第3話『池の汚染事件』
テンとアデリタは2人である場所へと向かっていました。アデリタが前を歩き、テンは後ろをちょこちょこと着いていきます。
店を出て森に面した道をまっすぐ進み東へ。そこは町のため池。人々が使用する水が溜め込まれています。
池が汚染されているということで調査の協力をすることになったのです。
アデリタは薬の知識だけでなく、下に広がる大地にて幅広い知識を身に着けています。なにかわかるかもしれないと依頼されました。
ため池の場所に辿り着くと、何人もの人が集まって池の様子を覗きつつ話し合っていました。池の水には黒い何かが水と混ざることなく漂っているのが見えます。
集まった人々の元に着くと、アデリタは軽く挨拶を交わしました。
「これに気づいたのは今朝だ。朝の散歩していた奴らが発見したんだ」
集まっている内の1人が状況を話し始めました。朝の散歩の時に発見したそうで、人々が集まってきた時には池の半分ぐらい浸食されていたようです。
アデリタは池を一瞥して、言いました。
「ここまで汚れていると……浄化しかないな」
「やはりそうか……この黒いのが何かはわからんか?」
「それはわからん」
テンがしゃがみこんで池を覗き込んでいると、アデリタが近づいてきました。他の人たちはこちらの様子を窺っているものの近づいてくる様子はありません。
目が合うとテンは首をかしげます。
「テン、仕事だ」
「……はいっ」
テンは立ち上がりました。アデリタは池を指さします。
「蜜を池に垂らしてみろ」
「蜜を……ですか?」
「ああ」
最低限の指示をするアデリタに疑問を持ちながらも言われるがままに従いました。テンが一滴垂らすと、雫は池に波紋を起こし、波紋が消え去る範囲まで黒い汚れをはじく様に浄化しました。しかし、波紋がなくなると浄化されていた部分を黒い何かが飲み込み元通りになります。
「……やはりダメか」
「アデリタさん?」
「蜜にはな、人の病気を治す力の他に、浄化作用もあるんだ」
「……はぁ」
話がイマイチ理解しきれていないテンをよそに、アデリタは集団の方に視線を向けて首を横に振りました。その様子を見て町の人々は落胆しました。
集団の中から「銀狼様のお力でも無理か」等という声も聞こえてきます。
アデリタはテンの方に向き直ります。
「テン、次は一滴だけじゃなく、一気に出してみろ」
「……? わかりました」
テンは両の手のひらを内側に向けた状態で池の方へと突き出しました。テンが力むと、手のひらから蜜は池へと流れ落ちました。
飛沫をあげて蜜が落ち、池は蜜に満たされていきます。汚れていた水は徐々に浄化され、綺麗になっていきます。5秒ほど経ったところでアデリタに止められました。
止めると水は黒い何かに負けて、また元通りになりました。
「これでもダメだな」
頭をかきつつアデリタは呟きます。
「どうするんですか?」
「元を断つしかないみたいだな」
アデリタの向けた視線の先には森の方から池に続く水路がありました。
「汚れはあそこから流れてきている。あれを探る」
「探ってどうにかするんですね」
「それは……どうにかできたらな」
一度集団の方を見てからアデリタは水路の方へと歩き出します。テンもそれに着いていきました。
「森の中って入っちゃいけないんじゃ……?」
「別に入ったところで罰は当たらない。危ないってだけだ」
テンの疑問を気にすることもなく、水路の近くから森へと入っていきました。
森の中は木々が生い茂っており、水路の周りだけ人の手が加えられています。それでも水路の手入れをしてから時間が経っているのがわかるほど、植物に浸食されていました。
道なき道をアデリタはズンズンと進んでいきます。
「本当に入って大丈夫なんですか?」
「私を信じられないのか? テン。大丈夫だ」
アデリタは様々な知識を持ち、町の人々にも信頼されるような人物です。
しかし、彼女の「大丈夫」には人のルールを守るという部分は絶対ではないのです。自分の必要なことであればルールを破るのも厭わないところがあります。
テンはアデリタがたまに大人たちに怒られているところを見ていて、それが不安の種になっていました。
水路に沿って歩いていくと、途中に人の住んでいそうな小さな家が建っていました。しかし。その家の外壁は少々壊れており、植物が壁を這っていました。
「これは……?」
「この辺に住んでいたんだな」
「誰が」
アデリタはその家を見て、寂しそうな笑みを浮かべました。
「……そうだな、誰だろうな」
はぐらかすようにそう言いました。テンはその様子を不思議に思うばかりです。
「森を管理していた人とか、ですかね?」
テンの言葉をよそにアデリタは家の中へと入っていきます。テンもその後を追います。
「遠からずも当たらずというところだな」
アデリタはテンに視線を向けることなく、家の中を探るように見渡しています。
家の中は人が住んでいたというにはボロボロになっていましたが、ほんの少し前まで誰かが使用していたと言われれば信じられるほど、家具などが整えられており、埃もあまりかぶっていませんでした。
「今もここで住んでいるのだろうか」
「……」
アデリタは語りだします。
「彼女らは人のいる表舞台には姿を見せられないんだ。人が怖いから」
部屋の家具を確かめるようにあちこち歩き回ります。
「テンは、人が怖くないか? この世界にきてからどうだ?」
「怖くは……」
そこまで言ってテンは首を横に振りました。
「いえ、この町の人たちはとても優しいです。でも、来たばかりの時はとても怖かったです」
2年前テンはこの世界にやってきて、何もわからないまま人さらいに遭いました。言葉も通じず、力でも叶わず、知らないどこかへと連れていかれました。
テンの手に力が込められていました。
「……悪い。思い出したくないこと思い出させてしまったな。でも彼女らのことはいつかお前に話さなきゃいけない。……今じゃないな、ごめん」
アデリタは優しく抱きしめ、テンの頭を撫でました。
「彼女たちはこの怖い世界から逃れるためにここに隠れて住んでいるんだ」
「……今もですか?」
「この家にはもういないかもしれないけどな」
視線の先にはヒビが入った食器や横に倒れたままの椅子がありました。既に住んでいる、というよりはここを休憩所代わりにしているという方があっているのかもしれません。
「あ、この家にはもういないんですね」
「ふ」
テンの言葉に思わず噴き出して笑い始めました。
「あははっ。そうか、いや、紛らわしかったな」
「?」
突然笑い出したアデリタに困惑するテンでした。
アデリタは入ってきた扉へと足を向けて歩き出します。
「じゃあ、水路汚染の原因探しに戻るか」
家を出て、ぐるっと一周し水路のあたりに戻ってくると、池の汚染原因が見つかりました。それは黒い結晶のようなものが水路に挟まっており、そこに水が流れて汚れた水が池の方まで続いているようです。
その結晶の横には、横たわる獣――狼の姿もありました。その狼は白い毛に覆われていましたが、土などに塗れて少し黒ずんでいます。
「……」
沈黙の間にアデリタは手袋を身に着けて、まずは黒い結晶を取り除きました。
その結晶を持参してきた袋に包み、水路から遠ざけて置きました。そして、倒れた狼の様子を確認しました。
「……もう生きていないな」
「……っ!」
テンはその言葉にショックを受けました。
「テン、お前は水路の方を頼む。結晶のあった辺りに蜜をかけて浄化しておいてくれ」
「はい」
テンは指示に従って水路に蜜を流し込みます。黒ずんでいた箇所は見る見るうちに取れていって綺麗になっていきました。流れていた黒い何かもなくなっていきます。
戻ってくると、アデリタは狼を水路から距離のある家の横に移動させて、穴を掘っていました。そして、穴の中に倒れていた狼を埋めます。途中からテンも手伝いました。
「安らかに眠れ、銀狼よ」
アデリタは目を閉じて、胸に手を当てました。テンはその様子を見て手を合わせました。
「お前の世界だとそうやって弔うのか?」
「……よくわからないですけど。そうだと思います」
「そうか」
その言葉にアデリタは微笑んで、テンの真似をして手を合わせます。
時間にしてしまえばほんの数秒のことでした。その場には静寂が包み込み、風に揺られ葉の擦れる音だけが響き渡ります。
「じゃあ、戻ろうか」
アデリタは結晶の入った袋を持ち上げ、言いました。テンも頷き歩き出します。
また水路を辿って、来た道を戻りました。
池の辺りまで来ると、人々のざわついた声が聞こえてきました。
水路から流れてくる黒い何かが途切れたことに気づいたことから解決したのではないかと話しているようでした。
「テン、最後の仕事だ。池に蜜を大量に流すんだ」
「……はいっ」
戻ってきた2人は池のふちに立つと、テンは蜜を出来るだけ池に流し込みました。すると、池に残った黒い何かは消えていき、いつもの綺麗な池の水に戻っていきます。
池の周囲にいた人たちは歓喜の声を上げ始めました。
町の人々は2人に気づいて、近づいて感謝を述べていきます。アデリタは当然だと言わんばかりに嬉しそうな表情一つせず、テンは嬉し恥ずかしに照れていました。
それから少しして、なかなか解放されずに人々にもみくちゃにされたテン。
気づけばもう日も暮れかけていました。
帰りの道中、テンは言いました。
「汗かいちゃったなぁ……あ、そうだ。アデリタさんっ」
「なんだ?」
「この世界にお風呂ってありますか?」
そう聞くと、考えるように顎に指をあてて唸った後、ある方向を指さしました。
「公衆浴場なら向こうにあるぞ」
「あるんですかっっ?」
「オススメはしないけどな」
苦い顔をするアデリタにテンの表情も強張ります。
「……混浴なんだ」
「混浴……というと男の人も女の人も一緒に入るんですか?」
「そうだ。嫌だろう? それにな……」
「……」
息をのむテン
「男も女も若いやつ目当てで来るんだよ」
「はぁ」
「この島にやってきた時、見聞を広めるために一度利用したんだがな……視線が気になって休まらんかった!」
心底嫌そうに語るアデリタ。
「視線がいやらしいんだよ、男も女も!」
「マナーとかルールはなかったんですか?」
「あった! あったんだが、奴らは見張られていないことをいいことに守ってないんだよ。奴らの中で、奴らに都合のいい暗黙の了解が出来ているんだ」
「えぇ……」
アデリタの鬱憤は留まりませんでした。さらに続きます。
「それにあそこの店主も知っておきながら見て見ぬふりするんだ。この島は広いようで狭いからな。客を減らしたくないんだろう」
言葉を失うテン。対して出た言葉は、
「……やっぱいいです」
だった。
「いや、待てよ。……あそこなら」
「?」
「実は誰にも知られていない秘湯があるって言ったら来るか?」
「……っ! 行きますっ!」
目を輝かせて笑顔で答えました。尻尾をぶんぶんを振っています。
「よし、決まりだ。どうせならケーテも誘ってこい」
「はい! ティロ君も誘っておきますね」
「……? ティロットもか?」
アデリタは足を止めました。
「はい。ダメでした?」
「……まあ、お前がいいならいいんだけど」
それはティロットのことを信頼しているからこそ、特に警戒していないということだったのでしょう。テンにはその質問の本当の意味は理解していませんでした。
「どちらにせよ、今日は無理だな」
「なんでですか?」
アデリタは森の方に顔を向けます。
「温泉があるのはこの森を抜けてその奥の山にあるんだ。準備が必要だ」
それに、と付け加えます。
「2人を誘うなら日を改めて、スケジュール決めよう」
「そうですね」
テンは頷き、家へ帰りました。
テンは家に着いた後、大きな桶を用意し、その中に2つの魔力結晶を入れます。1つは水魔法結晶で、もう1つは熱魔法結晶でした。
水魔法結晶で水を張り、熱魔法結晶で水を温めます。
お湯の温度を確かめた後、布をつけて絞ります。極力絞ってからその布で身体を拭いていきます。
この世界にはお風呂文化はあるものの、一般家庭で日常的に用意できるほどではありません。この島でもお風呂は公衆浴場に入るのが一般的です。
「……楽しみだなぁ!」
秘湯のことを考えて、楽しみで思わず尻尾を振ってしまい、桶のお湯が飛び散りました。「あっ」と声を上げて即座に床拭きようの布で拭き取ろうとしました。
「テン、拭くのは後でいい。桶ひっくり返すぞ」
アデリタにそう言われて、手を止めました。
その様子を見ていたアデリタはというと、汗を拭き終えて全裸で椅子に座っていました。
「そのお湯は私が使うから。そうズズズ……」
「え」
テンに思いっきりドン引きされてアデリタは言葉を止めました。
「冗談だよ」




