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第六章 秘密(1)

「……お待たせしました、待ちましたよね?」


「いや、全然」


二人の「はるな」に泣かれてから数日後、健人は榛名を駅に呼び出していた。この日は土曜日で、午前が終わりかけている時間帯でも、人はそれなりに多かった。


「まさか健人から誘ってくれるなんて。……どうかしましたか?」


榛名は健人から連絡を受けたことに驚く。健人は、顔を赤くしながら榛名に電話をしていた昨晩の自分を思い出して、誤魔化すように笑った。


「……健人?」


「まあ、……大した何かがあるわけじゃないんだけど」


「あのことを気にしているんですか?」


健人は榛名が泣いたあの日のことを話に出すつもりはなかった。しかし、榛名に話題を振られた健人は、本当のことを話さざるを得なくなる。


「ああ。……まあその話は後でいいだろ?ちょっと電車に乗ろう」


「どこに行くんですか?」


「大阪だ。別に目的があるわけじゃないけど、一番の目的はもう終わったから」


「……そうですか」


榛名は何かを深く考えるような顔つきをする。しかし、すぐに笑顔になって頷いた。


榛名が今どんな気持ちでこの場所に立っているのか、健人には全く分からない。本当は時間を置きたかったと感じているかもしれなかった。健人もあの後春奈と会っていなければ、榛名を呼び出すようなことはしていなかったはずなのだ。


しかし、榛名が健人に愛想を尽かしてしまうのであれば、健人は動かざるを得ない。始まりは曖昧だとしても、今の健人は、はっきりと榛名に対する気持ちを固めているのだ。


健人の榛名に対する恋情は、健人自身認めなければならないものだった。


二人で電車に乗った後、電車に揺られて十五分程の時間を過ごす。そしてあっという間に大阪までやってきた。


健人が大阪に出てくるのは久しいことで、携帯でマップを確認しながら人ごみの中を歩く。駅は地下に設けられていることから、地下街を二人は歩き始めた。


「目的がないって言ってましたけど、行き先はあるんですね?」


「そりゃ何か決めとかないと暇になるだろ?」


健人はマップに従って方向感覚が狂う地下街を歩く。大阪の地下街は迷いやすいことで有名ではあったが、健人はすぐある場所に到着した。


「電化製品屋さんですか?」


「ああ。東宮にもあるけどあそこは人が多いだろ?」


「ここも十分多いですけど?」


榛名は目の前の人だかりを見つめて、小さく首を傾げる。そのため、健人は言葉を付け加えてもう一度説明した。


「東宮は俺らを知ってる人が多いから」


「二人でいるところを見られたくない、ということですか」


健人は詳しく説明するも、榛名との間に誤解が生じる。榛名は不満そうな顔を健人に見せた。


「そうじゃないから」


健人は榛名の言葉をきっぱりと否定する。しかし、健人の言葉はあまりにも具体性に欠けるもので、榛名の懸念を払拭することは出来なかった。


店内に入ると、健人は家電製品の階層から順に目を通していく。榛名は何も文句を言ってこないが、退屈していることは間違いなかった。


健人は目当てなく歩いている。結局、小一時間ほどかけて店内を歩いた健人は、何も手に取ることなく電化製品屋を後にした。


「俺がしたいことは終わったから。どこか行きたいところがあれば言って」


「それは……ないです。でもどうしたんですか?いつもの健人らしくないです」


榛名は疑いの目を隠すことなく健人に向ける。健人はそれに気づいて軽く眉にしわを寄せた。


「いつもこんな感じだろ?別に目的があって何かをしてきたわけじゃない」


「それはそうかもしれませんけど……」


健人は今日の行動を、今までの自分に置き換えて話をしている。榛名が健人にこれ以上の何かを求めているのか、健人はそれを知ろうとしていたのだ。


「ないなら次に行くところを決めてるから、そこに行こう」


榛名が何も要求してこない様子を見て、健人は次の場所に行こうとする。しかし、榛名はそんな健人の手を掴んでそれを止めた。


「ちょっとお話がしたいです。どこかに入りませんか?」


「……いいね。洒落た店は知らないけど、店選びには困らないから」


健人はすぐに榛名の言葉を了承して歩き始める。榛名も健人から手を離してついてきた。


雑踏を掻き分けて健人らが入ったのは、全国展開しているチェーン喫茶店だった。


「悪いがこれくらいの店しか知らない。……まあ、この店なら東京にもあったでしょ?」


「はい」


榛名の小さな返事が返ってくる。ただ、健人は気にすることなくメニュー表を見て注文するものを決める。二人ともが決まるとすぐに注文を行った。


「……それで、どんな話を?」


「さすがに分からないなんてことはないですよね?」


「まあね」


榛名が語尾を強くして健人に聞き返したため、健人はさすがに頷くしかなかった。いつもは何でも人の言う通りに動いていて、強引な行動をとったのは健人に告白をした時だけ。そんな榛名が、今日に限って健人を気迫で押していた。


「この前も言った通りです。私は深瀬さんに勝つことができませんでした」


榛名は俯き気味にそう口にする。春奈との勝負の結果が、榛名にかなりの影響を与えていることを健人は理解する。しかし、何度それを議論したところで、健人の考えは変わらなかった。


「その話は分かったから。でもはっしーと春奈の順位争いは俺にとって全く関係ない。そのことで俺に何かを求められても困る」


「健人は本当にそう思っていますか?」


「ああ」


榛名が絞り出すようにして言葉にしたことを、健人はあっさりと肯定する。これこそが事実であったのだ。


「じゃあどうして……どうして今日私のことを呼んだんですか!?私のことなんてどうでもいいんですよね!?」


「はっしー、声下げて」


榛名は突然感情的になって声を大きくする。健人は急いでそんな榛名を宥めた。


「どうてもいいなんて言ってないだろ?順位のことは関係ないって言っただけだ」


「それがどうでもいいと言ってるわけじゃないなら、それはどういうことですか?……私には分かりません。健人が何を考えているのか」


榛名は健人にそう言い放った後、急に元気をなくして肩を落とす。これ以上の誤解は良くないと考え、健人は恥をかくことを覚悟して話し始めた。


「はっしーは、一体何を巡って誰と競っていたんだ?」


「健人を深瀬さんと……」


「じゃあ、どうして春奈と競う必要があると思ったんだ?」


「それは……私は深瀬さんとは違って健人と深い仲ではありませんでしたから。そうでもしないと健人が居なくなると思って……」


先程とは一転、榛名は弱々しい口調で理由を口にする。その言葉には、榛名が抱えていた問題の大きさが隠れていた。


しかし、それは榛名の物差しで測った大きさである。健人にとってみれば大したことではなかった。


「俺はもうその時には、はっしーと付き合っていた。それでもそんなことを思ったの?」


「だって健人からちゃんとした言葉を聞いていませんでしたし。それに、あの時のことだって健人は雰囲気に流されたって……」


榛名は店内から窓越しに、どこか遠くを見つめてそう呟く。健人は、やはり自分の決断力のない行動が原因だったと認識して、深く反省した。


「悪かったよ。言い訳にもならないと思うけど、好意を伝えられたのははっしーが初めてだったんだ。だからどんなことを言えば良いのか分からなかった」


「じゃあ、今は言ってくれますか?」


榛名は健人の目をしっかりと見据えて尋ねる。健人も目を離すことは許されず、榛名に視線を集めた。


「ああ。俺ははっしーがす……」


「お待たせいたしました」


健人が決心して言葉を出そうとした時、不運なタイミングで店員が注文品を運んできた。二人は驚いて視線をそらし、店員が離れていくのを待った。


「……だから嫌なんだ。こういった恥ずかしいことは」


「まだ私ははっきり聞けていません。もう一度言ってください」


健人は恥ずかしさのあまり頭を左右に振って唸る。しかし、榛名は全く満足していないようで、表情を変えることなく健人に迫った。しかし、健人にそれだけの気力はもう残っていない。


「また今度だな。本当に二人だけの時に提案してくれ」


「またですか?私がどんなに期待していたか、健人は知っていながら逃げるんですね?」


「逃げたんじゃない。恥をかきたくないんだ。東京ではそれが普通なのかもしれないけど、ここらでは普通そんなこと言わない」


健人は必死に適当なことを口にする。しかし、榛名は全く信じていないようだった。


「じゃあどうしているんですか?言わないと分かりません」


「そうだからダメなんだ。当たり前のことを口にしたって意味なんかない。そういうのは感じるものなんだって」


健人はもっともらしいことを言ってこの場を乗り切ろうとする。しかし分かっている通り、健人は恋情を軸とした人間関係を構築したことなど今までにない。そのため、健人が言ったことが正しいのかは、健人自身にも分からないものだった。


「分かりました。……でも、前も言ったと思いますけど、女の子は言って欲しいことをはっきり言って欲しいものです。健人が言ってくれないからといって私が健人を嫌いになることはありませんけど、それだけは覚えていて下さい」


「分かった分かった。機会があればな」


「あと、私は健人が好きと言ってくれたものだと思っておきます。浮ついた心は許しませんからね?」


榛名は最後、健人に厳しい表情をして見せたあと、それを打ち消して余るほどの笑顔でこの話を終えた。


それから二人は、目的がないまま大阪の駅周辺を歩き回った。話をする前に比べて、険悪な雰囲気は完全になくなっている。健人は、今日はこれで上手くいったと考えることにした。


夕方が近づいてくると、二人の足はほとんど棒に近い状態になり、この日はそのまま東宮に戻ることにした。電車は満員寸前で、二人は電車の隅で動く時を待つ。


「今日はありがとう。昨日は私のせいで変な雰囲気になっちゃって、私から連絡しにくかったから。ちゃんと話せてよかった」


「ああ、昨日のことはなかったことにしていい。気を遣う必要なんてないから」


「分かりました」


同じ綺麗な口調でも、昨日の榛名と今日の榛名は別人と思えるほど違う人間である。健人は榛名の言葉を聞いて、それをつくづく体感した。


「……あのさ、一つ聞きたいことがあるんだけど」


発車時刻となって電車が動き出す。健人はそれを見計らって榛名に話しかけた。


「榛名は占いって信じる?」


「占い?……いきなりどうしたんですか?確率論の話?」


「いや、普通によくある占いの話だ」


榛名は健人から占いの話題が上がったことに驚き、健人が話しそうな話題で解釈しようとする。しかし、健人が言っていたのは、至って普通の信じるに値しない占いの話だった。


「健人ってそういうことに興味ないものだと思ってました。非現実的とか非科学的だとか言って」


「まあ、俺はそのつもりなんだけど」


健人は榛名が的確な推論をするため、認めるほかなくなる。ただ、健人が話したいことは、決して自分が占いにどんな考えを持っているかなどではなかった。


「俺は占いなんて信じない。だけどもし、認めざるを得ないような占いの結果を出されたらどうするべきなのかな、なんて思って」


健人は春の占いを念頭に置いて話をする。具体的なことを伝えるつもりはなかったが、それでも榛名との関係に占い師の言葉が関わっていないわけではない。少なくとも健人の中では一役買っているはずだった。


「面白い例えですね?……実際そういうことがあったんじゃないですか?」


「ま、まさかな」


榛名は疑うような視線で健人のことを見つめる。健人は咄嗟に否定したものの、榛名の目には怪しく映っていた。


「でも具体的な話じゃないと分からないんじゃないですか?案外性格なんて当たりやすいですから、占いなんて人を騙してるだけだと思います」


「……そうだよな」


健人は電車の窓から外を眺めて、あの占いが本当に偶然出会ったのかを再度考え直す。健人自身が認めたくないと感じていたため、今までは偶然と片付けていた。しかし、榛名の話を加味した上でよくよく考えてみても、これほどおかしな話はやはりなかった。


「……そういえば、私がこっちの学校に転入してくる前に、ある占いが流行ったって聞きましたよ?確か運命の人の名前を教えてくれるとかなんとか。そのことを話しているのですか?」


「い、いやいやそれはない」


「……本当ですか?」


「疑ってどうする?」


榛名は例の占い師のことを知っていたようで、健人にそこへ行ったのか問いただす。別に悪いことをしたわけではない健人だったが、榛名の剣幕に気圧されていた。


「やっぱり行ったんですね?私の想像ですけど、狭川君に頼まれて一緒に行ったんじゃないですか?」


「…………」


榛名は全てを見ていたかのように、事実を言い当てていく。健人はついに言葉が出なくなった。


「健人は隠すのが下手ですね。これじゃ浮ついた心を持っていてもすぐに気付けそうです」


「そんなことないから……」


健人は、榛名の推理力を恐れながらなんとか否定する。


「まあ、終わったことで健人もあまり話したくないみたいですから、この話は終わりにしましょう。でも……」


「でも……なんだ?」


榛名は別段何かを気にした様子もなく、例の占い師についての話を止めた。しかし気になっている様子は全く隠せていなかった。


「もしそこに行ったのであれば、健人がどんな名前を伝えられたのか気になりますね。きっと私の名前じゃないことは分かっていますけど、よく当たるって聞きましたから」


榛名は小さく溜息をついてそう呟く。電車の揺れと一緒に、榛名の髪が揺れる。健人にはそんな榛名が寂しそうに見えた。


「……気にしてなかったから名前なんて忘れたな」


健人は最善の答えを考え出して榛名に告げる。「はるな」と言われたことを言えば、また春奈に敵対心を向ける可能性がある。不必要な話を口にすることは、健人にはできなかった。


「気にしないでも大丈夫ですか?」


「もちろん。気にするようなことじゃないから」


「……そうですか」


榛名はまだ納得できない様子であったが、最後はそう言って健人の言葉を受け入れる。それから東宮駅に到着するまで、二人の間に会話はなかった。


「今日は有意義でした。健人から誘ってもらえると、こんなに楽しいなんて思ってもいませんでしたから」


駅前にある榛名の住むマンションの前までやってくると、榛名は健人に対して礼を述べる。健人はそれを聞いて、榛名を誘い出して良かったと感じた。


「そうか。また誘うよ」


「はい。……でも今度は私から。話したいことがあるんです」


「話したいこと?」


健人は榛名の提案を聞いて首を傾げる。ただ、深く考えようとした健人に対して、榛名は笑って言葉を加えた。


「気にしなくていいですよ。いつかは話さないといけないと思っていたことです。だけど、今日は楽しかったからやめておきます」


「そうか……」


「はい。ではまた月曜日に」


健人に質問の時間を与えることもなく、榛名はそう言ってマンションの中に入っていく。健人も榛名の姿が見えなくなってから、ゆっくりと歩き出した。


榛名が言っていたことがどんなことなのか、気にならないわけではない。しかし、榛名がまたいつか話すと言ったため、今やけになって知ろうとする必要もないと健人は感じた。


榛名が何を考えているのか気になってしまうことは、今の健人にとってみれば仕方のないことである。きっかけは榛名だとしても、どちらが惹かれていったのかといえば、それは健人であるのだ。春奈の忠告を受けて焦って行動に出たのも健人であり、この事実は認めざるを得なかった。


榛名が健人に見せているようなはっきりとした形での感情は、今の健人にもできない。しかし、そのことでさえ、いつかははっきりとさせることを健人は心に誓っていた。


健人が、榛名のことを好きになっていることは間違いない。ただ、そんな健人が榛名から衝撃的な話を聞いたのは、この日から一週間後のことだった。

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