表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/38

第六章 秘密(5)

「あの、ずっと親父のことを話に出してますけど、こっちに来てから親父には会ったんですか?」


「いいえ、会ってないわ。それどころか、私がこっちに戻ってきたことさえ知らないんじゃないかしら?」


美鈴は簡単にそう言ってみせる。健人はそんな美鈴の返答を聞いて不思議な感覚に陥った。


「私の答えがそんなに意外だった?文隆さんと会ってないってだけなのに」


美鈴は健人の顔から考えを読み取ったのか、そんなことを口にする。健人は正直に頷いた。


「……気になっていたようだったので」


「まあそりゃ少しはね。お互い多忙で別れることになっちゃったけど、別に文隆さんが嫌いになったわけじゃないし」


美鈴は顎に人差し指を当てながら口にする。ただ、健人はそれを聞いて、美鈴の言っていることが矛盾していることに気付いた。


「でも、それならどうして再婚したんですか?」


「あら、そんなこと聞いちゃう?」


「えっ、あ……」


「健人はデリカシーがないのかしら?それとも鈍感なの?」


美鈴が健人に尋ねると、隣に座る榛名が頷いて肯定してみせる。健人はそんな榛名を横目で確認しつつ、すみませんと頭を下げた。


「そんなことよりも、二人の話をしましょう?私としてはそっちの方がすごく気になるし」


「お母さん、そういう話はしないって約束したのに」


「別に良いじゃない?ね、健人?私の大切な榛名を虜にしたんだから、それくらい許してくれるよね?」


「まあそれは……俺が嫌がることでもないですけど」


健人は純粋にそう思って口にする。もしかすると榛名の過去を知ることができるかもしれないという考えも、健人の中にはあった。


「そうねぇ……じゃあ一つ目の質問ね。榛名から健人に告白したみたいだけど、その時どう感じた?正直に言ってみて」


「い、いきなりなんですか?その質問は」


「お母さん!今日は健人と会うだけって。健人に迷惑かけるようなことは……」


「迷惑じゃないよね?」


榛名が慌てて言葉を挟むも、美鈴は質問を撤回するつもりはないようである。健人はそんな美鈴の圧力に負けて口を開いた。


「正直に言えば驚きました。それ以外の感情はなかったです。榛名のことは、些細なことから友人になったとしか思ってなかったですから」


「あら、意外と正直に言うのね?」


健人が質問に回答すると、美鈴は驚いた様子を見せる。榛名も目を大きく見開いて、健人の横顔に訴えかけていた。ただ健人は、それらを気にせず話を続けた。


「でも今は普通に好きですよ。告白されてからの榛名に惹かれました」


「け、健人……」


先程の表情とは裏腹に、榛名は嬉しそうな顔をして健人に笑顔を振りまく。美鈴は健人の物言いに頬を痙攣させていた。


「よく恥ずかしげもなく言えるわね」


「まあ、事実ですから」


健人は何食わぬ顔で答える。ただ健人は、手に汗を握り、心臓の鼓動を速くしていた。感情面での揺れを感じとられることは、もはや時間の問題だった。


しかし、美鈴に主導権を握られたまま話をされることが嫌な健人は、何としてでもこのタイミングで話題を変えるようにしなければならないと感じていた。そのため、自分が会話の流れを操作できるように試みた。


しかし、美鈴は健人より一枚上手だった。


「それなら、健人は榛名と結婚することまで考えて付き合ってる?」


「けっ!結婚!?……結婚ですか?」


あまりにも唐突な言葉に、健人は隠していたものを全て吐き出してしまう。しかし、今度は美鈴が何食わぬ顔をする番だった。


「おおお、お母さん!何言ってるの!?」


「だってそうでしょう?男女が付き合う理由は、結婚して、することして、子孫を繁栄させるため。そうでしょ?」


「……何か話が飛んでいませんか?」


健人はなんとか冷静さを取り戻しつつ、そう尋ねてみる。高校生の恋愛を人生の大きな岐路に無理やり繋げることは、どうも健人の考えとは違っていたのだ。しかし、美鈴には何か考えがあるのか、主張を曲げようとはしない。


「いえ、私は至って普通のことを話してるつもりだけど?結婚するまで考える……いえ、もっと言えば結婚してからずっと幸せにすることまで考える。それくらいしてくれないと、私の大切な榛名と付き合うことは認めないわ」


「ちょっとお母さん!話が重たすぎます!健人はきっとそんなこと微塵も考えていないでしょうけど、私だってそんなこと今は望んでいません!」


「私が望んでるの」


榛名がやや語気を強めて美鈴に言い返すと、美鈴もそれに対して強気になって反論する。健人はそんな二人の間で頭を混乱させた。


「つまり、俺は榛名とは釣り合わないと……そう言っているわけですか?」


「違うわ健人。私が好きなのは健人だけだし、健人以外なんて嫌です。私と手の形が合うのは健人だけだから安心して……」


「いいえ榛名、いいことを教えてあげる。人間ね、お互いが愛し合っていても、榛名が言うような手の形が合っていても、一緒になれない時があるのよ。恋情だけに傾くのじゃなくて、もっと色々な方向から考えていかないと、後で痛い思いをするのは榛名自身よ?」


美鈴は言い終わるまで終始榛名を見据える。ただ榛名も、そんな美鈴に鋭い視線を送っていた。


突然訪れた険悪な雰囲気を前に、健人は必死に雰囲気を戻すための言葉を考える。しかし、健人の頭では打開策は思い浮かばなかった。


「その忠告、しっかりと覚えておきます」


「今決断しないの?」


健人が美鈴の言葉を受け取ると、美鈴は間髪入れず健人に質問する。健人はそれに正直に答えた。


「決断するだけの材料がないですから」


「ない……ほらね榛名、健人はないって言ってるわよ?」


美鈴は意地悪い顔で榛名に笑いかける。榛名は唇を尖らせるも、何も言い返すことはしなかった。


「それで、話はこれだけですか?」


「んーどうだろう?まだ色々あったはずなんだけどね、今の話で全部持っていかれちゃったわ」


美鈴は腕を組み直す。健人は美鈴の態度を見ても、表情を変えることはしない。ただ、珍しく榛名がもの言いたげな顔をしていた。


「榛名、何か言いたいことでもあるの?」


榛名の様子を美鈴も察していたようで、榛名に話すことを促す。すると、榛名は健人の方を向いて口を開いた。


「……ないんですか?」


「何がだ?」


「私はありますよ!健人となら何だってする覚悟がありますから。……でも、健人にはないんですね?」


榛名は徐々に声のトーンを下げていき、最後は虫の羽音程度となった。それでも健人は榛名の言葉をしっかりと受け取り、榛名に対して言葉をかけた。


「美鈴さんの言う通り、俺は決断材料を持ってない。嘘はつけない」


健人が隠すことなくはっきりと伝えると、榛名は口を開けて固まった。何かを言おうとしたようであったが、それは言葉になっていない。


「それじゃ、私はそろそろ行かせてもらおうかな。実は私、仕事の合間を探して勝手に出てきてるから、すぐに戻らないといけなかったのよ。でも逆に言えば、私がそれでも抜け出してきたくらい重要なことなんだって、健人には思ってほしいわ」


「分かりました」


「へえ、物分かりいいのね。……じゃ、そういうことだから私はこれで。文句とか言いたいことがあるなら、また榛名を通じて連絡して。健人のお願いなら私も尽力するから」


美鈴は立ち上がるとテーブルに五千円札を置く。そして、笑顔で健人に手を振ると、そのまま足早に店から出ていった。健人はというと、美鈴のそんな姿を最後まで目で追うしかできなかった。


テーブルには健人と榛名が取り残され、健人は榛名の方を向いて言葉をかけようとする。しかしその瞬間、榛名は立ち上がろうとした。


「待って」


健人は咄嗟に榛名の腕を掴んで、榛名の動きを止める。榛名は何度か腕を振って健人の手を解こうとしたが、最後には諦めて再び大人しくなった。


「悪かった」


「何のことですか?……健人は何を悪く思っているんですか?」


健人が謝罪の言葉を述べると、榛名は力なく声を出す。健人はそれを聞いて、本当に申し訳なく感じた。


榛名は自分の母親を前にしても、想いとして持っているものを健人に伝えようとしていた。しかし、健人はそうはせずに、はっきりとしたことを言わないまま逃げた。それが意味することなど、健人にも容易に理解できたわけである。


ただそれでも、健人がこの場で美鈴を納得させようとしなかったのには理由があった。


「まさかはっしーの母親が来るとは思っていなかった。……どうして言ってくれなかったの?」


「それは……それはごめんなさい。言ったら会ってくれないかもと思ったんです。でも今はそんな話じゃなくて……」


榛名は自分にも非があったと認識して苦しむ。しかし、健人にとってそのことは重要ではない。


「驚いたのも少し理由になる。……と言えば逃げているみたいだから言いたくないけど」


「でも健人は言ってくれませんでした」


「だから謝っている。だけど、これには考えがあった。ここで無理に気持ちを押し通すことは、決して良い結果をもたらすものじゃないと思ったから」


「詭弁です、そんなの」


榛名は本当にショックを受けてしまったようで、拗ねた様子を見せる。


「美鈴さんは賢い。感情論で戦えば足元をすくわれたに違いない。材料がないって言ったけど、あれは嘘だ。ただ準備が遅れただけで」


「どういうことですか?健人がはっきりとしたことを言ってくれるだけで……それだけで私は嬉しかったのに」


榛名は自分の腕を掴む健人の手首を、反対の手で強く握る。健人は榛名が言っていることも、もっともだと感じた。しかし、健人にも考えはあった。


「俺はそれだけじゃ満足しない。屁理屈の一つも言われないような完璧な言葉が必要だと思ってる。自分で自分の首を絞めるような真似をするくらいなら、次の機会でしっかりと言ってやれば良いだけだ」


「………」


「確かに、俺は鈍感でデリカシーのかけらもないかもしれない。だけど、何も考えていないわけじゃない。……次の機会、その時まで待ってほしい。俺を信頼してくれ」


健人は最後、懇願するように榛名に頭を下げる。美鈴がこの日に健人と会った理由として、ただ会いたかったからだけではないことは健人も把握している。しかし、美鈴にどんな考えがあったとしても、健人はここで折れるつもりなどなかった。


「本当に信頼して良いんですか?……いえ、それだとなんだか健人にさせているみたいですね。なんて言ったら良いんでしょう……」


榛名はそう呟いて視線を落とす。健人はそんな榛名を前に、かける言葉はなかった。


「……それで、健人は本当に私の母を説得させることができるんですか?健人の貧相な語彙力ではできないような気がして、心配になってきました」


健人も榛名の様子につられて気を落としていると、気分を変える目的があったのか、榛名は笑いかけながら健人に尋ねた。健人はそれに対して真剣に答えてみせる。


「まあ本当は、証拠を一つ突きつけるだけで良いんだけど、でもそれは綺麗じゃない」


「……どういうこと?」


榛名は不思議そうな顔をする。


「美鈴さんは、将来的に見て俺が榛名を幸せにできるかどうかを聞いてきた。だから簡単な話、実際にやってみて証拠を出せばいい」


「実際にやるって……」


榛名は顔を赤らめる。ただ、健人はすぐにそれが有効な手ではないことを伝える。


「まあそれは、やれと言われてすぐに出来ることではないから、違う方法を考えてる。それが言葉で客観的に納得してもらう方法になるわけ」


「……でもそれ面倒じゃないですか?そんなことをするくらいなら、その……証拠を見せる方が……」


榛名は健人の考えを理解した上で、あえてそう提案する。ただ、そんな榛名の想いに気付くことなく、健人は話を進めた。


「この今の状況を、難解な数学の方程式だと例えてみる」


「……えっ!?」


健人は榛名を納得させるため、真面目に例え話を始める。しかし、榛名は驚いて顔を硬直させた。


「難解な方程式の解を導こうとした時に、適当な数字を当てはめて、その数字が解となることを証明することはできる。一見簡単そうに見えるこの操作だけど、大抵の場合莫大な時間がかかる。それに、解がない可能性だってある。それくらいなら、理論的に証明を行っていって解いてしまえばいい。……そうだろ?」


「ごめんなさい。意味が分からないです」


榛名は呆然とした様子で素直な感想を述べる。健人はそんな榛名の反応に唇を噛むも、改めて説明を加えた。


「つまり……つまりだ、俺が榛名のことを本当に好きで、榛名のことを幸せにできることを美鈴さんに証明すればいいんだろ?」


「……そうですけど」


今まで遠回しに言っていたことを、健人ははっきりと口にする。明言したことで、健人は恥ずかしさに身体を熱く火照らせた。


対する榛名は、最初は表情を固まらせる。しかし、徐々に表情を明るくしていった。


「……まあ、なんとかするから安心しろ」


最後、健人は説明することを諦める。結局、健人の言葉に根拠はなかった。ただそれでも、榛名はそんな形だけの言葉に喜んだ。


「で、でも健人にできるか、その、心配ですね。本当にもう……」


突然挙動不審になって言葉を詰まらせる榛名を目の前に、健人は首を傾げる。ただ健人は、今の榛名から先程までのような険悪な様子を確認することはできなかった。


「とにかく今日は悪かった。さっきのことは気にしないでいいから」


「うん!……で、でも信頼していいんですか?先程の健人の例え話を聞いて、余計に心配になってきました」


「ダメなら一つ目のやり方で再挑戦すればいい。……解がないかもしれないけど」


榛名の言葉に調子よく答えていた健人だが、途中でだんだん恥ずかしくなっていき、最後は声をしぼめた。しかし、榛名はそんな健人の不安を聞いて、すぐ口を開いた。


「ありますよ絶対に。解けないわけないですから」


「……それならいいんだけどね」


健人は返答をした後、我慢できなくなって笑う。すると、それに呼応するように榛名も笑顔を見せた。健人はそれを見て安心する。


「今日は本当にごめんなさい。私が隠さずに言っておけばよかったです」


「そのことはいい。俺にも色々問題あったし、お互い様だ」


健人はそう言って椅子に深く座り込む。たった数十分の出来事が、健人にははるか長い時間に感じられた。それでも、そんな時間を終えてみると、時間の進み方はいつも通りだった。


ただ、そんな緊張を切らす健人に、榛名は一言忠告する。


「でも……健人にはちゃんと私のことについて責任取ってもらいますから」


「せ、責任?なんだそれは?」


健人は榛名の言葉と表情に疑問符を浮かべる。すると榛名は、健人を自分の方に向かせて目を合わせた。


「健人が私のことを考えてくれていて本当に嬉しかったです。それに、私が健人を虜にするつもりだったのに、私の方が健人に惹かれてしまいました」


「そ、そうか」


健人は榛名の言葉を聞いて、恥ずかしさから顔を背けようとする。しかしその瞬間、榛名は健人の耳元に顔を近づけた。


「好きです。私のことお願いしますね」


榛名はそう囁いた後、すぐに健人から顔を離す。照れ笑いを浮かべる榛名は、それでも健人のことをしっかりと見つめていた。


「じ、尽力するから」


健人は羽音のような声で答える。


「うん、分かった」


「………」


榛名の可愛らしい仕草を前に、健人は胸を高鳴らせて不思議な居心地に悶絶した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ