あなたと私と噴水で
「家名も持たない平民のくせに生意気だわ!」
「はぁ」
今日も公爵令嬢が金切り声を上げている。
ぞろぞろと連れ歩いている取り巻きのご令嬢達もこちらをにらんでいる。
私はただの地味な女生徒のはずなのだが、なぜか王立学院へ入学した直後からこの公爵令嬢に目をつけられてしまっていた。
首席入学で新入生代表として挨拶をしたから?
入学したばかりなのに生徒会のスタッフに勧誘されたから?
定期試験で上位常連だから?
う~ん、わからないなぁ。
公爵令嬢とその取り巻き以外の貴族は見て見ぬふりがほとんどだけど、私の味方をしてくれる人もいないわけではない。やはり家格の違いで表立っては動けないようだけど、彼女達との接触を回避できるよう助言してくれることもある。
この学院に入学してから平民の生徒の友達もたくさん出来た。みんな優しいし、公爵令嬢達の言動を自分のことのように怒ってくれる。だから私は別につらいと思ったことなんてないのだ。
とはいえ、相手にするのも面倒なのでスルーしまくっていたのもよくなかったらしく、当初は嫌味など言葉だけだったのに、取り巻きのご令嬢達が私の物に手を出したりするようになった。まったく、親の顔が見てみたいものだ。
そんなわけで貴重品は持ち歩かないようにしていたのだが、今日は取り巻き筆頭である侯爵令嬢に髪留めを奪われ、噴水へ投げ捨てられてしまった。高価なものじゃないけれど、兄が誕生日にくれた大切なものだったのに…
「俺が取ってきてやるよ」
公爵令嬢と取り巻き達が高笑いしながら去っていった後、噴水の前で途方にくれている私の前に現れたのは生徒会長だった。
私より2学年上の会長は私と同じ家名なしながらも成績優秀で、その人柄もあって平民・貴族を問わず慕われていて生徒会長を務めている。
「え?」
靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくってザブザブと噴水に入っていく。
「か、会長!何もそこまでしなくても、誰か学院の職員の方を呼んできますから!」
「いいって。そこに見えてるからすぐに拾えるさ」
すでに髪留めを見つけていた会長は、腕まくりをして水に手をつっこむ。
私はハタと気がついて会長に声をかける。
「会長!すぐに戻りますから」
私はあわてて医務室に駆け込んでタオルを借りてきた。
噴水に戻ってくると会長が私の髪留めを手に笑っていた。
「はい、壊れてないようだよ。よかったね」
髪留めを手渡される。
「あ、あの、ありがとうございます。このタオル、使ってください」
「君はあいかわらず気が利くね。さすがにちょっと冷えたので生徒会室で温まろうか」
私と会長は生徒会室へ移動する。
「あ、あの、会長」
暖房器具の前で座る会長に背後から声をかける。私には会長に告げねばならないことがあった。
「ん、何かな?」
「先ほど会長が腕まくりをした時、左腕にあった腕輪を見てしまいました。私、その腕輪が何を意味するかを知って…存じ上げております」
振り向いた会長は驚きで目を見開いていた。
「私、将来は外交に関わる仕事がしたいと考えておりまして、勉強の合間に外国の文献にもいろいろと目を通しています。その中に腕輪に関する記載がございました」
困ったように笑う会長。
「まったく、君は優秀すぎるな。だが、ここではただの学生だ。どうか今までどおり接してほしい」
「かしこまりました、殿下」
私は笑顔で頭を下げた。
「こらこら」
苦笑しながら叱る会長。
「さて、会長。何か温かい飲み物でもお出ししましょうか?」
「では、お茶をお願いできないかな?ついでに秘蔵のクッキーも頼む」
「いいですけど、クッキーが減って副会長に叱られるのは会長ですからね」
ニヤッと笑う会長。
「君も食べれば共犯だろう?」
お茶を淹れ、戸棚にしまっておいた缶の中からクッキーもお出しする。
「来週からは学院祭の準備が始まる。忙しくなるので覚悟しておいてくれ。それから、もし嫌がらせがエスカレートするようなら、遠慮せず生徒会室へ逃げ込んでくれてかまわない。まったく、私が同じ学年ならばいつでも君をかばってやれるのだがなぁ」
会長の言葉にニコッと笑う。
「ご心配なく。実はちょっと楽しんでいる面もあるのですよ。次は何をやらかしてくれるのかな?って」
「君もなかなか図太いな」
会長が苦笑いしていた。
「でも、なぜ目をつけられたのか、よくわからないんですよねぇ。私なんてちょっと成績がいいくらいで、見た目は地味だし、社交界とかも関係ないし」
「君は自覚がないのか…まぁ、いいか」
なぜか会長はあきれたような表情になっていた。
会長の言葉どおり、翌週からは学院祭の準備で目が回るような忙しさだった。
あいかわらず公爵令嬢達からの嫌がらせは続いていたけれど、それどころじゃないのでサクッと流しまくり、あまりにうっとうしい時は生徒会室に駆け込んだ。
「君もいろいろと大変だねぇ」
生徒会の役員達も私の現状を知ってくれていて、いろいろと配慮してくれるので本当にありがたいと思っている。
会長と学院祭で使用する道具を運んでいると、すれ違いざまに公爵令嬢に嫌味を言われた。
「まぁ!家名なし同士、せいぜい働くといいわ」
さすがに会長もあきれていた。
「彼女は何様のつもりなんだろうな?」
「さぁ?自分が一番偉いと思ってるんじゃないでしょうかねぇ」
そして学院祭当日。
開会式では王太子殿下が挨拶をしていた。その後は会長が殿下を連れて案内してまわっており、その後をぞろぞろと生徒達がついてまわっている。
公爵令嬢はちゃっかりと王太子殿下の隣に陣取って話しかけているが、どうやら軽くあしらわれているようだ。そういえば公爵令嬢は王太子殿下の婚約者候補だった気がする。
少し離れた場所で様子を見ていた私に気付いた王太子殿下が笑顔で近寄ってくる。
「やぁ。移動中に掲示板を見たが、定期試験で1位だったそうだね」
「学院は優秀な方が多いですから、たまたまです」
そんな会話に公爵令嬢が割り込んでくる。
「まぁ!殿下が平民ごときにお声をかける必要などございませんわ!」
「おや?この学院では身分は関係なく全員が平等であるはずだが」
殿下が首をかしげる。
「それでも身分の差ははっきりと知らしめておくべきだと思いますの。社会に出てから知るよりも、学院で学んでおいた方がよろしいでしょう?」
「そうか、貴女はそう考えるのか」
そう言うと殿下が私の方を見た。
「それで、我が妹はいつから平民になったのかな?」
「さぁ?私は平民であると言ったことは一度もございませんが」
公爵令嬢の顔色がおもしろいくらいにさっと変わった。取り巻き達も愕然としている。
「妹、ですって?」
王太子殿下こと私のお兄様が公爵令嬢に冷たい視線を送る。
「そうだ。貴女も貴族ならばご存知だろう。我が国の王族は家名を名乗らない。国の民の1人であることを示すためだ。また、成人するまで名前も明かさず、公式の場に出ることもない。妹も『一の姫』としか呼ばれていなかったから、貴女が知らないのもしかたないかもしれぬがな」
お兄様は集まっている生徒達に目を向ける。
「いい機会だから教えておこうか。妹には常に護衛がついていて、周囲の言動もしっかり報告されている。妹に直接嫌がらせをしていた者達はもちろんだが、それを見て見ぬふりをした貴族の令嬢や令息達もな」
一部の貴族達の顔色もすっかり変わっている。
お兄様が呆然としている公爵令嬢を怒りに満ちた目で見る。
「貴女は私の婚約者候補の1人であったようだが、この国の宝でもある平民達を見下すようでは国母は務まるまい。早々に候補からはずすよう進言しておこう」
「そ、そんな!」
その場で座り込んでしまう公爵令嬢。
「ああ、それからそこの侯爵令嬢は、私が妹の誕生日に贈った髪留めを噴水に投げ捨てたそうだな?」
侯爵令嬢はその場で気を失ってしまい、学院の職員が医務室へ運んでいった。
お兄様は再び学生達に目を向ける。
「妹と親しくしてくれている者達には兄として感謝申し上げる。ただ、この学院では妹も1人の学生に過ぎないので、どうかこれからも今までどおり接してもらえるとありがたい」
お兄様はいつのまにか私の隣に立っていた会長を見る。
「君も、どうかこれからも妹と仲良くしてやってほしい」
「もちろんです。王太子殿下、少しよろしいでしょうか?」
会長はお兄様になにやら耳打ちをする。
「ああ、いいだろう」
お兄様はうなずいてから、笑顔で学生達に目を向ける。
「さて、騒がせてすまなかったな。どうか学院祭を楽しんでくれたまえ」
会長はお兄様の案内を副会長に任せ、私の手をひっぱって生徒会室へ逃げ込んだ。
「はぁ、とうとうバレてしまったわね。卒業まで普通の生徒でいたかったのに」
思わずため息をつく。
「しかたないだろう。嫌がらせはエスカレートしていたから、王太子殿下も我慢の限界だっただろうしな。それに君は自覚がないようだが、時折にじみ出る気品は隠し切れていなかったぞ」
私は生徒会長席に座る会長をじっと見る。
「それにしても、会長は私のことをご存知だったのですか?」
「最初は何も知らなかった。君から私の腕輪のことを知っていると言われた後、調べさせて本当に驚いた。もっとも、君が何者であろうと交際を申し込むつもりではあったがな」
「こ、交際?!」
予想外の言葉に驚く。
会長が立ち上がって私の目の前まで歩いてきて、真っ直ぐに私を見つめる。
「君はいつでも明るく前向きで、誰とでも仲良くなれる。頭の回転も速く、気遣いも出来る。そしてわざと地味に見える化粧をしていても君はとてもかわいい」
家族以外にかわいいなどと言われたことがなかったので、一瞬で顔が熱くなる。
「君は私のことをどう思っている?」
「会長こそ誰からも慕われていて、私なんかのために冷たい噴水に進んでいく優しさをお持ちで…そ、その、お慕いしております」
冷たい噴水の水の中に迷わず足を踏み入れる会長の後ろ姿は、今でも私の目に焼きついている。会長が何者であろうとも、私はすでに惹かれていた。
もう会長の顔を見ていられなくてうつむいていたら、そっと抱きしめられた。
「ありがとう。君の将来の夢は僕とともに実現しようか」
学院祭の閉会式で、兄である王太子殿下が改めて私が妹の「一の姫」であることを明かした。私は来月には王族としての成人の儀を迎える。成人すれば名前も明かすし、公式の場にも出ることになる。明かすのが少し早まっただけのことだ。
それだけでも騒然となったのだが、さらに王太子殿下は生徒会長が隣の大国の第一王子であることも明かし、講堂はさらに大騒ぎとなった。彼の国も王族は家名を名乗らないのだそうだ。
「これで君だけが目立つことはなくなっただろう?」
そう言って私にウインクする会長は、ステージ上でちゃっかりと私の肩を抱き寄せていたので、私達の仲も公然のものとなった。
その後、公爵令嬢や取り巻き達の父親である貴族達が王宮に押し寄せてきて土下座で謝ったり、会長が正式に私との婚約を申し入れてあっさり認められたり、私が後任の生徒会長になったりと、あわただしくもにぎやかな日々が過ぎていった。
卒業後すぐに私は隣国へ嫁ぎ、子宝にも恵まれた。現在は王妃として彼の隣で外交に力を入れている。
そしていつしか学院内の噴水で愛を誓い合う2人は、いつまでも幸せでいられるという言い伝えが出来たとか。
誓いの時に男性は裸足で水に入らなければならないそうだけど、何もそこまで忠実にしなくてもいいのにねぇ。