第七章 真実(6)
ついに約束の日がやってきた。健人は緊張のため、ほとんど寝ることなくその日の朝を迎える。
二学期期末テストを終えた日の放課後、健人は榛名にお願いして美鈴と会わせてもらうことを申し出た。ある程度の準備ができたため、健人から打診したのだ。
榛名は頷いて了承し、その日の夜には日程を健人に提案した。言い出したのは健人であったが、榛名からの連絡を待つ間、落ち着くことはできなかった。
その日から一週間後には、テストの上位者が張り出された。健人はそれを見ていなかったが、健人の順位がかなり落ち込んだことと、春奈がいつも通りの順位に落ち着いたことを噂で聞き入れていた。
健人自身、テストの結果に一喜一憂するほど余裕がないため、今はテストに興味のかけらも存在しない。しかし、感情の揺れが些細なことに反映されると、健人は自分のことを新しく理解することになった。
守はというと、大林の努力によって補習を免れることになった。さすが学年一位と言うべきか、守の今回の成績は母親が泣き出すほどだったという。
周囲では喜ぶべきニュースやいつも通りの話が飛び交っている。そんな中で、健人ほど落ち着かない人間は、少なくとも西高にはいないはずだった。
それから時間はあっという間に過ぎた。そして、健人はこの日を迎えてただ緊張していた。
予定されている時間は、前回と同様正午過ぎとなっている。ただ、健人は窓の外の風景を見て、少し早めの行動を考えていた。
この日、再び大寒波が東宮だけでなく各地を襲っている。テレビの内容も、全局これでもちきりだった。
鉄道が止まるだけでなく、高速道路も軒並み通行止めとなっている。早朝には、健人の家の近くでもスリップ事故があった。
健人は着替えだけを簡単に済ませて、暖房を入れた部屋の中で外の様子を眺めて待機する。今のところ榛名から連絡はない。そのため、予定が変わることはないと健人は判断するしかなかった。
健人が起きてから二時間、雪は勢いが衰えることなく降り続いていた。東宮は豪雪地帯ではないため、積雪はせいぜい脛あたりまでとなっている。とはいっても、被害は無視できないものだった。
そんな中、健人に連絡が届いたのは、健人が家の前の雪かきをしようと思い立った時のことだった。
電話の着信音を聞いた健人は、携帯の画面を見て相手が榛名であることを知る。時間はまだ十時過ぎだった。
「もしもし」
健人はこの電話をある程度予想していたため、半分喜びながら電話に出る。しかし、電話の向こうから聞こえた声は、榛名のものではなかった。
「あ、健人!?榛名の母の美鈴だけど……」
突然、やけに焦った様子の美鈴の声が届いてくる。健人は不思議に思いながら、美鈴の応対を行った。
「どうかしたんですか?……榛名は?」
「今から急いで家に来てくれない!?大変なことが起きたの!」
「何があったんですか!?」
美鈴の慌てた声につられて、健人の声も裏返る。しかし、美鈴はそんな健人に語気を強めた。
「詳しいことは後!早くしてくれる!?」
「は、はい!」
美鈴に叱責され、健人は訳も分からず準備しておいた小物を手に取って部屋から飛び出す。その間も携帯電話は繋がったままである。
健人は急いで靴を履くと、そのまま玄関から飛び出す。施錠する時間さえ惜しんで、健人は雪で覆われた道を走った。
「それで、一体何事ですか?」
健人は足元に注意しながら道を急ぐ。新雪のおかげで、道が滑って動けないという事態は免れている。
「文隆さんは仕事!?」
「はい。朝からいつも通り。……それで何があったか早く説明してください」
健人がこんなに急いでいる理由は、勿論榛名が心配だからである。榛名の携帯と電話をしているのにもかかわらず、榛名の声を聞くことができない。そんな状態に健人の胸は騒いだ。
「榛名の父親がいきなりやって来て、強引に榛名を連れて行ったの!私に暴力を振るった後すぐに出て行ったから、どこに行ったか分からなくなってる!」
美鈴が焦りながら伝えてきた内容。それは耳を疑うものだった。美鈴はかなり動揺しているようで、健人に説明した後は訳の分からないことを呟いている。
健人もその混乱に飲み込まれそうになる。しかし、一度冷静になって健人は美鈴に質問を行った。
「警察に連絡は?それってつまり、誘拐みたいなものなんじゃ?」
「ええ、そう。私はそうだと思ってるけど、でも相手は榛名の父親だから!周りからはおかしなことのように見えないんじゃない!?」
美鈴はかなり声を大きくして健人に話をする。健人はそれを聞きつつ、美鈴の状態も心配になった。
美鈴の言っていることは、決して間違っていることではない。ただ、それだけに美鈴の声は震えていた。父親であれば、最悪どんなに強引な手を使って榛名を連れて行っていても、それが容認される可能性があったのだ。
「とにかくすぐ着きますから!」
健人は体に積もっていく雪を気にすることなく走り続け、家を出て数分で榛名の住むマンションに到着した。美鈴にオートロックを開けてもらうと、以前訪れた記憶を手繰って部屋に急いだ。
「大丈夫ですか!?」
靴が引っかかって半開きとなっているドアを、健人は最後の力を振り絞って開け放つ。玄関には、整頓されていたであろう靴が無造作に転がっていた。
「美鈴さん!?」
健人は靴を脱ぎ捨てて部屋の奥へ進む。対する美鈴は、ダイニングの椅子に座り込んで健人を待っていた。美鈴の頭からは血が流れている。
「ちょっ!?血が出てますよ!」
健人は急いで近くに落ちていたタオルを手に取り、それを美鈴の頭に持っていく。しかし、榛名はそんな健人の手を押しのけた。
「私のことはいいから!とにかく榛名のことをお願い!」
美鈴は目に少しの涙を浮かべて健人に詰め寄る。ただ、今の健人にできることは美鈴の応急処置くらいだった。
「やっぱり警察に電話しましょう。榛名のことはグレーだとしても、傷害は完全に黒です。あと、救急車も呼びますから」
今の状況は到底一人で対処できるものではない。そう考えた健人は、警察に電話をするために自分の携帯を取り出した。
しかし、美鈴はそんな健人の腕を掴んで、その行動を制止させた。
「待って!それじゃあ、先に文隆さんに電話して!」
「……いいですけど、父はおそらく仕事で出られませんよ?」
「いいの!留守電にでも伝言入れるだけでいいから!」
美鈴は健人に詰め寄って、厳しい形相で指示を出す。健人は仕方なく携帯の電話帳を開いて文隆の電話番号を探した。しかし、その途中で健人の携帯に着信が入る。
相手は春奈だった。
「もしもし」
時間的な余裕があるわけではない。しかし、電話に出ないわけにもいかず、健人は焦り気味に携帯を耳に押し当てた。
「あ、健人?ちょっといい?」
「悪いけど、いま時間ないんだ。後でいいか?」
健人は春奈に断ってから、親指を通話終了ボタンに向かわせる。しかし、春奈は少し口調を荒くして健人に言い返した。
「待って!何を急いでるのか知らないけど、私も私でちょっと焦ってるの!」
「なっ!……分かったから、早く済ませろ」
健人は電話一つ切ることのできない自分を責めながら、春奈に話をするよう伝える。すると、春奈はやや早口気味に話し始めた。
「さっきのことなんだけど、スーパー名塩の裏の道を私歩いてたの。そのときにね……なんていうのかな、大きな白色の車が前から凄いスピードで走ってきたの。今日、こんなに雪が降ってるのに!」
「それで?」
「ワンボックスって言うんだっけ?私車には詳しくなくて、会社とかは分からなかったんだけど……」
春奈は電話の向こう側で考えているようで、時間をかけて自分が見た車の表現方法を探している。しかし、健人はそんな春奈にイライラした。
「車の話をわざわざ?それだけなら切るぞ!」
「待って!重要なのはそれからで、実はその車にはっしーが乗っていたみたいなの」
「……えっ?」
健人はしびれを切らして電話を切るつもりでいた。しかし、そんな中で春奈から伝えられた情報はあまりにも唐突で、健人の思考を停止させた。
「健人、時間ないよ!誰と話してるの!?」
健人の隣では、美鈴が電話で話し込む健人を叱責する。ただ、そんな美鈴の言葉は、健人の耳にすら入っていなかった。
「それで!?その車はどこに行ったんだ?車種は?ナンバーは?」
「だから車種なんて分からないって!白色の大きな車!五十代くらいのおじさんが運転してて、はっしーみたいな人は後部座席にいたんだ思う。車が通り過ぎた後に私が振り返ったら、後ろの窓にはっしーの顔があったから。行き先は分からないわ。……でも南に行ってた」
健人が焦っているためか、それが伝播して春奈も慌てる。健人はとにかく自分を落ち着かせるためにも、何度か深呼吸をした。
「ナンバーは分からないのか?」
「確か1024だったと思う。二の十乗だったから覚えやすかったの。それで?はっしーに何かあったの?あれって誘拐とかそんなの?」
春奈は心配そうな声で健人に尋ねる。しかし、詳しいことを話している時間はなかった。
「心配しないでいい。ちょっと色々あっただけだから。詳しいことはまた後で話す。とにかく電話ありがとう」
「う、うん」
健人は礼だけ伝えてから、春奈との電話を切る。そしてすぐに文隆の携帯に電話をかけた。
「それで?さっきは何の話してたの?」
美鈴は気になっている様子で健人に尋ねてくる。健人はコール音を聞きながら、簡潔に説明した。
「榛名が乗ってると思われる車を、俺の友人が見てたみたいです。……あっ、やっぱり出ないか」
留守伝の案内が聞こえてきて、健人はそれに従って伝言を残す。今の状況に加えて、春奈から伝えられたことも全て吹き込んだ。
「まずは救急に連絡しましょう。怪我のことがありますから、放っておくのは良くないです」
「でも……」
美鈴は健人の言葉になおも抵抗感を示す。しかし、健人はそんな美鈴の意見を反映させることなく、はじめに救急に電話をかけようとした。
ただその瞬間、健人の携帯に再び着信が入る。それは文隆からで、健人はそれに急いで出た。
「健人?あの留守電はなんだ?」
「そのままの意味。とにかく、美鈴さんが頭から血を流して怪我をしてるから、救急車を呼ぼうとしてる」
「そうか……美鈴は喋られそうにもないのか?」
電話越しの文隆の声は、かなりのノイズに阻まれている。健人はそれを不思議に思いながら、文隆の質問には答えた。
「いや、見た所血が出てるだけでそれ以外は何も。だけど、場所が頭部だから」
外傷がほとんどなかったとしても、脳が影響を受けている可能性は否定できない。健人はそのことを心配していた。
文隆は留守電の内容と今の健人からの情報を聞いて、少しばかり黙って考える。そして、健人が不思議に思って声をかけようとした時、文隆は指示を出した。
「警察と救急への電話は美鈴自身にさせろ。健人は表に出てこい」
「でも……」
「ちょっと美鈴と電話代われ」
文隆が何を考えているのか分からず、健人は不信感を抱く。しかし、事態がかなり深刻であるため、健人は素直にそれに従って携帯を美鈴に渡した。
美鈴は携帯を受け取ると、それを耳に押し当てて文隆の話を集中して聞いていた。何度か美鈴が不満を漏らしていたが、話は一分とかからずに終わった。
最後は文隆の方から電話を切ったようで、美鈴はゆっくりと耳から携帯を離した。
「親父はなんて?」
「……怪我は心配ないって言ったら、二人とも出てこいだって」
「大丈夫なんですか?俺は動かない方がいいと思いますけど」
健人は美鈴のことを心配する。しかし、健人のそんな言葉に美鈴は強く言い返した。
「あのね、榛名は私の大切な娘なの!私が動かないで誰が動くの!?」
「………」
美鈴はそう言い放って、玄関に向かう。健人は、美鈴の正論の前に何も言い返せなくなった。健人が榛名を心配する以上に、美鈴は榛名を心配しているはずだったのだ。
美鈴が先導する形で、二人はエレベーターを使ってマンションから出る。外は銀世界が広がっており、駅前であるにもかかわらず他の人の姿は見られなかった。
「来たみたい」
健人が周囲の状況を観察していると、真っ白な視界の中から一つの光源が近づいてきた。ヘッドライトを点けた車は、そのままマンションの前に止まった。




