第4話『温泉に行こうっ!』
テンはケーテとティロットと共にカフェに集まっていました。
いつもの奥の席です。
「2人とも、温泉には興味ないかい?」
そう切り出したテンに2人はキョトンとして顔を見合わせました。
「いきなり何の話? テンちゃん」
「……あのね、アデリタさんが温泉の場所を知っているって言っていてね。今度行こうって話になったの。だから、2人もどうかなって思って」
徐々に自信なさげに話していくテン。
「温泉……というと公衆浴場じゃなくて別の場所?」
「うん、興味ない?」
「興味あるよっ! 公衆浴場はみんなダメって……特にお母さんに反対されるし」
ケーテは俯いて答えました。
公衆浴場の客層は大人が多く、暗黙の了解の裏ルールのようなものが出来ている環境のため、子どもたちには行きにくく、親たちは行かせたくありません。
しかし、この島の若者たちがお風呂文化に興味がないわけではなく、入ってみたいというものは後を絶ちません。
親の反対を振り切って公衆浴場を利用したのち想定外の思いをして帰ってきた子どもたちは大人たちにとってもはや名物行事です。
「…………俺も興味あるけど、俺が一緒でもいいのか?」
ティロットはテンを見つめて言いました。ケーテも一度ティロットを見てからテンに顔を向けました。
「え? ティロ君はティロ君だし大丈夫だよ?」
「……」
返す言葉が見つからないティロット。信頼されているということよりもテンのことが心配になるほどでした。
「ああ、そう。ケーテは」
「私は気にならないよ。ティロットだし」
「……俺だって男だぞ。もっと警戒しろよお前ら」
ティロットは深くため息をつきました。
「ティロ君じゃなかったら誘わないよ」
「ティロットじゃなかったら嫌がるよ、さすがに」
2人は悪気もなさそうな真顔で言いました。テンとケーテからすると逆に嫌がられているのかというぐらいの気持ちでいました。
どう返したらこの心配が伝わるのかとティロットは頭を抱えました。
その時ティロットの背後の方からマスターが近づいてきました。
「いいじゃないですか温泉。一緒に行って来たらどうですか? ティロット君」
振り向くと、いつものようにニコニコと笑うマスターがいました。
目が合うとマスターは真顔になり、
「もしかして、いかがわしいことしちゃうのですか」
「そんなわけないじゃないですか」
ティロットが否定すると、マスターの表情も元に戻ります。
「ならいいでしょう。彼女の知っている温泉と言うことでしたらきっと道中危険もあるでしょう。あなたが2人を守ってあげるのですよ」
「……はい」
項垂れるように返事をしました。
「で、ケーテも行くよね」
「うん。……でも、お母さんたちに相談してからになるかな」
「りょーかいっ!」
こうしてケーテとティロットの2人も一緒に温泉へ行くことが決まりました。
「それで、温泉はどこにあるんだ?」
「……ん-と、アデリタさんは山って言っていたかな」
「山!?」
驚きの声をあげて2人は立ち上がりました。
「山って言うと、森を通過す必要があるよな」
「あ、そっか。森入っていかないと山の方にいけないね」
「森は銀狼様が住んでいて、許可がないと入っちゃいけないんだよ? テンちゃん」
ケーテに言われてテンはドキリとしました。数日前に池の調査という名目でアデリタと共に足を踏み入れたことを思い出しました。
島の人たちは森に許可なく入ることは許されていません。その許可は司教からのみで、森に立ち入る前に伺いを立てるのがルールとなっています。
ケーテは信心深く、教えを破ることにすごく抵抗があります。
返答に困っているテンの様子を見て、マスターから助け船が出されました。
「温泉に入るためだったら、銀狼様もお許しになるでしょう。大丈夫ですよ」
「……でも」
食い下がるケーテ。その様子にティロットとマスターはテンの方を見ました。しかし、テンはその視線の意味が分からず首をかしげます。
「何なら司教様には私の方から伝えておきましょう。行くまでには回答してくれると思います」
「アデリタは許可なんて取らないだろうしな」
ティロットは苦笑いして言うと、テンもあり得ると同じように苦々しく笑いました。
マスターが提案したことでケーテもそれならと受け入れました。
「よし、決まりだな。ケーテは親に相談してからとして、テンはアデリタに正確な場所と日程を聞いておけ。」
「うん、わかった」
テンとケーテは頷きました。
***
後日また3人で集まりました。
ケーテは両親からの許可がもらえたようです。
また、マスターも司教から許可が下りたという報告をしてくれました。
そして、テンはアデリタからおおよその場所と道順を教えてもらいました。しかし、アデリタは「わからないから面白い」等と言って教える気はなかったようでした。最終的には、テンの押しに負けて話したようです。正直に正しい情報を伝えていないということは今のテンには知る由もありませんでした。
テンはアデリタから借りた地図を広げて、指でなぞりながら2人に説明をします。
町の北側には銀狼の住む森が存在し、町と森の間にをつなぐ出入り口が整備されています。司教から許可を得た者たちが出入りする場所になっています。
森を縦断し、その奥に山が存在しています。その山の中腹に目指す温泉があるようです。
「へぇー、結構大変な道のりになりそうだね」
「だよね。歩く道はどうなっているんだろう。注意して進まなきゃだね」
「アデリタの考えるルートは整備されてなさそうだな」
テンは以前のことを思い浮かべました。植物が生い茂っており、足場も不安定な場所を歩かされました。時々アデリタが気を配っていなければテンも怪我をしていたことでしょう。
「でも本当に危ないときはアデリタさんも声かけてくれるし、前も――」
「前?」
ケーテは真顔でテンを見ました。その表情から圧を感じたテンは固まります。
森に足を踏み入れた時、アデリタは許可など取っていませんでした。
「……池の時だろ。あの汚染事件の」
「う、うん! そうそう……」
「池の汚染調査のために森に入ったんだ、テンちゃんも
「まぁね……アデリタさんに言われるがままで……」
ケーテの表情が柔らかくなったのをみてテンは安心して話を続けようとしました。だけど、ケーテはそのニッコリとした表情のまま言いました。
「それで許可は?」
「あああ、アデリタさんが取っていたんじゃないかなぁ……」
声を震わせ、あらぬ方向を見て言いました。ティロットはその様子を見て「ああ、許可取ってないんだろうな」と思いつつ、静観していました。
信心深いケーテと比べ、ティロットは信仰心が薄く教えにはほどほどにしか従っていません。森に入ることも言うほどためらいはありませんでした
「そうだよね、アデリタさんなら取っているよねっ」
「そうだね……」
力なく笑うテンでした。アデリタの性格を知っているティロットからすると、彼女が許可取らずに森に入っていったのは聞くまでもないことでした。
ティロットは幼少期からアデリタと関わりがあり、その度に彼女の意地悪の被害に遭ってきました。しかし、彼女の意地悪には本当に危険な真似はさせないという彼女なりの良心がありるようでした。
アデリタの印象を、と問われれば大人からは『子どもを構いつつ、危険なことから救ってくれる方』で子どもからは『意地悪なおばさん』といった感じでした。
「アデリタなら教えた道とは違う道通るだろうな」
呟くように言ったティロットにテンは「そうかも」と気づいてしまいます。彼女もまたアデリタにいたずらをされながら過ごしているのです。
「……まあ、道はアデリタしかわからないし、俺たちは俺たちで気を付けるしかないな」
その後、3人で地図を見ながらどんな温泉なのか、温泉地から見える景色はどんなものか等想像を膨らませながらお話ししました。
温泉へ向かう当日になりました。
整備されている森の出入り口に立つ2人の陰。テンとアデリタでした。テンは早起きした後、時間にルーズで二度寝しようとしたアデリタをたたき起こしまして連れてきました。
アデリタが起きるのを待っていたら待ち合わせの最後に到着するのはこの2人になっていたことでしょう。
それから少しして、ケーテがやってきます。その服装は普段の修道服ではなく、動きやすいようにパンツスタイルの服装となっていました。ケーテの見慣れない格好にちょっと違和感を拭い去れないテンでした。
最後にやってきたのはティロット。彼もまた当然と言えば当然ですが、カフェで働いているときの服装ではありません。
その服装にアデリタは「いつもの服装と違うな」なんて茶化しています。
「さて、全員集まったな。じゃあ行くぞ」
アデリタは振り向いて森へと足を向けます。
「待て、アデリタ。変な道を行かないよな」
「……当然だ」
ティロットに視線を合わせないようにそっぽを向いて答えました。
「なんでこっちを見ない。まさかお前」
「なっ、私の言うこと信じられないのか!? 私とお前の中じゃないか!」
「信じられるわけあるかっ!」
アデリタはしれっと別ルートを案内しようと画策していたようです。
「森の中は危険じゃないのか?」
「ああ、危険だ。私の指示を聞けば安全だ! さあ行くぞ!!」
話を無理やり終わらせて森の中へと入っていきました。3人は遅れてアデリタの後を追いました。
森の中に入ると、アデリタはすでに出来上がっていた道を避けて進んでいきます。アデリタが先導し、その後ろをテン、ケーテ、ティロットの順になって歩いていきました。
「なあ」
ティロットの声にテンとケーテは振り向きましたが、アデリタは無視して歩き続けます。彼女には何を言われるか理解しているのです。
「他の道はないのかアデリタ」
「ない」
ピタリと足を止めてアデリタは端的に言いました。不服ながらもティロットは道を知らないため従うほかありません。
さらに少し進んだ先の開けた場所でアデリタは振り返りました。
「あのなティロット。お前は勘違いしている」
「?」
「これはお前たちのためでもある。ちゃんとした道歩いて銀狼様と遭遇したら迷惑だろう」
「……銀狼様の?」
訪ねたのはテンの方でした。アデリタはテンの方を向いて頷きます。
「そうだ、銀狼様は事情があって人と会うことを嫌っている。会えば恐怖心から襲ってくるかもしれない。しかも、私たちは勝手に踏み入っているよそ者だ。こっちから会わないように気を使わないといけない」
「事情」
テンは後ろの2人を見ました。ケーテとティロットは銀狼教を信仰しており、みな幼少期から教わることの一つでした。
「銀狼様はね、そのお力を人々に狙われて酷い目に遭わされてきたんだって」
「だから人の手から逃れるためにこの島の……この森にやってきたんだと」
2人はテンに軽く教えました。森に入っちゃいけないというのは銀狼を守るためのルールだったのです。
「……じゃあ、この森本当に入るのダメなんじゃ」
「今更だな」
「教えてなかったのかよ……」
何食わぬ顔をして言ったアデリタにティロットはため息をつきました。アデリタは口をとがらせて、
「だって、伝えてなかったら着いてこなかっただろうし……」
「ごめん、私が温泉行きたいって言ったから……」
今日のことを計画したテンは罪悪感を覚えてしまったようです。
「あー、いや、別に温泉行くだけなら銀狼様も許してくれるって」
「う、うんそうだよっ。司教様からも許可もらっているんだし……!」
ケーテとティロットはテンを慰めるように言いました。
「そうだよね、許してくれるよねっ」
テンの表情も明るくなり、笑顔を取り戻しました。
「……それにもう森に入っているから罰を受けるとしても温泉入らないと損だろ」
「おい」
水を差すような言い方をするアデリタでした。
それから起伏のある道なき道を進む一行。
そのルートに歩きなれないケーテには疲れが見え始めていました。
目の前に現れたのは山の入り口ともいえる坂の道でした。
「まだ歩くのぉ……?」
そう口にしたのは疲れが見えているケーテでした。ケーテは普段から長く歩くことはない上、森の中では足場の安定しないルートだったため、他の人たちよりも疲れて、まだ先があることを知り、心が折れかけていたようです。
「ちょっと疲れたね……」
「まだ先なのか? この道の先だろ?」
「この山をぐる~っと回って……」
「笑えない冗談やめろ」
「バレたか。まあいい。ちょうどいいから一度休憩にしよう」
アデリタとティロットがやり取りしている間にケーテは地べたに座り込んでいました。
「疲れ果てたら逆に溺れて、温泉どころじゃなくなるだろうしな」
「溺れるんですか?」
ケーテはうつろな表情で聞きました。
「うむ、温泉と言ってもようは水だからな。下手すれば溺れる」
「……!」
「大丈夫だケーテ。俺がいるからそんなことはさせない」
「……うん」
テンはケーテに水を渡しました。ケーテはゆっくりと水を飲みます。
「ティロ君は平気?」
「ああ、大丈夫だ。テンこそ疲れてないか?」
テンは頷きます。
「ちょっと疲れているけど平気だよ。ありがとうティロ君」
ふとアデリタの方を見ると、顔を隠すように地図を確認してブツブツと何かつぶやいていました。話しかけようとしたところティロットに止められました。
「やめておけ、あからさまに考えているときは悪だくみだ」
「……そうですね」
テンはマジメな顔で答えました。すると、地図の向こうから声が聞こえてきます。
「失敬な! 帰り道のルートを考え直しているところでい!」
「ん?」
「……ケーテが思ったより疲れているようだったから、道を変えるんだよ」
地図を下げて顔を出したアデリタ。その様子にティロットはため息をつきます。その気遣いができるのに、普段はあんなにふざけたことをするのか、と。
テンはケーテに歩み寄ります。
「ケーテ、少しは落ち着いた?」
「うん、森を歩くのって大変だね。お母さんたちに聞いていたんだけど」
「そうだな、俺たちはそんなに歩きなれてないからな」
ケーテはテンの方を見ます。ティロットと比べてもテンは疲れていないように見えます。
「テンちゃんはそんなに疲れてないみたいだね」
「そぉー……なのかな?」
「…………元居た世界で歩きなれていたとか? 森の中に住んでいたとか」
「森には住んでいなかったかな……」
2人は元の世界にいるテンを想像しました。森の中で野生児のように生活している、という勝手な想像です。2人とも同じような姿を想像してしまい、同時に噴き出して笑いました。
「えっ、どうしたのっ!? 何? 何?」
突然笑い出した2人に動揺するテン。
「山育ち、とか?」
「いや、山というより海の方が近かったかも」
「海ってあの向こうの方まで水面が続いているっているっていう」
「うん、たぶんその海だよ」
「そっか、山育ちじゃないか」
うっすらと笑みを浮かべてティロットは言いました。
「あーっ、バカにしていたでしょティロ君」
「いーや、してねえ。なあケーテ」
「いーや、ティロットはテンちゃんバカにしていたね」
「なっっ」
そんな話をしていると地図の確認を終えたのか、地図をしまって近づいてきました。
「それは、蜜の影響だろう」
「……蜜ですか?」
3人そろってアデリタを見ました。
「テンの体内に流れている蜜は、万病に効くっていうのは自身の体調にも影響していると私は考えている」
「そうなんですね……」
「だから身体が丈夫なんだな、テン」
「へへー」
テンは恥ずかしそうに笑いました。
「十分休んだな、そろそろ行くか」
「ケーテ大丈夫?」
「うん、もう大丈夫っ」
ケーテは頷きました。
坂の入り口から5分と経ったあたりでしょうか。アデリタは立ち止まり、あたりを見渡します。彼女の立っている位置から道は分散し、道という道がなくなっているようでした。
「道わからなくなったのか」
ティロットは言いました。
アデリタの視線の向ける先を追って辺りを見ていたテンもアデリタの方を見ました。
「バカ言え、私を誰だと思っている。この辺から道が複雑になるんだ。確かこの辺に目印があるはずなんだが……」
「それをわからなくなったって言うんだよ」
「……賢いなお前」
「怒るぞ」
怒気のこもった声を向けられて、アデリタは一息つきました
「お前たち、この辺に何かあるはずだ。探してみてくれ。そこにが下があるから気をつけろよ」
アデリタの指示に3人とも頷いて、各々周囲を探し始めました。
周辺は草木に囲まれており、一方には崖が存在しています。崖の底は見えないほど奥まで続いていて、落ちればひとたまりもないことは分かるほどでした。
少しして、ケーテが腰の位置程の高さがある台座を見つけました。背の高い植物に囲まれて隠れていたようです。
台座のてっぺんには赤、黄、青と色分けられたでっぱりがついていました。その奥側には何やら文字らしきものが描かれています。
「ありました!」
「でかしたケーテ!」
ケーテの声に他3人も集まり、確認しました。
「これはスイッチか?」
「勝手に押すなよ、奥の方に私たちのしらない文字が書かれている」
「これってどこかで見たことあるような……」
ティロット、アデリタ、ケーテは書かれていた文字を見て、頭を悩ませます。しかし、テン1人だけ反応が違いました。
「これって……」
「どうしたの? テンちゃん」
驚きを隠せないまま、テンはその文字を見つめていました。
「テン、もしかしてお前のいた世界の文字か?」
「……はい」
その文字はテンのいた世界で使われていたものだったのです。
テンは頷きます。この世界の使われている言葉とテンのいた世界の言葉は別物なのです。それが原因でコミュニケーションを取るのに苦労したぐらいです。
その台座に刻み込まれた文字が意味することに気づいてしまったのです。
「アデリタさん、銀狼様って」
「……もう少し大きくなってから伝えるつもりだったんだがな。銀狼は、お前のいた世界の人間達った者たちだ」
「……!」
ケーテとティロットは驚いた表情でテンの顔を見ました。しかし、テンは目をつむって俯いて考え込んでいるように黙り込みます。
「私もいずれ銀狼様と同じようになるんですか?」
「…………そうだ」
アデリタの返答にテンは口を噤み、首を横に振りました。
「……この話はまた今度にしましょう」
「そうだな。……それで何て書いてあるんだ?」
アデリタは台座に顔を向けました。他2人もテンの様子を見て、自分たちも切り替えることにしました。
テンは指でその文字をなぞりながら読み始めました。翻訳のため一つ一つ確かめるように読み上げます。
「窪みに蜜を。さすれば道は開かれん」
よく見ると並ぶ3つのスイッチと書かれている文字の間には小さなくぼみが出来ていました。
「……って書かれています」
テンが顔を上げて3人を見ました。だけど、みんな顔を見合わせています。
「テン、適当言っているわけじゃないよな」
「そんなわけないじゃん、ティロ君」
「いや、すまん」
ティロット含め、3人は自分たちと同じ言語を話すことができなかった時期を知っているだけに、流ちょうに知らない言語を喋りだしたテンの姿が信じられないものを見ているようでした。
「……よし、テンやってみろ」
「はい」
アデリタが促して、一歩下がりました。同じようにケーテとティロットも移動します。
テンはポトリと蜜を垂らしました。
蜜は窪みに落ち、台座に染み込んでいきました。すると台座は光を話し始め、周囲を照らしました。
そして地面が揺れ始め、テンとケーテはバランスを崩し倒れかけましたが、ティロットが支えました。
「なに…っ?」
目の前の崖から向こう岸にかけて道が出来上がっていました。その道は人が2,3人通れるほどの幅の橋でした。
「道が……」
道を渡る前にアデリタはしゃがみこんで出来上がった道の地面を確認しました。触れてみると土ではなく、黒い石で出来ているようでした。
「どういう仕組みだ? これは……」
「おぉ……」
テンは恐る恐るその道に足を踏み入れました。不安定さの欠片もなく、これまでの道中の方が不安定でした。
「大丈夫そうっ!」
振り向いて、3人に伝えました。アデリタはすんなりと信じて、恐れる様子もなく足を乗せました。ケーテとティロットは片足ずつ確かめながら橋に進みます。
「……意外と頑丈そうだね」
「そうだな。これなら途中で崩れるとかはなさそうだな」
危なげもなく、橋を渡りきると対岸には道が続いていました。全員が渡りきると、先程わたっていた橋は光になって消えてしまいました。
「あ、橋が……」
「これ、帰れるのか?」
「…………まあ、大丈夫だろ。こっちにも似たのがある」
アデリタは向こう岸の台座と対称の位置あたりに視線を向けました。そこにも背の高い植物が生い茂っています。
かきわけてみると、そこには同じ台座が隠されていました。
「あるな」
「大丈夫そうだね」
全員顔を見合わせ、頷きました。
「じゃあ、行こうみんなっ!」
テンの掛け声と共に眼前に続いている道を歩き出しました。
進んでいくと、空気が暖かくなり、じめっと湿度が高まってきました。そこに広がっていたのは4人全員が入ってもまだ余裕がありそうな程の広さがある温泉でした。
その奥は急な坂になっているようで、向こうには町並みも覗けます。
「わぁ~~~~っ」
テンは温泉の方へと向かって走っていきました。皆もその後を追います。
湯は岩で縁取られていました。
「これが温泉……」
「眺めもいいな」
初めて見た温泉に驚くケーテと遠くの景色に注目するティロット。
アデリタはしゃがみこみ、縁で湯に手を付けていました。
「温度は……少し熱いか」
手を抜いてそのまま立ち上がりました。湯の被らない辺りに荷物を置こうと辺りを見渡します。少し距離を置いたところに荷物を置いていると、テンはお構いなしに服を脱ぎ棄てました。
素っ裸になって、桶を手に温泉へと向かっていきます。ふと視線を感じて後ろを振り向くとティロットはため息をついてあきれ顔をしていました。
「テン、お前さ……」
「何? ティロ君」
「……いや、なんでもない」
「そ」
テンは温泉の湯を手に持った桶で掬い上げて、体にかけました。
「大人になりつつある身体を見せられるとおれも興ふうううぐぐぐ」
ティロットの後ろから心の代弁のようにつぶやかれた声はアデリタのものでした。その言葉を聞いたティロットはアデリタの両頬を引っ張りました。
「アデリタ。お前は余計なことしか言えんのか」
「余計なことだと……? 違う! 健全な男子のおぉお、お、お、お、お」
引っ張っていた手にさらに力を入れました。ギブギブとアデリタはティロットの手を軽くたたき、ティロットも力を緩めました。アデリタは引っ張られた頬をさすり痛がっています。
その様子をよそにケーテも服を脱ぎ始めていました。さすがにテンのように脱ぎ捨ててはいません。丁寧に服を畳んでおいています。
「ケーテ」
「え? あ、いやわかっているよ。男性のいる前で簡単に裸になるなって話でしょ? わかっている。ティロットじゃなかったら警戒するから」
「……そうかい」
諦めたように力なく言いました。ティロットをは脱ぎ捨てられたテンの服を拾い、畳み始めます。
「ティロット、お前は罪な男だ。男の敵だ」
「何の話だ」
アデリタを見ると、脱ぎ終えたケーテの元に駆け寄って後ろから胸を鷲掴みしました。
「ほーぉ。ねぇちゃんええおっぱいしとっっ……」
セクハラおじさんのごとく胸を揉みしだき始めたアデリタに正義の鉄槌が下りました。ティロットのチョップで撃沈。アデリタの動きは止まりました。
「お客さん、当店ではセクハラ厳禁です」
「ちっ……」
「ちっ、じゃない。お前もテン待たせてないで温泉入れよ」
「……それはこっちのセリフじゃーい!」
気が付いた時にはアデリタは服を脱ぎ捨てて全裸になっていました。そして、ティロットに魔の手が差し掛かります。
「やめろっ、このっ! ズボンに手をかけるな!」
脱がそうとするアデリタに必死の抵抗をするティロット。激しい攻防が繰り広げられ始めています。
それを横目にそろ~っと抜け出してケーテはテンのもとに行きました。テンは気持ちよさそうに湯に浸かっています。
「ケーテ。ごめんね、アデリタさんが……」
「ううん。いや、まあ……はは」
取り繕うとするも言葉が出ず、苦笑いするばかりでした。そのまま湯に足をつけようとするケーテにテンはいったん止めました。
「待って、まずは湯を身体にかけてから、だよ」
「……どうして?」
「汚れ落とすとかっていうのもあるけど、温泉って意外と熱いからいきなり入ると身体がびっくりしちゃって危険なんだって」
「そうなんだ……」
テンは持参してきた桶をケーテに手渡しました。言われたとおりに桶で湯を掬って身体にかけると、身震いをしました。
そして、温泉に入ります。
「あっ……あったかい……」
「でしょ~」
ケーテはテンの横に座って湯に浸かりました。その心地よさに2人とも顔も身体も緩みます。
そんな時、足音が近づいてきました。アデリタかティロットか、はたまた両方か。そう思って振り向くと、それはどちらでもありませんでした。
それは白い毛に覆われ、四足歩行をする動物でした。
そう、銀狼だったのです。
銀狼は温泉の縁をなぞるように歩き、奥の方で湯に身体をつけていました。横切る途中、テンを一瞥していました。
「…………」
2人は突然の出来事に呆然と見つめていました。そうしているとさらに1頭2頭と後から続いていて、それを視線で追いました。
そしてようやくアデリタとティロットも到着しました。
「銀狼か」
「やっぱりそうなんですか?」
アデリタを見上げると、アデリタは桶を拾い上げます。
「そうだな。人前に姿を見せないと思っていたが、テンがいるから様子を見に来たのかもしれないな」
アデリタは湯をかけるとティロットに手渡して温泉に入りました。
「私を……」
銀狼を見つめていると、横のケーテの様子が目に入りました。ケーテは胸に手を当てて拝んでいました。
視線を戻すと、ティロットは少し離れた位置で湯に浸かっていました。
それを発見したテンはじーっと見つめます。
「……なんだよ」
「なんでそんなに離れているの?」
テンはティロットの方に近づいていきました。
ティロットは助けを求めるようにアデリタに目で訴えます。アデリタはめんどくさそうにしつつもテンを脇から身体を持ち上げて、引っ張ってティロットから引き離しました。
「お前ももう少し慎みを覚えようか。ティロットといえど男に裸で近づくもんじゃない」
「えー」
「ケーテならどれだけベタベタしていてもいいから」
「へっ?」
アデリタの言葉にケーテが振り向き、その上テンを置きました。テンは身体をケーテにゆだねて「柔らか~」なんて笑みを浮かべています。
「まったく……」
「お前もそんなに邪険にしなくてもいいじゃないか」
「じゃあ、手を出してもいいと?」
「町にいられなくしてやる」
ティロットは頭をかきました。
「冗談だよ、別にそういう目で見てねえし。どっちかっていうと、妹みたいなもんだよ」
「妹か、そうかそうか。ふふふ、それもいつまで続くかな」
「なんだよ」
アデリタは楽しそうに笑い出しました。
「いーや、お前たちの関係は今後どうなるんだろうかなってな」
「どうもしねえよ」
「お前はそうでも向こうはどうかな。お前は言っちゃなんだが顔も性格もいい。独占欲が出ればどうなるか……くくくっ」
ティロットやテンと同じぐらいの年代は少なく、町の人たちの多くは大人ばかりです。スカイトラッドは島の外に移り住むものも外から移住する人もいません。自然と年の近い者たちから結ばれてしまう、ということもあり得ました。
「…………そんな時期になった頃にはあいつも自由ではいられないんじゃないのか」
まじめな顔でティロットが言いました。
「まあ、銀狼教の連中が許さないだろうな」
「…………」
「テンにはまだ純粋でいてもらいたい。あいつの中に楽しかった思い出があれば……いや、それでもこの世界は銀雪の少女《彼女》らにはつらい世界だ。」
アデリタの言葉に返すことができずにティロットは黙ってしまいました。銀雪の少女という存在はこの世界に、そしてこの島にあらゆる事情をはらんでいました。だからこそ、銀狼たちがこの島に隠れ住んでいるのですから。
「さ、シリアスは終わり! ほらほら、みんなで入らないと楽しめないだろ?」
アデリタは無理やり話を切り替え、ティロットの後ろに回り、押し出してテンとケーテの元に連れて行こうとします。
「ちょっ、ちょっと待て。お前何押してっ」
「裸の付き合いができるのもテンが自由で無邪気でいられる内だけだ。堪能しとけ若人よ」
「ぐっ……こいつ力強……」
抵抗むなしく押す力に負け、テンたちの元へと少しずつ近づけられるティロットでした。
一方、テンとケーテは。
「ケーテ、温泉はどう?」
テンはケーテの胸をクッションに用にして寄りかかりながらリラックスして聞きました。
「うん、気持ちいいよ」
「そっかぁ、よかった」
テンは言ってから立ち上がり、温泉の奥の方へとバシャバシャと音を立てて移動しました。ケーテもテンの後を着いていきました。
そして、温泉の奥にある柵に手をかけて、そこからの景色を眺めました。
「ここすっごい良い眺めだねぇ……!」
「綺麗だよね……」
その眺望は町の全体を見渡せ、その奥の空の海すらも目に映ります。空は輝いているようでした。
町の広場には子どもたちが家路に着こうとしているのが遠めでもわかりました。町の活気も落ち着き始めているようでした。
「ちょっと立っていたら冷えてきた……」
テンは身震いをして再び湯に浸かりました。ケーテも真似して一緒に入りました。
テンとケーテの視線が交じり合い、思わず笑みがこぼれました。
「テンちゃんは元の世界で温泉はよく入っていたの?」
「……温泉はそうでもなかったかな。自分の家にお風呂があってね。私の家は2日に1回とか入っていたよ。他の家だと毎日入るところもあったみたいだけど」
「毎日!? 普通のおうちでもそんなにお風呂入れるんだ……」
「そうだね……。こっちと比べると確かにすごいことだよね……っ」
元の世界を思うとそこまで気にする必要もなかったけど、こっちの世界では不便を感じることも多かったとテンは感じていました。
「でも、治癒の蜜もないし魔法も空想上のものだったよ?」
「前にも言っていたね。魔法はないけど機械……? はあるんだったよね」
「うん、向こうには便利な道具が多かったよ」
例えば、とテンは元の世界にあったものを話し始めました。携帯電話だとか乗り物だとかゲームとか覚えている限りの機械をケーテに教えました。
テンにも詳しい仕組みは知らなかったし、どこまでが機械なのかもわからりませんでしたが、ケーテは興味深そうに聞いていました。
「そんなに便利なものがあるんだね……!」
「ちょっ、押すなって。アデリタ!」
そんな話をしていると、ティロットの背中を押しながらアデリタたちもやってきました。
「何の話をしていたんだ?」
「私の元居た世界の話ですっ。機械ってのがあって……」
「ん? 機械ならこの世界にもあるぞ」
驚く様子もなく、アデリタはその場に座りました。
「この島と空を挟んではるか下に大地が広がっていることは知っているよな」
「はい」
この島は空の上に浮かんでおり、この島から見下ろしてもその大地は見えません。しかし、そのはるか下には広大な大地と海が存在しているというのです。
「そこには大地には機械の国があってな。魔法よりも機械が発展しているんだ。その国の作る道具は魔法の代用にはならないって話だったが、この数年で技術は飛躍して近い将来魔法と肩を並べるほどになるだろうって言われている」
アデリタは確信をもってそう言っているようでした。彼女にはその技術の発展には心当たりがありました。銀雪の少女たちが関係しているんじゃないだろうか、と考えていたのです。
「……さて、暗くなってきたし、上がろうか」
「そうですね」
空を見上げると、日は落ちかけて朱く染まっていました。
温泉から上がると、テンは持ってきたバッグからタオルを取り出して、3人にそれぞれ渡しました。彼らはお礼を言って受け取ります。
テンは自分の服を見て、気づきました。
「あれ、服が畳まれているっ? これは……ティロ君?」
「ああ、お前服を脱ぎ捨てていくなよな……」
「あはは……ゴメンゴメン、ありがとうね」
各々水気を拭きとって着替えを済ませました。
荷物をもって帰ろうとしたところ、先程まで見守っていた銀狼たちの1頭が4人の前に出てきました。銀狼は一瞬立ち止まって、こちらを向いた後また歩き出しました。
その様子は去っていくというよりは着いてこいと言っているようでした。
4人は顔を見合わせました。
「着いていってみるか」
アデリタが提案し、3人とも頷きます。
着いていくとそこにはけもの道が続いていました。前を歩く銀狼以外の獣の様子はなく、静寂に満ちていました。
来た時の通路とは違う道で、本当に帰られるのかと不安になるケーテとティロット。アデリタとテンは特に理由があるというわけでもありませんが、銀狼を信用して心配はしていませんでした。
沈黙の時間が続きます。足音だけが響きます。
道も暗く、時間が経つほどに周囲は真っ暗になっていきます。
途中からアデリタは魔法石を使用し、辺りを照らしました。
「お前ら足元気をつけろよ」
「はい」
それからも歩き続けると、見覚えのある道まで来ました。アデリタだけは出入り口付近の道に戻ってきたのだと理解しました。
他の3人も町の建物が見えてきて、帰ってこられたことに気づくと銀狼は振り返ることもなく森の中へと帰っていきました。
「銀狼様っ! ありがとうございましたぁーっ!」
銀狼の背に向けてテンは手を振って見送りました。
「さて、ここで解散だな」
「そうですね、2人ともお疲れ様! 一緒に来てくれてありがとうっ!」
「温泉に入れてとても良かったし、こちらこそありがとうテンちゃん!」
「うん、俺も初めての温泉で良かったよ。ありがとうテン」
そうしてテンたちは2人と別れました。ケーテが帰るところでティロットも家まで送ると着いていきました。
2人きりになったテンとアデリタ。
「……今日は楽しかったか? テン」
「はいっ! 久しぶりのお風呂をみんなで入れてすっごく楽しかったですっ! また来たいです!」
「……そうだな。また来よう」
満面の笑みで答えるテンにアデリタは微笑みました。
空はもう真っ暗になっており、町は建物の明かりで照らされていました。
今日はいい思い出になったね、テン。




