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第五章 困惑(6)

十月の中旬から下旬に行われた二学期中間テストは、健人にとって今年の中で最も落ち着いたテストとなった。テスト直前になっても自分の家で勉強ができる。健人は久々の感覚を味わっていた。


春奈がテストの点で競うことを提案して榛名がそれを承諾してから、健人は二人から勉強に誘われていない。二人とも健人を対象に争っており、お互いにむやみな接近は控えているようだった。


そのおかげで、健人の勉強はいつも以上に捗った。それがテストに貢献されるのかは別の話であったが、少なくとも今までで最高の状態であったことは間違いない。


ただその代償として、成り行きの末であっても付き合っていた榛名とは、教室で少し話す程度となってしまい、春奈とは全く話さなくなってしまった。そのため、本当にこの方法で二人が解決できるのか、健人は心配していた。


しかしながら、健人が心配しても時間は進んでいき、気が付くと中間テストも過ぎ去っていた。守まで今回は健人に助力を求めていない。健人は、何かが崩れてきているような気がしてならなかった。


「……やっと張り出したんだってよ。見に行こうぜ」


テストが終わって数日、守が健人の座席までやってきて廊下を指差す。健人は表立って何か態度を示すことはしなかったが、内心ではやっとかと感じた。


健人が順位を気にすることは稀である。しかし、今回のように珍しく気にかけたときに限って、発表はいつもよりも遅れていた。


掲示板の前は案の定の人だかりで、健人はしばらく後ろから様子を眺めていた。周囲を見渡してみても、どちらの「はるな」の姿もない。しばらくして人が散らばっていくと、健人と守は張り紙を確認した。


「……これって、こんなこともあるのか!」


勿論自分以外の名前を確認して、守はそう口にする。守は今の二人の「はるな」の状況を知らないため、軽い口調で話していた。


しかし、健人は結果を確認して動揺を隠せなかった。健人が確認した順位は、あまりにも予想外だったのだ。


「……同点か。二人とも二番」


「春奈ちゃん、今回頑張ったんだな。健人がいつも以上に力を入れたのか?」


「いや……」


健人は張り紙に釘付けになって守に適当な返事をする。すると、守もいつもとは違う状況を察したようだった。


「……何かあったんだな?あれだけ春奈ちゃんには優しくしてあげろと言ったのに」


「別に冷たくしているわけじゃ……」


健人は守の言葉を否定しようとするも、途中で言葉を止める。健人は今になって、言い切れる自信がなくなっていたのだ。


「まあ何があったのかは聞かねぇけど。でも健人、最近遠藤さんともあまり話してないだろ。うやむやにするなよ?」


「分かってるよ」


健人は守にはっきりと答えてみせる。しかし、そう断言できるだけの根拠は何もなかった。この結果を見て、せいぜい話し合いが必要だと感じたくらいであるのだ。


もしそれで解決しないのであれば、そのときは全員が不幸にならない道はあり得そうになかった。





その日の放課後、守が用事だと告げて先に学校を去った後、健人は教室に残っていた榛名に話しかけた。教室には榛名と健人以外残っていない。


「……一緒に帰ろうか?」


健人は榛名の背中に問いかける。すると、榛名はすぐに振り向いて頷いた。やはり榛名からは話しかけ辛かったようだと、健人は感じる。


「珍しいですね。健人から誘ってくれるなんて」


「普通だろ?これくらい……」


健人はテストの結果に驚いたわけだが、だからと言って健人自身が結論を出すわけではない。榛名と春奈が二人で決めたことは、二人の中だけで効果を持たせるべきだとも健人は考えた。


健人から声をかけて二人で廊下を歩いている中、榛名は終始俯いて元気がなかった。健人はそれを気にしながらも、榛名からの言葉を待つことにした。


そうして榛名が口を開いたのは、学校から少し離れた場所まで歩いたときだった。


「……私は勝てませんでした」


「いつも大林には勝ててないだろ?」


「いいえ、深瀬さんにです」


健人は分かっていながら誤魔化そうとすると、榛名はしっかりと訂正してくる。榛名のそんな態度を見て、健人もはぐらかすことは諦めた。


「別に負けてないんだからいいじゃないか。俺なんて現代文で最低点をとったけど気にしてない」


「そういうことじゃ……」


「それに気にしたって順位が変わる訳じゃないし」


「そういう訳じゃないんです!」


榛名はそう叫ぶと、健人の手首を掴んで強くを握る。健人は榛名の行動を受けて足を止めた。


「違うんです。今回は勝たないといけなくて……」


「…………」


「私はもともと健人にとって新しい人間だったんです。深瀬さんに他で敵うはずがなくて……」


「それで?」


榛名が言葉を詰まらせて静かな空気が流れるも、健人は間髪入れずに榛名に質問する。榛名は小さく声をあげて健人を握る手を震わせた。


「二人が勝手に決めたことに俺がどうして巻き込まれないといけない?」


「そんなつもりは……!健人は何も分かってないんです、何も。私が健人のことを本当に好きでいることも、健人は疑っていますか?」


榛名は訴えかける目で健人の顔を見つめる。しかし、健人はそんな榛名の表情を見ても、榛名の今の気持ちに寄り添うことはできなかった。


それは榛名が嫌いだからではない。今の榛名の態度を健人は嫌っていた。


「あまりにも幼稚過ぎる。もっと考え直したほうがいい。どうしてこんなことになったのか……」


正直なところ、健人は榛名が好きだったから榛名の告白を受け取った訳ではない。その時の健人が空気に流されてしまっていたことは、健人自身十分に理解しているつもりである。


しかし、そんな関係が今も続いている理由は、決して健人が空気に流され続けているからではない。榛名の内面に触れていくにつれて榛名に惹かれていったのは健人の方で、そんな感情を健人は疑っていなかった。健人としては、榛名が苦しむ理由が馬鹿らしくて仕方がなかったわけである。


しかし、榛名は榛名でそんな健人を受け入れようとしなかった。


「そんなの……。そんなのズルいじゃないですか!健人はそうやってずっと高いとこらから見ているつもりですか!?」


「なんだよ、高いところって……」


「健人こそ……!健人こそ幼稚で何も分かってないです!」


榛名はゆっくりと健人の腕から自分の手を離していく。俯いて肩を震わせる榛名の顔からは、幾つも雫が落ちていた。


「健人が早く決めてくれれば、こんなに苦しむこともなかったのに!」


「………」


「今の私が嫌いですか?……私も今の健人は嫌いです!」


最後、榛名は健人にそう言い放つと、そのまま走って去っていく。健人は最後に受けた言葉を噛み締めながら、榛名の後ろ姿を目で追った。


「……それもそうなのかもな」


二人の「はるな」があまりに幼稚な方法を取っていることに、健人は否定的で相手にしていなかった。しかし、二人がそんな行動に出ざるを得なかったのは、健人の曖昧な態度に起因している。


榛名の辛辣な言葉を聞いてそのことに気付いた健人は、今更になって後悔の念に襲われた。誰が一番馬鹿なのかなど、言うまでもなかったのだ。


榛名に先に行かれたため、健人は一人で歩く。健人が考えることは、今の状況に対する自分の不甲斐なさだけで、榛名が言っていたことも認めざるを得なかった。


しかし今更になって、健人は榛名に自分の今の気持ちを伝えることは出来ない。今になっても健人は臆病だった。


「……あれ?一人で帰ってるの?」


榛名に走り去られた後すぐ、健人は不意に声をかけられた。声を聞いて分かってはいたが、健人は振り返ってその人物を確認する。


「春奈……部活は?」


「なんか明奈が熱出したらしくて。病院に行かせるために帰ってるの」


「そうか……」


春奈から事情を聞いて健人は明奈を心配する。ただ、春奈によって話題はすぐに変えられた。


「それで?どうして一人で帰ってるの?……はっしーは?少なくとも守がいないのはおかしいよね?」


「守は用事だ」


健人はそう告げて足を進めようとする。しかし、春奈はそんな健人の前に回り込んで、健人の足を止めさせた。


「ということは、はっしーと何かあったんだ。……健人は隠すの下手だからね」


「何もないよ」


「本当?表情から察すると喧嘩したんでしょ?」


「………」


健人は春奈の的確な指摘に言い返す言葉がなくなる。春奈は健人のそんな態度を見て笑顔になった。


「どんな酷いことをしたの?」


「別にそんなこと……」


「あんなに健人のことを好きだって言ってたはっしーが怒るくらいなんだから、相当なことを……」


「してないって!」


健人はついに声を荒げる。春奈は少し驚くも、すぐに健人に声をかける。


「そうやってずっとごまかし続けてた健人が悪いんだからね。私は健人に好きだって伝えたけど、その答えだってまだもらってない。それがどんな返事であっても私は受け入れるつもりなのにね。……はっしーもそんなことを思ってるんじゃない?」


「………」


春奈が言っていることはすべて正しいことである。健人に経験がないからといって、二人の行為を蔑ろにすることは許されることではない。ただ、そう分かっているだけあって、健人は苦しんでいた。


「今なら私は健人を助けられるけど、どうする?」


「……そんなものいらない」


「そう、ならいいんだけど。でもこの言葉が最後のチャンスだと思ってよね。私だっていつまでも健人を好きでいるわけじゃないんだから」


忠告とも取れる言葉。春奈は健人にはっきりと告げると、健人の返答を待った。ただ、健人は唇を噛みしめるだけで、喉から漏れる空気は声を伴わなかった。


「……やっぱりはっしーが良いんだ。ちょっと悲しいな」


「すまない」


健人は衝動的に謝ってしまう。しかし、健人はそう口にした後で春奈の言葉の本当の意味を知った。


「やっぱりそうだったんだね。あーあ、十年以上の片想いだったのに」


「…………」


「でも良いわ。……私から健人に最後に忠告。このままじゃはっしーまで失うことになる。嫌なら健人から動くことね」


春奈は指で健人の胸を押す。健人はそれを聞いて黙って頷いた。すると、春奈は健人に背中を向けて数歩健人から離れる。立ち止まった春奈の肩は小刻みに震えていた。


「本当にごめん。そんなつもりじゃ……」


「いいのよ」


春奈は声も震わせて健人に答える。健人は罪悪感で胸が締め付けられた。


「私ほどいい女の子は居ないと思うんだけどな」


冗談を交えて春奈は健人の方に振り返る。春奈の頬には涙が伝っているのを見て、健人はすぐにそれを拭おうと手を動かす。しかし実際は、健人は腕を少し上げただけで、それ以上動けなかった。


「……あと、健人の気持ちを伝えてくれて嬉しかった。……それじゃ」


榛名はそう言い残すと足早に去っていく。その後ろ姿は、先程の榛名のものと非常に似ていた。


榛名に続いて春奈のことまで傷つけてしまった健人は、今の自分のことを無性に殴りたくなる。少なくとも、健人には二人を泣かせてしまった責任があった。


健人にはもう、これからどうするべきか分からなかった。

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