第一章 「はるな」(2)
「健人、おはよう」
学校に到着した健人は、守に声をかけられる。守は健人の登校を正門前で待っていたようだった。
「ああ。……どうした?」
「どうした、じゃねーだろ!?」
守が正門前で待っていた理由を健人が尋ねると、守は健人を肘で突いた。健人は守の様子を気持ち悪く感じる。
「なんかお前きもいぞ?変なものでも食ったのか?」
「ちげーよ!進展があったか聞いてんだって」
守は周囲を意識しながら健人に尋ねる。進展が何を意味しているのか、健人は瞬時に理解する。
「ないよ。というか、あんなインチキをまだ信じていたのか?」
健人は守を馬鹿にするように話す。ただ、健人がそう突き放した理由は、守がこのことを言いふらさないようにするためだった。昨日のことが守の口から春奈に伝わってしまえば、昨日健人が隠し通した意味がなくなってしまう。
ただ、守は昨日のことを信じて疑っていないようだった。
「昨日家に帰ってから思ったんだけどさ、やっぱり正しいって。俺には相手がいないっていうのが、やけに正しく思えてきたんだ」
守は自分が受けた占いの結果も踏まえて、占いの信憑性を訴える。しかし、健人は守が可哀想だと感じるだけだった。守は夢さえ見せてもらえなかったのだ。
「くれぐれもこのことをペラペラ言いふらすなよ。特に新しいクラスになっていきなり噂が立つのは嫌だ」
「健人は嫌がってるけど、春奈ちゃんは喜ぶかもよ?」
「馬鹿言うな。このことを吟味する上でも、今は時期が早い」
健人は思ってもいないことを理由にして、守を納得させようとする。占い師の言ったことは、ただのでまかせ。考えるに値しないと健人は切り捨てる。
「了解だって。でもさ、何かあったらこの俺にまず言えよ?俺の犠牲の上にお前の結果があるんだから」
「分かったからでかい声で言うなって」
春奈は今日、始業式の設営に駆り出されて、今は体育館にいるはずである。春奈が所属する女子バレー部やバスケットボール部など、体育館競技の部活が設営作業を行うことになっているのだ。
「さて、式が終わればクラスの発表。この結果も当然、占い師の言っていることが正しいかを見極める要因になるわけだからな……」
守は楽しみにしている様子で、今は何も貼られていない掲示板の前を通り過ぎる。式が終われば、ここにクラスのメンバーが張り出されることになっている。
「そうはいっても、ランダムだしな。クラスは全部で六クラスあるから、可能性は低いと思う。昨年度は同じクラスだったし」
「またまたそう言ってフラグを立てやがって。でも確かに、本当の運命の人なら、一回のクラス替えで一緒にならなくったって関係ないと思うけどな」
「そんなことを言い出したら、見極めるとか関係なくなるだろ」
守の言い分では、どんな結果になっても占い師が正しかったと言いかねない。健人はしっかりと今のうちに牽制をかけておいた。
「まあ、去年なんて関係ない。三十六分の一の確率を当ててくれればいいんだからな」
「六分の一だ、馬鹿」
守の頭の悪さは学年で一、二を争っている。健人はそのことを身にしみて感じながら体育館へ向かった。
式は四十分弱で終わった。その後、学年ごとに動いてそれぞれ掲示板に張り出されているはずのクラスを確認しに行く。守と健人も雑踏が解消された後に自身のクラスを確認した。
「あったぜ、俺はA組だ。健人もAだぜ」
守が先に自分の名前を見つけて、健人に報告する。健人と守の名字は大野と狭川とすぐ近くなため、同時に発見される。
「先生方もよく分かってらっしゃる。俺のお守りは健人にしかできないってことをな!」
「きもいこと言うな。さっさと行こう」
健人はそう言いつつも、内心親友と同じクラスで安堵する。これでまず、健人の新年度の悩みの種は一つ消えた。
ただ、守はまだ掲示板を睨みつけていた。
「何してんだ?」
健人は不思議に思って守の横に戻る。すると、守は突然肩を震わせつつ笑い始めた。
「やっぱり間違いなかった。……これを見てみろ!良かったなぁ、春奈ちゃんと同じクラスだぜ!」
守が喜びながら一点を指差した。そこはAクラスの欄であり、春奈の名前がしっかりと記されていた。
「まさか。さすがに俺と守と春奈がまた一緒って……あり得ないだろ」
「だから言っただろ、三十六分の一なんだって!」
守は嬉しそうに口にする。しかし、健人の内心は穏やかではなかった。占い師の言葉とこのことは、結びつけるには関係がなさすぎる。ただ、このクラス替えの結果も占い師の正当性を吟味する要因の一部とするのであれば、軍配は確実に占い師の方に上がっていたのだ。
「偶然だろ?偶然」
健人は守にそう言い、一人教室に向かう。しかし、健人はこれから起こるもう一つの偶然をまだ知らなかった。
2年A組には多くの学生が集まっていた。それぞれ去年と同じクラスだった人と会話をしたり、新しいクラスになった者同士で話がされている。健人はというと、席が真後ろの守と会話をしていた。
「担任は黒田って書いてあったけど、何してんだ?黒田って授業に遅れたりしたことあったっけ?」
「いや、去年はなかったな。先生の中では信頼を置いている人なんだけど」
黒田は西高で数学を教えている女性教師である。三十代半ばを迎えようとしているものの独身なため、生徒に気の毒と思われている悲しい教師だった。
「合コンでも入ったんなら許してあげるか」
「なんで平日の朝っぱらから合コンするんだよ。……まあそうだとすれば、許すというか、むしろ行ってもらわないと困るけど」
健人と守がそんな話をしていると、黒田は急いだ様子で教室にやってきた。予定よりも数分遅れている。
「皆さん座ってください」
決して圧力のある口調ではなく、弱々しい声が教室に届く。ただそれでも、全員は大人しく席に着いた。
「遅れてすみませんでした。私が今年このクラスの担任を務めることになった、黒田岬です。数学でまた皆さんの前に立つと思います」
黒田が一通り自己紹介を済ませる。すると、クラスからは惜しみない拍手が送られた。自己紹介だけでこれだけの拍手をもらえる教師はそういないと、健人自身も拍手をしながら感じる。
「遅れた理由なんですが、このクラスに今日から一緒になる転入生がいます。そのことでちょっと手間取ってしまいました。では、早速入ってきてもらいましょう」
黒田は一人勝手に話を進めると、再び廊下に出て行った。突然のことでクラスは騒がしくなる。
「転入生なんてクラス発表のときにあったっけ?」
「細部まで見てないからなんとも言えない。それに、一年経ったけどこの学年の全ての名前を把握してるわけじゃないから、書かれてても気づかないだろ」
守の問いかけに健人が答える。ただ、よくよく考えてみると健人の前の席は不在である。もしかするとここに転入生が入るのかもしれないと、健人はふいに思った。
「はい、皆さん静かに!」
黒田の指示の後、黒田の後について一人の学生が教室に入ってくる。その姿を見てクラスがどよめいた。
「女子じゃねーか。それもふざけてるほどの美人ときた。聞いてねーぞ!」
守が発狂気味に健人の耳元で騒ぐ。
「うるせぇ!お前には関係ないだろ!」
健人は守を黙らせる。ただ、守が黙っても周囲は五月蝿かった。
「こら!黙って下さい!」
健人は黒田の唇を見てそう言ったのだと解釈する。黒田の声はクラスの騒めいた空間でかき消され、もはや何も聞こえていなかったのだ。ただ、クラスの前の席から静かになり始めたことをきっかけに、伝播的にクラスは静かになった。
「えっと、じゃ名前を黒板に書いてくれるかな?その後に自己紹介してね」
黒田が転入生に指示を出す。すると、転入生は長い黒髪を揺らして黒板の方に向き、綺麗な文字をそこに書いた。クラスの男子一同は、どこに目を奪われていいのか困惑する。
健人も転入生の容姿が綺麗だと思ったが、それでもそこまで敏感に反応することはなかった。今の健人の頭を巡っていることは、占い師の言葉である。転入生にまで意識を向けられるほど健人に余裕はなかったのだ。
しかし、転入生の自己紹介を聞いて、健人はクラスの誰よりも驚くことになった。
「遠藤榛名です。東京から来ました。これからよろしくお願いいたします」
榛名はそう自己紹介して深くお辞儀する。クラスはそれを拍手で迎え入れたが、健人はそんな榛名から視線を外せないで固まった。
黒板に書かれた名前を見ても、健人は再び名前の読みを確認することはできない。漢字に弱い健人は下の名前が読めなかったのだ。すると、後ろから守が健人をフォローする。
「珍しい名前だな。あの榛名って名前、旧帝国海軍の戦艦名と一緒だ。前にゲームで出てきた」
「そ、そうなのか?あれではるなと読むのか?」
「多分。てか、さっきあの子そう言ってたぜ。……なんだ?一目惚れしたのか?」
守は健人のことを冷やかす。しかし、守は根本的なことを忘れてしまっているようだった。健人は仕方なく守の手の平を抓って、本質である占いのことを伝える。そうして、ようやく守も理解した。
「マジかよ!!」
守の声は教室中に響く。健人が制止する前に、クラス全員の視線が守に集まった。
「……いや、何もないっす」
守は小さく呟くと頭を垂らす。クラスは守の声だったと理解すると、すぐに注目を転入生の榛名に戻した。
「俺はてっきり春奈ちゃんのことだと思っていたぜ」
「もういいって喋んな」
「いやいや、この狭川守。こんなにも興奮したのは初めてだ」
守は自分を抑えられない様子で、独り言を続ける。健人は最終的にそんな守を無視して、榛名の観察に移った。
確かに自己紹介では「はるな」と言っていた。ただ、偶然である可能性は十分にある。そもそも、榛名と健人は知人ですらない。東京から来たという榛名と占いの言葉を関連付けることは、どうしても無理があるように思われたのだ。
しかし、占い師が「はるな」という名を出したことは事実である。そう考えると、たとえでまかせに「はるな」という名を選択していたとしても、占い師は尊敬に値した。
「じゃ、そこに座ってくれる?」
黒田が榛名に対して席の場所を伝える。榛名の席は案の定、健人の前だった。
榛名は席までやってくると、わざわざ健人に会釈をしてから座った。健人はどう返せばいいのか分からず、ぎこちない笑みを浮かべて終わる。
全く想像もしていないことが起きた。健人はそう考えて、悪い夢を見ているのではないかとさえ感じる。
クラスに「はるな」が二人いるという状況で、健人の新学年は始まることになった。