第60話 ☆聖女の育て方 〜 ディーナの場合 (後編②)
6日間連続投稿の5日目です。
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緊張している生徒たちの前で、初舞台の幕がゆっくりと上がった。
新春の王立劇場は満員だった。
ディーナたち付属演劇学校75期生の前座公演に、会場は大いに沸き、続いて行われた本公演を超える盛り上がりとなった。
その後もディーナたちの卒業公演は稀にみる人気となった。
そのため、ベテラン俳優勢も脇役に加えて、普通の劇の長さに書き直され、3月の演劇学校卒業後もロングランで演じられた。
特にディーナはその強烈な光のような美しさを賞賛され、「女神さま」との愛称で呼ばれるようになり、一躍注目を浴びた。
卒業公演後もエリックやフレイとともに様々な演目で活躍し、ディーナの代は10年に一度の当たり年と呼ばれるようになった。
ディーナは目が回るほど忙しい日々を送っていた。毎日のように続く公演に加え、新作の稽古もある。
一度などは、精霊魔法を利用した演出の使い過ぎで、魔力切れで倒れそうになった。
フレイみたいに魔法なしでもうまく演技できるように、もっと練習しないと。ディーナは思った。
役者としての研鑽を積みながら、あっという間にデビューから2年が過ぎた。
その頃にはディーナは王立劇団において、押しも押されもせぬ看板女優となっていた。
とは言え、生活の方はほとんど変わっていない。相変わらずシモーヌ先生の家に寄宿し、フレイやエリックなど、ごく一部の同僚とだけ親しくしていた。
そもそもディーナの強烈な美しさに慣れていない人たちは、ディーナの前に出ると皆一様に口ごもってしまう。
そして眩しげに目を逸らして去っていくのだった。
だからスターと呼ばれる存在になっても、いっこうに交友範囲は広がらなかった。
そんな中でも、去年はディーナの故郷に近い第三都市ブラーフで出張公演があり、家族が見に来てくれた。
終幕後、楽屋を訪ねてきた両親と3年ぶりに話すことができ、ディーナはうれしくて少し泣いてしまった。
一方で、病も癒え大きくなった弟は、薄幸の姫君の役の衣装を着たままの姉と話すのが恥ずかしいのか、あまり近づいて来なかった。
ディーナはそれがちょっと残念だった。
今年はあいにくブラーフでの公演はない。
代わりに第二都市、ポートカーワイでの出張公演があり、ディーナは初めて当地を訪れていた。
今回のプログラムは慣れ親しんだ卒業公演の恋愛劇で、特別な稽古の必要はない。
それに地方だと、面が割れていないということもあり、わりと人目を気にせず外を出歩くことができる。
ディーナは久々に緊張から解放された気がした。
公演は昼の部と夜の部の二部制で、それなりに忙しかったが、間には自由時間があった。
その空き時間にエリックがやってきて言った。
「ディーナ、ここじゃ城壁の上から見る夕日が名物らしいよ。ちょうど天気もいいし、行ってみないか?」
「そうね、行ってみましょうか。フレイも行くかしら?」
「フレイは、親戚のポートカーワイの貴族との面会が入ってるってさ」
二人は劇場を出てのんびり街を歩き、階段をのぼって西側の城壁の上にやってきた。ちょうど、雄大なカーワイ川の河口にある港越しに、美しい夕日が海へと落ちていくところだった。
山育ちのディーナは、これまでほとんど海を見たことがない。
ディーナは真っ赤な太陽を飲み込もうとしている広大な海と、港に停泊しているたくさんの帆船を眺めた。
まるで夕方の牧場の隅で身を寄せ合う羊たちみたいだ。
でも、実際は全然別のものだった。
弟の病気を治すために村を出て、いつの間にかこんなに遠くまで来てしまった。
ディーナはそんな思いを振り払ってエリックに声を掛けた。
「本当に綺麗ね」
「君ほどじゃないけどね」
夕日を見つめたままでエリックが答えた。ディーナが返事に困っていると、エリックはゆっくりと話し始めた。
「ディーナには感謝している。僕たちの代がここまで活躍できたのも、君という眩い太陽が中心にいたからだ」
エリックは一度言葉を止め、少し考えたあと続ける。
「僕は、その輝きを照り返す月に過ぎないけれど、それでも真っすぐに君の輝きを受け止めていたい。ちょうど凍える真冬の夜の満月みたいに」
ここでエリックはディーナの方を向いて、いつもの人好きのする笑顔を見せると言った。
「今の、我ながらいいセリフだったよね? 今日の夜の公演で、アドリブで入れてみようかな」
ふたりは公演の準備に遅れないよう、急ぎ足で劇場に戻った。
夜の部が始まった。
その夜のエリックの演技はキレていた。圧倒的なオーラを誇るディーナも、芸達者なフレイも、時としてエリックの存在感に呑まれそうになった。
劇はクライマックスを迎え、エリックがディーナを強く抱きしめ、キスをする(ふりをする)いつものシーンになった。
「アドリブだよ」
エリックがディーナだけに聞こえるように、耳元でささやくと、突然本当にキスをした。
ディーナはびっくりしたが、舞台上では動けず、そのままエリックのキスを受け止めていた。
「っ!」
声にならない、微かな悲鳴を耳にして、ディーナがそちらの方に視線だけ送った。
舞台の袖で、カーテンコールに備えて待機していたフレイが、慌てて口を手で覆っていた。
大きく丸く見開かれたフレイの目は、いつものように器用に感情を表現していた。
驚き、悲しみ、恐怖、怒り、嫉妬。
ひと目見て、ディーナは全てを理解した。
そして、今までそれに気がつかなかった、自分のひどい迂闊さを責めた。
そうだったんだ、フレイはエリックのことが……。
幕が降り、カーテンコールも済ませると、ディーナは急いでフレイを探した。さっきまで舞台上にいたはずなのに見当たらない。
やっとのことで、暗い楽屋のひとつの片隅で、鏡の前の椅子に座って俯いているフレイを見つけた。
「フレイ、わたス……」
ディーナはフレイの後ろに立つと、どうにかそこまで口にしたが、何を言ったらいいのか分からなくなり、後が続かなくなった。
鏡に映ったそんなディーナをちらりと見ると、フレイはひとつ、小さなため息をついた。
そして涙と一緒に勝手に表情に溢れ出す、様々な感情を抑え込むかのように、両手で顔を覆った。
「ディーナ、あなたは何も悪くないわ。あなたのことは、今この瞬間だって大好きよ。……でも、ごめんなさい。あなたの美しさは憎いかも。だからしばらく、私に話しかけないで」
その時から、ディーナにとって美しさとは、完全に呪いと同義語になった。
それからの1年間は、ディーナにとってとても辛い日々だった。
フレイやエリックとは距離を置くようになり、楽屋も主役の特権で専用にしてもらって、ひとりで過ごすようになった。
皮肉なことに、愁いを帯びるようになったディーナの演技は深みを増して、ますます人気は高まった。
王都では、劇団の運営によるディーナとエリックの名前を冠した化粧品店が開店すると、人々が先を争って押しかけた。
その後も各地に開いた支店が軒並み繁盛するほどだった。
そんななか、ディーナたち付属演劇学校75期生は、デビューから3年の節目を迎えることになった。
記念の新春公演では、観客の要望で久しぶりに卒業公演の恋愛劇をやることになった。
フレイの前で、またあのシーンを演じなければならない。ディーナは思い悩んだ。
年が明けた。明けてしまった。
ディーナは自分たちの前座で卒業公演を行う、78期の後輩たちを眺めながら、あの頃に戻れたらいいのにとぼんやりと考えていた。
続いてディーナたちの本公演が始まった。
フレイやエリックをはじめ、同期のみんなの技術はこの3年で格段に向上している。
でも、ディーナは自分の演技に集中することができなかった。
それでもクライマックスのシーンはやってきた。
エリックがディーナを力強く抱きしめる。ちらりと舞台の袖をみると、フレイが苦しそうに目を背けていた。
神さま、私を助けてください。私は一体、どうすればいいのでしょうか?
ディーナは内心で強く祈った。それこそ病気の弟を助けて欲しいと願った時のように。
クライマックスの、全てを灼き尽くすかのようなスポットライトを浴びているディーナの心に、何者かが語りかけてくる。
ディーナよ、そなたを救おう。今後はその強き力を用いて、そなたの義務を果たせ。
ディーナはキスをしようとするエリックを、突如として振り払った。
「私はすでに神と結ばれています!」
悲痛な声でそう叫ぶと、舞台から客席に飛び降り、後方の出口に向かって駆け上がった。
そして、走りながら風の精霊魔法で出口の扉を大きく押し開くと、そのままの勢いでロビーも駆け抜け、メインエントランスから夜の闇に飛び出していった。
斬新な演出だと思い込んだ観客たちは、そんなディーナに拍手喝采を送った。
しかし舞台の上に残された、茫然とした演者たちを見て、やっと自分たちの間違いに気づいた。
月は見えなかった。
ディーナは時折ちらつく雪のなか、劇の衣装の薄手のドレスのままで、凍える夜の街をしばらく彷徨った。
そして、凍死寸前の状態で、自分を演劇学校に推薦したミロス教綜合教団派のゼノン教主に助けを求めた。
ゼノン教主は、天啓を受けたディーナを聖女として丁重に扱った。
そして王立劇団に掛け合い、自分の教会で預かることにした。
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