第七章 真実(3)
いつもより早く学校に着いてしまった健人は、席に体を預けて時間を過ごしていた。守が来るまで、健人には特に話す相手がいない。守に話す内容があるわけでもなかったが、クラス内の生徒がほとんど女子であったため、健人は居心地悪く感じていた。
そんな女子の中には、二人の「はるな」の姿もある。テストのときは関係が悪かった二人であったが、今はかなり仲が良くなっているように健人には見えた。ただ、女子の世界は健人の理解の範疇を超える。健人が見ているものが事実なのかどうかは、健人の知るところではなかった。
守や一部の学生がいないだけで、教室は別世界のように静かである。そのため、するつもりはなかったものの、健人はクラス内の会話を勝手に耳にしていた。
「はっしー、今日はえらく調子が良いみたいだけど、何かあったの?」
健人の耳が、春奈が榛名に質問をしている様子を聞き取る。すると、周囲の女子もそれに同調した。
「いえ、特に何もなかったですけど?」
榛名は即座に否定の言葉を述べる。しかし、春奈らは全く信じていなかった。
それもそのはずで、榛名の声はいつもになくハキハキしており、健人でも違いが分かったのだ。健人も知っていたことだが、榛名は健人と同様に隠し事をするのが下手だった。
「嘘は良くないですよ?……匂いますね、私には分かりますよ!」
榛名の隣に立っていたクラスメイトの佐伯が、実際に顔を榛名に近づけてそう口にする。榛名は苦笑いを浮かべて対応に困った。
このようなやり取りを見ていると、健人は榛名とその他の女子が全く違うものだと感じた。榛名は東京から来た人間であるが、その他の全員は関西の人間である。その差というものが如実に表れていたのだ。
「あれ?本当にいつもと違いますね。……シャンプー変えた?」
「な、なに?」
佐伯は本当に、榛名のいつもと違う箇所を見つけて悪い顔をする。健人としては少し気になるところであったが、それよりも今の榛名の状況が心配だった。
「やっぱり何かあったんだ?」
「だから何も……」
「まあ、はっしーが口を割ることはないよね。……じゃ、もう一人の当人に聞いてみようかな」
「えっ!?」
春奈の一言が榛名に突き刺さる。そして、榛名は言葉になっていない声を出して焦り始めた。同時に、健人も心の中で嫌な想像をしてしまう。春奈の魔の手が伸びているような気がしてならなかったのだ。
ただそんな時、二人に救世主が舞い降りた。
「あれ?健人がこんなに早く来てるなんて、何かあったか?」
近づいてくる春奈のものと思われる足音を聞いていた健人は、突然の守の声に喜びを隠せなくなる。そのため、すぐに守にすがった。
「そ、そうなんだよ!今日は寒かったからな」
先程まで机に突っ伏していた健人が突然起き上がったことから、春奈ら一同は健人に疑いの目をかける。しかしそれ以上に、守に対して非難の声が上がった。
「本当に守は空気が読めないね。逆に尊敬するわ」
守は教室の中程まで歩いてきたところで、突然春奈に罵倒される。その後ろでは、佐伯を含む他の女子も大きく頷いていた。守は唐突なことに呆然とするしかない。
「なんで俺、こんなに言われてるの?」
「……さあ?日頃の行いじゃないか?」
健人は何も知らないことを装って守に声をかける。すると、守はその言葉を聞いて健人に近づいて背中から抱きついた。
「いやぁ!やつぱり俺のことを分かってるのは健人だけだ。ずっと一緒に居ような!」
「やめろ!気持ち悪い!」
健人から嫌味を言われていたことにも気付かず、守は嬉しそうに言葉を並べる。健人はそれに必死に抵抗した。
「ちょっと、はっしー!大野君が穢されそうだよ!」
佐伯は守の奇行を見て、焦って榛名に言葉をかける。榛名はそんな様子を馬鹿を見るような目で眺めていた。
「失礼な!人を何だと思ってる」
守が佐伯に対して文句をつける。しかし、佐伯はそんな守を完全に無視した。
「それで?実際のところどうなのよ?」
「何がだ?」
春奈は守を見えないもののように扱いながら、健人に尋ねる。しかし、榛名が隠そうとしていたために、健人もその意思を継ぐことにした。
「何もない。逆に何があったと思ってるんだ?こんな寒い日に……」
「寒さは関係ないでしょ……?」
「……何の話だ?俺も混ぜろって」
三者三様、会話が噛み合っていない状況。最初に折れたのは春奈だった。
「ま、私たちが知ることもないか。……私の予想ではキスでもしてたと思ったんだけどな」
春奈は残念そうに笑う。ただ、健人と榛名はその言葉を聞いて、同時に肩をビクつかせた。春奈はそれを見て、二人をまじまじと観察する。
「カマをかけるとすぐに教えてくれますね。二人とも、もう少し隠すの上手にしないと、本当に知られたくないことも私みたいな人が知って言いふらしちゃうかもよ?」
「えっ!健人……そうなのか!?」
守るまで驚いて健人に尋ねる。健人にはもう、言い返すだけの気力は残っていなかった。
「で、でも……」
春奈のペースで会話が進む中、榛名がついに声を出す。その場の全員は、榛名の方を注目した。
「こんなこと別に普通だと思います。……ですよね、健人?」
「えっ!……あ、そうだな。俺もそうだと思う」
突然話を振られた健人は、とりあえず榛名に同調しておく。普通かどうかなど、健人が判断できるものではないのだ。
「やっぱり東京の人は違うなぁ。だって何年も片思いを続けても、手を握ったことさえない人だっているのに。そうだよね、春奈?」
「どうして私に話を振るの?」
佐伯が榛名の言葉を聞いて、逆に意地悪い表情を春奈に向ける。春奈は少し頰を痙攣させるだけで、否定も肯定もしない。また、佐伯が何のことを言っているのか分かっていなかったのは、この場で健人だけだった。
「春奈は良い人なんだからさ、きっと良い人いるって」
佐伯は他人事のように軽く声をかける。ただ、春奈の内心が穏やかでないことは、佐伯も理解しているはずだった。
「何か癪にさわるわね。ストレス発散のために、私も面白い話しておこうかな」
「何故俺を見る!?」
春奈が今まで蚊帳の外だった守に視線を向けたことで、守は少し身を引かせる。健人にはどうすることもできなかった。春奈の性格は、健人も守もよく知っている。そのため、負けず嫌いな春奈が守を餌食にしようとしていることを、二人はすぐに理解した。
「早織から聞いた文句なんだけど、先週の土曜日に二人でデートしたんだってね?」
「ああ……」
「え、狭川付き合ってたの?」
佐伯は最初の段階で驚く。ただ、何も知らない人にとっては、仕方のないことだった。
「なんかその時に、凄いことをしでかしたそうね」
「べ、別にそんな褒められるようなことは……」
守は考える素振りを見せる。しかし、どうやらすでに思い当たる節を見つけていたようだった。
「私もこの話を聞いて有り得ないと思ったわ」
「なになに!気になる!」
一番被害を受けていない佐伯は、ただ純粋に好奇心を隠せないでいる。春奈はもったいぶることなく話を続けた。
「守のことをこんなに溺愛してくれる人は、多分早織が最初で最後なのに、守はこの前のデートで見ず知らずの女の人とずっと手を繋いでたんだってね?」
「それは一体どういう状況だ?」
健人は訳が分からず質問する。例え守であっても、早織の前で堂々とそんなことをするはずがなかったのだ。
「人で混み合ったところに行った時に、守が間違えて知らない女の人の手を握ったんだって」
「……でもそれくらい良いじゃん。不満は持つだろうけど、怒るほどじゃないと思うけど?」
思っていたほど大きな話題ではなかったためか、佐伯は残念そうな表情を浮かべる。しかし、春奈はそこからさらに話を続けた。
「別にそれだけなら早織も怒らなかったと思うわ。だって守と付き合っているくらいなんだから、そんなことで怒ってたら身がもたないでしょ。でも話はそれから。間違えて握った手を早織だと思って、ずっとそのままだったんだってね?」
「相手も相手だと思うぜ。だって知らない人に手を握られて何も言ってこないなんておかしいだろ?」
守はとっさに自分を擁護する。健人は守が悪いという認識を保ちつつも、その理屈は間違っていないと感じた。
「……でも、例えば痴漢された時とか、怖くて声出ないですから。その時、その人もそうなったんじゃないですか?」
榛名は一つの可能性を示す。すると、春奈はそれに大きく頷いた。
「そうなのよ。早織もそんなこと言ってたよ。守が気付いて謝った時に、早織も必死に説明したって言ってたから。早織の話では、やっぱり守は痴漢だと思われていたみたい」
「そうだったのか。気付かなかったなぁ」
当事者の守は、まるで他人事のように口にする。しかし、健人は次第に守のことを擁護できなくなっている雰囲気を感じた。
「でも話はこれからよ。その後の守、一体どうしたと思う?」
春奈は話を盛り上げて、最後はその場の全員に問題として尋ねる。
「まあ、普通は謝ってちゃんと手を繋いであげるんじゃない?」
「そうですよね」
佐伯が放った言葉に榛名が同調する。すると、守の顔は目に見えて青ざめていく。
「でもこの男、早織に謝りもしなかったんだって」
「それは最悪だな」
健人は考え方を改めて守を非難する。他の女子の目も、かなり冷たいものになっていた。
「それに!その後早織と手を繋ぐこともしなかったんだってね?」
「いや、それは……怒ってると思ったから」
「言い訳するなんて。その早織って人、どうしてこんな奴を好きになったの?」
佐伯の言葉が強く守に突き刺さる。守は言い返すことができずに黙り込んだ。
「ちゃんと謝っておけよ?流石にそれはひどいと、俺でも思った」
「そうです。謝るべきです」
榛名でさえ、春奈とは対照的にではあるが優しく提案する。守はそれを聞いて大きく肩を落とすことになった。
「本当に……どっちつかずの態度をとって逃げようとするなんて、情けなくて話にならないわ。……そう思うでしょ、健人?」
「え……そうだな。そうだと思う」
健人はとりあえずといった感じで頷く。しかし、その後すぐに、健人は春奈の言葉の意味を理解した。
春奈が本当は守のことではなくて、どっちつかずの態度を示していた健人のことを話していたと気付いた時には、すでに授業が始まる直前だった。




