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14、エール


幸せな日々って言うのは、過ぎ去るのがとても早い。


竹志・・・タケを産んでアタシはやっぱり、体力がガクンと落ちた。


とにかく、疲れやすくなった。


貧血をよくおこし、風邪をひきやすくなり、外出できる回数も減った。


ママは・・・サキママの『サキ』が取れて、いつのまにか、ママと呼ぶようになっていた。


もちろんパパも。


それは、遠慮もなくなり、素直に甘えられるようになったからかもしれない。


多分、タケのおかげだ。


いつも面倒をみて貰うばかりで、どこか申し訳ない気持ちでいたが、タケを授かったことで、マツはもちろんママもパパも今まで以上に幸せな顔になった。


こんなアタシでも、幸せにできたのかもしれない。


そんな自信が少しついた。


遠慮が無くなり素直に甘えると、ママもパパも凄く嬉しそうで、アタシ達家族は幸せの絶頂にいた。


ママは、産後なかなか体力が回復しないアタシに代わり、タケの面倒を嬉々としてみてくれた。


それはもう楽しそうに。


ママの協力なくしては、アタシ達母子は生命の危機だったかもしれない。



「ママ、何か果物が食べたい。」


「あらっ、そう?ああ、麻実ちゃんの好きなマスクメロンが丁度頂き物であったわ。確か食べごろなはずね。」


そう言うとお手伝いさんに声をかけて、用意を頼んでいる。


それをしながら、タケの離乳食を食べさせている。


本当は、アタシが直接お手伝いさんに頼めばいいんだけど・・・それをやると、ママの機嫌が悪くなる。


パパやマツに関しては、どうでも好きにしろという態度なのに、アタシとタケに関してママはこだわる。


アタシもママに言えば、気を遣わないし何でもアタシにとって一番いいようにしてくれるからいいことなんだけど、ママが疲れるんじゃないかと心配だ。


今年50歳になるし。


そんなことを少し考える。




タケはすくすく育ち、1歳を過ぎる頃には手のつけられない暴れん坊になっていた。


あまりのことに、マツやパパが叱るがまったく聞かない。


ママは、元気ねー、とタケが客室の障子を外して倒そうが、二階から下の駐車場に停めてある高級外車の屋根に飛び降りようが、近所の3歳も上の子供を泣かそうが、笑っていた。


勝気マダムは、太っ腹だ・・・。



アタシは・・・何故か叱る事が出来なかった。


あまりにも、自分と行動が似すぎていて。


生まれた時から病弱だった私は。


もちろん、二階から飛び降りたりはできなかったけれど。


いや、やろうと思って、ジョーに止められた記憶が、うっすらとある。


多分その時、ヒーロー物のテレビを見ていて、自分もできる気になったのだと思う。


タケも確か、見ていたよな・・・。



障子は・・・時代劇で、切りあいになるシーンでそういうのがあって。


うん、タケも見ていた。



で、近所のガキ泣かしたのは、多分そいつが卑怯なことやったからだ。


手に取るようにわかる。



マツは頭をかかえて。


ママは、松太郎は小さい頃からソツがなくて、つまんない子だったから、楽しいわー、とケラケラ笑っている。


絶対、この広瀬家で一番の大物はママだな。






ジョーは、一昨年出所した。


マツが知らない間に優秀な弁護士をつけていてくれて、とても刑が軽かった。



その頃、グランドヒロセ横須賀もオープンを控えていて、ジョーにバーの支配人を頼んだ。


というより、アタシの事とか、叶興産の後始末、ジョーにかけた弁護士のことなどで恩を売り、グウの音も出ない状態にして無理矢理、支配人をマツがおしつけたのだった。



マツの気持ちに、涙がでた。



もう横須賀には、アタシを誰も待っている人はいないと思ったが、マツはちゃんとそれを作ってくれた。



ジョーが出所する日を、アキに電話で伝えた。


だけど、アキはいかない、と答えた。


もう、遅いよ・・・と小さい声で言った。




どんなに好きだって、仕方がないことってある。


アタシだってそうだった。


だから、仕方がないんだ。






「ククッ・・・本当に、麻実のガキのころそっくりだよなー。」


タキシード姿の、ジョーが笑う。


最上階のバーラウンジのテーブル全ての下を、転がりながら奇声を発する、タケ・・・。


アタシもパパのキャバレーで同じような事をした記憶が、うっすらと・・・。


だって、テーブルの上は見えるけど、下は見えないし、潜っているうちに楽しくなってくるんだよな。


「「えっ!?」」


ジョーの発言に、驚愕のマツとパパ。


「やっぱりねー。いたずらっていっても、竹志すごく楽しそうにいつもやっているし、麻実ちゃんもこんなんだったのかなー、って気がしていたのよね。」


さすが、ママ。


「「・・・・。」」


そして、ドン引き父子。


「だからね、怒らなくてもいいのよ。麻実ちゃんがこんなにいい子なんだから、竹志が悪い子になるわけないでしょう?」


ニコニコ笑うママ。



スゲー。


アタシ、何か。


感動した。



アタシの全部が、ママによって肯定されたみたい。


もう、ママ・・・大好きだ。


偉大な人だ。


アタシはママに抱きついて、子供のようにワンワン泣いた。




その後タケは、祖母の人格肯定が後ろ盾となり。


手の負えない、とんでもない悪ガキに成長していった。



また、ジョーが面白がって、悪さをしていたガキの頃のヌンチャクを、おもちゃ代わりにタケにやったもんだから。


鬼に金棒。


タケにヌンチャク・・・状態となった。



3歳にして、近所でも有名な獰猛なドーベルマンを倒したのも、タケにヌンチャク・・・だった。






その頃、広瀬産業でカラオケチェーン店を展開するプロジェクトが持ち上がった。


スナックやパブなどではカラオケは導入されていて、家庭でもカラオケの機械が普及され巷ではカラオケブームとなっていたからだ。


マツもパパもこの事業には力を入れていて、失敗するわけにはいかないと意気込んでいた。


まずはチェーン店の名称から決めようと、プロジェクトの中で意見を募集したらしい。


が、なかなかこれ、というものが無かったらしく、家にまで持って帰る始末。


「・・・カラオケキャサリン・・・どうだ?・・・あー、じゃあ、カラオケルームメリー?・・・カラオケいづみ?・・・カラオケメイトマリリン?・・・美月とカラオケ?・・・うーん。」


パパが次々と思いつく名前を上げて行く。


「てゆうか、パパ、それ全部パパのお気に入りのホステスさんの名前じゃねーの?」


アタシの突っ込みに、悲鳴を上げるエロダンディー。


アタシさえも、恐ろしくてママを見れない。


そして、ママがパパを引きずって、別室につれていったけど・・・大丈夫か?


「ったく、しょうがねーな、親父も。何であんな女好きなんだか。」


マツがため息をつく。


「ナレオは遺伝か。」


アタシがそう言うと。


「お、懐かしいネーミングだな。残念だが、麻実ちゃんに惚れてからは、そういうことは一切ないぞ?」


顔を赤らめながら言うなよ。


「そうだな、初夜の日に処女のアタシより、ガチガチだったもんな。」


「あーーー、止めてくれ、恥ずかしい・・・。」


マツがのたうちまわる。


ゲラゲラ笑っていると、そこへヌンチャクを持ったタケが登場した。


「アチャー、オヤジー、かかってこいー!!」


タケがマツにじゃれたくて、ヌンチャクを振り回す。


「タ、タケッ、危ないからヤメロッ!!」


そう言うマツをタケが追いかけまわす。


その途端、ガチャンッ・・・1890年製のステンドグラスのランプが見事に割れた。


多分、それは美術館に展示されるような価値のあるもので。


タケもさすがに怯んで、動きを止めた。


「タケッ、だから止めろと言ったんだっ!!」


マツが鬼の形相で怒鳴る。


アタシは立ち上がって、リビングを出た。


そして。


タケの部屋から、3冊の自動車の絵本を持ってきた。



リビングではまだ怒鳴っている、マツ。


いつの間にか、ママとパパも戻っていた。



「タケ。」


アタシは、マツの説教を無視して、タケに話しかけた。


「麻実ちゃん、ちょっと黙っていて。今日こそはちゃんと叱らないと、こいつはダメだ。」


その言い方にカチンときた。


「おい、マツ!ダメってどういうことだ!?ダメな人間なんていねーんだよっ。失敗しない人間なんているかっ!?失敗して自分で痛い目見て、こんなことじゃダメだって、わかんだろ!?女房の妊娠中に浮気したのがばれて、大変なことになって、失敗したーって反省したから、飲み屋に行って気に入ったホステスは作るけど、浮気まですることはしねーんだよなっ、パパ?」


アタシの言葉にパパが、ちぎれんばかりに首を縦に振る。


「だけど、親父の場合と、タケのこれは違う。」


マツが納得できないという顔でアタシを見た。


タケは助かった、という顔をする。



アタシはニヤリと笑った。


「なあ、タケよ。このランプな、ばあちゃんがスゲー気に入っているランプなんだよ。実際、電気つけると滅茶苦茶きれいでさ。アタシも気に入っていたんだ。古いもんで、100年前につくられたんだ。こんな見事な技術今の職人にはできねーんだ。ってことは、もうばあちゃんはこのランプで楽しめねーんだ。わかるか?」


タケの前に座り、目をしっかり合わせて真剣に話した。


やっと、タケは事の重大さに気づいたようだ。


「あるものは、いつかは壊れる。これは当たり前のことだ。人だっていつかは死ぬ。だけどな、だからこそ大切にしなきゃいけねーんだよ。」


タケが涙を流した。


「ばあちゃん、ごめんなさい。」


タケの涙にマツも、ホッとした顔をした。

「よし、じゃあ、タケもわかったようだし。失敗の結果、痛い目にあってもらおうか。」


「「「「はっ!?」」」」


幼子が涙を流しながら、反省をしている様子に感動している大人3人と、助かったと安堵している悪ガキが、驚いた顔をした。


「あ?ガキだろうが大人だろうが、きっちりツケははらってもらわねーとなー?おい、タケ、これ何だと思う?」


そう言って、絵本3冊をタケの目の前に出した。


「あっ、それ俺の大事な本っ!!」


自動車の大好きなタケのお気に入りの絵本。


この3冊は外国製で、スゲー気にいっているやつ。


「そ、それ・・・どうするんだ?」


不安そうな声で尋ねるタケ。


「あ?そんなこと聞くのか?お前、さっき何やった?」


「・・・・・。」


俯くタケ。


「あああっ!?テメェ、自分のやったことだろうがっ!?アタシの目を見てちゃんとこたえろやぁっ!!」


「ば、ばあちゃんの、ランプ・・・割った。」


「うっかりじゃねーよな?マツが注意したよな?家の中でヌンチャク振り回すってこうなるんだよ。」


「・・・ごめんなさい。」


「お前、お前の大事なこの絵本の横でネズミ花火やるバカがいたら、お前どうする?」


「止めろ、って言う・・・。」


「何でだ?」


「花火の火が本について、燃えるかもしれないから・・・。」


「それがわかってて、マツが注意したことがわかんねーのかよ!!ああっ!?テメェの頭ん中は、藁がつまってんのかぁっ!?」


「・・・うぐっ。」


泣いたって、ダメだぞ。


きっちり責任とってもらうからな?


「おい・・・で、どう責任とんだ?」


タケの前の絵本を顎でしゃくる。




「ばあちゃんっ、ごめんなさいっっ!!」


泣きながらそう叫びながら、タケはお気に入りの絵本3冊を引きちぎった。




マツとパパは驚愕の顔で固まり、ママはゲラゲラ笑っていた。



そして、その後、タケはアタシの言うことには忠実になった。





タケはすくすくと悪ガキに成長していった。


だけど、卑怯なことはするな、弱い者いじめはするなとそれだけは、言い聞かせた。


親ばかかもしれないけれど、名前のとおりまっすぐな男に成長していった。




そんな、ある日。


青山大輪、ハナの親父さんが、人間国宝となったニュースが巷を駆け巡った。


ハワイで、会った以来疎遠になっていたが、とてもかわいがってもらった人だ。


最後にあった時、アタシが敬語で話していたのをさびしそうにしていたのも、心残りだった。


もうすぐ、タイムリミットの30歳がくる。


今が会って、感謝やお祝いを伝える最後のチャンスなのかもしれない、と考えた。



マコトにコンタクトを取ってもらった。


一応、マツの気持ちを考えて、思っていることを話した。


「華清に会うのか?」


「会うわけねーだろ。人間国宝になったのはオッサンだぞ?」


まあ、マツの言いたいことはわかるがな。


だけど、アタシにはもう時間がないかもしれない。


体力も随分落ちた・・・。


マツの希望で、グランドヒロセ銀座のスイートで会うことにした。


昼食を部屋で取りながら、話をしたらどうだ、との提案だ。


自分の手のうちで会ってほしいという気持ちと、ただアタシが外で具合が悪くなったら大変だという気遣いからのことだろう。


素直に従うことにした。





久しぶりに会った人間国宝は。


相変わらずの、軽さだった。



「やっほー。」


はあ。


やっぱ、会ったのは失敗だったか?


「麻実ちゃーん、人間国宝のサインあげようかー?」


アタシは背筋を伸ばした。


「家元、ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました。また、このたびは人間国宝の名誉を受けられ、本当におめでとうございます。」


アタシはそう言って、丁寧に頭を下げると、これはほんのお祝いの気持ちです、と言って、分厚い封筒と、ハードカバー程度の包みを渡した。


途端に、おちゃらけていたオッサンが悲しそうな顔になった。


「麻実ちゃん・・・こんな、他人行儀なこと・・・本当に気持ちだけで嬉しいんだ。これは貰えないよ。」


そう言って、アタシが差し出した物をテーブルの上で、押し返した。


アタシはそんなオッサンを、片眉を上げて見つめた。


「いいのかよ?貰っとかないで、後悔すんぞ?オッサン。」


アタシは、胸の前で腕を組んだ。


オッサンの表情が、パアッ、と明るくなった。


「ま、麻実ちゃんっ。」


目を潤ませながら、身を乗り出してくる。


「オイ、オッサン!またケツ触ったり、手ぇ握りやがったら、頭突きすんぞ!?」


アタシがそう言うと、オッサンはケタケタ笑いだした。


「そうそう、そんな事あったなー。」


「で、せっかくの祝い、いらねぇのかよ?言っとくけど、オッサンが困るようなもんは入ってねーぞ。開けてみろよ。」



オッサンが封筒と包みを開けた。



「こ、これっ。何でっ。」


包みの方は、オッサンが今ハマっているアイドルユニット、『ミルキィ・レディー』のサイン入りライブビデオ。


マコト情報だ。


そして、封筒の方は、広瀬産業のカラオケチェーン店『バンブー・マイク』の割引券500枚だ。


「オッサン年甲斐もなく、その子達が好きなのは戸田情報。この間歌謡際でここのホテルに来たからサインもらっといたんだ。」


「麻実ちゃんっ、何より嬉しいよっ。」


「おう、じゃぁ、その代わりその割引券500枚、宣伝がてら生徒にでも配っといてくれ。」


「は?」


「嫌なら、そのビデオ返却だ。」


「!!!」


「あ?どうすんだ?」


「・・・配らせていただきます。」


「おう。ちなみにそれ、期限3ヶ月だかんな。」


「はぁ・・・。」


「あ?」


「いえっ・・・あれ?」


「何だよ。」


「この、絵の・・・男の子って、何となく・・・麻実ちゃんぽいな?」


オッサンがまじまじと、割引券に描かれているキャラクターの絵を見ている。


「そうか?実はそれ、アタシの息子がキャラクターのモデルなんだ。3歳頃のだけどな。」


「えっ・・・でもこれ・・・オオカミ倒して・・ああ、イメージだからか。」


一瞬ギョッ、としたオッサンだったが、1人で納得して頷く。


「ああ、そうだな。オオカミはイメージだな。実際には近所のドーベルマンだったからなー。」


「・・・・完全に、麻実ちゃんの血を引いているな。」


ドン引きしながら言うのは、やめてくれ・・・。




何だかんだ、くだらない話をしながらダラダラ昼食を食べた。




「俺も、実は好きな女と・・・一緒になれなかったんだ。」


バカ話に笑っていたと思ったら、突然前触れもなくオッサンが言いだした。


「そっか。」


「その彼女が好きだった花が、菊。」


「うん。」


「正直、人間国宝なんかより、あの子と結婚したかった・・・。」


「総理大臣に言えや。」


「ぶっ、そんなこと言えるわけないだろー。」


オッサンが、抗議の声を上げる。


「じゃあ、何でアタシに言うんだよ。」


「えーと、本音大会?」


「何だよ、それ。」


「ほらー、俺。日本で一番大きな流派の家元の上に、人間国宝なんてもらっちゃったし。本音なんて、誰にもいえないんだよねー。だから、本音大会。麻実ちゃんも、言っていいよ。誰にも言わないし。」


何言ってんだ?


「・・・・・。」


「じゃー、俺から言うよー。」


おいおいおいおい・・・。



「みっちゃーん、今でもすきだーっ。」


って、知らねーし。


それより、何で叫ぶんだ?


そのうえアタシに次だぞって、ふるのをやめてくれ。


って、言わなきゃだめか?


・・・はぁ。


「オッサン、いろいろ可愛がってくれて、ありがとな。」


照れくさいから、下を向く。


「もう一度、みっちゃんと、チューしたかったー。」


えぇっ、アタシのお礼無視か?


てゆうか、その内容なんだよ。


あ・・・ハイハイ、アタシの番ってことだな。


「えーと、オッサンのあの一輪ざしの菊、今でも好きだ。」


「みっちゃんの、おにぎり美味しかったー。」


「・・・オッサンの家で食べた、銀富の焼きアナゴ、うまかった…。」


あの時、ハナが旨いぞ、って勧めてくれたんだよな。


急に、蘇る楽しかった日々・・・・。


「みっちゃんと喧嘩した後の仲直り、照れくさいけど・・・幸せだったー。」


そうだ、アタシ達、いつも意地張って喧嘩していたな。


でも、その後は・・・。


「アタシも、喧嘩の後は・・・仲直りして・・・楽しかった。」


誰も知らない港の一角。


あそこは2人だけの、思い出。


「みっちゃんが、大好きだったー。」


アタシだって・・・アタシだって。


「アタシだって・・・大好きだった・・・。」


抱き寄せられる腕。


白檀の香り。


熱い吐息。


「本当は、別れたくなかったー。」


そうだよ、そう・・・。


本当に・・・。


「わ・・かれたくなかった。」


「大好きだった。」


「ずっと一緒にいたかった。」


「赤い薔薇、好きだった。」


「ひと一倍努力するところも好きだった。」


「やんちゃな顔も。」


「黒い瞳も。」


「たくましい腕も。」


「匂いも・・みんな、すき・・・すきっー!!!」


「健康に生まれたかった。健康に生まれて、ずっと・・・ハナと生きていきたかった・・うぅぅ・・・。」



気がつくと、叫んでいたのはアタシだけだった。


涙が頬をつたっている。



「麻実ちゃん・・本音、聞かせてくれてありがとうな。ずっと、引っ掛かっていたんだ。麻実ちゃんに気を遣わせて、身を引かせたんじゃないかって・・・麻実ちゃんは、口は悪いけど、本当に相手が傷つくことはいわないもんな。腹ん中溜めこんで、辛かったんじゃないか?」


そうかもしれない。


今更どうなるわけでもないけれど、自分の気持ちを今まで蔑にして、目をそむけてきた。


こんなことじゃいけない、と思った。



だって、あの時。


ハナに心震わせて恋をしていた時の、あの一生懸命だったアタシを無いことになんてしてはいけない。


生きていたアタシを、認めてあげないと・・・アタシがアタシで無くなる。


30歳のタイムリミットを前に、楽しかった思い出も、辛かった思い出も全部向き合って、認めなければ・・・後悔する。


蓋をして、重しをして、鍵をかけて・・・・なんて。


そんなことしたって、自分を偽るだけ。


きちんと心の中で、思い出としてハナを好きだった自分を認めてあげよう。


そんな風に思った。






オッサンと会って、話をしてから。


アタシの心は随分軽くなった。


今まで思い出さないようにしていた、ハナとの思い出も、ふと、心の中で思い出したりして、あの頃の自分の幼さに恥ずかしくなったりした。


もちろん、ハナの事を考えてばかりいたわけではない。


ハナの事はふとした瞬間に思い出すだけで、殆どが家族の事を考えている。


最近はまた体力が落ちて、ベッドで過ごす事が増えたからもあるけれど。


色々な事を考えてばかりだ。






オッサンと銀座で会ってから、2年後。


タケは小学校6年生になった。


アタシは、家族の献身的な愛情でタイムリミットよりも2年長く生きていた。


32歳になった。


昔から、30歳がタイムリミットと言われていたので、32歳の自分が想像できなかったが、18歳の頃とあまり自分では変わりがないように思える。


まあ、それは内面的な話だけど。



アタシの体力は、かき集めなければならないほど、消耗していた。


午前中起きていたら、午後は寝込むというような感じだった。



それでもマツはアタシを変わらず愛してくれていて。


とても大切にされていた。



さすがに、毎日抱かれることはなくなったが、それでも週に2回ほどはそういう事をする。


前にもまして、ソフトで壊れものを扱うようにアタシに触れるが・・・それでも、女として見られていることが喜びだった。



ある日、いつものようにマツに抱かれた後。


マツがポツリとつぶやいた。


「俺と、結婚して・・・よかったと思うか?」


「・・・それは、マツ次第だぞ?」


「え?」


「マツ・・・アタシと結婚して幸せか?」


「あっ、ああ。もちろん俺は幸せだ。神に誓って言える。」


真剣な顔のマツ。


可愛い、と思った。


アタシは、自然と笑顔になった。


「マツが幸せなら、アタシも幸せ。だって、アタシだけ幸せでもマツが幸せじゃなかったら、よかったって言えないじゃん。」


そう言うと、マツがアタシを抱きしめた。


アタシもマツを抱きしめる。


「マツ・・・大好き。この世で一番好き。」


「嘘だ・・・華清の方が好きだろ?」


「それはない。」


「・・・・・。」


「誤解されるのは嫌だから、はっきり言うぞ?ハナのこと好きだった。別れるのも辛かった。今でも一番惚れているのは、ハナ・・・ごめん、酷いよな?」


無言で、ぎゅぅぅっ、と抱きしめられた。


「だけど、この世で一番好きなのは、マツだよ?アタシハナがいなくても生きていけるけど、マツがいなかったら生きていけない。だからっ・・んっ・・・。」


いきなり、キスされた。


喋ってるだろーが・・・・まぁ、いいけど。


今、話したことは本心。


自分の心を認めたら、おのずと出た答えだった。


アタシ達家族には歴史がある。


色々支えてもらった。


一緒に笑った。


一緒に泣いた。


だから、マツは一番好きな人。



「華清が、家元を継ぐことになった。」


「え?」


「今の家元・・・華清の親父さんから、俺に来賓挨拶をしてほしいって、依頼があったんだ。」


オッサンが?


ってことは。


「ハナ、ビビってんだろ。」


「だよな?俺もそう思う。」


「で?」


「ああ・・・どうしようか、と思っている。華清とは事実殆ど絶縁状態だし。」


「マツ、お前はどうなんだよ?アイツを応援したいのか、したくないのか?」


「したい・・・だけど。」


「だったら、問題ねぇ。お前がしたいなら、応援してやれ。多分アウェー状態だろ。きっと。今、ハナが素直にマツの言葉を受け取れなくても、心をこめてエールをおくりゃぁ、いつかきっと大事なところでわかてくれる。アイツを信じろよ。んで、言ってやれ。『人間国宝なんて関係ねー。お前はお前だって。』」


そう言うと、マツの心は決まったようだった。


そして。


「あーでもムカつくっ。アイツのことまだそんなに心配しているのが!」


マツがアタシに抱きついてくる。


「だって、しょうがねーだろ?惚れている男だしなー。」


笑いながらそう言うと、もう一回するぞっ、ってマツは覆いかぶさってきた。







『人間国宝なんて関係ねー。お前はお前だっ。頑張れっ、ハナッ!!!』



アタシは心の中でエールを送った。





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