第三話
怪しい占い師に呼び止められたのが自分なのか、周りを見渡して確認する。
うん、僕以外に人は居ないね。
再び占い師に視線を戻す。
「お兄さん、ちょっとこっちいらっしゃい」
綺麗な声だな。
何も考えず、みかんへと近づくが、占い師は地べたに座布団敷いて座ってるから、160センチの僕でも見下ろすような形になる。
「あなた今、叶えたい願いがあるでしょう?」
特に見上げるでもなく、占い師は続ける。
「そしてその願いは、このままでは決して叶わない願い...違う?」
エスパー?
いや、これはコールドリーティングというやつか。
曖昧な質問や誰にでも当てはまる質問をすることで、言い当てたと思わせる、占いのテクニックの一つだ、ったはず。
「例え死んでも叶えたいあなたの願い...叶える方法があるとしたら...どう?」
ちょ、すごいなコールドリーティング。
なんかちょいちょいカスってくるじゃないか。
「あるん...ですか?」
ちょっと興味が湧いた僕は、いつでも引き返せると安易な気持ちで話に乗ってみた。
近づいたことで薄らと見えるようになった占い師のマスクの向こうの口元が、歪んだように釣り上がって見えたのは気のせいだったか。
「あるよ」
「マジで!?」
即答だった。
占い師はみかん箱の裏側から一冊の本を取り出すと、僕に差し出してきた。
「私は実は、幸せの伝道師でね。ありとあらゆる人に幸せになって欲しいと思っているの」
つい受け取ろうとした僕の手が止まる。
「これを読んでもらうことで、全人類が幸せになる、それが私の生きる目的なのよ」
いや、ちょっとこの人危ない人?
少し話を聞いてみたら、いきなりおかしなこと言い出したぞ。
見えてる見えてる、それって人を幸せに導きたい人の微笑みには見えないから、どう見てもニヤニヤしてるから。
「あ、いや、やっぱりそういうのは間に合ってるんで...」
「ふぅん...? 行きたいとこにも行けず、やりたいことも出来ない状態を間に合ってるって言うのかねぇ?」
「...え?」
まるで、本当に心が読めてるかのような...いや、まさかね。
「あなたがやりたいことは、普通に生きてたら決して届かない領域にある。そんな願いを叶えるためには、普通じゃない手段をとるしか無いんじゃないかしら」
「いや...まあ...」
なんだか普通じゃないっぽい人が言うと、説得力があり過ぎるよ。
てか、ホントにコールドリーティングなの、これ?
なんか気味悪くなってきた...
「別に新興宗教みたいに大金払えって言うつもりもないし、読んで興味がわかなかったら捨てたらいいと思うわよ? でも一応、元手はかかってるから、タダではないけど」
微妙に払えそうな金額を提示する、これは詐欺師の手口か。
「い、いくらですか」
「結構しっかりした装丁だからね、コレ。1200円」
やっす!
もっと吹っ掛けられるかと思ってたよ。
いや、でも、ハードカバーの本ってそれ位が相場なのかな。
別に安くもないのか...頭の中での比較対象が詐欺師の壺だったから、やたら安く感じただけか。
まあ、確かに言われた通り、別に要らなかったら捨てるなりなんなりすればいいんだし。
お小遣いも貰ったばかりだから、1200円ならなんとか痛くない金額だと言える。
「じゃあ...買います」
「どうも、お買い上げありがとうございます」
まるで、この本を自分が作ったみたいな言い方が引っ掛かったが、結局買うことにした。
占い師から本を受け取り小脇に挟み、財布から代金を取り出す。
1200円を渡しながら、気になっていることを聞いてみることにした。
「あの、出版社か印刷業の人ですか?」
「え、違うわよ。どう見ても占い師でしょ」
確かに、いかにもって感じではあるけど...
「あと、家に帰るまで読んじゃいけないとかありますか?」
「なあにそれ? 別にいつ読んでもいいんじゃない? あ、ただ、目の前で読むのはやめて欲しいかな。中身について色々聞かれても、困っちゃうしね」
なるほど、それは確かにそうだ。
どんな内容か知らないが、著者でもない限り詳しいことを聞かれても答えられないことは多いだろう。
「それからその箱、みかんて書いてあるんですけど...」
「はあ? なに、なんか文句あるの!? 占い師がみかん箱を使っちゃいけない法律でもある訳!?」
うわあ、なんで急にキレたし。
なにか触れられたくない部分だったのだろうか。
「もういい! そんなクレームつけてくるんだったら、その本返して! 良かれと思って売ってあげようとしたのに、この恩知らず!」
「ちょ、ちょっと待って、落ち着いてください!」
占い師は勢いよく立ち上がったかと思うと、僕が抱えた本に取り付き、奪い返そうとしてくる。
そもそも押し売りに近いのに、その恩着せがましい言い方はどうかと思ったが、一度手に入れると決めたものを取り上げられるのはなんだか急に惜しくなってくるから不思議なものである。
「僕はただ、素敵だなと思っただけで...」
「...え? あ、そう? そうなの? だったら先にそう言ってよぉ~、もお~。ふふふ、なかなか見る目があるわね、少しおまけしたげる」
ようやく本から手を離した占い師は、よっこいしょういち、と呟いて座布団に座り込むと、僕が渡したお金の中から200円を差し出してきた。
これは結果的には得したんだろうけど、なんだか納得いかないな...
世の中どこに地雷が埋まっているか分からないものである。
「じゃあ、やり方はその本読めば分かると思うから。キチンと読むのよ?」
「...やり方? 何の?」
じっと答えを待つが、占い師は黙して答えようとしない。
「...どうも」
埒が明かないので、仕方なく占い師の元を離れる。
少し離れて振り向くと、占い師がこちらへと手を振っているのが見えた。
最後の言葉がどうにも釈然としないが、そもそも声をかけられた最初からずっと釈然としていないのだから、今更ではある。
基本的に堪え姓のない僕のこと、当然家まで我慢出来るわけもなく、路地を抜けた先にある自販機にもたれ掛かり、少し味見をしようと一度はカバンにしまった例の本を取り出した。
表紙には何も書かれておらず、その素材は紺色で艶のある何かの革で出来ているようだ。
何の革なのか不明ではあるが、高価そうな印象を受ける。
表紙を開いてみると、そこには本のタイトルと著者名が記してあった。
『猿でも出来る悪魔召喚入門 下巻』
ミッシェル・プルースト 著
鬼瓦天使 訳
ダメだ、ツッコミどころが多すぎてどこからツッコんだらいいか分かんない。
タイトルからして胡散臭さ炸裂してるし、何だよ悪魔召喚って!
そして、下巻じゃんコレ!
上巻読んでないんだけど、大丈夫!?
訳者の名前もなんて読むのか分からないけど、本名じゃないだろ!
ないよね?
...キラキラネームが跋扈する昨今、ないと言い切れないのが怖いとこだけど。
まだ本文を読んですらいないのに、どっと疲れた気分で1ページ目を開く。
そこに目次はなく、いきなり本文の前書きが書かれてあった。
なになに。
『下巻を手に取ってくれてありがとう。きっと上巻の内容が君の知的好奇心を大いに刺激した結果に違いない』
うん、出来れば僕も上巻を先に読みたかったところです。
『旺盛な知的好奇心と探究心を持つ君なら、きっと下巻も読破してくれるものと期待している。さあ、では早速下巻の内容に移っていこう。
上巻では悪魔についての詳しい解説と、この世界で悪魔が初めて確認されてからの歴史を細かく学んできた。ここからは実践編として、実際に悪魔を呼び出すやり方を学んでいこう』
おおおい!
上巻、結構大事な内容だったんじゃないの!?
なんも分からんまま謎の存在を呼び出したりしたらリスクしか無いでしょマジで!
出てきて挨拶替わりにいきなり襲われたりとかしたら洒落じゃ済まないよ!
『心配しなくても大丈夫だ。君がもし悪魔に襲われてその尊き命を失うことになったとしても、私は無事だからね。あ、私の名前は悪魔には伏せておいてくれ、危険が危ないので』
こいつ、読者を舐めとりますな。
襲われたら断末魔として作者の名前を連呼してやる。
死なばもろともだ!
あと、危険が危ないはおかしいだろ!
バカは作者か訳者か、どっちだ!
『それに、この儀式自体は難しい要素が全く存在しない。仮に君が、頭脳も運動神経も平凡だったり、日々小説を読むことくらいしか趣味がなかったり、年齢イコール彼女なし期間の非モテであったり、昨日の夕食に嫌いなピーマンが出たりするような人だとしても、きっと成功させることが出来るだろう』
そこまで読んだ僕は、本をカバンにしまう間もなく全力で走り出した。
あの占い師、絶対関係者だ。
ここで全部僕に当てはまるとか、異常に過ぎる。
つか、非モテのくだりは許さない、絶対にだ!
すぐに占い師がいた路地へと辿り着いた僕は、そこに唯一残された座布団を射殺さんばかりの目つきで睨みつけた。
「くっ、逃げられたか...」
近くに寄ると、座布団の上に何か書かれた紙が置いてある。
なんだろ。
拾い上げて、読んでみる。
『やーい、ノロマ(笑)』
その瞬間、路地には怒りの絶叫が響き渡った。