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第五話

 街を出て、どれくらい経っただろう。東へ東へと飛んで、どれくらい西に私達の住む街を置き去りにしてきただろう。背後では春の星達が地平線の向こうへ沈み始め、進行方向では夏の星達が、明けの明星が顔を出した。朝はもうそこまで来ているの、今は何時。

 こっそり胸元に忍ばせた懐中時計を見る。「ステラ」と名の刻まれた銀の懐中時計。かちかちと進む秒針は一分間に六十回の鼓動を刻んで回って、現在午前五時三十分。日の出まで後一時間といった所だろうか。この銀の懐中時計は次席の証、刻まれた名の持ち主が、魔女の学校を次席で卒業した証。卒業の頃、ステラが学年一位の成績を収めている事は学校の誰もが知っていた。だから首席の証である金の懐中時計にはステラの名が刻まれると皆が思っていた。けれど実際は。卒業式で金の懐中時計を受け取ったのは私だった。どうして、どうして私が。どうして私が金で、ステラが銀なのか納得いかなくて先生に詰め寄ったけれど、人間に首席を与えられる訳が無いと冷たく言い放たれた。

「オリアーヌ、いいの。もういいの」

「どうして! あんたは悔しくないの! この学校で一番優秀なのはステラ、あんたなのよ? 首席候補だった私よりも良い成績だったのに、人間だからって評価を下げられるなんて!」

「私、首席は取れなかったけれど、それでいいの。私より優秀な魔女がいるから」

「違う! 一番はあんたよ。学校の誰よりも凄い魔法が使えて、あんたの魔法は誰よりも優しくて綺麗なんだから!」

 怒る私をなだめようとするステラの持つ銀時計を奪い取って、自分の持っていた金時計を彼女に押し付けた。

「いい、その金時計はあんたのもので、この銀時計は私のもの。学校があんたは銀って言っても私はそれを認めない。あんたに似合うのはこの金よ、それ以外認めない。私は、私が首席だなんて絶対に認めない!」

 人の子が魔女を越えた、ステラが私を越えた。それを認めようとしない頭の堅い年寄り共が。ステラの前でありったけの呪詛を吐き散らした。

「ねぇ、オリアーヌ」

 丸眼鏡のレンズの向こう、濃紺の瞳が私の目をじっと見据える。何度も一緒に見た夜空の色、何度も見たルームメイトの虹彩の色。

「オリアーヌと一緒に卒業できた、私はそれで、それだけで十分なの」

「でも!」

「私が首席を目指していたのは事実だけれど、それでも、オリアーヌと一緒に魔女の学校を卒業出来た。魔女でもなんでもないただの人間の私が、何の奇跡か魔法が使えるだけの人間の私が、純粋な魔女達に混ざって学校を卒業出来た。それは全部オリアーヌのおかげだもの。私ね、とても楽しかった。オリアーヌとルームメイトになれて、友達になれて」

 金時計を握るステラの手は震えていて、私の目を見つめるステラの目は濡れていて。

「貴女との約束は叶えられなかったけれど、それでも私は次席まで上り詰めることが出来た。その銀時計も貴女にとっては二番目の証かもしれないけれど、その時計は私の誇り、私にとっての首席の証よ。だって人間の身で二番目の魔女になれたんですもの!」

「……あんたは、ステラは、それでいいの」

「……良い訳……無いじゃない……。私、私っ……オリアーヌと約束したのに……!」

 星達輝く空が泣き出した。ぽろぽろと降り出した雨は魔女の正装である黒を濡らして滲ませて。大きく揺れた黒い服と星色の髪が私に飛びついてくる。

「ごめんね、ごめんねオリアーヌ。私、出来なかった。首席になれなかった」

「ごめんなさい、ごめんなさいステラ。私、出来なかった。貴女を首席に出来なかった」

 どうして、ステラはあんなに頑張っていたのに。どうして、人だからとその努力を否定されなければいけないの。黒いワンピースを着た魔女見習いが二人、学校を卒業した魔女の雛が二人、十二年の時を共に過ごした部屋で悔し涙を流した。

「……オリアーヌ、お腹空かない?」

「……そういえば、空いたかも」

「実はマフィンを焼いてあるの。一緒に食べよう?」

 一頻り泣いた後、ステラと共に二人きりのお茶会を開いた。本当にささやかな卒業祝いの二人きりのお茶会。私の淹れた紅茶のお茶菓子はステラのブルーベリーマフィン。ほんのりしょっぱい紅茶に酸っぱいジャムのマフィンで、散々なお茶会だった。夢は叶えられなかったけれど、それでも幸せだったの、その頃は。

「オリアーヌ、見て。明星だわ」

「本当、何よりも明るい綺麗な星ね」

 手元の銀時計から進行方向真正面、登ってきた明星に目線を移す。

「案外近くで待ち合わせ出来たわね」

「……そうね」

 時計を胸元にしまって、ステラの声に返事をする。今隣に居る旧友は悪魔の見せる幻影、朝が来れば消えてしまうだろう。日の出に溶けて消える星達のように、きっと隣に居るステラも。

 明けない夜は無いよって、日の出はどんな日でも必ず来るよってステラが私に笑った事がある。そんな彼女の隣に、時を止める魔法さえこの手にあればと永遠の夜を願う愚かな私。

 朝は嫌い。昔は、ステラがルームメイトだった頃は日が暮れれば次の朝はまだかまだかと大騒ぎしていたのに、あんなに朝が待ち遠しかったのに。ステラと一緒に夜更かしして眺める星の夜も好きだったけれど、早起きしてお茶しながら日の出を待つ朝が大好きだった。なのにどうして、朝が嫌いになってしまったの。日の出が怖くなってしまったの。どうして永遠の夜を願うようになってしまったの。

 わからない。人間のステラが魔女に染まってしまった様に、魔女の私もきっと人間に染まってしまったのね。貴女の心は魔女に染まったのに、どうして貴女の命は魔女に染まらなかったの。私の心は人間に染まったのに、どうして私の命は人間に染まってくれなかったの。

「……ステラ、少し聞いてくれる?」

「どうしたの、オリアーヌ」

「……私ね、朝が嫌い。日の出を見るのが嫌いなの」

「……ごめんね、ちょっと無神経だったね。私……」

「違う、違うの。ステラは悪くない」

 ステラは何も悪くない。私が勝手に朝を嫌っているだけ。夜明けを、日の出を怖がっているだけ。昔、今と同じ様に夜中二人で寮を抜け出して朝を迎えに行った時はとても楽しかった。今だって、幻影のステラに叩き起されて家を出た時は昔を思い出してわくわくしていたの。ステラは悪くない、悪いのは私。変わってしまった私が、臆病風に吹かれた私が悪いの。

「……ねぇ、日の出に溶けて消えた星達は何処へ行くの?」

「何処にもいかないわ。地球の周りをぐるぐる回って、夜が来ればまた帰ってくる。季節が巡って見えなくなってしまっても、その季節が来ればまた見えるの」

「人は死んだら何処へ行くの?」

「神様の手のひらの中へ。そこには辛いことも苦しい事も、悲しい事も何一つ無い、素晴らしい場所。天国とは違うと聞くけれど、きっと天国の様な場所なんでしょうね」

「……そう」

「私から一つ聞いていい? 亡くなった魔女が何処に行くかは知っている?」

「知らない、知らないわ。魔女が死んだ後なんてこれっぽっちも知らない。魔女が死んだ所なんて見た事が無いもの」

「じゃあ何処へ行くと思う?」

「きっと人の子の言う地獄ね。神に背いて悪魔の囁きに耳を貸したのが魔女ですもの、審判すら受けずに地獄行き」

「……ねぇ、オリアーヌ」

「何?」

「私ね、なんで魔法が使えるんだろうって、ずっと考えてたの。生まれて、魔法が使えるってわかった時から、ずっと」

「答えは出た?」

「ううん。でも、きっと誰かが貴女に出逢えるように取り計らってくれたのよ。だから私は」

「貴女に魔法を与えたのはきっと神様でしょうね。貴女の魔法、とても綺麗だもの。悪魔から与えられた私達の魔法とは違う、神様から与えられた貴女の魔法。綺麗なのは当たり前だわ」

「……私は」

 ステラが声を出した瞬間、私の箒が大きく傾いた。下から猛烈な風が吹き付けて、高度が瞬く間に下がっていく。飛べ、飛べ、飛べ。何度念じても高度は上がらない。ステラとの距離がどんどん離れていく。手を伸ばしても声を上げても、遠い天の星には届かない。

 眼下にあった草原が目の前に迫る。落ちた所で、魔女の体は人よりも頑丈に出来ているのだから。目を瞑って衝撃に備える。

 墜落。落ちた衝撃に体が痛む。ぼんやり滲むうつ伏せの視界に、鈍く光る何かが草原に落ちているのが見えた。時計だ。私の、ステラから奪い取った銀の懐中時計。痛みに軋む腕を伸ばして掴み取る。落ちた衝撃で懐から転がり落ちてしまったのね。蓋を開けて文字盤を確認する。時刻は六時。もう直に日が登る、星達が消えていく、そんな時間。はっきりしだした目が時計の異変を捉える。秒針が動かない。そんな、壊れてしまうなんて。

 重い体をゆっくり起こす。進行方向の空が白み始めている。夜明けだ。全ての闇を払い、全てを浄化する日の出が迫っている。

「まじょだ、まじょがふってきた。まぬけなまじょがそらからおっこちてきた」

 草原に住む妖精達が私の足元でにわかに騒ぎ出す。妖精達、妖精達なら私に近く、ステラにも近い。

「妖精達、妖精達。教えて、魔女は死んだら何処へ行くの?」

「しらない、しらないよ。まじょのことなんてなぁんにも」

「教えて、妖精達。人間は死んだら何処へ行くの?」

「しらない、しらないよ。にんげんのことなんてなぁんにも」

「答えて、教えて。日の出に溶けた星達は何処へ行くの?」

「しらない、しらないったら。まじょのこともにんげんのこともおほしさまのこともなぁんにも。だれもしらないよ、ぼくらにはわからない。だってしらないんだもん」

 知らない、知らないの。私も、知らない。魔女は人は星は、死んだら何処へ行くのか。貴女は何処へ行くの、ステラ。遥か上空を飛ぶステラはどんどん離れていく。幻影の彼女は私が落ちた事に気付かないで東に進んでいる。ステラを追わなきゃ。幻影でも、あの子を追わなくちゃ。追って、追いついて、言わなくちゃいけないことが。

 箒は落ちたせいで折れた。使い物にはならない。けれど私なら、箒が無くとも、私なら。学生時代に唯一、箒が無くとも飛べた私なら……!

「ステラ! 待って!」

 ランタンを拾い上げ、時計を二度と落とさぬ様しっかり握り込む。飛べ、飛べ、飛べ。私の体よ飛んで! 愛しい人の子の元へ真っ直ぐに!

 箒なんて要らない。私に必要なのは、ステラへの気持ちだけ。ふわりと体が軽くなって、妖精達騒ぐ草原から靴底が離れて。このまま貴女の隣に飛んで行こう。夜を越えて朝を迎えに行こう。ステラの隣目掛けて急上昇。夜に冷えた風が肌を切られるかの様に痛いけれど、構わずに濃紺薄れゆく空へと真っ直ぐに飛んだ。

「ステラ!」

 星が消えていく。六等星から、五等星四等星。小さな小さな星屑達から日の出に溶けて消えていく。お前達は何処へ行くの、何処へ消えていくの。

 箒に跨るステラに追いついた頃には三等星まで消えてしまっていた。彼女と共に居られるのもあと僅か。朝は嫌い、星を消してしまうから。日の出は嫌い、星を溶かしてしまうから。私は日の出の魔女オリアーヌ。彼女は星の魔女ステラ。星は日の出に溶けて消える。ステラが消えてしまうのは私のせい。

 私達、出逢わない方が良かったのかもしれない。ステラが魔法を使わない事に寂しさを覚え始めた頃からそう思う事が増えた。だって彼女にとって魔法は使わない方が生きやすかったのだから、魔法と出逢わなければ、学校に入学しなければ、私に出逢わなければ、彼女はその生涯全てを人として生きる為に使えたはず。けれどそうは思わない、思えないのもまた事実で。日の出は星とは出逢えない。だって星は日の出に溶けて消える。日の出が地上にやって来る時には星はもう。けれど同じ日の出と星でありながら私達は出逢えたの。


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