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第五章 困惑(5)

二日間に渡って行われた文化祭は、特に問題が発生することもなく終了した。天候に恵まれたこともあって、文化祭は大変な数の人で賑わい、終わった後でもその余韻はなかなか消えないでいた。


しかし、文化祭が終わった次の週には二学期の中間試験が控えている。そのため、いつまでも文化祭気分のまま生活し続けることはできなかった。


部活動も軒並み活動を止めて、放課後に学校で活動する学生は、文化祭の後処理を行う委員と生徒会だけとなる。それ以外の大半の学生は、来る試験の準備に取り掛かっていた。


ただ、危機感を覚えず、いつも通りの生活を送る者も中にはいた。


「……健人、山に登ろうぜ」


「なんだ唐突に」


勉強をしない者の代表である守が、何も考えていない様子で健人に声をかける。ただ、そんな守に慣れている健人は、呆れることもせずに守の話を聞く。健人が話を聞いてくれると理解すると、守は熱弁を始めた。


「秋の山っていうのは綺麗で良いよな?紅葉がまた素晴らしい。だから山に登ってみたくなる。そう思うだろ?」


「そうかもしれないけど、そういうのは山に入って見るより、違う場所から山を見渡して眺めたい。勿論、一本一本の紅葉を見ていくのも良いかもしれないけど」


「とにかく俺と健人の意見は一致したと……」


健人の意見を聞いた守は、どういう考え方からなのかそんな結論を出す。そして、それを前提として話を続けた。


「だから、七甲山に登ろう!なんならそのまま山を越えて有牛温泉に行ってもいい。どうだ?」


「何がどうだ、だよ。勉強はどうした」


健人は意味がないことだと分かっていながら、守に一応指摘する。しかし、案の定守は話を聞かなかった。


「いや、今の俺にとってそんなことは二の次だ」


やけに真剣な面持ちをする守は、ゆっくりと健人に詰め寄る。健人はそんな守の態度を不思議に思った。


「何かがあるのか?山登りは夏にやっただろ」


「そうだけど、こっちにも事情があるんだって。……な、いいだろ?」


これが守の無計画な、いつも通りの提案であることは間違いない。しかし、健人はそんな中でいつもと違う様子を感じ取っていた。


「……デートで行くのか?」


健人が一つの可能性を思いつき、守に尋ねてみる。すると、守は白々しく眉を吊り上げて聞こえなかったふりをした。健人はこの守の行動で全てを察する。


「下見に行きたいんだろ?一つ提案しておくけど、本格的な山登りは向こうが望まない限りしないほうがいい。どこかハイキングコースを探すべきだ」


「誰もデートなんて言ってないだろ!」


守は健人の発言を撤回させようとする。しかし、健人は意地になる守を見て確信した。


「別に恥ずかしいことじゃないし、良いんじゃないか?何も問題ないだろ」


「じゃ、協力を……」


「いや、それはしない。その方が良いだろ?守一人で計画立てたって知ったら、喜んでくれるんじゃないか?」


健人は自分が思ったことを告げる。守の手助けを渋るつもりはないが、今回は手を出さないほうが賢明だと健人は思ったのだ。


「別に健人がそのことを話さなければいいだけなのになぁ」


「今の言葉を話してやろうか?」


「分かったよ」


守は健人の言葉に屈する。対する健人は、面倒な約束をしなくて済んだことに大きく息を吐いた。いつかの春奈が言っていた通り、自分は守に寛容すぎる面があると健人は思っていたのだ。


「まあいいや。……今日は用事があるから。悪いけど先に帰らせてもらう」


「ああ、分かった。くれぐれも全く勉強しないなんてことはやめてくれよ?」


「分かってるって」


守は当たり前といった様子で頷く。ただ、健人はその言葉を全く信用していなかった。


ただ、そうであるからといって、健人が守に何かを強要することは勿論しない。そうすることが面倒であることも確かであるが、守も全く何も考えずに動いているわけではないことを健人は知っていたのだ。


守が教室から出て行った後、健人もゆっくりと帰宅の準備を行う。現在も、春奈とは関係が良くないまま進んでいる。そのため、健人から声をかけることはできなかった。


教室の中に二人の「はるな」がまだいることを確認しながらも、健人はなんとかして気付かれないように教室を出ようとする。見つかれば前回のような約束をさせられかねない。健人はそれを危惧していたのだ。


しかし、廊下に出たところで健人はすぐに声をかけられることになった。


「こそこそと怪しいです。どうかしましたか?」


いつの間にか反対側の扉から出てきていた榛名が、健人を先回りして待っている。健人は苦笑いするしかなかった。


「別になんでもない。早く帰ろうと思っただけだ」


「一言声をかけてくれれば嬉しかったです」


「次からはそうするよ」


健人は申し訳なさを含んでそう口にする。ただ、榛名はこのことについてあまり気にしてはいないようだった。


下校時間の真っ只中であるからか、学校はいたるところが喧騒としている。二人はそれから逃げるように、足早に学外の道に出た。


「あの……」


二人がある程度静かな住宅街に入った時、榛名が健人に声をかける。健人は視線を送って続きを促した。


「このテストが終わったら、またどこかに行きませんか?」


「……どこか?」


健人は曖昧な言葉を不思議に思って聞き返す。すると、榛名は少し頬を膨らませた。


「それは健人が決めてください。良いですか?」


「……ああ、そういうことか。分かったよ」


健人は榛名が言った意味を理解して納得する。健人の方から積極的に連絡をして欲しいと、榛名は以前から口にしていた。その内の一つだと考えて差し支えはないようだった。


「それから……」


「どうした?」


まだ何かを言いたそうにする榛名に、健人は声をかける。ただ、次の話題は先程と比べて口にしにくいのか、榛名は微妙な表情で何かを迷っていた。


「……テストが終わったらお願いがあります」


「お願い?」


「はい。……内容はまた今度言います」


榛名は全てを口にすることはしない。そんな言いたいことをはっきり言わない榛名の姿を、健人は珍しく感じた。しかし、榛名がそれが良いと判断したのであれば、健人が催促する理由はなかった。


それから二人は、他愛もない会話をして道を進んでいく。今回は前回ほど、榛名から勉強についての誘いがない。健人はそれを良いことだと思う一方で、なぜか寂しい感覚に陥った。


二人が駅前近くまで来ると、住宅街に比べて人の数が多くなる。いつもと変わらない風景を、健人は特別不思議に感じることはない。しかしそんな中に、事件は隠れていた。


一本道を進めば駅前のロータリーに入るという場所で、健人らは信号に引っかかった。そんな中で、健人は信号待ちを退屈と思いながら、何気なく辺りを見渡す。後ろを確認したのも、無意識のことだった。


するとそこには、春奈の姿があった。


「春奈?」


健人は驚きながら声をかける。榛名は健人の声に反応するも、視線は春奈に向かっていた。


春奈は肩にかけたカバンの持ち手を握りながら、訴えるような目で健人を見ている。隣の榛名も違和感に気付いたようだった。


「あら、邪魔しちゃった?」


春奈は健人に姿を見られて口を開く。ただ、その口調はいつもになく刺々しい。そんな春奈の突然の様子に、健人は何も言い返すことができなった。榛名はいつも通り、春奈に少し腰を引かせた。


「……いや、後ろにいたなら声をかけてくれれば良かったのに」


健人は率直な意見を述べる。後ろから人をつける行為が、健人には少し異質に感じられたのだ。すると、春奈は少し笑って健人に言い返した。


「ごめんね、とても仲良さそうに話してたから」


「……春奈?」


春奈の口調はだんだんと強くなっていく。聞いている側からしてみれば、春奈が口喧嘩を売っているように感じられるほどである。それほど、今の春奈は好戦的だった。


「あの……私が何かしましたか?春奈は私がいるといつも怒っているみたいで」


「怒っていない。ただ、気分が悪いだけ」


「春奈!」


突然の春奈の暴言に、健人は目を瞑っていられなくなる。健人は春奈がどんな理由を持っているのか知らないが、それが榛名を傷つける理由になるはずがなかったのだ。


しかし、健人の言葉は榛名によって止めさせられた。


「やっぱりそうですか。私が健人と付き合っているから。だから春奈は……」


「誰もそんなこと言ってないでしょ?」


「……本当ですか?」


榛名はそう口にすると、唐突に隣に立っていた健人の腕に抱きついた。健人は、突然の事態にどうするべきか分からなくなる。春奈も、何も言わないで立っているだけだったが、眉間にしわを寄せて酷い顔になっていた。


「私は健人のことが好きで、だから健人と付き合っているんです。だけど私と同じように、健人が好きな春奈はそれが面白くない。そうですよね?」


榛名は核心を突く質問を春奈に行う。春奈はそんな質問を前に、口を堅く閉じていた。また、健人も状況を読み込めなさすぎて、話についていけていなかった。


「……そうよ」


ただ、榛名の質問から長い沈黙が続くと思いきや、春奈はあっさり口を開いた。健人はそんな春奈に注目する。


「私は健人のことが好き。ずっと昔から……健人と私が小学生の時からずっと。健人は気付いていなかったけど、でもそれでも良かった。健人がいつも私のそばにいてくれたから」


「……春奈?」


健人は思わず声を出してしまう。春奈のそんな言葉を、健人はもちろん聞いたことがなかったのだ。


「健人は誰にも優しくしてて、でも私はそれと折り合いがついてたの。だってそれは、健人が私に一番優しくしてくれてたみたいだったから」


「だから私が嫌いなんですね?」


「いいえ、嫌いなんかじゃないわ。でも健人は返して」


春奈はそう言って健人と榛名の方へ近づいてくる。その顔に迷いはなかった。


「……どうして!?」


春奈が健人の目の前にまで近づこうとした時、榛名は咄嗟に健人と春奈の間に自分の身体を割り込ませる。健人はただ状況を見つめるしかできない。


「健人、私は健人のことが好き。……健人は本当にはっしーのことが好きなの?」


春奈は榛名の前で立ち止まると、そこから健人に問いかける。ただ、当の本人である健人は、何も言い返せなかった。健人は何かを自分で決めてしまうのが怖かったのだ。


そのため、健人は沈黙するしかなかった。すると、春奈は攻勢に出た。


「はっしー、どうして健人を好きになったの?本当に健人のことが好き?転入してきて少ししか経っていないのに、どうして健人を?」


「それは……人を好きになるのに時間なんて……」


「関係ないことはないわ。一時の感情に流されてるだけかもよ?」


「………」


春奈の冷たい言葉に、榛名は言い返せなくなる。春奈はそんな榛名を見て小さく頬を吊り上げる。ただそんな時になってやっと、健人は春奈に口を開いた。


「春奈は何をしたいんだ?」


「私はただお互いが好きなのかを確認したかっただけ。結果は案の定だったけど」


「私は健人が好きです」


「軽い言葉をつらつら聞くつもりなんてないわ。所詮はその程度の関係だったってことを知れて良かった」


春奈は笑顔まで見せてそう口にする。今の春奈の態度は、榛名に対する完全な挑発行為だった。そして、すぐに榛名が言い返さないところを見ると、今は春奈の方が立ち位置が上のようだった。


「ま、別に今から強引にとかそんなのはしない。私だって健人が好きだったけど、今まで何もしてこなかったのが悪いんだし」


「春奈……」


「何?健人が何かいい案を持っているの?健人が今ここで決断してくれると早いんだけど?」


春奈は矛先を健人に向けて首を傾げる。健人が決断できないと踏んで、春奈はこのようなことを言っているのだ。健人はそれ察することができたが、ただそんな春奈の予想が正しいことは、健人が一番分かっていた。


健人が榛名に惹かれた理由は、榛名が外面だけでなく内面までも芯のある人間だと思ったからである。そして、そんな榛名から好意を寄せられたことが、健人の気持ちを動かしてした。恋愛の経験がなかった健人にとって、その効果は高かったわけである。


しかし、それを理由に春奈と関係が悪くなることは、健人の望んでいることではなかった。春奈とは古い付き合いで、それだけに仲違いで決裂することが怖かったのだ。


そのため、健人ははっきりと決断をすることができなかった。


「……やっぱり健人は決められないよね?意気地なし」


春奈から辛辣な言葉が飛んでくる。しかし、春奈の表情は一貫して明るかった。


「でも私はそんな健人が好きよ。健人は誰にも優しいから、誰かを傷つけるのが嫌なのよね?」


「ちょっと待ってください。一人で何を言ってるんですか?健人と付き合ってるのは私です!」


春奈が一人で自らの思いを話していると、ついに榛名が春奈に噛みついた。ただ、春奈はそんな榛名のことを鬱陶しそうに睨みつける。


「何の自信があるんですか?健人に今の今まで庇ってもらえていないあなたが、まさか健人に本当に好きだと思われているとでも思っているの?」


「それは……でも、私が健人に告白した気持ちは嘘じゃ……」


「そ、でも私はっしーの気持ちなんてどうでもいいの」


春奈は完全に榛名のことを敵視している。そんな状態で、榛名は今にも泣き出しそうになっていた。決断できないことは、恥じるべきことだと健人は理解している。それでも、健人は雰囲気に流されて物を口にすることはできない。


「春奈、少し落ち着いてくれ。確かに俺は春奈が望むようなことはできない。だけど、一方的にはっしーを責めることは間違っている」


「そう?それじゃ、私が解決方法を決めていい?」


「……なんだよ、それは」


健人のその言葉を待っていたかのように、春奈はすぐさま提案を行う。健人は怪しく感じながらも、内容を聞くことにした。


「私とはっしー、二人で次のテストの点を競う。それで勝った方が……っていうのはどう?」


「春奈、ふざけているのか?」


健人は春奈の提案を馬鹿馬鹿しく感じる。三人の関係が、これほどシビアな問題になってしまったことに対して、少なくとも健人にも責任はある。しかし、そうだからと言って、健人に何も言う権利がないのかと言われればそうではないはずだった。


そのため、健人にとって春奈の提案はふざけているようにしか思えなかったわけである。利口であるはずの春奈らしからない発言だったのだ。


しかし、健人の前に立つ榛名はそれを聞いて口を開いた。


「深瀬さんはそれでもいいの?」


「ええ。……どうせ、いつも通りになれば勝てると思っているんでしょ?」


「そんなこと……」


「私から言ってるんだから問題なんてない。はっしーがそれでいいならね」


春奈の挑発するような口調。普段の榛名であれば、そんな挑発につられてしまうことはない。しかし、この日の榛名はあまりにも無計画だった。


「ええ、絶対に負けたくないから」


榛名は頷いて春奈の提案を受け入れる。すると、春奈はそれを聞いて笑顔を見せた。


「じゃあ、そういうことでね」


春奈は榛名から同意の言葉をもらうと、満足した様子で二人の脇を通って歩いていく。その表情は笑っているが固く、健人がその奥に何があるのかを見ることは叶わなかった。二人は最後、去っていく春奈をただ見つめることしかできない。


春奈が行ってしまった後、榛名はゆっくりと身体を回転させて健人の方に向く。榛名は動揺を隠せない顔をしており、健人と目が合ってからやっと口を開いた。


「……私絶対に負けないから」


「俺が言うのもなんだけど、春奈の言ったことなんて気にしなくていい。俺だって何の考えもなくはっしーと付き合ってるわけじゃないから」


健人は榛名を気遣いながらそう口にする。健人が言えたことではないが、春奈の強情な態度を前に、健人は榛名の肩を持つことを考えていたのだ。


「深瀬さんも悪気はないはずです。健人が好きなことは私と一緒だからきっと。……あまり邪険にしてあげないでください」


「そうは言っても……。俺は今はっしーと付き合ってて……」


「それだって私が半ば強引に押し進めたからですよね?もう私は深瀬さんの申し出を受けてしまいましたから。負けたらこの関係は終わりにします」


「……そんな簡単でいいのかよ?」


健人は榛名の言い草にそう口にする。確かに、健人の決断は、榛名の意思に基づくものが多いことは間違いない。榛名に告白されて、曖昧な感情で容認してしまったのは健人なのだ。


しかし、榛名はといえば健人に恋情を抱いているはずで、そのために健人に告白までしている。そんな榛名にここまできて弱気を見せられると、健人まで自身の決心を鈍らせてしまいそうになった。


ただ、榛名の考えは、健人が考えていた方向とは違う方向で固まっていた。


「受けてしまったものは仕方ありません。深瀬さんがあそこまで言うのなら、私だって本気です。健人を渡すつもりなんてありませんから」


榛名はそう宣言すると、健人の手を強く握る。そして、表情を和らげて健人に笑いかけた。


健人は榛名のそんな行動に対して単純に動揺する。一体何があって榛名はこんなにも健人に感情を寄せているのか。健人はそのことを真剣に考えなければならないと感じた。


また、人間関係として圧倒的に長い時間共にしてきた春奈よりも、今の健人は榛名のことを心配し、春奈以上に考えている。答えが出ていないわけではないと、今更になって健人は感じた。


「今回は私と深瀬さんの戦いですから、健人の力を借りないで勉強していくつもりです。……少し寂しくなりますね」


「そ、そうか」


健人は曖昧な返答をして、動揺を隠す。たった数ヶ月一緒だっただけで、榛名が隣にいることを普通に感じていた健人がいたのだ。


「じゃあ、帰りましょう。……変な空気になってしまいましたね」


「あのさ」


「ん?何ですか?」


「その結果は正直に言って興味ない。……でもこれは……なんと言うか、俺が蒔いた種でもあるから。二人が解決した時は俺が全部解決する」


健人は断言すると、大きく息を吐いた。自分の行動が遅すぎたと嘆いたところで、問題は悪化するだけである。健人はそれからの行動に考えを移していた。


「いいんじゃないですか?その時は私も諦めますから」


「……そうか」


話が一段落すると、二人は静かに道を歩く。風と同様に、三人の関係は完全に冷え切っている。そんな中で、健人はその修復よりも先に、解決を目指すことを心の中で決めた。


次のテストはすぐそこまで来ている。榛名と健人が別れ道で別れた時から、問題解決は図られていた。

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