2月15日。それから
目が開いた。
最初に司会に入ったのは、見慣れない天井。少しばかり眩くて、はっきりと見えない。
口元には、何かプラスチック製のようなものが乗っかっている感覚だけがわかる。
体がズキズキと痛い。
呼吸するのがやっとである。
目が少しだけ慣れてきて、やっと周りの様子もわかるようになってきた。
そして、ポニーテールのかわいい女の子のシルエットが見えた。
「千尋…ちゃん?」
思わずさっきまで話していたはずだった人の名前が口から出た。
違った。
目の前にいたのは七海ちゃんだった。
これはマズイ。回っていない頭でも、まずいことをしてしまったのはわかる。
しかし、そこから先の言葉が出てこない。
「良かったぁ…、目、覚めたんだね…」
絞り出すような震えた声が、七海ちゃんの口からこぼれていた。
「良かった、良かったよぉ……」
七海ちゃんは堪えきれなくなったのか、大粒の涙があふれ出し、僕のお腹に抱き着き、大声で泣き始めた。
体は思い通りに全く動かない。僕はなにもしてあげられなかった。
ほどなくして両親が駆けつけてきた。
隣の七海ちゃんはいつの間にか泣き止んで、顔を上げていた。
僕がやっとの思いで右手を軽く上げると、両親はともに安堵の表情を見せた。
自分はあの場から飛び出してすぐ、自分は車に轢かれたらしい。
飛び出してしまった僕が完全に悪いのだが、相手方の車はスピード違反だったうえに、ひき逃げ。逃げた先で逮捕されたそうだ。
轢かれた衝撃で左足と左腕を骨折。頭も打ったせいで約1日意識が飛んでいたとのこと。
意識は無くなっていたが、検査の結果、幸いにも後遺症はゼロ。
幸運である。
医者も「あれだけの衝撃で骨折だけで済んでいるのは奇跡的だ」と言ったので、相当の確立だったのだ。
千尋ちゃんが僕を生かせてくれたのかもしれない、直感的に僕はそう思った。
数週間の入院生活が始まった。最初は安静だが、骨の状態を見つつ少しずつリハビリをして、松葉杖で歩けるようになったら退院、だそうだ。
普通の骨折だけなら数日で退院だが、約1日意識を失っていたこと、そして交通事故で多額の保険金が下りて経済的に余裕ができたことから、入院を続けるとのことだ。
もっとも、「お金があるから」なんて言い出すあたり、うちの両親はどうかしていると思う。ただ、この状態で一人暮らしに戻っても何もできないし、実家に帰っても共働きの両親や祖母に迷惑をかけるだけだから、逆にありがたい。
その両親は「仕事があるから」とすぐ会津の家に帰ってしまったが、その後も七海ちゃんは毎日お見舞いに来てくれた。
しかも、自分の着替えた服なども、一緒に持って帰っては洗濯して持ってきてくれる。
普通はありえないことだと思う。そんな七海ちゃんに感謝しかない。ありがたく思うのと同時に、なんとなく別の感情も芽生えはじめていた。
「毎日来てもらって申し訳ない」
と言うと、七海ちゃんは
「私だって春休みでやることないんだから、大丈夫だよ。しかも遥人くんのお母さんに頼まれちゃったもん。」
と笑顔で言ってくれた。
両親は福島で共働きしているとはいえ、お母さん、何言っちゃってくれたんだよ……。
親でも彼女でもないのに。
こうなる前に、僕は直前にあんなひどいことをしてしまったのに。
どんなお礼をすればよいのだろうか。
どういってお詫びをすればよいのだろうか。
だから一つ、せねばならないことがある。
入院生活は長いのに、毎日のように七海ちゃんは病院まで来てくれているのに、それを言い出すきっかけがつかめなかった。
リハビリの末、松葉杖での歩行に問題が無くなり経過も良好、ということで、数日後に退院できると告げられた。
退院は3月10日。3週間も入院していたので、せっかくの長い春休みが半分ほどパーになってしまった。これからも通院して、治療しなければならない。実に面倒だ。もっとも、あのとき道路に飛び出した僕が悪いのだが。
退院まであと2日、リハビリが終わり病室に戻ってくると、七海ちゃんが「改めてお話したいことがあるんだけど、ちょっと時間ある?」と聞いてきた。
病院は暇だ。リハビリが終われば特に何もすることは無い。
二つ返事で了解し、僕はベッドに、七海ちゃんは丸椅子を引いてベッドの横に腰かける。
七海ちゃんはスーハ―と一回深呼吸をしてから、話を始めた。
「事故の直前さ、私、『君のこと好き』って言ったじゃん。」
あー少し恥ずかしくなってきたと少し顔を赤らんだ顔を手であおぎながら、話を続ける。
「そのとき『ごめん』と一言くれたけれど、私まだ気持ちの整理がついてなくて。」
そりゃいきなり車に轢かれて意識が飛んでしまったから、それどころではなかっただろう。約1ヶ月もモヤモヤさせたまま放置してしまったのは本当に申し訳なく思う。
それも口にできないでいる僕を差し置いて、まだ七海ちゃんは続ける。
「そして、直前に君が言った言葉もさ、本気だったように思えなくて…………。勘違いだったらどうしようって、改めて話したいんだけれど、その前に一つ、聞いておきたいことがあってさ。」
なんの話だろうか。まさか…まさかな……。
少しおびえている僕を見つめながら、七海ちゃんは僕の目をじっくり見つめ、こう尋ねた。
「目を覚ましたときに、『千尋ちゃん』と言ってた気がしたけれど、その子、誰?」