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2月14日?

 どれくらい走っただろうか。

 いつの間にか、目の前は防潮堤があった。

 何メートルもある、巨大な防潮堤。

 これはあの大津波の後に建設されたものだろう。



 上のほうから、「おーい」と、聞きなじみのある声が聞こえた。

 目を防潮堤の上に向ける。


 そこには、かつての幼馴染、千尋ちゃんがいた。

 僕の記憶で止まったままの、千尋ちゃんだった。


 手招きするジェスチャーをしてくれたので、僕は迷わず向かった。





 千尋ちゃんのところへ行くと、隣に座るよう求められた。

 迷わず、隣に腰掛ける。


 海が見えた。

 波しぶきもない。穏やかな海だ。

 水平線ははっきり鮮やかに円弧をかたどっている。


 でも不思議だ。

 なぜ、目の前に死んだはずの千尋ちゃんがいるのか。

「なんで私がいるの?って顔しているね。」

 僕の顔を覗き込むようにしてから、いたずらっぽく笑っていた。まるで僕の心を読んでいるみたいだ。

「でもね、教えられないなぁ」

 教えてくれないのか。でもまだこうして千尋ちゃんとお話できているのがにわかに信じられず、脳は完全に思考停止状態に陥っているようだ。

「今日はバレンタインじゃん。今こうして会えたのは、その贈り物なのかもしれないね。」

 また胸がキュッときつくなる。僕は何も言えなかった。何を言うべきかも分からない。

「懐かしいなぁ、バレンタイン。」

 彼女はそう寂しそうに言葉をこぼした。

「ごめんね…、何も言えないまま、離れ離れになっちゃって……」

 僕はそう謝るしかなかった。やっと気持ちが声に出た。

 あのとき、僕が先に帰ってしまったから、こうなってしまったのだ。その罪悪感は胸にしまっていたが、あふれ出しそうになる。


「でも、それは仕方がないことだから。私だってね……、遥人くんとずっと一緒にいたかったんだよ…。」

「遥人くんが誰よりも頑張って勉強して、すごい大学に入ったことを、本当はもっと近くで見てたかったし、誰よりも近くから、『おめでとう』と言ってあげたかったなぁ……。」

 千尋ちゃんは声を少し震わせながら、空を見上げ続けていた。その横顔を見ると、目から少し光るものが溢れそうになっていた。


 心地よい潮風が2人の間をゆっくりと吹き抜けていく。

 だんだん僕の心も落ち着いてきた。

「あのさ、ホワイトデーにお返ししたかったこと、しても良いかな?」

 僕は思い出したかのように、でも自分の大切なことを伝えたくて、そう話を始めようとした。そして、きっちり伝えるそのつもりだった。

 でも、千尋ちゃんの反応は違った。

「いや、それはいらない。何か返してくれたところで、何かが起こるってことじゃあないし。」

 はっきりとした口調で断られた。軽くショックを受けたが、次の言葉を聞いてそのショックは無くなった。


「だからさ、遥人には代わりにお願いがあるの。それが私への『お返し』ってことにしてくれない?」


 千尋ちゃんは顔をこちらに向き直し、真剣な表情で僕の目を見つめてくる。


「私の代わりに、長く生きて。そして、幸せになって。」


 えっ???

 想定外の言葉に唖然としてしまい、言葉が出ない。


「七海ちゃん、良い子だよね。あの子のこと好きなんでしょ?」

 急に七海ちゃんの話を振られた。七海ちゃんはニヤニヤしながら僕の返答をうかがっている。

「べべ、別に、そんなんじゃ、ない、け、ど……」

 僕は言葉が途切れ途切れに出てしまった。

 千尋ちゃんは高らかにハッハッハと笑うと、

「完全に動揺しているじゃん。」

 とさらに突っ込んでくる。

 動揺しているのは間違いない。でもそんなことは言えない。

「いや、だって……、本当に好きだったのは千尋ちゃんだし…」

 僕は本当のことを言った。何年も、一生会えないと分かっていても、その想いは全然消えなかった。二度と味わいたくないような苦くて辛い事実だが、チョコレートのように甘い過去でもあった。

「私はもうダメだって、さっき言ったでしょ?」

 そう僕の言葉を遮り、釘をさした。

 言われたのは受け止めなければならない事実。自分が向き合いたくなかった事実。僕は何も言葉が出なくなった。


「もう8年も経ったんだから。忘れないでいることももちろん大事だし、私のことを忘れないでいてくれるのは嬉しいよ。でも、過去に囚われて言い訳にして未来を見ようとしないのと、私のことを忘れないでいることは全く別よ。せっかく生きているんだよ、前を向いて、明るい未来を作ってほしいの。」

「まず第一歩。私に伝えたかった『お返し』、そのままあの子に伝えて。」

 僕はやはり何も言えなかった。ただ千尋ちゃんのその言葉が脳に響いていた。

 千尋ちゃんは本当にそれでいいのだろうか、そう言いかけたが、千尋ちゃんは言わせなかった。

「よし、じゃあ言い方を変えよう。七海ちゃんのことを幸せにしなさい。」

 強い口調でそう言ってきた。僕は黙って頷いた。

「約束だよ。七海ちゃんを不幸にさせたら私が許さないんだから。」

 そう言って目を細めて笑顔を見せてくれた。少しだけ光るものが目元に見えたのは気のせいだろうか。





「あ、それからもう一つ、お願いしても良いかな?」

 小さい頃も、あまり何かたくさん頼まれごとをされたことは無かった気がする。むしろ、何かをお願いしたり、頼りにしたり、そんなことばっかりだった。

 だから、今度は僕の番なのかもしれない。千尋ちゃんの願いを今度は自分が叶える番。

「何?」と聞くと、千尋ちゃんは背後をちらっと見てから、息を吸い込み、こう言った。


「私たちの地元を、素敵な街に蘇らせてほしいの。」


 再び想像の斜め上をいく言葉だった。

「あれから何年も経ったけれど、今はふるさとに誰もいない。何もなくなって寂しくなって、だんだん自分たちの過ごしていた街は忘れられちゃうのかな。

 もとの生活を返してほしいとか、いろいろ言う人はいるけれど、後ろばかり見て、人に面倒なことを押し付けて、自分は無理だと諦めている。それじゃダメだと思うんだ。私が大好きだったあの素敵な街が『壊されました』で終わってほしくない。何もないまま何年も過ぎるのは寂しいもの。

 私たちが過ごしていた『あの』街じゃなくていいの。街並みとか、畑とか、住んでいる人とか、昔からまるっきり変わってしまうのは仕方がないことだから。でも、私たちが過ごしていたみたいに、みんなの笑顔があふれる、素敵な街。それを実現させてほしいな。」


 思ったよりも重い話だったが、街づくりを勉強している自分へのお願いなのだ、そう理解した。


 断る理由なんてない。でも、いくらお願いだとはいえ、そこまで大きなことを成し遂げられる僕には自信がなかった。しかも、まだ避難区域のままだ。

「そんなこと、僕にできるかな…」

 そう不安の言葉が口から漏れてしまった。

 間髪入れずに千尋ちゃんは僕の手をギュッと両手で握りしめると

「大丈夫だって!遥人くんだからこうやってお願いしてるの。一生懸命勉強して、大学に入った遥人くんなら、絶対できるから!!」

 と強めの口調で言ってきた。

 小さいころ、僕が弱気になるといつもそう手を取って励ましてくれていたことを思い出す。そこまで言われたら、やるしかない。

 僕は力強く「うん」と答えた。


「約束した2つのこと、破らないでほしいな」

 そう言って、千尋ちゃんは小指を出してきた。

「うん、約束するよ」

 そうして小指を交わした。自分の手だけがとても大きかった。


 指を離すと、千尋ちゃんはすぐに立ち上がって「バイバイ」と手を振った。

 僕も手を振り返すと、彼女はぴょーんと堤防から飛び降りた。


 堤防はこの高さだ。アッと思い、反射的に立ち上がろうと思ったが、千尋ちゃんの姿は堤防の下を見てもどこにも見つからない。

 むしろ、堤防より下には白い霧のようなものがかかっていて、何も見えない。ただ白い世界が広がっているだけ。

 その白い部分がどんどんと大きくなり、こちらに近づいている。あまりにも突然のことに動揺してしまい、身体は膠着状態だ。

 あれ?なんだか意識が遠くなっている感じがする………………

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