第七章 真実(7)
車に乗るよう指示する文隆の姿を見て、健人は助手席に乗り込む。美鈴は運転席の後ろに座った。
「どうして美鈴が居るんだ!?部屋で救急車を待っておけと言っただろ!」
文隆は車を発進させると同時に、美鈴のことを叱責する。どうやら文隆は、美鈴に待機しておくよう指示を出していたようだった。
しかし、美鈴は電話越しに文隆と話していた時とはうってかわって、強い態度で文隆に言い返した。
「本当に健人といいあなたといい馬鹿ばっかり!」
「どういう意味だ!?」
美鈴の言葉に、文隆はアクセルを強く踏んで対抗する。変わりかけた信号を抜けると、文隆は再びエンジンの回転数を落ち着かせた。
「あなたは健人が大変なときに、かすり傷程度で何の手助けもしなくなるの!?そうだとすれば、呆れて物も言えないけど!?」
「な……心配してやったらこれだ」
「誰も心配してなんて言ってないでしょ!?」
車内で行われる喧嘩に、健人は言葉を発することもできなくなる。ただ健人は、文隆の感情の揺れで不規則な動きをする車に恐怖を感じた。
「と、ところで、これはどこに向かってるの?」
「その白い車を探してるんだろうが」
美鈴との言い合いに負けた文隆は、健人の質問に不機嫌そうな様子で答える。ただ、健人にはその答えに疑問を持つことになった。
「でも、今どこにいるか分からないんじゃ?」
「大体分かる。分かるから急いでる」
文隆は当たり前といった様子で説明する。しかし、健人にはその根拠となるものが見当たらなかった。
「その車が見られたって場所、まず遠くへ逃げようとする意図があるなら、あんな場所は通らない。普通は国道か県道に出るか、もしくは高速に乗るだろ」
「人目につくのを嫌がったんじゃないの?」
国道や県道、高速道路は、多くの交通量が予想されて人目につきやすい。それを嫌がって違う道を選択している可能性は十分にあった。
「恐らくそう考えたんだろう。だがな、そう考えていてその道を使ったのなら、運転者は間違いなく土地鑑のない人間だ」
文隆は途中まで大通りを進んでいたが、途中で細い路地に入る。たったそれだけのことで、大通りの信号を回避した。
「それに、人目につかないようにしているはずなのに、道では人に不信感を抱かせるほど暴走している。つまり、連れ去ること以外に目的があるのかもしれない」
「目的?」
「ああ。……それで美鈴、何か心当たりはないのか?お前の旦那だろうが」
文隆は後部座席の美鈴にバックミラーで視線を合わせる。美鈴は少し考えたあと、首を横に振った。
「分からないわ。あの人とはもう何年も会ってなかったし、そもそもあの人とそんなに生活してないもの。一年も経たなかったわ。……あとそれに、もう私の旦那じゃないから!」
美鈴は最後、怒った様子で訂正する。しかし、文隆は聞いていなかった。
「変な男を引っ掛けるからこうなるんだ。人にまで迷惑かけて情けない」
「別にあなたには関係なかったじゃない。勝手に首を突っ込んできて、よくそんなことが言えるわね」
「お前……!」
文隆は再びアクセルを強く踏み込む。健人は二人のやりとりを聞いていて、もはや何も言えなかった。そのため、文隆が大体の場所を分かっていると言っていたことだけを信じて、健人はひたすら外の様子を窺っていた。
「とにかくだ!その車が高速でもなく、国道でもない道を南に進んでいるなら、海岸線の市道を走るだろう」
再び言い合いに負けた文隆は、そうはっきりと断言する。健人と美鈴はそれを信じるしかなかった。
車に乗り込んで十分程、文隆が運転する車も海岸線の市道に出る。ただ、その海岸線の道は車で混雑していた。
「こんな雪の降らない街で、車で逃げようとすること自体間違ってる。ノーマルタイヤで走ってる馬鹿な車で、道は大渋滞だ」
「そうだとしても、こっちだって動けないけど?見つけてから大口叩きなさいよ」
美鈴は何か文隆に恨みでもあるのか、ことあるごとに文句を連ねる。すると、文隆はそれを健人に押し当てた。
「健人、車から出てこの道を走ってこい。その車を見つけたら連絡入れろ」
「な、本当にこの道にいるのか分からないのに?」
「間違いなく足止め食らってる。さっさと見てこい」
文隆は、勝手に健人のシートベルトの開閉ボタンを押して健人を急かす。健人は渋々それに従うことにした。
健人が車のドアを開けると、冷気が一気に襲ってくる。健人はそれに耐えながら、海岸線の道沿いを歩き始めた。
雪は降り止んでいたが、それでも積雪量はふくらはぎあたりまである。歩きにくい中、健人は榛名の心配だけをしながら足を進めた。
突然現れた榛名の父親は、榛名を連れ去るという暴挙に出た。ただそうは言っても、榛名の家庭環境をしっかり把握しているわけではなかったため、何が起きたか考えてみてもそれは推測の域を出なかった。
ただ、榛名が母親として信頼していた美鈴に手を出してまで、その父親が榛名を連れて行ったという時点で、それは明らかに異常なことである。健人はそれだけの根拠のために動いているといっても、間違いではなかった。
道沿いを数分かけて進むも、車列は途切れることはなく続いている。健人はその一台一台に目を通して、春奈から伝えられた情報通りの車を探した。
しかし、多くの車の中から一台を発見することは極めて難しく、車を降りた位置から数百メートル進んだところで健人の心は折れかけた。
靴の中は雪が入って濡れており、足はかじかんで感覚がなくなっている。ただそんなことよりも、ここに榛名がいなかった時のことを考えると、健人は気が気ではなかった。言ってしまえば、春奈が見間違えた可能性さえあるのだ。
十数分歩き続けても、車列は延々と続いている。文隆から連絡も入っておらず、健人は一度車のところへ戻ることを考えた。
しかしそんな時、海岸線の道から少し脇道に入ったところに路上駐車している車に、健人の視線はふと向かった。
健人の目に映っているのは、雪に同化しながら止まっている白のワンボックスカー。ナンバーは春奈が言っていた通り1024である。健人は数秒間立ち止まった後に、小走りに近づいて確認を急いだ。
中には誰も乗っておらず、周囲に人がいる様子もない。車が止まっているのは下町の金属加工工場前で、この日はどうやら動いていないようだった。
健人は再度車を確認して、ゆっくりと人目のつかないところへ移動する。そして携帯を取り出すと、文隆に電話した。
「……とにかく周りを探してみろ。特にその工場が怪しいな。ただ、馬鹿みたいに動き回って気付かれるなよ。すぐに向かうから」
健人が文隆に情報を伝えると、文隆はいつくかの注意事項を伝えて電話を切った。健人も携帯をしまうと、ゆっくりと車に近づく。
健人は、工場を調べようと門をくぐる。門は半開きであったため、健人が横歩きをすれば通れる隙間ではあった。
ただ、健人がそうして工場の敷地に入ったと同時に、工場の前に黒色の車がやって来る。健人はそれに気づくなり、急いで近くの物陰に隠れた。
車の中から出てきたのは一人の男性で、その体格はかなり大きい。その男は車から出るなり、タバコを咥えて工場の敷地に入っていく。男が工場の中に入っていくのを、健人は隠れながら観察した。
男の姿が見えなくなると、健人は大きく息を吐く。一見動いていないように見える工場であるが、中では何かが行われている。健人はそんな臭いを強く感じた。
工場の中の様子を見るからといって、健人も正面から工場に入っていくわけにはいかない。そのため、健人は工場の外側を回って中が観察できる箇所がないかを探した。すると、工場の周囲を時計回りに歩いていた健人は、すぐに施錠されていない窓を見つけた。
健人はその窓をゆっくりと開けて、中の様子を確認する。ただ、見えるのは工場内部の一角だけで、誰かがいるような声や音はしなかった。
榛名がいるのか確認するためには、この工場の中に入らなければならない。しかし、不法侵入という言葉が頭をよぎり、健人は窓の外でためらった。
健人がそうしてしばらく悩んでいると、その場に文隆がやってきた。
「何してる?」
「いや、空いてる窓は見つけたんだけど、本当に入っていいのか……」
健人は心配していることを伝える。すると、文隆は健人を馬鹿にした。
「勝手に敷地に入っておいて今更なんだ。健人は悪ふざけで済まされるかもしれない。だけどこっちは、会社を辞めさせられるだけじゃすまないかもしれないんだから」
文隆はそう言って、そのまま当たり前のように窓から工場の中に入る。健人はそんな文隆を見て、自分も工場の中に入った。
工場は機械が広く場所を占有していて、周囲が見にくくなっている。二人はそんな中で誰かに見つかることがないように、姿勢を低くして音を立てずに移動した。
そして、工場の休憩室近くまで歩いてきた時、二人の耳はその中から人の声がするのを確認した。そのため、二人は休憩室の外側の壁に寄って聞き耳を立てる。
「……しかし、本当に連れてくるとはふざけた父親だ」
「とにかく連れてきた。約束は守ってくれるんだろうな!?」
二人の男の会話が聞こえてくる。ただ、休憩室に人が何人いるのかは確認できない。
「もちろんだ。合計七百万、受領したことにしてやる」
借金の話をしているようで、野太い声の男がもう一人の男に金を貸していたらしかった。しかし、返済された旨の会話がされている。
「それじゃ最後だ。お前の下衆な父親に何か言っておけ」
野太い声の男がそう言った後、何かを剥がすような音が響く。しばらく無音が続いたものの、新しい声が健人の耳に聞こえてきた。
「あなたは私の父親でもなんでもありません。早く何処かに行ってくれませんか!?」
間違いなく榛名の声。健人はそれを確認して強く拳を握った。
「……あの声が言ってた人か?」
文隆が健人に小声で確認してくる。健人はそれに頷いて答えた。
「ははっ、父親じゃないだって。そんなこと言われたままでいいのか?」
「……クソみたいな父親で悪かった。だけど、今回は俺を助けるためだと思って我慢してくれ。これで俺の顔を見ないで済むだろうから」
会話の内容から榛名の父親と思われる男が、榛名と言葉を交わす。借金返済の道具に榛名を使ったその男に、健人は怒りを覚えた。
「それじゃ、俺はもう行く」
「そうかい。愛娘のことは心配するな。俺の店でしっかりとしっかりと育てておいてやる。素直になった時に、一度顔を見に来ればいい」
「……馬鹿言うな」
榛名の父親はすぐに言葉を返す。そしてその後すぐに、部屋の中で誰かが歩き出す音が響いた。健人はそれを聞いて、とっさにどこか隠れる場所を探す。誰かが部屋から出てこれば、健人と文隆の存在はすぐにばれてしまうのだ。
しかし文隆はというと、そんな休憩室も扉の前に仁王立ちで構えていた。
「健人は部屋の中担当だ」
文隆が健人に声をかけた瞬間、休憩室の扉が開く。そして、目の前に一人の男の姿が見えた瞬間、文隆はその男に対して強烈な右ストレートをお見舞いした。
健人は文隆の突然の行動に驚く。それでも、言われた通りに殴られた男の横をすり抜けて部屋に入った。
「なんだクソガキ!」
野太い声の男は、健人の姿を見て叫ぶ。ただ、健人はそんな男を気にせず、そんな男の前で手を後ろに縛られている榛名の心配をした。榛名の不安そうな表情を見て、健人の頭に血がのぼる。
「榛名!」
健人は急いで榛名のもとに駆け寄る。しかし、男はそんな健人の前に立ちはだかると、ゴツゴツとした右手を健人のこめかみにぶつけた。健人は避けられるはずもなく、そのまま横に倒れる。
「健人!」
榛名が健人の名前を叫ぶ。健人はいつかの不良のことを思い出して、情けなく感じた。しかし、今の榛名は縛られているため、健人に手を貸すことはできない。そのため、たとえ視界が大きく揺れていても、健人は立ち上がらなければならなかった。
「榛名から離れろ!」
健人は立ち上がると、姿勢を低くして男に突進する。男の蹴りが脇腹に直撃するも、健人はそのまま男を押し倒した。
「なんじゃ貴様!」
男は健人の髪の毛を掴んで顔を上げさせる。健人は痛みに耐えながら、それでも空いている腕で男の鼻筋を力任せに殴った。
男も健人の顎を殴りつけ、お互いにもつれながら殴り合いを行う。ただ、力では到底健人に勝ち目はなかった。
「健人を離して!」
しかし、そんな時に健人を助けたのはやはり榛名だった。榛名は自由になっている脚を使って、健人に覆いかぶさろうとする男の頭を蹴り上げた。男は未防備だった頭を攻撃されたことで、一度健人の上から離れる。
健人はその時を狙って男の腕を取り、その腕をねじって男をうつ伏せに地面に押し付ける。その後すぐに肩の関節を極めて、男の動きを封じ込めた。
「健人、どけ」
健人が力を振り絞って男の動きを押さえていると、文隆が男の拘束を健人から引き継ぐ。後ろでは、榛名の父親が地面で伸びていた。
健人は男を文隆に任せると、すぐに榛名のもとへ駆け寄った。健人は、榛名の腕を縛っている紐を丁寧に解いて取り払う。
「大丈夫だった?」
「……健人!」
健人が榛名の様子を確認しながら尋ねる。しかし、榛名はそれに答える前に健人に抱きついた。
「健人が来てくれたので大丈夫でした。……でも、すごく怖かったです」
榛名は声を震わせる。健人の首に回している腕も小刻みに痙攣していた。
「榛名!?」
健人と文隆が力で解決した直後、美鈴が慌てて入ってくる。そして部屋の状況を見て唖然とした。
「美鈴、警察に電話だ。お前の旦那、この子を借金返済の道具に使おうとしていた」
文隆は野太い声の男の上に乗りながら、地面に倒れている榛名の父親に視線を向ける。美鈴は、一瞬その姿に視線を向けたものの、すぐに見なかったふりをした。
「旦那じゃないから!……榛名は?大丈夫なの?」
美鈴は榛名のもとに急いで駆け寄る。しかし、健人に抱きついている様子を見て、美鈴は苦笑いを浮かべた。
「早く警察に電話しろ」
「分かったわ」
美鈴は渋々自分の携帯を取り出す。健人は頃合いだと思って、榛名から離れた。
「俺が電話しますんで、美鈴さんは榛名をお願いします」
健人はやや強引に美鈴から電話を受け取ると、美鈴を榛名の方へ少し押す。美鈴は少しためらった後、それでもすぐに榛名を抱きしめた。
健人は携帯を持って部屋の隅に移動する。そして、警察に電話をかけて状況を伝え始めた。ただそんな中で、文隆と美鈴は状況もわきまえずに喧嘩を始めた。
「誰がこんなに殴ったの?」
美鈴が榛名の父親を横目に文隆に質問する。
「俺だ。相手が何してくるか分からなかったから」
「それであなたが逆に捕まるってこと考えなかったの?」
「……正当防衛だ」
文隆は苦し紛れにそう口にする。ただ、それが適用しないことは言うまでもなかった。
「あのね、もっと穏便に解決しないとダメよ。榛名に何かがあってからじゃ遅いんだから」
「なんだその言い草は!俺はお前が暴力振るわれたって聞いて、わざわざこんなことまでしたんだ」
「私は別に仇を討ってとか言ってないでしょ?」
美鈴は榛名のことで安心できたからか、文隆らの解決方法に文句をつけ始める。健人はその会話が電話に入らないように努力した。
その後、連絡を受けた警察がやってきたのは、かなり時間が経ってからだった。警察車両も大雪と渋滞に阻まれたらしいのだ。
またその日、健人と文隆は、案の定警察から注意を受けることになった。例え緊急時であったとしても、不法に工場へ侵入したことは紛れもない事実である。そのことについて、親子できつく絞られることになった。
しかし、美鈴が事態の緊急性と複雑さを説明したため、結局大きな罰は回避することになった。健人としては、榛名が無事だったことだけで満足だったが、美鈴の行動にも感謝した。
榛名の父親ともう一人の男は、二人とも警察に逮捕されることになった。営利目的の誘拐の容疑ということで、これから二人は罰を受けることになる。榛名の内心は複雑かもしれないと健人は感じた。
どんなに何年も会っていなかったとしても、父親がこのような結果になってしまったことに衝撃を受けないはずがない。ただこのことで、健人が榛名に何かしてやれることは何もなかった。
こうして、榛名が父親に連れて行かれるという事件は幕を閉じた。しかし、健人はこの時点ではまだ、本当に大切なことについて解決できていなかった。




