11、悲劇
ハナが渡米して、2ヶ月近くたった。
アタシは、高校を卒業し、予定通り鎌倉花園学園短期大学へ入学した。
そして。
アキは東京へ、コージは神戸へ。
予想外にトムまで北海道に行ってしまった。
付き合っていた彼女が妊娠して、実家のある北海道へ帰りたいという彼女について行ってしまったのだ。
仲間が去って、寂しくないというのは嘘になるが、それぞれの旅立ちだ。
仕方がない。
ここはダチとして、応援してやるしかないだろ。
そう。
こんなアタシにできるのは、横須賀のてっぺんから、皆にエールを送ることだけだ。
だから、今日、アタシはセイカ屋の屋上に来ている。
てゆうか、毎日来ている・・・。
ハナからの連絡は、ない。
当たり前だ、いらない、と言ったのだから。
その代わり、マツから毎日電話が入るようになった。
仕事が忙しいようで前ほど会えないが、10日に一度は食事に誘われる。
アイツも息抜きがしたいのだろう。
いつも、バカな話をする。
マコトは自宅兼教室が、アタシの通う短大と目と鼻の先で、毎日のように遊びに来いと煩い。
顔を出さないで帰ると後が面倒なので、毎日マコトの家に寄り道だ。
ジョーも最近忙しいらしく、迎えが遅くなったりするので、マコトの家が待合所の様になっている。
でも、あんまり遅くなったりすると、セイカ屋がしまってしまうので、マコトに横須賀まで送らせることもある。
最近、街の様子がかわった。
明らかに『よそ者』という奴等がたむろしていたり、大面で歩いていたりする。
気になって、ジョーやミコに聞いたけれど、大丈夫だの一点張り。
不安で仕方がない。
大丈夫だというわりには、ジョーもミコもアタシに1人で出歩くな、と注意をする。
今日も珍しく早く短大へ迎えに来て、まだ4時だというのに家から出るなと言い残して、ジョーは出かけてしまった。
ワケわからん。
出かけるに決まってるじゃんか。
今日も、セイカ屋の屋上に行くんだから。
今のアタシにとって、この屋上が心の支えだ。
きっと、ハナもアタシが屋上でハナを思っているのが、わかってくれていると思うから。
ポケットから、音がした。
企業用のポケットベル。
何故か、最近マツに持たされた。
仕方がなく、公衆電話へと向かう。
番号は、マツが東京で使っている自動車電話のものだ。
マツの会社の広瀬産業は、愛知県に本社がある。
だから、東京と本社を行ったり来たりの生活だ。
アタシのことなんか構っている暇はないだろうに、と聞けば『息抜き』だと言われた。
まあ、ソツない人生を歩むマツには、『息抜き』も必要か・・・。
「今、どこにいる?」
「え、何で?」
「鎌倉のホテルに来たついでに、麻実ちゃんの家に行ったら留守だったからだ。」
ええ?
家に来たのか?
・・・セイカ屋の屋上の話は、誰にもしたくない。
「どこにいる?」
「・・・・買い物。セイカ屋デパート。」
「今から行く。2階にパーラーがあったろ?中に入って好きなもん注文してろ。」
はあ。
どうして皆、アタシをそっとしておいてくれないかな・・・。
もう。
もう少し、ハナを考えていたかったのに。
だけど、甘いもの好きのアタシは、ちゃっかり、フルーツサンデーを頼んだ。
お中元商品販売の時季のせいか、今日はとても混んでいて、空いている席は入り口に近い通路から丸見えの1席だけだった。
注文したフルーツサンデーをこの席で食べるのも、ちょっと勇気がいるな。
後先考えず、食い気に負けて注文したことをアタシは後悔した。
仕方がないので、いつもより、控えめな口で食べ始める。
「うわ、彼女。レベル滅茶苦茶高いじゃねーか。こんな田舎のデパートにいるのが、奇跡だなー。」
やだな・・・この席、外の声丸ぎこえじゃんか。
ナンパしている声なんて、ききたくねーし。
「オイ、無視すんなや。」
うわ、ガラ悪。
ナンパしているところ、見ないでおこう。
そう思って、フルーツサンデーに集中しかけた時。
いきなり、肩を捕まれた。
「い、痛いっ!?」
突然誰かに、アタシの貧相な肩を思いっきり強く捕まれ、悲鳴をあげた。
振り替えると、ニヤけた、チンピラ。
だらしない顔つきに、吹き出物が花開いている。
オエ・・・。
生理的に受け付けない、タイプだ。
対して、顔面開花は、顔を近づけてくる。
「ねーちゃん、タイプだ。俺と付き合え。」
は?
何だ?
ナンパしていた相手は、アタシだったのか?
びっくりして、ボーッとしていたら。
顔面開花に肩を抱かれた。
う゛ぇぇーー。
もう無理と思う心に、体が自然と反応したらしく。
グチャ――
勝手に手が動いた。
サンデーまみれの顔面開花。
ぷ。
「テメェ、何すんじゃー!?」
そして。
先手必勝、急所蹴り――
運転手の、大きなため息が聞こえた。
取り敢えず、無視。
だけど、この運転手は小姑並みに煩くて。
「わかってんのか?向こう見ずな行動だって。」
ハンドルを持ちながら、小言をいう小姑は、不機嫌な顔をしたマツ。
「肩を捕まれて、痛かったんだよ。で、咄嗟に・・・まぁ、完全に正当防衛だな。」
「は?麻実ちゃん、右手に何を持ってた?」
げ、マツ、そこまで見ていたのか・・・。
しょうがない、精神論で行くか。
「えーと、愛と勇気?」
「嘘つけ!フォークを逆手にしていたろ!」
げ、現実的にきやがった・・・。
「まぁ、ヤるならとことんヤらないとなー。それに相手はアタシより力が強そうだし、目刺しときゃあ、大人しくなるだろうと思ってなー。」
「・・・・。」
あ、マツが大人しくなったな。
沈黙の中、自動車電話が鳴った。
マツが少し話をして、会話を終了した。
「今の、ジョーか?」
「ああ、怒っていたぞ?」
「げ。」
「麻実ちゃん、今日はグランドヒロセ銀座に宿泊だ。強制連行だからな?」
「えー?何で?」
ご飯食べてから、家へ帰ると思っていたから、驚いた。
「今日は金曜日で明日、明後日と学校は休みだろ?暴走病弱娘を預かることになった。」
「えー、だったら、鎌倉でいいのに!何で、銀座?」
「はぁ・・・。俺も東京で仕事があるんだよ。」
「だったら、アタシについてなくていいぞ。」
「言うと思った。あのな、ネタは上がっているんだ。麻実ちゃん、毎日戸田の家に遊びに行っているだろ?戸田ばっか狡いぞ?俺にも息抜きさせろよ?それに、明日麻実ちゃんの親父さん、銀座に飯食いに来るって言っていたし、楽しみにしてるって。」
え、パパが?
うわ、久しぶりじゃん。
最近、忙しそうだったからな。
「ハハハ・・・。ホント親父さん好きだよな。まあ、親父さんも、麻実ちゃん滅茶苦茶可愛がっているしな。」
「まあな。家は父子家庭だし。パパには、スゲー世話かけているから、親孝行したいんだよ。パパを幸せにすることが、アタシの夢のひとつでもあるしなー。」
そう言うと、アタシは、目を瞑った。
「・・・疲れたのか?」
「うん・・・ちょっと。眠ってもいいか?」
「ああ。」
そうマツが返事をするやいなや、車が停まった。
ハンドルを切った気配から、道の端に寄せて停車したんだろう。
マツの男っぽい匂いがして、シートがゆっくり倒された。
多分、シートに手を添えてくれたのだろう。
体が楽になる。
そして、ふわりとマツの男の香りと温かくなる体。
マツがジャケットを脱いで体にかけてくれたらしい。
心地よくて――
アタシは、知らないうちに眠りに落ちていた。
気がつくと、知らない部屋だった。
どこだ?
いや、ベッドの上だけれども?
え?
記憶が全くないのに、パジャマに着替えているって、どういうことだ?
しかも、レースのたっぷりついた、高級そうな、可愛いパジャマ!
「あ、おはよう!起きたのね?じゃあ、ご飯食べましょ?」
突然現れた、マダム。
美人で明るい、いいとこの奥様って感じの人。
だ、誰?
アタシが固まっていると、マツがやってきた。
「よく寝たなー。麻実ちゃん、15時間くらい寝ていたぞ?」
「あー、最近、よく眠れなかったから。」
そう言うと、マツが眉を寄せた。
そんな顔をさせたくなくて話を変えようと、マダムを見るとニコニコしている?
「え、と?」
「あっ、私、松太郎の母の早紀です。パジャマに着替えさせたのは私だから、安心して?可愛いわー。もう、麻実ちゃんに会いたかったのよー。でも前に実は、会っていたのよ?」
「え?」
「麻実ちゃんが前に東京駅で倒れた時、俺上京してきたところで、母も一緒にいたんだ。」
「えっ。それは・・・大変ご迷惑をおかけ致しました。」
迷惑をかけたんだからと、きちんとお礼を言おうとしたんだけど。
「ぶっ。」
マツがふきだした。
ムカつく。
睨んでいると、余計ゲラゲラと笑いだした。
本当なら、ケリのひとつでもお見舞いしたいけど、マダムの前じゃな。
うう・・・。
マツが、そんなアタシの頭をポンポン叩いた。
ん?
「どうどう。」
ぬおぉーー。
「アタシは、猛獣じゃねぇー。」
そう言って、つい。
マツにケリを入れてしまった。
「あ・・・。」
「ぶっ。アハハハ・・・。やめろ、やめろ、猫かぶんのは。おふくろ、麻実ちゃん、こんな風に、口悪いのが普通だから。」
そう言って、見事にアタシの本性をばらしやがって。
「あらー、楽しいわ。もう、松太郎ってば、何でも器用にこなして誰も松太郎に敵わないのよ。つまらなくてね?麻実ちゃんみたいに、バシッと松太郎をやっつけてくれると嬉しいわー。それに、松太郎のそんなに楽しい顔を見たのは、赤ちゃんの時以来だわ。ふふ。」
なんか・・・気に入られたっぽい?
アタシは、ママが8歳の頃にフランスへ帰国してしまったから、大人の女性とどう接していいかよくわからない。
だけど。
マツのママは、自然体で明るくて、優しくて。
アタシは、いっぺんで好きになってしまった。
朝の10時過ぎに起きたアタシは、たっぷり栄養のあるものをマダムに食べさせられた。
マダムは嬉々としてアタシの世話をやいて、午後からホテル内のテナント店に買い物に行こうと誘ってくれた。
だけど。
マツがそれを止めた。
「麻実ちゃん、あんまり体が丈夫じゃないんだ。夜、皆で食事をするから、体力蓄えとかないと。部屋でゆっくりさせてやってくれ。」
マダムは、アタシが東京駅で倒れた時の事を思い出したらしく、じゃあ明日ね?と言った。
その後、マダムに電話がかかってきて、用事ができたらしく残念そうな顔をして、仕方がなく出かけていった。
「マツは、出かけないのか?」
ここはホテルの中だが、広瀬家のプライベートルームらしく、自宅用の家財道具が置かれている。
まあ、高級家具ばっかだけどな。
「ああ、今日はデスクワークだけだから。帳簿チェックと、企画書制作だから、部屋にいるぞ。麻実ちゃんは、ソファーでもいいし、さっき寝ていたベッドでテレビを見たり、本を読んでいてもいいぞ?」
ホント、寛がせてくれるんだ。
アタシまだパジャマのままだけど、マダムは夕方出かけるまでそのままでいいって言うし。
「なんか、家にいるみたいだ。」
ポツリとつぶやくと、マツが嬉しそうに笑った。
「そう思ってくれりゃ一番いい。別に、お互い今更格好つけることもないだろ?俺も麻実ちゃんといると息抜きになんるんだ。お互い様だ。」
そう言ってくれたから、アタシは遠慮なくベッドで本でも読もうと、マツの本棚から2冊本をかりてベッドへ向かった。
知らないうちに、また眠っていた。
「そろそろ起きて、シャワーを浴びたほうがいいぞ。」
マツの声で目が覚めた。
「また、眠っちゃった。」
「いいじゃないか、体が楽になっただろ?」
「うん・・・でも、頭がぼーっとする。」
「アイスティーあるぞ?」
そう言って、ストローをさしたグラスを渡された。
美味しく飲む。
「何か・・・。」
「何だよ?」
「マツ、浜田ジョー化してないか?マツって女の子に尽くすタイプなのか?」
「は?・・・浜田は女に尽くすタイプなのか?」
「いや、違う。どっちかというと、鬼畜と思うほど冷たい・・・な。」
「俺も同じだ。」
「は?マツ・・・お前、鬼畜なのか?」
「あー、もうっ!違うっ!!早くシャワー行け!!」
何故か、マツにキレられ、バスルームへ追いやられた・・・。
マツは中華料理の個室をとってくれた。
予定より早めに行くと、マツの親父さんがマダムと並んで座っていた。
すっげぇぇぇぇー。
マツより、断然イイ男だ!
あ、顔自体は、同じ系統で似ているけど。
何て言うのか・・・大人の色気ってやつ?
品があるし。
マツみたいにソツなく・・・って感じじゃなくて、華やかな、人目をひくような。
顔は全然にていないけど、ハナに近い華やかさがある。
ハナんとこの、クソエロジジイとは大違いだ。
「初めまして。叶麻実と申します。松太郎さんにはいつもお世話になっています。今日は父も食事にお誘い頂きまして、ありがとうございます。」
初対面だし、世話になっているのは事実だから、きっちり丁寧な挨拶をしたのに。
「「ぶっ。」」
吹き出す、広瀬母と子。
やっぱり、失礼なのは親子共通なのか。
「梅ちゃーん、麻実ちゃんって凄くかわいいでしょっ?でも、このコ、かぶっている大きな猫をとったら、もっと面白いのよー。」
って、え?
ええっ!?
何でバラすんだっ!?
「麻実ちゃん、さっさと巨大猫脱いでおかないと、今から食事すんのに、かなりキツイぞ?」
マツまで・・・。
そんなこと言ったって、って困っていたら。
パパが到着した。
マツの親父さんと握手をしている。
え?
「パパ、知り合い?」
「おー、麻実。質問に答える前に、抱っこさせろ!!」
そう言って大きな体を広げてくる。
アタシはいつもの通り、ピョンと飛びつくと、パパの大きな体に抱きあげられた。
嬉しくて頬ずりをする。
「相変わらず、軽いな。ちゃんと食っているか?ジョーが最近忙しいからな・・・。」
パパが眉を寄せる。
「大丈夫。それに今日は、マツ・・・さん、のお母様に沢山ご馳走になったんで、す・・・。」
いつもの口調が出そうで、慌てて取り繕う。
なのに。
「あ?麻実どうした?変なもんでも食ったか?」
パパ・・・空気読もうよ・・・。
広瀬母と子が吹き出した。
・・・というようなことが、その後も繰り返され、とうとう。
面倒くさくなったアタシは、猫を脱ぎ棄てた。
超イイ男のマツの親父さんの前では、上品でいたかったのに・・・と思ったが。
やはり、この人も、変わっていた。
何でパパと知り合いだったのかというと。
マコトとマツがパパの店に行くようになって、それを聞いたこのMr.ダンディもそれに便乗したらしい。
きけば、結構な女好き。
ということで。
アタシのパパとも意気投合したわけだ。
はあ。
まったく・・・。
だけど、食事会はとっても楽しくて。
アタシは、笑ってばかりいた。
途中トイレで席をたって、戻る時に廊下でマツとすれ違った。
「楽しそうだな。」
「うん。マツの親父さんとお袋さんもスゲー楽しいし、パパも楽しそうだし。」
そう言うと。
マツは目を細めて、笑った。
「そっか。よかったな。麻実ちゃん、華清がNY行ってから、こんな楽しそうに笑ったの初めてだな。」
ぽん、とアタシの肩を叩いて、マツがすれ違う。
「え・・・そうだったんだ。」
アタシは1人、廊下で呟いた。
部屋に戻ろうとして、扉を開けようとした時。
パパの声がした。
恥ずかしいくらいの、アタシの自慢話。
可愛くて。
頭がよくて。
優しくて。
友達思いで。
親孝行。
嘘・・・アタシ、こんな体で、パパに迷惑ばっかりかけているのに。
親孝行なんて全然、してないよ。
だけど、マツの親父さんとお袋さんの相槌が上手くて、パパがますます調子にのる。
小さい頃から体が弱くて、入院ばかりの生活だったのに、泣き事ひとつ言わないで。
まがったことが嫌いで。
卑怯な事が嫌いで。
いつも、人のために何かできないかを考えている。
麻実の周りに人が集まるのは、同情なんかじゃなくて、皆が麻実といると元気になるからだ。
丈夫な体に産んでやれなかったのに、俺にいつもありがとうっていう。
本当に俺にはもったいない、自慢の娘だ。
気がつくと、涙が頬をつたっていた。
パパ。
パパ。
パパ。
「麻実ちゃん、親父さんとこ行ってやれよ。」
そう言って、いつの間にか後ろに立っていたマツが、アタシの背中を押した―――
11時頃、ジョーがパパを迎えに来た。
結構、酔っぱらっていて。
だけど、凄く上機嫌で。
アタシに抱きつき、ほっぺにチュー攻撃をした。
その時アタシはパパの腕の中で、もっと親孝行するからねと心に誓った。
大騒ぎのあと、名残惜しくて、地下の駐車場まで送りたくなった。
それを言うと、マツが無言でついてきた。
「社長、スゲー上機嫌だな。」
パパに肩を貸しながらジョーが笑う。
ジョーはパパの事が大好きで、尊敬している。
「うん、でも珍しく酔っぱらっているから、気をつけてあげて。」
ジョーにそう言うとジョーは立ち止まり、アタシの頭をなで任せとけって笑った。
ジョーの笑顔なんて久しぶりだなーって思ったけど、さっきのマツの言葉を思い出して気がついた。
ああ、アタシの元気がなかったからだ。
ジョーにも、心配をかけていたんだな・・・。
「ジョー。」
「あ?」
「心配かけて、ごめんね?」
アタシがそう言うと、何の事かわかったらしく。
「ちょっとは、元気出たか?・・・セイカ屋の屋上は風が強いだろ?あんま、長いこといるなよ?」
げ、バレてる・・・。
アタシがビビった顔をすると、ジョーはニヤリと笑った。
「俺に隠しごとなんて、100年早えーんだよ。生まれた時から一緒にいるんだ。遠慮なんかすんな。」
うう。
アタシが何にも言えないでいると、ジョーは満足したようにフッと笑い、歩き出した。
駐車場に着き、キーを出して後部座席のドアを開ける。
乗り込もうとするパパが動きを止めて、アタシ達の方に向き直った。
「マツー。麻実には男がいるけどよぉ。お前とどんな麻実が関係になろうと、麻実の事助けてやってくれるかー?」
え、パパ・・・何言うの?
アタシが吃驚しているのに、マツは平然としていて。
「もちろんです。」
と調子よく答えていた。
まあ、ダチだし?
ダチが困っていたらアタシも助けるし。
そんなことを考えていたら、パパがまだ、マツに念を押していた。
しつこいよ。
だけども、まだ念を押し続けていて。
酔っぱらっているからなーと思って、マツからパパを引き離そうと2人を見たら。
何か、パパがマツに耳打ちをしていた。
何やってんだよって思ったけど、2人の顔が真剣で何も言えなかった。
そしてパパは、アタシを抱きしめ帰って行った。
パパ達が帰った後、アタシはさすがに疲れてしまって、シャワーも浴びずにベッドに入った。
夕方、浴びたしな。
ここのベッドにはもうすっかり馴染んでしまって、横になると睡魔が自然とやってくるようで。
このベッドは一体誰のだろうと考えかけたところで、眠りに堕ちた・・・。
ふと。
体に伝わる振動で目が覚めた。
と、言っても。
意識が浮上したくらいで・・・。
中々、目が開かない。
「麻実ちゃん、目が覚めたか?」
マツの声だと思うけど、いつもと違って、凄く低くて感情の無い声が頭上から聞こえてきた。
「ん・・・・マ、ツ?」
アタシはどうやら、毛布にくるまって横になっているようだ。
「うん、着いたら・・・起こすから。まだ・・・眠ってていいよ。」
どこにって訊きたいけど、眠くて・・・アタシはまた眠りに堕ちて行った。
「麻実ちゃん、着いたよ。起きて。」
マツの声がした。
睡眠の周波が良かったのか、今度はパチッと目が覚めた。
「あれ?ここ・・・横須賀?」
マツに膝枕をしてもらっていたようで、慌ててマツの膝から起き上がった。
「病、院?・・・・何で?」
車はマツがいつも運転している赤い外車ではなくて、運転手つきの黒の社用車だった。
マツが深く深呼吸をした。
何故か嫌な予感がする。
「夜中に、連絡が入って・・・。」
嫌だ、聞きたくない。
「麻実ちゃんの親父さんが、刺されたって。」
アタシは車を飛び出した。
此処は、よく知っている場所。
アタシがいつも入院する病院。
10階建ての10階の左の突き当たりには、アタシがいつも入る特別室があって。
パパの入院だから、きっとパパもそこに入っているはず!
いつもは絶対にしない、二段とびで正面玄関の階段を上がる。
走ると息が上がって、咽が炎症を起こすからいつもは走らないけど。
早く、無事なパパの顔が見たいから。
だから――
突然、腕をつかまれた。
マツの手で。
「そっち、じゃない・・・麻実ちゃん。親父さんはこっちだ。」
なんで、マツ・・・そんなに苦しそうな顔してるんだ?
えぇ?
パパ、アタシにはあんなにいい部屋あてがうくせに、自分にケチってどうすんだよ?
地下の部屋なんて、日が当らなくてジメッとしてねーか?
こんなんじゃ治るもんも・・・あれ?
『霊安室』って・・・。
アタシは膝をついた――
喪主は、アタシだったけれど。
ただ、言われたところに座って、言われた通りお辞儀をしていただけだった。
殆ど、記憶に残っていない。
そして、やっぱり、火葬場から帰ってきた後。
アタシは倒れた。
目を開けると、病院。
いつもの特別室だった。
目の前には。
マダム。
ずっと、ついていてくれたんだ。
腕には点滴。
「すみません。ご迷惑をおかけして。」
マダムに頭を下げた。
マダムは泣きそうな顔をして、首を横に振った。
「ジョー・・・浜田ジョーと、神崎命は・・・どうなったんですか?警察ですか・・・それとも・・・・な、くなたんでしょうか?」
声が震える。
だけど、ちゃんと現状を把握しないと。
あの2人がここにいないってことは、そういうことだ。
「あ・・・ごめんなさい、私、どなたのことかわからなくて。」
「ジョーは、父をあの日迎えに来た人です。ミコ・・・命は、アタシの友達でっ・・・。」
声がつまる。
「あ、あのね。麻実ちゃんのお父さん以外に、亡くなった人はいないわ。主人と、松太郎が後は動いているから、詳しいことは2人に聞かないとわからないけれど。亡くなった人は他にはいないわ。それは、安心して?」
安堵のため息が出た。
だけど。
もう、パパはいない・・・。
アタシの夢も、一つ消えた――
あ、そうだ。
あの人に、知らせないといけない・・・。
原因は、Nローンという近年急に大きくなった金融会社の、土地買い占め計画だった。
横浜のベッドタウンに、横須賀に大量の新興住宅地を作る計画だった。
手始めに、駅前に巨大なショッピングモール建設を計画した。
だけど、駅前にはパパの店が何店舗もあって、パパの仲間の店もあって・・・頑として土地を売らないと言い張った。
パパはいわば、横須賀で夜の商売のボス的な存在で。
まずはパパを崩さないと、土地買収は成り立たないと考えたらしい。
外からどんどん人間が送り込まれた。
色々な嫌がらせも増えた。
娘であるアタシの存在まで公になって。
セイカ屋のパーラーで絡まれたのも、計画的だった。
計画通りに行かなかったのは、アタシが見かけと違って気が強く、攻撃をしたから。
でも、あの時マツが来なかったらヤバかったらしい。
周りには、仲間がいたそうだ。
だから、アタシはマツに預けられて。
弱みも隠したパパは、敵にとっては崩しようがなく。
そして、とうとう――
ミコはパパを刺したやつを取り押さえたけど、過剰防衛で警察に連行されてまだ戻ってこない。
そして、ジョーは。
行方が分からないままだ――
幸せって、一瞬で失うこともあるんだって。
知らなかった。
沢山の数字をプッシュして。
長いコール音が続く。
留守かとあきらめかけた時に、ママは出た。
「パパが亡くなったの。」
伝えると、電話の向こうから戸惑った気配がした。
そして、電話の向こうでは、赤ん坊の泣き声。
「赤ちゃんがいるの?」
そう尋ねたアタシに。
ママは、昨年結婚をして子供が生まれたと告げた。
パパが亡くなって可哀相だけど、自分にはもう新しい家族がいて、何もしてやれない。
高校を卒業したんだから、自分で生きてほしい。
それが、ママの気持ちだった。
大好きだったフランス語が・・・。
嫌いになった。
携帯電話のない、昭和の時代背景ですので、自動車電話やポケットベルを使用しています。自動車電話は、運転席と助手席の間のサイドブレーキの後ろ辺りに設置され使っていました。かなり高額のものでしたので、一般の普及率は低かったように思います。




