第六章 秘密(3)
週も終わりに近づき、金曜日の放課後が訪れる。ただ、健人はそのときもまだ、守や春奈と関係が良くないままであった。
守はあの時以来、健人の事情に口を挟んでくることはしなくなった。しかし、まだどこか不満げな様子を募らせている。春奈も健人に何気なく接してくるようになったものの、お互いが遠慮しあって以前のような関係には程遠かった。
また同時に、健人は大林が言っていたことについても気になり続けていた。狡猾でずる賢い。この言葉は榛名とは無縁のように感じられたのだ。
しかし、大林が何の理由もなくそんな話をしてくるとは考えられない。そのため、健人は無意識の内に榛名の行動を観察するようになっていた。
健人は、授業中も榛名のことを意識してしまう。ただ、健人の目に映る榛名に、不思議な点は全く見当たらなかった。
「……健人、帰ろうぜ」
健人が帰り支度をしていると、守が健人のもとへふらふらと歩いてくる。昨日の守とはうってかわり、守の健人に対する態度はいつも通りとなっていた。
「……ああ」
健人は短く返答をして鞄を持ち上げる。すると、守は笑みを浮かべながら健人の周りをくるくる回り出した。
「冷たくしないでくれよ。俺が悪かったって」
「なんだよ急に。別に冷たくなんてしてないだろ?」
「いやいや、その言葉も冷たい。悪かったって」
「寄るな、気持ち悪い」
守は健人の腕を掴んで離そうとしない。健人はその守の腕を払いのけてため息をついた。
「あんなに不平不満を言っていた割には、態度を急に変えるなんて。……何かあっただろ?」
「何かって……別に大したことじゃないけど」
守は照れ臭そうに顔を俯かせる。自分の意見を曲げることの少ない守の急な変わり具合に、健人は疑問を感じる。
「実は早織にメチャクチャ怒られた」
「……何を?」
「知ったように強情なことを言って、健人に迷惑をかけるなって」
「へぇ……」
健人は話を聞いてなるほどと感じる。守も早織には弱いらしかった。
「でも仲が良いみたいだな。そんな話までするようになって、おまけに守のことを怒ってくれるなんて」
「おかげで関係悪化だ。くそぉ……」
「大丈夫だろ。なんだかんだ言ってお似合いだと思うけど」
健人は早織のことをあまり知らないものの、そう言って守を安心させようとする。しかし、守の懸念はそれだけではないようだった。
「それに、早織は向こうの学校でかなり頭が良いみたいで、でも俺はこの通り。釣り合ってないよな……」
「それは確かに」
学力の面では、守の下を探すことの方が難しい。早織が守の学力に失望してしまっても不思議ではなかった。
「とにかく今日は早織との約束を守るために、俺は健人に謝る。すまなかった」
「理由が腹立つな。まあ元々、気にしてなかったから良いけどさ」
健人が守と対立したことは、今までに数え切れないほどある。こんなことなど、過去に比べれば小さいものだった。
「……それで?健人はずっと遠藤さんのことを見てたよな?やっぱり一途なのか?」
「……最初からそう言ってるだろ?それよりもう帰ろう」
守の話に付き合っていて、二人はまだ教室すら出ていない。用事があるわけではなかったが、健人も守にあることを聞きたかったため早く教室を出ようとした。
しかし、そんな二人に声をかける者がいた。
「一緒に良いですか?」
榛名はこの時が来るのを待っていたかのように近づいてきて、健人にそう尋ねる。健人は快く了承するしかない。
「……俺は邪魔かな?」
守が空気を読んで離れていこうとする。ただ、今の健人にとって、守の行動は全く空気を読めていなかった。
「いえ、気にしないでください。後ろからついていくだけですから」
榛名はそう言って三人で帰ることを提案する。そのため、珍しい組み合わせで健人らは帰ることになった。
「早織とはどうなんですか?」
帰っていると、榛名が守に質問をする。その途端、守は歩きながら肩を飛び上がらせた。
「今ちょっと喧嘩中らしい」
「……どちらが原因なんですか?」
「守に決まってるだろ」
健人が守の代わりに答える。すると、守は大きく肩を落とした。
「大丈夫ですよ。早織は結構気が弱いところありますし」
「そ、そうだと良いんだけど……」
守は死にかけの様子で呟く。榛名は自分の言葉で守の気分を下げてしまったと感じ、急いで言葉を加えた。
「それに、早織も狭川君のことで私によくメールで相談してきますし。どう会話したら良いかわからないとか、メールが送れないとか。……内緒ですよ?」
「……そうなんだ」
守は元気なく声に出す。ただ、健人が心配になって守の顔を覗くと、守はにやけ顔が止まらない様子だった。健人はそれを見て純粋に引いてしまう。
「でもなぁ……占いのこともあるし」
「占い?」
「あっ、いや……」
守が何気なくこぼした言葉に、榛名は即座に反応する。健人は急いで話題を変えようとしたが、榛名は首を傾げて不思議そうな顔をした。
「この学校で以前流行ったっていう?」
榛名は質問をしつつ、何故か健人の方に顔を向ける。守も自分が口を滑らしたと気付いたようで、苦笑いでその場をしのごうとした。
健人と守が二人して挙動不審になっている中、榛名は思案顔で二人に対して交互に目をやる。二人は猫に見つけられたネズミのように固まり、動けなくなった。
「まあ所詮は占いですからね。気にしなくていいんじゃないですか?」
「そ、そうだって俺も言っていただろ?」
榛名が追及してこないと見るや、健人は急いで話を畳み掛けようとする。守も話の収拾に尽力した。
「……じゃ、俺はここで」
ただ、火種が消えないうちに守は別れ道で二人から逃げた。仕方のないことではあるが、健人はそんな守に恨みを込めた視線を送る。
「狭川君と早織は上手くいきそうですね」
「あ、ああ。そうだな」
健人は榛名と二人きりになって一気に緊張する。そして、来たるべきその時に備えることにした。
「それで健人、占いのことなんだけど……」
「その話は前にしただろ?」
案の定、榛名が話を振ってきたため、健人はあらかじめ考えておいた返答で誤魔化す。しかし、榛名をそれだけで納得させることは、勿論のことながらできなかった。
「でもそれじゃ、どうして健人まで挙動不審になったんですか?健人は占いの結果、忘れたんですよね?」
「ああ、これっぽっちも覚えてないな」
「ではどうして、話をそらそうとしたんですか?健人には関係ないんですよね?」
「………」
榛名はまるで健人の弱いところを知っているかのような口調で話す。そのため、健人には言い返すことすらできなかった。
「やっぱり何か隠してる。……そんなに私に言えないことですか?」
「そういうわけじゃ……」
「隠してるのは事実なんですね?」
「…………」
健人は罠にかかったと気付いて黙り込む。榛名はそれでも話を続けた。
「健人は占いなんて信じてません。けれども私に言いたがらないってことは、特別な理由があるんですよね?」
「知ってどうする?」
「健人を振り向かせる参考にします」
「十分はっしーの方に向いてるだろ?」
「……そうですか?」
健人が羞恥心を感じながら口にした言葉をもってさえ、榛名は疑いの表情を浮かべて聞き返す。
「このままじゃ不満か?」
「いいえ、そんなことはないです。……でも、いつか健人が話してもいいと思った時は、どうか健人が隠していることを私に教えてください。ダメですか?」
「分かった。約束するよ」
健人自身、これ以上榛名が知りたがるようであれば、全てを伝えるつもりでいた。しかし、榛名が落とし所を見つけてそう提案してきたため、健人はそれに従うことにした。
占いのことは絶対に隠し通さなければならないことではない。ただ、その占いで健人が迷っていたと知られれば、榛名が何を考えるか分からない。そのため、健人はこうする以外になかったわけである。
「……嫌なこと聞いてごめんなさい」
「別に嫌じゃない。ちょっと恥ずかしいだけだ」
健人は結局事実に近いことを言う。勘のいい榛名であれば、すでに予想がついている可能性は十分にあった。
しばらく、二人の間で会話のない時間が過ぎる。榛名が何を考えているのか分からず、健人は内心落ち着いていられなかった。しかし、健人がそう思っていると、榛名は突然話題を振ってきた。
「あの……話が変わるんですけどいいですか?」
「うん。どうしたの?」
健人は顔が緩むのを抑えつつ質問する。
「明日は何か予定ありますか?」
「明日は……ないと思うけど。どうして?」
「いえ、都合が悪くないのであれば、少し大事な話がしたいので会って欲しいんです」
榛名は先程とは全く変わった様子で、健人に自分の要望を告げる。健人はそれを聞いて一つ不思議に思うことがあった。
「今じゃダメなの?時間はあるし……」
「はい、明日でないと……。都合が悪いのであれば無理しなくていいです」
「いや、不都合はないんだけどね」
今日でなくて明日でなければならない理由を健人は考える。ただ、榛名の目的が占いのことであったとしても、そうでなかったとしても、健人には榛名の考えている意図が分からなかった。
「ダメですか?」
「いや、いいよ。明日の……何時頃?朝はちょっとやめて欲しいんだけど」
「はい。では、正午に私のマンションの前に来てもらえますか?」
「はいはい分かった」
「ありがとうございます」
健人が承諾すると、榛名は礼と共に頭を下げる。榛名は健人が急な要求を受け入れてくれたことに感謝していたが、健人は未だに他人行儀のままである榛名の振る舞いの方が気になった。
「……今思い出したんだけどさ、前の土曜日に言ってた話したいことって、このこと?」
「はい。中々機会を作ることができなくて」
「そっか」
榛名は申し訳なさそうに答える。ただ、健人としてはその内容を今すぐ知りたいわけではなかった。気短にならなくとも、明日になれば榛名の言っていることが分かる。そう思うと、健人は気にすることもないと考えたのだ。
駅前を抜けて榛名の住むマンションまでやってくると、榛名は健人に軽く別れの言葉を告げて建物の中に入っていく。健人はそれを見届けた後、自らも家路を急いだ。
その頃にはもう、健人の中で榛名との約束の重要度は高くはなくなっていた。




