た飛鳥の頭を撫でてやれば、ニコニコと楽しげに笑ってはしゃぐ。
水桶と柄杓を手に歩いてくる人の姿に目をやれば、少年の目元に似た女性 – 渚が困ったように笑って一礼した。
「旦那さんは?」
「駐車場へ車停めに。飛鳥、お墓のお掃除やっててもらっていい?」
「うん!あ、お水…」
「俺が持って行こう」
渚の持つ桶水を疾斗が受け取る。
自分とよく似た顔の実弟を、飛鳥は驚いた顔でしばし見上げていたが、やがて笑って墓へと向かって歩き出す。
敷地へと入って行ったのを確認し、渚の方へと振り向き直ると、その肩越しに姫築の姿が見えた。
「すいません、おまたせしました」
「いや良いさ。子どもに聞かせるべき話じゃねェし」
落とした言葉に夫妻が一瞬にして緊張したことを感じ取り、思わず笑い咳払いを一つする。
「この依頼の報酬については、期間がわからないから完了後にしようって話だった」
「…はい」
「ただな、依頼人【高遠 静瑠】が実は犯人だったもんだから、報酬が貰うに貰えない状態になっちまったんだわ」
「……はい?」
意味がわからない、と言いたげに首を傾げる渚の目前で、肩へ掛けていた鞄から白封筒を取り出して、中身を見せる。
「契約書の署名欄、誰って書いてある?」
「【高遠 静瑠】…です」
「だよな?これ公的機関に提出しなきゃなんねェんだけど、このまま提出すると報告書と矛盾するんでどうにもならなくなっちまう」
「え?」
「そうなると筆跡鑑定が入るだろうから…もしかしたらアンタ…捕まっちまうかも」
「あ、あの時は、説明しても信じてもらえないと思ったからで…」
「言い訳無用。紙で契約している以上は紙面内容が全てだ」
「そ、そんな……」
見せつける書面で口元を隠しているために、怒っているように見えているらしい。
元々の性分が内気なのだろう、淡々と言葉を連ねてゆけば、渚は眉を下げて夫を見上げて怯える。
今にも噴き出しそうになるのを堪えていると、傍に立っていた都築が「いい加減にしろ」と靴先で己の爪先を軽く打ち付けてきた。
「あの、どんなに高額でも必ずお支払いしますし、どんなことでもします、ですから…」
「ヘぇ、どんなことでもするんだな?」
「はい」
すっかり青ざめてしまった渚を支え、姫築がまっすぐな目と確かな意志を携えて見上げてくる。
紙面下に隠している緩みきった口角を戻し、渚の視界から書面を外す。
「旦那さんは今すぐこの場で配送業両方とも辞めろ」
「そして明日は俺の職場の社長に顔通し、来週からウチの職場で働け」
傍らの男と変わるがわる投げた言葉に、翔も渚も驚いた表情のまま瞬きを幾度もし、疾風と都築の顔を交互に見る。
「か、管理人さん?!」
「安心しろ、里央の職場は指折りの超ホワイト企業だぜ?就業時間は日勤夜勤選択可能、残業やるやらないも自由、配送掛け持ちよりも給料は良いし、きっちり身体も休める」
「整備士が足りてなくて疾風に相談してみたら、知ってる顔に整備士免許持ってるのが居るって聞いたんだが」
「た、確かに、持ってますけど…でも、ブランクがありますし」
「その辺は問題ない、社長直々の研修もしっかり受けてもらうしな」
「嫁さんの方はマスターの店で昼間だけでも仕事して欲しいんだよなァ。今やめられちゃ人手足りなくてキツいって話で」
「待ってください!嬉しいですけど、話が、全然…」
見えない、と言いかけた渚の口を人差し指で押さえ、都築と同時に笑う。
「姫築 翔さん、息子さんと過ごす時間をこれから増やしてやってください」
「え…」
「姫築 渚。飛鳥や旦那さんと一緒に過ごせてなかった時間を埋めて、東都で楽しくやってくれ」
「っ…!」
二人は互いの顔を見合わせ、涙を堪えて深々と頭を下げる。
疾風は手中の偽装書面を握り丸め、鞄へとしまった。
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石塔の上部から静かに水を流し、彫られた戒名と眠っている者の名の上を水流が落ちてゆく。
石碑の台座をスポンジで磨く飛鳥の動きを気をつけながら、枯れ切った花を廃棄して花立てを洗う。
「お父さんお母さん、管理人さんとなに話してるんだろ」
「…さぁ、な」
報酬交渉と言う建前のアフターケアを説明するわけにもいかず、曖昧に笑い応える。
学童の開いている実兄とは違い、子どもに触れ合う機会が少ないために、先程から飛鳥への返答があまりにも短い物になっている事に罪悪感が積もっていく。
せめて何か話題はないかと思考を巡らすも、子どもの好みに疎いことも相まって何も出てこない。
どうした物かと思いつつ、花立てを元の位置に嵌め込んでいると、少年の視線がこちらへ向けられている事に気付いた。
「……どうか、したか?」
「…おにいさん、今日は三日月ないの?」
「三日月?」
突然の問い掛けに目を細めて首を傾げれば、飛鳥もまた同じように首を傾ける。
「管理人さんに三日月ないの?って訊いたら、おにいさんが持ってるって」
「俺が?」
主語述語の少ない少年の言葉を口内で反芻し、右眼の事を言っている事に漸く気付く。
「今日は……月が出ない日、なんだ」
「おにいさんの三日月、空と一緒なんだね」
「まぁ、そうだな」
歯を見せて笑う飛鳥へ口角を上げて笑みを見せる。
照れくさそうにする飛鳥が香炉の外枠を磨き始めたのを眺めつつ、右目の瞼を無意識に撫でる。
飛鳥の言葉を胸で繰り返しながら、石塔の掃除をしていると、疾風と都築が姫築夫妻と共に此方へ歩いてくるのが見えた。
「ありがとうございます、すみません、一緒にやってもらってしまって」
「飛鳥もありがとう、キレイになったね」
「三日月のおにいさんがいっぱい教えてくれたから」
「え」
あまりに突然の呼称に思わず声が漏れる。
掠れた様な音に近かったそれを聞き逃さなかったらしい友人は、顔を逸らして笑いを堪えている。
「どうかしました?顔紅いですけど」
「…え、あ、いや…」
姫築の言葉に反応して片手で頰に触れると、水で冷やされているのもあるが、確かに普段よりも顔へ熱が上がっている。
あまりの不意な事に照れてしまった事を気付かれた事に、更に頰が熱くなる。
その様子が疾風にはあまりにも面白かったのか、堪えきれずにしゃくり上げていた音が笑いに変わり、恥ずかしさに耐えきれずその背へ拳を入れた。
結果報告書
依頼人 高遠 静瑠 (19)
修 正 依頼人 姫築 翔 (37)
依頼内容 指定対象者の警護
対象者 姫築 飛鳥 (9)
追 加 姫築 渚 (37)
請負期間 十月五日 ~ 十一月二日
受諾人 新堂 疾風 新堂 疾斗
報 酬 なし
備 考
警護中、依頼人・高遠静瑠による不審な動きを確認
調査の結果、高遠静瑠の能力により姫築 渚との入替が発生していた事が判明
その為、依頼人の変更と警護対象者を追加した
旧依頼人・高遠静瑠は拘束・西都収容所に収監
特殊独房にて禁固となっている
姫築 飛鳥・姫築 渚の両名の精神的疲労を考慮し、報酬の獲得を放棄する




