第6話『下の大地』
空の旅は特に大きな問題も起きず、下の大地へと辿り着きました。場所はフランタミアの首都フランタミル。城の近くに存在する港に降り立ちます。
港の上空まで行った後、慎重に船を降ろしました。
着港後、船乗りたちは慌ただしく動き始め、貿易商含めて商人たちも荷物を運び出します。
一方、テンたちは貿易商人の男性を待っていました。テンが安全に外に出るためには彼の協力が必要不可欠だったのです。
テンは目深にフードをかぶり、その白き髪が見えないように隠していました。
「待つ間、私は団長に挨拶していく。2人を頼んだ」
「はっ」
ギーゼルヘールとダラは敬礼しました。それを確認した後、ウィルベルトはテンの方を見ました。
「少々時間はかかるかもしれないが、しばらく待っていてくれ」
「はい」
ウィルベルトは先に港から立ち去りました。それを見つめてアデリタは
「私には聞かないのか、ウィルめ」
「ダメだったんですか?」
「……さてな」
ギーゼルヘールとダラは2人を港の端の休憩スペースに案内し、座らせました。
「こちらでお待ちください」
「……町は見られないですか?」
「人さらいに遭うぞ」
アデリタの棘を刺すような言い方に、3人の表情に緊張が走りました。アデリタは少しピリピリとしているようにも見えます。
「ごめんなさい」
「……」
テンのしゅんとした様子を見て、アデリタは大きくため息をつきます。
「いや、私こそすまん。別に怒っているわけじゃないんだ」
「……はい」
「ギーゼル、どうにか町を見せてられんのか」
気まずい雰囲気に一石を投じたのはダラでした。
「厳しいでしょう。顔を出してしまえばだれに見られるかわかりません」
ギーゼルヘールは周囲に目を向けます。港の駐在していた職員たちはこちらの様子が気になるようで。チラチラと見ていました。しかし、ギーゼルヘールと目が合うと、慌てて向きなおりました。
「ふーむ、すまんなぁ」
「いえ、こちらこそわがまま言ってすみません」
「……首都は無理ですが、エルドラノールなら見て回れるでしょう」
ギーゼルヘールは言いました。「なぜだ?」と聞き返したのはアデリタでした。
しかし、ギーゼルヘールは言い淀みました。少し考えてからダラに視線を向けます。ダラはそれに頷きで返しました。
「銀雪の少女にとって首都が一番危険と言えるからです」
語り始めたのは騎士団の話でした。今まででは銀雪の少女を捕らえるのは貴族の息がかかったものか一攫千金を狙った平民やならずものが多かったそうです。
しかし、近年になって騎士団に団長が代わり、その男は騎士団の一部を使って捜索を開始しているという話でした。
それは団長の意思か別のだれかの命令か。それは定かではなかったものの団長が関与していることは明白でした。
「……それは確かな情報なのか?」
「公表はされていませんが、既に数名が見つかっています」
ウィルベルトはテンの顔を見ました。テンは戸惑いを隠すように俯いています。
「おそらくテン殿が発見されたのは、団長就任以前のことなのでしょう」
「……幸か不幸か、と問われればこの世界にきてしまったこと自体が不幸だが」
「幸でしょう」
呟くように言ったアデリタに対して、ダラが返しました。ダラはテンの頭をフードの上から少し雑に撫でました。その力に負けて身体ごと揺らしてしまうテン。
「そう考えねば、この世界はつらいことだらけだ。アデリタ殿のところに来られたのですからな」
「……ダラ」
フードを正してテンはアデリタの方を見ました。
「私はアデリタさんのところに来られてよかったと思っていますよっ」
「…………そうか」
アデリタは困ったように笑いました。
「……ということで、団長の息がかかっている騎士団が多い首都は難しいですが、エルドラノールは比較的安全でしょうということです」
「団長の息がかかっていなければ、お前たちで対処できるというわけか」
ギーゼルヘールは頷きます。
「絶対、ということは言えませんが、向こうなら外を眺めることも可能でしょう」
「あの……ありがとうございますっ」
「礼には及びません。我々にはこの程度のことしか報いることが出来ません」
それに、と付け加えます。
「下の大地が銀雪の少女にとって恐ろしいだけの場所として覚えてほしくない、副団長の意向でもあります」
「ウィルベルトさんが」
「副団長はお優しいですからな! ははは!」
「ダラ、声が大きい」
「おっと」
ダラはその大きな口に手を当てて、口を閉じました。そうしている間にウィルベルトが戻ってきました。
「楽しそうに会話していたようだな」
「……副団長。団長の様子はどうでした」
ウィルベルトの表情が陰りました。
「団長殿は手ごわい方だ。今は野放しにしてくれているあ、いずれ……」
「でしょうね」
「……ふぅむ」
ウィルベルトの返答に、3人とも難しい顔をしていました。
「大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。こっちの問題で、テン殿が心配するような内容ではない」
「はい」
テンの心配そうな表情にウィルベルトは微笑んで答えました。
そうこうしている内に貿易商人の男性もやってきて、いよいよ出発です。男性に案内された先には幌のついた馬車が用意されていました。
5人は馬車に乗り込み、移動を開始しました。貿易商人の男性は港でまだ仕事があるからと外で見送っていました。
幌に覆われた馬車から外の様子は見えません。しかし、人々の歩く音や声が聞こえてきます。活気づいた町であることだけは伝わってきました。
不安に思う一行をよそに問題なく首都を通り抜けました。
それから道中の森で一晩、さらにその先にある町で一泊しました。
移動中も特に問題が起こることもなく、平和な時間が流れていきます。
停泊した町を出てしばらくしたのち、ウィルベルトは休憩に止めていた馬車の外にでて、様子を窺ってからテンに言いました。
「この辺りなら外を覗いても大丈夫だろう」
テンは馬車から顔をのぞかせました。顔に浴びる暖かい風、そしてポカポカとした日の香り。空気は暖かさの中にひんやりとした爽やかさも感じられます。
外に広がるのは緑豊かな草原と晴天の空でした。
「わあっ……!」
空の島スカイトラッドでは遠くまで見通せる場所はありません。島にあるのは整地された町並みと普段人の立ち入れない森や山があるのみでした。元いた世界でもここまで広い草原は見たことはありませんでした。
「気持ちいいですね」
ちょっとだけ外に降り立って、伸びをしました。アデリタも一緒になって馬車から降ります。周りを確認しますが、ここにはテンたちの一行しかいないようです。
「なんか……こう、良いところですねっ」
「ほめ方下手か」
テンの持つ言葉では表現することはできず、無理に褒めようとしているような感じになってしまいました。
「ふふっ。いや、いいんだ。ここには何もない。のどかな場所だ」
「ウィルベルトさん。そんなお世辞のつもりはなくてですね」
「わかっている。私も良いところだと思っているよ」
ウィルベルトは遠くを見つめていました。
「……近いうちに首都の騎士団を辞めようと思っている」
「騎士団をですか?」
ウィルベルトが頷くと、御者台の方から今後のルート確認やら周囲の見渡しをしていたギーゼルヘールとダラがウィルベルトに駆け寄ってきました。
「副団長、お辞めになるのですか!?」
食い気味な姿勢を取る2人に押され気味なウィルベルト。いったん下がらせました。
「今回のことが終わったら伝えようと思っていた。理由はいろいろあるが、首都にいることが少ないものが副団長をしていたところでいつかは降ろされるだろう」
「そんなことは……」
「そんなことは些細な話で、1番の理由は姫様の騎士として生きていく。それだけだ」
ウィルベルトはテンを見ました。テンはその視線の意味が分からず首をかしげます。その様子にウィルベルトは微笑んで答えました。
「テン殿とアデリタが姫様のご病気を治してくれる。病気が治れば領主として支えていかねばならない。私はその1人となりたいのだ」
「……!」
2人はその言葉にその身を正し、敬礼しました。
「我々も共に行きます」
「何なりとこきつかってください」
「…………そうか。これからも頼む。ギーゼルヘール、ダラ」
「はっ」
彼らは一礼して、また元の作業に戻っていきました。それからもう少し休んで、馬車は動き出しました。
町が見えてきました。空から見たエルドラノールはその大地の広さに対し、とても小さく見えましたが、実際に目の当たりにすると小ささなど感じさせないほど広い町だということがわかります。
少なくともスカイトラッドよりも広い町でした。
町の入り口で門番に挨拶し、そのままお城へと直行しました。
「……」
そんな中、ウィルベルトはテンを見つめていました。
「どうしたんですか? もしかして、何か変ですか?」
町について以降そわそわしていた様子のテンでしたが、ウィルベルトの視線に気づくとパタパタと身なりを気にし始めました。
しかし、ウィルベルトの視線は服ではなく鉄で出来た首輪でした。
テンにはめられた首輪は太く、しっかりとその首を包み込んでいます。
「首輪は外せなかったのかアデリタ」
ウィルベルトはアデリタの方へと視線を移します。
「……鉄が厚すぎて安全に壊す手段がなかった。私だってそのままでいいとは思っちゃいないさ」
「そうか」
視線を戻すと、テンは不安そうに首輪を触っていました。
「奴隷だとわかるとマズかったですか……?」
首を横に振ります。
「そうではない。姫も奴隷だからと言って客人に対する態度を変えるお方ではない。私もその首輪を外してあげたいと思っていただけだ」
「……そうなんですね。ありがとうございます」
「ヌーヴェラスタールなら何か方法があるかもしれないな」
ウィルベルトは顎に手を当てて呟きました。
「ヌーヴェ?」
「前話した機械国家だよ。あそこには鉄職人が多くいる」
一発で名前を覚えられなかった点にアデリタが教えました。
ヌーヴェラスタール。その国は大陸南西に位置しており、鉄製の道具を多く作り出していると言われています。
「お前がもう少し大きくなったら連れて行こうと思っていたんだ。こんな形でスカイトラッドの外に降りてくるなんて思っていなかったからな」
「……それは悪いことをした」
「そぉーだよ、ウィル。お前が悪い」
わざとらしいぐらいに責めるアデリタにウィルベルトは頭を下げました。だけど、その場には険悪な雰囲気は流れることはありませんでした。
馬車は動きを止めました。
「着いたか」
ウィルベルトは我先にと立ち上がり、馬車から出ていきました。テンたちからは何をしているのかわかりませんでしたが、何やら誰かと会話しているようでした。
少しして、ウィルベルトは中に顔を出して外に出るように指示しました。テンもフードでしっかりと髪を包み込んで、身なりを整えて外に出ます。
「足元気を付けて」
「はい」
馬車の外から見えたのは大きなお城でした。テンが周りをキョロキョロと見渡していると後ろからアデリタも降りてきます。
「……」
アデリタは何か言いたげに城壁を見上げていました。そして視線を降ろし、お城で働く人々へと視線を向けました。
表情を変えることなく見つめるアデリタ。城の者たちは特に怪しむ様子もなく、ただウィルベルトたちが連れてきた客人に興味津々なだけのようです。
「すっごいですね、アデリタさん」
「……ん、ああ。そうだな」
テンはアデリタの様子を不思議そうに見つめました。その後、ウィルベルトの案内で城の中へと入っていきます。
場内の廊下を歩く途中、テンはふと気になりました。
「お姫様に会った、じゃなくて、お会いしたらどうしたら?」
慌てて言い直すテンにウィルベルトは微笑んで答えました。
「紹介は私がする。テン殿は普段通りでいてくれればいい」
「いいんですか?」
「君のありのままを姫に見てもらいたい」
それから廊下を進んでいくと、両開きの扉になっている一室に辿り着きました。その扉の装飾を見て、テンに緊張が走ります。
ウィルベルトは扉の前で警備していた人に目配せをしてから扉の向こうに声を掛けました。
「プリムラ様、ウィルベルト戻りました」
「どうぞ、お入りください」
少し間をおいてから声が返ってきました。その声は扉越しでも透き通って聞こえるほど、綺麗な声をしていました。
ギーゼルヘールとダラが扉を開ける前にウィルベルトはテンの方を見ました。テンの表情が強張っているのを確認すると、優しく笑みを浮かべました。その笑みでテンの緊張も少しほぐれました。
そして扉が開かれます。
そこはお姫様の寝室でした。姫はベッドの上で上体を起こし、こちらを真っすぐに見つめています。
その髪は輝く様に煌びやかで、透き通る白い肌、そして、宝石のように綺麗な瞳。まさしくお人形のように美しい方でした。
しかし。その左腕は布で隠しつつも隠れ切らないほど異形のものへと変質していました。
「無事で戻って何よりです。ウィル、ギーゼルヘール、ダラ」
「姫こそ大事ないようで」
「……ええ」
姫は悲しげな表情をして、自らの左腕をさすりました。そして、すぐテンたちに視線を向けました。
「そちらの方々は?」
「薬師のアデリタ殿とテン殿です」
紹介に合わせてアデリタが一礼したのを見て、テンも同じように礼をしました。
「あなたが……いえ、御足労感謝いたします。私はプリムラ・エルノワ・フランタミア。フランタミア家の姫になります」
プリムラはアデリタを見つめ、何かに気づいたように先に部屋にいた召使たちを外で待機するように命じました。召使だけでなく、ギーゼルヘールとダラも扉の向こうへと移動し、残ったのはプリムラ、ウィルベルト、アデリタ、そしてテンでした。
「アデリタ様。あなたはどのように私の人生に終止符を打ってくださるのですか?」
「姫っ!」
思いがけない言葉にウィルベルトは声を上げました。アデリタは臆することなく、言葉を返しました。
「それはあなたの症状次第です。プリムラ姫」
「……そうですね」
悲しげな表情で頷き、左腕に当てていた腕をさらけ出しました。
その腕は姫のものとは思えない異形の形をしており、一見腫れているようにも見えるほど赤黒く変色していました。
姫曰く、腫れている感触はなく、これが通常の状態であるとはっきり言えるほど痛みもなければ感触も人並みに感じられているとのことでした。
「これは病名のついていない症状です」
「医師たちはこんな症状は見たことないと言っていた」
その赤黒い腕の表面はよく見ると鱗のようにも見えます。アデリタはその腕を触りつつ、言いました。
「魔物の腕のようだ。……魔腕病とでも名付けておこうか」
ウィルベルトは医師に似たようなことを言われたのを思い出しました。「この腕は魔物のものだ」「魔物化している可能性がある」中には完全な魔物になる前に死なせてあげるのが幸せだなんてのたまう者もいました。ウィルベルトはそんな言葉は信じたくありませんでした。
アデリタはその肥大化した腕を自分の手で優しく包んで、立ち上がりました
「プリムラ姫。結論から言いましょう」
その言葉にプリムラとウィルベルトの表情は強張りました。
「いや、その前に1つだけはっきりさせておかねばなりません」
「何でしょうか」
「あなたは生きることを望みますか」
「……私は」
プリムラはそこまで言って口を紡ぎました。そして呪いのように共にしてきた左腕をさすり、沈黙します。数秒が経過して、その手の動きも止まりました。
彼女が答えるまで誰も口を開きませんでした。ひたすらに彼女の言葉を待ちます。
「この腕を治せるのですね、アデリタ様」
「出来ます」
「私は、私は望みます。この腕を治してください」
「畏まりました。私と……そこのテンがこの腕を治して差し上げます」
アデリタはプリムラの左手を取りました。
プリムラを見つめるアデリタの表情を見て、プリムラは目に涙をためていました。
そして、アデリタは一礼したのち、踵を返して部屋の外へと向かいます。
「テン、いくぞ。ウィル、薬室に案内してくれ」
「はいっ」
扉の向こうに出ると廊下で待っていたギーゼルヘールとダラはじめ召使たちが出てきた3人を心配そうに見つめ、真剣な表情のアデリタとウィルベルトの少し安心したような表情を見て、安堵しました。
ウィルベルトが顛末を話すと、周囲に笑みがこぼれ、中には泣き崩れるものもいました。
ウィルベルトが先導し、後ろをアデリタとテンが着いていきます。
薬室に辿り着き、中へと入ります。
「職務中失礼する。薬室長はいるか」
ウィルベルトは薬室の横にある事務部屋に入っていきました。薬室では数人の薬師たちが話をしているところのようでした。しかし、ウィルベルトが入ってくると慌てて身なりを正して、仕事に戻っていきました。
アデリタは彼ら彼女らを睨むように一瞥した後、テンに手を差し向けます。
「テン、本を」
テンは島から持ってきた【銀狼の薬蜜】の本を手渡しました。アデリタは受け取るなりパラパラとページをめくり、中身を確認し始めました。
「初めまして、あなたが……」
ウィルベルトと共にやってきた薬室長がアデリタを見るとそこで動きを止めて指さして、口をパクパクとさせはじめました。
「アデリタ……っ。なんであんたがここにっ!」
「……お前か。場所借りているぞ」
アデリタは一度薬室長を確認して、また本に視線を落としました。そして、あるページで手を止めました。
「…………」
「すまない、薬室長。事情は先程伝えたとおりだ」
「……いや、ああもうっ。うん。気にしている場合じゃない。姫様のためだもの」
アデリタが本を置き、テンを見ました。
「よし、テン。調合を行う。手伝え」
「はいっ!」
調合が始まりました。テンはアデリタの指示のもと、薬室長の協力を得て材料の運び出しから下ごしらえ、器具の片づけなどを行いました。
慌ただしく動き続け、アデリタもテンも薬室長も真剣に調合を行いました。
時間はあっという間に過ぎていきます。数時間が経過し、テンも薬室長ですら疲れて休んでいてもアデリタは集中して調合を続けました。
そして、ようやく完成の時がやってきたのです。
「テン、蜜の用意を」
差し出された嘔気にテンは手をかざして蜜を入れました。
その蜜と混ぜ合わせ、完成です。
「出来た……っ!」
声を上げたのはテンでした。アデリタは一息ついて、器具を置きました。ふと視線を薬室長に向けました。
「……なんでお前がここにいるんだ?」
「それはこっちが聞きたいんですけど?」
キョトンとした表情をしたアデリタに薬室長は怒りをあらわにしました。しかし、その様子を気にしていないようにアデリタはあくびをしながら仮眠室へと足を向けます。
歩き出す前にテンの方に振り向いて、
「その薬は、テン。お前が姫様のところに持って行ってくれ。塗り薬じゃないぞ、飲み薬だからな。間違えるなよ」
テンの返事を待つことなく、そのまま仮眠室に入っていきました。テンはその背中が見えなくなってから困った様子で、ウィルベルトと薬室長を見ました。
2人とも頷いて、テンが持っていくこととなりました。
プリムラの部屋に戻ってきたテンとウィルベルト。薬室長がプリムラに寄り添っています。
プリムラは薬の入った器を見つめました。じっと見つめるその視線からためらいが感じられます。
「……プリムラ様。この薬の質は私が保証いたします。アデリタは元宮廷薬師であり、この国に伝わる薬の何割かは彼女の手によって開発されたものです」
「………」
プリムラはなおも薬を見つめました。その沈黙を破ったのはテンでした。
「姫様っ」
プリムラはゆっくりとした動きで、テンに顔を向けました。テンに視線が集まります。
「……あなたはテン様でしたね、どうされましたか?」
「……あ、と。アデリタさんはすごい人です。すごい人で、スカイトラッドでもみんなに慕われていて、頼られていて、すごい薬を作れちゃう人なんです! だからたぶん…………ううん、絶対良くなりますよっ」
懸命に伝えようとするテンの様子にプリムラは真顔で見つめていました。テンの様子を見て、ウィルベルトは思わず、息を漏らして笑みを浮かべました。
「……あなたもそう思いますか? ウィル」
もう1つ確証が欲しいかのようにプリムラはウィルベルトに問いました。
「はい、絶対良くなります。姫」
「…………」
プリムラは意を決して薬を喉の奥へと流し込みました。周囲の人々もそれを見守ります。
薬を飲んだ後も症状には未だ変化は見られません。
「あとは様子を見るだけです。寝ていればよくなりますよ」
「そう、願います」
プリムラはベッドで横になって、眠りにつきました。その後、テンたちは姫の部屋から出て、休憩することにしました。
翌朝、テンはあの後ぐっすりと眠ってしまっていたようです。テンが起きると外は客室で、横でアデリタは眠っていました。
部屋に日の光が差し込むほどの時間になっていました。
寝起きのテンは城に泊まったことを忘れていたようで、周囲を見渡しました。少しすると頭が冴えてきて昨日の出来事を思い出しました。
昨日の調合で疲れ果てていたのでしょう。
「あ、姫様どうなったんだろう」
呟いて、ベッドから降りて立ち上がりました。その時、扉の向こうからノックの音が響いてきました。
「はいっ」
テンは慌てて扉の方へと小走りで近づいて、開けました。
扉が開いた瞬間に寝起きで身なりを整えていないことに気づきましたが、もう間に合いません。
訪ねてきたのはウィルベルトでした。
「失礼、寝ているところ起こしてしまったか」
「……すみません。お見苦しい姿で」
「いや、こちらこそすまない。長旅の後すぐ調合に入ったのだ。配慮が足りなかった」
「私は手伝っただけなんですけどね……」
テンは自嘲気味に笑いました。そしてすぐさま気にしていたことを聞きます。
「お姫様はどうなりました?」
「そのことを伝えに来た。……アデリタはまだ寝ているようだな」
ウィルベルトは奥を覗きこみました。話し声に目覚めたのか、のそのそと毛布にくるまりながらアデリタが姿を現しました。毛布の中に見える服は着崩れています。
「失敬な……起きているぞ」
「今起きたな」
アデリタは大きくあくびをしました。
「まあいいだろう。テン殿、姫様の症状は回復した。痕一つ残っていない」
「本当ですかっ!?」
思わずテンは飛び上がりました。
「ああ、ありがとう。礼を言う」
「……それならアデリタさんのおかげですね」
振り返ると、アデリタは壁にもたれかかりつつおなかを搔いていました。
「私が天才と言えどもあの本がなければどうにもならなかったよ。感謝するならあの本を書いた人にするんだな」
その本はテーブルの上に置かれていました。テンはとことことテーブルに歩み寄り、その本を手に取ってウィルベルトのもとに持ってきました。
ウィルベルトは受け取るとその表紙を眺めます。
「テン殿が持っていた本か」
フウカ・モチヅキ著、銀狼の薬蜜。大昔この世界に誘われた銀雪の少女が書き記したとされている蜜を使った薬の調合方法が綴られている本。
「この本を譲り受けることはできないだろうか」
「……譲ってどうする。それはテンの勉強道具だ」
アデリタは近づいてきて、本を取り上げてテンの手に戻しました。
「それに、これに載っているのは蜜を使ったものだけだ。銀雪の少女がいなければ宝の持ち腐れだろう」
「………そうだな。であれば、今度何かあったときはテン殿に頼むとしよう」
「えっ! あの……私まだ調合とか……」
テンは思いもしていなかった言葉に驚きました。
「二度と来させないよ、ウィル」
「テン殿、また来てくれるだろうか」
アデリタの憎まれ口も無視して、テンに言いました。テンはむむむっと考えて、答えます。
「はいっ。また来ます! 次来るときは自分で調合できるように勉強しておきます!」
テンは力強く頷きました。
「……ありがとう」
「その時は病気になった時だから喜べないけどな」
懲りることなく憎まれ口を続けるアデリタでした。
「……では、姫のもとに行こうと思う。準備してもらってもよいだろうか」
少し話して、ウィルベルトは仕切り直しました。
「私はいいや。テンだけで行ってこい」
「アデリタさん?」
「治ったのならあとはここの医師やら薬師どもの仕事だ。よそ者がこれ以上出張っても疎まれるだけだ」
アデリタはベッドにもぐりこんで寝入りました。
その様子にテンとウィルベルトは顔を見合わせて苦笑いするばかりでした。
プリムラの部屋に入ると、プリムラは窓際で椅子に座り、外を眺めていました。
扉の開閉音に気づき、テンたちの方に視線を移しました。
「おはようございます、テン様」
天使のように柔らかな笑顔で迎えました。
「おはようございます。プリムラ姫」
2人の視線は交じり合い、テンの視線は次に左腕へと向けられます。その腕は他の部位と同じように細く伸び、白い肌に包まれた人間の腕でした。
「この度は誠にありがとうございました。厚意に感謝いたします」
「えと、治って何よりです。私はただの手伝いでしたけど……」
テンの中では薬を作ったのはアデリタで、感謝されるべきもアデリタだと思っていました。そのため、テンは感謝を受け入れることにためらってしまっていました。
そこに声をかけたのはウィルベルトでした。
「テン殿。そんなことはない。君がいなければ薬は完成しなかったし、君が説得しなければアデリタも動かなかったであろう。もっと胸を張っていいのだ」
「…………」
ウィルベルトを見つめ、力強く見つめ返すその瞳。テンは迷いつつも受け入れることにしました。
「そうですね。……そうですよねっ」
「それでいい」
テンは何度も自分を肯定するように頷きました。ウィルベルトもその様子に満足げです。
「ウィル、ずいぶんと仲がよろしいようですね」
「……そうなのでしょうか。 我々は仲が良いと言っていいのだろうかテン殿」
「えっ!? 私は仲良くなったと思っていましたよ!?」
その様子にプリムラは口をとがらせて嫉妬していたのは、2人には知りえぬことでした。
「……まあいいでしょう。お礼は何がいいでしょうか、テン様」
「おっ、お礼ですか?……アデリタさんいないしどうしたら……えっと」
「テン様」
慌てふためくテンにプリムラは短く名前を呼びました。ハッとしてテンはプリムラを見ました。プリムラは視線でウィルベルトに指示を出していました。
「テン殿。アデリタには別で渡す。君が欲しいものを言えばいい」
「……私の?」
「何か欲しいものはないですか?」
テンは唸り声をあげながら考え込みました。欲しいものがないというわけではありません。お礼に何かもらえると突然言われても下手なものを要求して無礼だなんて思われたくもないため、考えに考えました。
ふと、頭に温泉のことが浮かびました。身体を見ると汗でべたついています。
「あの、お風呂ってありますか?」
「? ええ、ありますが」
「ちょっと汗かいていて、洗い流したいなぁって」
「それならお礼とは言わずともご用意させていただきます」
プリムラは微笑んで答えました。
「あ、お礼にはならないですか? ……えぇーっと」
また考え始めたテンにプリムラは思わず笑ってしまいました。
「そうですね、まずはお風呂に入りましょう。それから何がいいかゆっくりお考え下さい」
「……はいっ」
そうして、テンは城のお風呂に入ることになったのでした。
「テン、風呂に入るのはいいがその耳と尻尾はどうする」
「え? あっ!」
部屋に戻りアデリタに報告すると開口一番に指摘が入りました。そこでようやくそのことに気づくテン。先程プリムラと会うときも隠していませんでした。
「……確かに何か周りからの視線感じるなとは思っていたんですが」
わたわたと慌てふためくテンをよそにアデリタはベッドから起き上がりました。
「姫様も気にしてないようなら悪いようにはしないだろ」
テンパりすぎてテンは立ち上がったアデリタを涙目になりながら見上げました。
「テン、蜜出して」
「はい」
アデリタは部屋に常備されていたコップを取り出して、コップの中に水を入れ、テンに差し出しました。テンは学習していた水に対する蜜の割合で蜜を垂らしました。
「……うむ、蜜の割合は覚えているようだな。えらいぞ」
テンの頭をなでながら、強壮剤を飲みました。
「勉強しましたから!……じゃなくてっ」
アデリタはそのまま部屋の外へと向かっていきました。扉の前で振り返ります。
「風呂、行かないのか?」
「……行きますっ」
テンはアデリタに着いていき、浴場へと向かいました。今更ながら耳と尻尾を隠して。
アデリタはズカズカと歩いて行ったものの実は浴場の場所は知らず、途中ですれ違った薬室長を捕まえて案内させました。
到着すると、そこに広がるのはテンのいた世界でも類を見ないほどの広い更衣室で、召使たちがテンを待ち構えていました。
召使たちの中にひと際目立っている人物、プリムラも椅子に座って待っていたようです。
テンが到着すると立ち上がり、召使たちにより服を脱がされていきます。アデリタはその様子を特に気にする様子もなく、服を脱ぎ始めました。
光景に驚き、戸惑っていたのはテンだけです。
「姫様?」
「はい、何でしょうかテン様」
「姫様もご一緒に入るのですか?」
「もちろんです。それ以外にここにいる理由はないでしょう? それとも、嫌でしたか」
「そんなまさか」
プリムラに問われて、テンは断ることなど出来ませんでした。
「…………」
「どうしたのですか?」
帽子を押さえて隅に縮こまるテンにプリムラは声を掛けました。
「いや、そのぉ……」
「ふふ、隠さなくても大丈夫ですよ」
微笑んだプリムラにテンは思わず「えっ」と声を上げました。
「ウィルから事情は聞いております。ここにあなたをどうにかしようという心を持った者はおりません。ご安心ください」
これまで見てきたプリムラの人となりからテンはその言葉を信じることにしました。
「それに、早くしてくださらないと風邪を引いてしまいます」
プリムラは寒そうに身体を抱えるような身振りをしました。テンは飛び上がって、服を脱ぎました。慌てていたため脱ぎ捨てるように、服が舞い上がりました。召使たちはそれをキャッチし、綺麗に畳みました。
「……テン、慌てても脱ぎ捨てるな」
「……」
「なんだ」
「アデリタさんにそんなこと言われる日が来るだなんて思いませんでした」
「馬鹿にしてるのか」
「ああっ、いえそんなわけ」
普段のアデリタは家で脱ぎ散らかし、掃除もテン任せのため、テンはしっかりとしたアデリタに衝撃を受けました。
「私だってな……いや、それはいいんだ」
「?」
風呂場はさらに広い浴槽がテンを待ち構えていました。3人で入っても全く余裕なほどの広さで、テンは3人だけで占有するのは勿体ないのではないかと思ってしまうほどでした。
「わぁ~~~っ!」
テンは目を輝かせてお風呂へと向かっていきました。プリムラとアデリタは後ろからそれを眺めて微笑んでいます。
「その昔、兄がお世話になったそうですね。アデリタ様」
「……素性は調べてあるのですね」
「兄やウィルからよく聞かされていました。よく効く薬を作る薬師がいたと」
「私のこと覚えているとしたら第1王子ですね。兄気味には私もよくしていただきました」
アデリタは遠くを眺めます。
「私はもう宮廷薬師に戻る気はありません」
先手を打つようにアデリタは言いました。その言葉も想定通りと言わんばかりにプリムラは表情を変えません。
「そうですか。それは残念です。……ではテン様とお友達になってもよろしいでしょうかっ」
「は?」
「テン様は、普通の人とは違っていてそのもしダメでしたら……」
初めて友達を作る子どものように恥ずかしそうな様子でもじもじとプリムラはテンを見ていました。アデリタは思わず笑ってしまいます。
「ふふ、いや失礼。姫、それはあなたとテン次第です。あなたが友達になりたいというのであれば、私に止める理由などありません」
「……そ、そうですよね。失礼しましたっ」
今まで姫らしく高貴に振舞っていた分、その戸惑う姿は年相応、いやもっと幼く見えます。
プリムラのお世話に付き添っていた召使たちもプリムラの様子に微笑んでいました。
すると、湯に浸かっているテンから呼ぶ声が聞こえてきました。
「大丈夫ですよ、テンはもうあなたのこと友達と思っているかもしれませんよ?」
「……はい」
2人はテンのもとへと向かいました。
「あ、ちょっと……姫様……」
「ほほーぉ、これがテン様の耳なのですね」
プリムラはその感触を確かめるようにテンの頭部についている狼耳を触っていました。テンの頭部には人間の耳がある位置には耳は存在していません。
次は、と言わんばかりに耳の感触を堪能し終えると、テンの尻尾をモフり始めました。
「これは………」
しかし、尻尾は完全に水を吸ってずっしりとしていました。
「風呂から上がったらふっわふわにして差し上げましょうっ!」
プリムラは端で待機する召使たちに視線を向けると、「承知いたしました」と頭を下げました。
さらには耳と尻尾だけに留まらず、身体をまさぐりはじめます。テンは相手が姫である分強く抵抗することも出来ずにアデリタに助けを求めていました。アデリタは見て見ぬふりをするがごとく目を合わせようとしません。
「……と、戯れはこの辺にしておきましょう」
プリムラは両手をテンから離すと、テンは力が抜けて浴槽のふちに倒れるようにもたれかかりました。プリムラはテンのように我に返り、
「……すみませんっ。嫌でしたか?」
「ははは……いえ、大丈夫です。全然」
「……」
弱々しく笑ったテンでしたが、プリムラは口を閉じてテンを見つめました。
「テン様。もし、もしよかったらなのですが、私とお友達になってくださいませんかっ?」
「……お、お友達ですか?」
突然の提案にテンは狼狽えます。状況を飲み込めずにいると、プリムラは話し始めました。
「病気になって数年。当時はまだ子どもだった私も、年齢だけなら成人してしまいました。それだけの年月。年が近く友人と呼べた者たちはもう交流がありません」
プリムラの手は正面で組まれ、震わせていました。
「病気が治ったとしても、もう昔のようには戻れないでしょう。病気で人前に出られなかった時も私に近寄ってきたのはこの土地を欲した権力者ばかり」
プリムラは俯いていて、話すほどに声が震えていきます。
「で、ですね……あの……やだ、すみません」
続けようとするもプリムラの目から涙が零れ落ちていきます。拭うほどに雫は大きく零れていきました。
その涙が語るのは先の不安と孤独。病気に罹っていた時の嫌な記憶でしょうか。
テンは顔を抑えるプリムラの手を取りました。
「……プリムラ様。嫌だなんて言いません。嫌なわけないじゃないですか」
テンは微笑んで言いました。
「こちらこそ、私と友達になってください。プリムラ様」
「…………ありがとうございます」
「ほら、泣き止んでください。ほら、耳とか尻尾触ってもいいですから」
テンがプリムラの方に尻尾を向けると、プリムラは尻尾を抱きかかえるようにして捕まえます。
「……友達ならお互いもう少し砕けて話したらどうですか?」
横から優しく笑みを浮かべているアデリタが口を挟みました。
「そうですね、ではテン。これからよろしくお願いします」
「はいっ。よろしくお願いします。プリムラ……様」
プリムラを真似て呼び捨てにしようかと思ったけど、周りの視線を気にして思わず敬称をつけてしまいました。
「おい、テン」
「その~……お姫様に呼び捨てはできませんよぉ……」
「テン? 友達ではなかったのですか?」
「ああっ! ……プリムラ! プリムラよろしくね!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
焦って呼ぶとプリムラは笑って答えてくれました。それを見てテンもつられて笑顔になりました。
それからテンとプリムラはお互いの話をしました。
プリムラが産まれてからのこと、この町に来ることになった経緯、病気になった日のこと、それからのこと。テンもこっちの世界に来てからの話を伝えました。
「テンは別の世界からやってきたのですね」
「うん、そうなんだ。元々いた世界だと耳はちゃんと人の耳だったし、狼の尻尾もついていなかったんだよ?」
「それは……不思議ですね」
「だよねぇ~」
すっかり打ち解けた2人を見てアデリタからの一言。
「さすがに砕けすぎじゃないか?」
そんな言葉は聞こえてはおらず、完全に2人の世界に入って楽しげに会話しています。
「この世界のこと知らないのでしたら、まずはこの町を観光してみてはいかがでしょう?」
「それいい! すっごくいいと思う!」
「では、私がご案内します。もっとも、私も町を歩くのは数年ぶりですのでちゃんとご案内できるか不安ですが……」
「……じゃあ、探検みたいでワクワクだねっ」
目を輝かせてテンは言いました。プリムラはテンの発想に感嘆を受けました。
「そうですね、ワクワクです」




