【2】初めてのダンス
パーティは粛々と執り行われシャーリーは一人で過ごしている。
婚約者であるゼブロンは相変わらず取り巻き達と一緒にいた。
意外にも、取り巻き達が次々とフレデリカとダンスを踊ったのにゼブロンはフレデリカと踊っていなかった。
「殿下は名ばかりの婚約者に気を遣ってフレデリカと踊れないんだよ、お気の毒に」
すれ違いざまにシャーリーに言ったのは誰だったかよく分からなかった。こんな時だけ遠慮せずとも手を取り合って踊ればいいとシャーリーは思う。
思うだけではなく、殿下に進言した。
「どうぞご遠慮なさらず、最後なのですからフレデリカさんと踊ったらいかがですか?」
「ふん、そうだな。学園生活の最後だ、フレデリカ一曲お相手願いたい」
「まあ、よろこんで!」
ゼブロンとフレデリカはホールの中央に出て踊りだした。
ゼブロンが愛おしそうにフレデリカを見つめているのを、シャーリーは怒るでも悲しむでもなく無表情で見ているだけだ。
そんなシャーリーに誰かがヒソヒソと囁き合う。
──ゼブロン殿下の婚約者がいったい誰なのか分かりませんわね。
──あんな似合わないドレスを着てみっともないわ。殿下からドレスも贈る価値がないと言われたようなものね。
その時、取り巻きの一人のエディ・スコットがシャーリーの前に立ち塞がった。
「一曲踊ってもらえませんか」
「……わたくしですか?」
「殿下も別の女性と踊っているのだから、あなたが誰と踊ろうが構わないだろう」
エディは取り巻き仲間に『慈善行為だ』と言った。
シャーリーに聞きたいことがあってダンスのパートナーを買って出たのだが、仲間たちにそんな言い訳をした。シャーリーはそれが聞こえていても何とも思っていない顔をしている。
シャーリーと踊りだしたエディにゼブロンは笑顔を見せ、
「これでこっちも罪悪感を持たずに済むよ」
愉快そうに言った。
シャーリーは突然エディに手を取られたことに驚いたが、焚きしめられたほのかな香りに何故か安心感を覚えた。
エディは踊りながら聞きたいことを尋ねる。
「どうしてそんなサイズの合っていないドレスを着てきたのか。アクセサリーだって全部安物じゃないか、俺にでも判る」
その口調は身分が上のシャーリーに対して許されるものではないが、シャーリーは特に気にかけている様子でもない。他の者に聞こえないのであれば別に構わないのだ。
「すべて殿下からの贈り物ですわ」
エディはシャーリーの言葉に腑に落ちないような顔をした。
たとえ殿下から贈られた物だとしても、今日のこの日にこんな物を着てくるのはおかしいのではないか、そう思った。
公爵家なら、もっとシャーリーに似合う高価なドレスやジュエリーをいくらでも用意できるだろう。殿下に呼び出されていたのだ、もっとこう見返してやるという感じの装いをしてきても良さそうなものなのに。
ぶかぶかで丈の合っていないみっともないドレス、下位貴族でもこうした場では決して着けることのないイミテーション丸出しのアクセサリー、しかも耳飾りと首飾りが揃いでもない。
こんな酷い物を殿下が贈ったというのは本当だろうか。
だが、公爵家でこんな物を買う訳がない。
エディは少しずつ違和感が大きくなっているのを感じた。
「あなたは婚約破棄を突き付けられて悲しくはないのか? この失敗についてどう思っているのか」
「血のにじむような十年間の妃教育が無駄になりそうなことには悲しんでおりますけれど」
「妃教育を十年? 血のにじむような? 毎日学園から飛び出すように帰って遊び歩いていると聞いたが」
「エディ様のお父様は文官でいらっしゃいますわね。隣国の情勢などを教わった先生のうちの一人です」
「父が……」
エディはシャーリー・フォークナー公爵令嬢が妃教育を十年も受けていたとは知らなかった。
その講師を自分の父が務めていたことも。
ゼブロンは、シャーリーが授業が終わるとすぐに馬車に乗り込むことを、外で遊び回っていると言っていた。学園で友人と一緒にいるところを見かけたことがなかったことで、エディはそんなゼブロンの話を疑ったことはなかった。
「そろそろ曲が終わりますね。こうした夜会でダンスを踊ったのは初めてでしたが、案外楽しめましたわ。感謝申し上げます」
シャーリーが、花がほころぶような笑顔を一瞬見せたことにエディは心臓が止まるほどに驚いた。
愛想がない愛嬌がないというのはどこまで本当のことだったのか……。
──ダンスは初めて……。
学園生活の三年間で何度もこうしたパーティはあったが、言われてみればシャーリー嬢が踊っているのを見たことはなかった。それは婚約者である殿下が誘わなかったからではないか。
普通、最初の曲は婚約者と踊るもので、声を掛けるのは男性からだ。
ダンスは初めてとシャーリーが言うのなら、ゼブロン殿下はこれまで一度も声を掛けなかったということだ。
婚約者である殿下からダンスに誘われれば、シャーリーが断わるはずもないのだ。
それは誰が悪いのか……。
ダンスは初めてというがステップは優雅で軽やかだ。シャーリーが次々と規定のステップを踏んでいくので、ホールドしているエディに何の負担もない。
周りにはエディが支えているように見えるだろうが、シャーリーは羽根が生えているかのように軽やかに『一人で』踊っていた。
「……ダンスもその……妃教育にあったのか……」
「もちろんですわ、他国特有のダンスステップも練習いたしました。王太子妃となれば、どこの国でどの曲で踊ることになるかも分からないということですので。それも無駄になりそうですが」
エディはゼブロンとフレデリカの二人に目をやった。
ただ互いの腰を密着させてゆらゆらと揺れて時々フレデリカが回っているだけのダンスを踊っている。
きちんと規定のダンスを踊っているならまだいいのだ。
でもゼブロン殿下とフレデリカのあの様子は、ダンスというより閨の続きを見せられているよううな気持ちになる。それほど公の場で踊るダンスとして相応しくない。
自分たちは、ゼブロン殿下がつい先ほど婚約者のシャーリーに婚約破棄を伝えたことを知っているが、ここに集っているほとんどの者たちはそれを知らない。
皆はゼブロン殿下のあの姿を見てなんと思っているだろう。
少なくともエディ自身は、なんとも言えない違和感と不快感に似たものを覚え始めてしまっていた。
いったい『シャーリーが第一王子の婚約者として相応しくない』とはなんなのか。
逆に、ゼブロン殿下はシャーリーの婚約者として相応しいのか……。
相応しくあれと、シャーリーだけが求められるのは果たして正しいことなのか。
「エディ・スコット様、曲が終わりました」
エディが慌てて手を離すと、シャーリーは美しい所作でお辞儀をして戻っていった。