会いたいときに、とびっきりの死体ごっこを。
死のう。
そう思った。理由は、特にない。
生きる理由がさして必要ないように、死ぬ理由も大したものじゃなくていいはずだ。
人気のない森を歩くこと数分。いいロケーションに着いた。森に飲み込まれそうな一軒の廃屋。ここで死ねば、私も醜くて臭い腐乱死体になるまでに森が飲み込んでくれるだろうか。そんなことを考える。
四十キロにも満たないちんけな私の体重。それで折れない梢を見つけ出すのは容易い。保健室の先生曰く痩せすぎなこの身体も、死ぬにはとっても便利だ。
屋根が歪んで、蔦が絡みついて、今にも崩れそうな廃屋。ゆっくりと朽ちていくそれは、美しいとさえ思える。醜くて臭い腐乱死体になるしかない私と違っていて、ちょっと羨ましい。
廃屋に忍び込んでぼろっぼろの椅子を拝借し、楡の梢にロープをかける。輪っかを作れば、あとは自らの首を差し出すのみ。
数分の間痛くて痛くて苦しいだろう。でもその後に死が、クソみたいなつまんない人生ごと、清算してくれる。
でもその前に、このサイテーな気持ちでも残したいから、自殺配信でもしよう。
私はスマホのカメラを、自分のブスな顔に向けた。
「享年十五歳、根芽佳子、今日、ここで死にます」
動画配信を通して、親に届いて、心配してくれて――なんてちっとも期待してない。
父さんのバーカ。
母さんのバーカ。
私の好きだったお皿も夫婦げんかの道具になって粉々だ。
今度は裁判が始まって、私を父さんと母さんとでトロフィーみたいに取り合って、ほんとバーカバーカのくそサイテー。
ひとしきりスマホに向かって文句を吐いて、汚い唾でベッタベタにしてやった。
そして、呼吸を整えて、跳ぶ。このまま何もしなかったら、私は死ぬ勇気さえないクソ野郎だから、首が締まって意識を失うまで自分にカメラを向けてやる。画面の向こうで、うわまじちょーキモイとでも言いやがれ。
3,2,1で天国へ行けると思っていた私の背中を、鋭いサマーソルトキックが貫いた。
「うがっ!」
そのまま私の身体は、落ち葉の山に突き刺さった。
「それっぽちの理由で死ぬなんて、あたしに失礼って思わないの!?」
そいつは女のくせにやけに鋭い蹴りだった。通知募で体育の成績が万年『がんばりましょう』のままの私には到底出せない蹴りだった。
「はあ? 邪魔しないでよ」
相手がまた暴力に出たら、一溜りもないけれど、人生のフィナーレを邪魔されたからには、抗議せざるを得ない。
「あたしの方があんたより百倍死にたいもの」
「いーや、私の方が死にたい」
これじゃあ小学生同士のケンカだ。もう女子高生だぞ、私も彼女も、多分。
しばらく言い合ったら、なぜだか分かんないけど、死のうっていう決心もどっかに行ってしまった。
「あなたの死にたい理由って何よ」
気まぐれできいてみた。
「父さんがね、宇宙人に記憶を盗られたの」
とびっきりに悲しそうな顔をして、彼女は荒唐無稽な理由を言い放った。――それが、私と草葉陰実里との出会いだった。
強烈で、ぶっ飛んでいて、馬鹿げていて。そんな出会いだったから、一発で顔と名前を覚えてしまった。男みたいに低い私とは違って、可愛らしいその声も。
あれから何度か、死のうと思って森に入ったけれど、その度に彼女がいた。私のことを尾行でもしているのか、気持ち悪い。
いつの間にか、彼女は私のことを『ケイちゃん』と、あだ名で呼ぶようになって、私たちは毎日のように会っていた。そんな日が続いて、十日ほど経った頃。
「ねえね、ケイちゃん。見て見て、じゃーん!!」
彼女が、血が滲んだブラウスの袖を見せて来たものだから、たまげて椅子ごとズッコケた。廃屋の中に呑気に笑う彼女の声が響く。
「ちょっと、ちょっと。これ本物の血じゃないからさ」
へらへら笑いながら、「あんた死のうとしてたくせに血は駄目なんだね」なんて。うっさい、ほっとけ。だいたい、首吊り自殺で血は出ないだろ。
「なんで作り物の傷なんて見せてきたのよ。ハロウィンでもないのに」
「うーん、趣味かな? 傷ついた自分の姿を見せたり、床に寝っ転がって、息を殺して死体の真似をしたりして驚かせるの」
趣味悪っ。
物理的に距離をとった私を笑う彼女の顔が、少し歪んでいた。作り笑いだ。瞳も潤んでいて、今にも溢れ出しそうだった。私はそれを見逃せなかった。
「何かあったの?」
「父さんに殴られた。お前みたいな娘を育てた覚えはないって」
もう何年も父親から名前を呼ばれていない。自分のことを物とでも思っているんだろう。そう呟きながらも、まだどこかで信じている。だからこそ、苦しい。
私には、彼女の言葉が、そう聞こえた。
「だから、あたしの父さんの記憶はさ、宇宙人に盗られたんだって思うの。だって、おかしいじゃない。あたしだけが父さんの優しさを覚えているなんてさ」
ついに零れ落ちてしまった一滴の涙。それを見てしまったとき、私の手は勝手に動いて、彼女の手の上に重なった。
「実里、辛いことあったら言ってきていいよ。連絡先、教えるから」
自分でも、らしくないことを言っているのは分かっていた。けれど思い留まれず、スマホを取り出す。そこで、彼女から制止が入った。
「ずるいよ、ケイちゃん」
「はあ? 何がずるいっていうのよ」
「あたしたち、死にたがり同士なのにさ。ケイちゃんだけ、いち抜けたみたいじゃん」
彼女の言っている意味がよく分からなかった。
「じゃあさ、どうやって連絡とればいいのよ」
そんなもの、なくてもいい。と彼女は言った。
今までと同じように、この森の中の廃屋にふらっと立ち寄って、そこにたまたま居合わせたら話せばいい、と。
ずっと、そうして来たけれど、素直には頷けない。あの涙を見てから、目の前の彼女が今にも壊れてしまいそうな気がして。
「ケイちゃん、難しそな顔してるね」
眉間に皺を寄せていた私の顔を、じーっとしばらく覗き込んだ後――
ちろっ
「うへぁあっ」
彼女は、私の耳に舌を入れて来た。おまけに「色気のない驚き方ね」なんてけらけらと笑ってくる。やっぱり、心配して損した。
膨れっ面になった私を今更になってなだめようとするけれど、機嫌なんて治してやんない。
しばらくして、諦めがついたのか。へそを曲げたままの私に、残念そうに「さよなら」を呟いて、彼女は廃屋から出て行った。
「反省してろ」
バレないように独り言ちたけれど、私の耳の中にはずっと彼女の別れの言葉が反響していた。
その次の日からだ。彼女が廃屋に来なくなったのは――
なんだか癪だった。あんなことしてきた彼女が悪いのに、これじゃあ喧嘩別れしたみたいだ。
今までも何度か、空振りはあったし、たまたま向こうが忙しかったとか、そんなものだろう。こっそり廃屋に持ち込んだ漫画や小説を読んだり、スマホで動画を見たり、音楽を流したり、いろいろやって時間を潰したけれど、彼女はとうとう現れなかった。そんな日々が、三日、四日と続くと、流石に「おかしい」なんて思い始める。
「今日も、来ないか……」
テーブルに突っ伏して独り言を漏らす。誰かいたら聞こえるように、何度も大きな声で繰り返してやる。けれど、もちろん返事はない。
実里とこの廃屋で会わなくなって、ついに一週間経ってしまった。
もう、会えないのかな。
そんなことを考えて、泣きそうになりながら席を立ったところで、背後から男の声がした。
「何をしている。出て行くんだ」
ついに、この廃屋の管理者に見つかってしまった。
私は反抗した、けれど身勝手すぎるのは自明だった。いくら、「実里が来るかもしれない」とか、そんなことを言っても無駄。
数分後。私は、立ち入り禁止のテープで封じられた廃屋の入り口を前に、膝から崩れ落ちた。破るのは容易いただのテープのはずなのに、私にはそれが硬い鉄の鎖にでも見えていた。
そして、私は廃屋に近づかなくなった。
実里がどこで何をしているか分からないまま、二週間が経った。
実里がいない生活は、味気なかった。
小説を読んでも、漫画を読んでも、音楽を聴いても、動画を見ても――何も感じない。私を包む世界が全て、分厚い壁の向こう側にでも行ってしまったようだった。
あのとき、私が彼女に放った態度が原因だったというなら、今すぐにでもタイムマシンに乗りこんでしまいたい。そんなことばかりを考えながら虚無の時間を過ごしていた、そのときだった。
不意に、画面をスクロールしていた指が止まる。
スマホに映り込んだ虚ろな自分の瞳が、見開かれる。
ほんの数分前から始まった生放送動画だ。
“自殺配信はじめます” 投稿者:minori
実里なんて、ありふれた名前だけれど、私の頭の中ではそれが、彼女の名前と直結した。そして、開いてしまった。
森に切り取られた空の様子が映るだけの定点撮影の映像が流れている。おそらくは地面に転がったスマホからの景色だろう。
なにか、ヒントはないか。これは、どこの場所だ。食い入るようにして見つめるけれど、木々がざわめく様子が映っているだけ。本当に、本当に、ヒントはないのか!
心の叫びが微かに喉から漏れ出たとき、がたり、と鈍い音を立てて映像が転がった。――どうやら撮影しているスマホが滑り落ちたらしい。
そして、見覚えのある廃屋が映った。
間違いない。実里だ。
自分のスマホを鞄に投げ入れて、駆け出す。
何もないところでこけるくらい運動音痴だけど、知るか。
マラソン大会ではいつも歩いてばっかで、後ろから先生に急かされながらなんとか走り終えるくらいの体力の無さだけど、知るか。
不格好なフォームで走った。
途中でこけた。膝から血が出た。
けれど、知るか。知るか!
森の中にたどり着いたころには、膝は何か所も擦りむいて、もう走れなくて、鉛のように重たい鈍く痛む足を引きずって何とか進んでいた。
「みの……り……?」
廃屋の前、私がかつて、死のうとしていた場所で、彼女は落ち葉のベッドの上に横たわっていた。思わず駆け寄って、その手に触れる。
つ め た い
その感触が信じられなくて、何度も何度も名前を叫んだ。嘘だ、嘘だ嘘だ! 間に合わなかったなんて嘘だ! あんなに走ったのに! 嘘だ! 嘘だ!
「実里! 実里! 起きてよ! また、死体の真似をしているんでしょ! ほんとに死んだら、真似で済まないじゃん! ねえ、ねえってば!」
揺すり起こす。けれど、その瞼が開かれることは、――ない。
落ち葉のベッドに大粒の涙が零れ落ちた。
今更、気づいたって遅すぎるのに。
友達だったなんて
「ケイちゃん、すっげえ泣いてる」
一瞬、時間が止まった。それまでずっと願い続けていたけれど、いざそれが現実になったとも信じられなくて。
「死んでなかったの……」
「死んでないよ。とびっきり、嫌なことがあったの。――それだけ」
どんだけ心配したと思ってんだ。
どんだけ必死に走ったと思ってんだ。
責めてやりたいけれど、それよりも、彼女を抱きしめたかった。彼女は立てないそうだから、私から覆いかぶさるようにして、抱きしめた。
まだ、冷たいけれど……、少しずつ彼女が温かくなっていくように感じられた。
「はりきり過ぎだよ。死体ごっこ」
「ごめん」
もう歩けないくらいぼろぼろの私。
もうほとんど死にかけていた彼女。
落ち葉の布団に寝っ転がって、辛うじて生きている、その事実を二人で噛みしめる。
「ねえ、救急車呼ぼっか。それで、お風呂にも入ろ」
苦笑いしながら私が提案した内容に、彼女も苦笑して頷く。
「賛成っ!」