1st, replay
「シバ様あ、どうしても行くんですかあ?」
さっきから分かりきったことを訊いてくる少年――金伽羅に、シバと呼ばれた青年はむすっと答えた。
「行くに決まってるだろ。今日は初デートなんだから」
シャツを羽織りネクタイを巻こうとし――シバは自分の行動に苦笑いをした。今から出社するわけもないのにネクタイもないだろう。
今日はデートなのだ。しかも待ち合わせ場所は山下公園ときたら、ここはカジュアルにまとめた方がいい。『人間の男』ならきっとそうする。
そうだ、このシャツもよくない。シバは形状記憶のビジネスライクなものを脱ぐと、リネンのものを身に着けた。それでも黒のスラックスに黒の革靴を合わせてしまったのは、少しでも自分をよく見せたいがためだ。たぶん彼女はこういう男の方が好きだから。
ああ、年下なんて設定にしなければよかった。
その方が彼女と打ち解けやすいだろうと思ったのだが……間違っていたかもしれない。
異動で心細そうにしていた彼女には頼れる先輩という設定が一番無難だということは分かっていた。だが彼女は異性に苦手意識を持っているから、居丈高になりそうな年上はよくないかと思い、それで敢えて『年下になってみた』のだ。そのかりそめの姿の時、シバは名を柴崎とあらためる。
まあ、そのかいあって、こうしてデートができる関係になれたのだが……。だが、これからどうやって関係を深めていけばいいかをシバは測りかねていた。
数日前、シバは想いを寄せていた彼女に告白をした。好きです、付き合ってください、とストレートに想いをぶつけた。それに彼女はこくりとうなずいた。頬を染め言葉も出せないほど緊張している彼女――そんな初々しいところも可愛くて、愛おしくて。
『……キス』
『え……?』
『キス、していいですか……?』
思わず問うていた。問いつつ、返事をきく前にキスをしていた。
「あそこでやめておけばよかったんだよなあ……」
「ん? 何か言いましたかあ?」
「いいや」
これ以上はまずいと、あの夜、シバは彼女から体を離すと、次にデートを申し込んだ。しかしここでも焦り過ぎてしまい、
『山下公園でいいですか?』
と単刀直入に訊いてしまった。初めてのデートは山下公園がいいと、そうずっと願っていたせいだ。
案の定、彼女は夢見るような表情から、一転、不思議そうな面持ちになった。
『公園、好きなの?』
好きなのか、と問われればそれほどでもない。だが山下公園には思い入れがあって、しかもそれはまだ彼女には言いにくいことで。ついシバは恥じらってしまった。そんなシバのことを彼女は物珍しいのかじっと見つめてきて……。愛する彼女の視線に身も心もうずいて……。
気がついたら、またキスをしていた。
「……ああ、もうこんな時間か」
クラシカルといえば聞こえがいいが、年代ものの壁掛け時計はすでに十時五十分を指している。待ち合わせの十一時まであと十分だ。
「よし、そろそろ行くとするか」
そう言うや、ほてった顔をごまかすために、シバは金伽羅に背を向け部屋を出た。
どこまでも続くかのように錯覚できるほどの長い廊下を、シバは靴を鳴らして通り過ぎていく。その後ろを金伽羅が「うわーん」と嘆きながらもついてきた。
その金伽羅だが、シバとはまったく異なる服を身に着けている。いや、シバとは、ではなく、現代日本ではあり得ない恰好だ。上半身は薄く長い反物を緩く纏っているだけで、肌の半分を惜しげもなく見せびらかしている。下半身もこれまた薄い布のズボンで、まじまじと見れば足が透けて見えそうなほどだ。
しかもこの金伽羅、裸足でなおかつ足音をまったく立てていない。本人いわく修行の成果らしい。修行? いやいや、それで自然法則に逆らうことができるようになる者など、この世にそうそういないだろう。
実はこの金伽羅、『この世』に生まれ今に至るまで、ずっと少年の姿を保っている。
まあ、そうさせているのは僕なのだが。
シバは内心でひとりごちながら歩く。
無駄に天井が高い廊下は先が見えないほど長い。シバの足が少し速くなったのは、この先に彼女へと繋がる道があると知っているからだ。
「シバ様あ! 行くのはやめたほうがいいですよお!」
金伽羅が何度も忠告してくる。だが、
「うるさい」
シバはその一言で片づける。
だが今日の金伽羅はめげない。しつこく「やめてください」「行かないでください」と言いつのる。少年特有の高い声にはまったく制止力はないというのに、だ。しまいには、
「その女性に想いを寄せないほうがいいんですよおー」
とまで言い出し、それがシバの怒りに火をつけた。
足を止め、振り返る。
「金伽羅」
目の奥に紅蓮の炎を宿しその名を呼んだ瞬間、金伽羅が押し黙った。
「僕に指図をするな」
金伽羅の額にじわりと汗が湧きだすのは、生き物の本能によるものだ。
いや、正確には生き物とはいえない。金伽羅は人間ではなくシバ――神――の眷属なのだから。
「そういえば」
少し視線を動かし、最後に金伽羅を見据える。
「制吒迦の姿が見えないな」
「あ、あいつはっ」
「僕は『姿が見えないな』と言っただけだ。……まさか」
つ、と人差し指で金伽羅の顎に触れ、目を細めてみせる。
「僕に内密で何か企んでないだろうな?」
「……っ」
さあっと青ざめた金伽羅の変化が面白くて、シバは思わず笑ってしまった。
生き物でもないのにこうして人間のような表情をしてみせることができるなんて。ああ、それも僕の支配下にある眷属たるゆえんか。
「ま、いいや。せいぜい僕のことを楽しませてくれ」
くるりと背を向け、シバは歩き出した。
光あふれる世界――人の、彼女の住む世界へと向かって。