橙色の防波堤・アワビを掴んだ男
今からこの防波堤の先までゆくのだ。すでに目的などないのだ。
向こう側の防波堤では飛び込み遊びを終えた子供らが帰り支度を始めている。
私も若い頃はああして遊んだものだ。好奇心もあった。興味もあった。どこまで飛び込めるか、競争心もあった。しかし、今は全て消え失せた。
欲も興味もない飛び込みにゆくのだ。
コンクリートの防波堤を足取りも軽くフラフラと歩くのだ。軽くとはつまり、地に足がついていないとゆう事だ。
空は橙色の夕暮れを押し込み始めた。
私は防波堤の先に立った。
(さらば、この世)
私は意識のないままコンクリートブロックから足を離した。
ドっボーン! ブクブク、、ブク、、ゴン!
が、浅かった。
着水と共に軽く頭を打った。体の左半分は外気の風を受けていた。
私は橙色に揺らめく海中でゆっくりと目を開いた。というよりも生きているという意識が目を開けさせてしまったのだ。
「おっ!」
目に映ったのは沢山のアワビであった。
私は無意識にそれを掴んだ。いや、無意識は言い訳だ。自分から掴みにいった。
欲が出た。興味が湧いた。
(掴んではいけない。私は今からあの世に向かうのだ。手を離せ)
気づけば左手もアワビを握りしめているではないか。
(まずい。目的から意思がどんどん遠ざかる。まずい。)
私は勢い余り両手にアワビを掴んだままその場に仁王立ちになった。
ザバ~!
海面は膝下までしかなかった。
私は無我夢中でアワビをシャツの懐に押し込んだ。
ジャバ!ジャバ!(これも!これも!)
シャツの中がパンパンになると防波堤に攀じ登ることなく浜辺の岸まで向かった。
『はい!君!君ぃ~!』
目の前に現れたのは二人の警官であった。
『ちょっといいかなぁ?前のボタン外してみてくれる?』
「ボタン?」
私がボタンに手を掛けると、外すまでもなく沢山のアワビが私の足元に転がり落ちた。
ゴロゴロロ、チャポン、コロッ
『あっれ~、これは何かなあ?君、漁業許可証持ってるぅ?』
『持ってるわけないよなあ。持ってたらこんな獲り方しないもんなぁ』
二人の警官は私のずぶ濡れの格好を見て、ちょっと笑った。
『これね、密漁なの。ほら、そこに掲示板あるでしょ?【許可無きものは〇〇処する】て』
「いえいえ、違うのです。私は自殺をしに来たのです。それがあ、、防波堤の先から飛び込みましたところ、アワビがありまして」
『おたく、うまい言いわけ考えましたねぇ? 飛び込み自殺をしようとする者がアワビをたわわに掴んで沖から戻ってきますぅ?』
『人気のない夕暮れを見計らって、引き潮のこの時間を狙いましたねえ?』
二人の警官はお互いの話に頷いた。
「いや、私はアワビを掴んだ事により今こうして生きておるのです。あなた達にはわかるまい。死するという行為と欲という事の関係が、、」
『はい、ちょっと静かにしてぇ。本部と連絡取りますからぁ。照会取りますからぁ。ちょっと待ってくださ~い』
プルプルリ~ン
『お。はい、はい?はい、えっえ~!!わかりました!!』
プツン
『君さあ、始めから言ってよ~。漁業許可証持ってんじゃんよ~!』
(あっそうだ。私は持っていたのだ。いつぞや意味もなく取ったのだ。)
『じゃ、帰ってよし』
ピ~ポ~!ピ~ポ~!ウぅ~!
二人の警官はまたパトロールに出かけた。
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ピーポー!ピーポー!ウぅ~!
海岸に二人の警官が現れた。
『どうしましたか?!』
「あの防波堤の先で、人がうつ伏せになって浮いています!」
警官は防波堤の先まで行くと救出にと海に飛び込んだ。
『お、まだ生きておるぞ!早く救急車を呼んでくれ!!』
私は漁業許可証を持っていた為に三途の川ならぬ三途の海から『帰ってよし』と生還してしまったのである。本部とは閻魔様の採択であったのか。