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第五章 困惑(4)

「蛸が足りない。あと、粉もだ。急いで買ってきてくれ」


健人の後ろで龍時が携帯越しに指示を送る。健人はというと、熱気に包まれながら、必死にたこ焼きを作り続けていた。さらに健人の目の前では、守がパフォーマンスで客引きをしている。


文化祭当日、健人らのクラスはグラウンドの一角でたこ焼き屋を構えていた。そして、周りにも多くの店が出ている中、たこ焼き屋はある程度の集客に成功していた。


「健人、マヨなし青なしを二人前だ」


「マヨなし青なし二人前」


守がまた二人の女子学生を連れてくるなり、健人は作業に取り掛かる。健人が発泡スチロールの皿にたこ焼きを盛り付けている間、守はずっとボールを蹴っていた。


文化祭が始まる前、誰がどのような役割につくかという話し合いで、守の役割決めは最も議論が尽くされた。


そしてその結論として、守が調理係や受付をこなせるとは思えない。そんなクラス全員の考えから、守は客引きを担当することになった。


しかし、ただの客引きでは問題を起こされるかもしれない。そう考えた龍時は、最終的に守の得意なサッカーで人を集めることを提案し、その案が通ることになった。


守が蹴っているのはただのボールではない。この日のために健人と守が時間をかけて作成した、たこ焼きにペイントされたボールである。守はそれをリフティングで繊細に操り、たこ焼きを回すようにボールを足の中で回転させていた。


慎重にかつ適当に決められた守の仕事だったものの、その効果は予想以上で、守はかれこれ一時間以上もリフティングのパフォーマンスを行っていた。


健人がオーダー通りのたこ焼きを守に渡す。すると、守は健人から受け取って客に提供するまで、全てリフティングの中で行ってみせた。健人はそんな守を純粋に素晴らしく感じる。


「狭川!調子に乗って落とした場合は買い取りになる。分かってるな?」


心配した龍時が奥から守に忠告する。守の技術を詳しく知らない人は、どうしても守の行為が危なく見えるのだ。しかし、守は余裕の表情で龍時に言い返した。


「俺がミスするわけないだろ。まだまだ百人でも二百人でも連れてくるぜ」


守はそう言い残して、ボールを操ったまま何処かへ行ってしまう。健人はそんな守を少し眺めた後、再び生地を流し込む作業に戻った。


シフトが運悪く昼時だったこともあって、健人はたった一時間半だけの作業で授業以上の疲労を感じていた。勿論、守の集客効果も大きく、味が普通な割には繁盛していることも要因の一つである。


「シフト交代だ。いない奴は強引に連れてこい」


龍時の指示によって、多くのクラスメイトが労働から解放される。健人もその中の一人で、凝り固まった肩を何度か回した。


シフトを終えた健人は、客引きでどこかに行ってしまった守が戻ってくるのを待つ。守も健人と同じシフトに入れられており、健人はもはや守の保護者と化していたのだ。


文化祭で学生が本当に楽しめるような要素はあまりない。それでも、どうにかして時間を潰す必要がある。健人はたくさんの人の流れを眺めながら、ひたすら守を待っていた。


しかし、守より先に健人のもとにやってきたのは榛名だった。健人が気付いた時、榛名はすでに健人の隣に立っていた。


「シフトが終わり次第、連絡を入れて欲しかったです」


「……すまない」


榛名の不満げな声に、健人は気まずさを感じつつそう答える。すると、榛名は健人に対して笑顔を見せ、すぐに気にしていない旨を伝えた。


「別に良いんですけどね。……健人はいま暇ですか?」


「ん?……まあ、守を待ってるだけだから暇だな」


健人は正直に自分の状況を伝える。榛名はそれを聞くなり、健人の腕に自分の腕を絡ませた。


「どこか回りませんか?狭川君は大丈夫でしょう?」


「……いいのか?」


「へ?何がですか?」


健人が周りを気にしながら榛名に尋ねると、榛名は不思議そうに首を傾げる。健人はそんな榛名の姿を見て、心配していたことが考えすぎであることを今になって理解した。


「いや、あまり学校では話しかけてきてなかったから、あまり知られたくないのかと思って」


健人は気にしていたことを伝える。すると、榛名は少し苦笑いを浮かべた。


「健人も気にしてたんですね。ごめんなさい、私の勝手で」


「いや、いいんだけど」


「最初は気にしていたんですけど、今はどうやらそんな余裕もなくて……」


「……余裕?」


健人は榛名の言葉を疑問に思う。健人と榛名が二人でいる中で、常に余裕を見せていたのは榛名の方である。そのため、今更余裕がないと明言した榛名の気持ちが、健人には分からなかった。


「気にしないでください。……そんなことよりも、どこか回りましょう。きっと狭川君は早織と一緒にいますよ」


「早織?」


「はい。……聞いてないんですか?狭川君に会うためにわざわざ今日来てるんですよ?本人は認めてませんでしたけど」


「そうなのか……」


健人は榛名から聞いた情報から、守がしっかり客引きしているように見せて、実はサボっていた可能性を見出した。ただ、この予想が正しいものかどうか、健人には分からない。それでも、これ以上守を待つことは無意味だと健人は判断した。


「分かった。どこに行こうか」


結局榛名のお願いを無視できなかった健人は、榛名に行きたい場所を聞いてみる。すると、榛名は行きたい場所を言うことはなかったが、健人を連れて校舎の方へと歩き出した。


榛名が健人を連れて向かった先は、同学年の違うクラスが出店しているお化け屋敷だった。外見はそこらのお化け屋敷に負けていないもので、かなりの人で賑わっている。


「ここかぁ……」


健人はお化け屋敷の前まで来て、入ることを少しだけ渋る。怖いからではなく、クオリティの低さに落胆したくなかったからである。


「いいじゃないですか。入りましょう」


榛名は何が楽しいのか、健人をなんとかしてお化け屋敷に連れ込もうとする。そんな榛名の押しに勝てるはずもなく、健人は雰囲気に流されてお化け屋敷に入った。


お化け屋敷内での滞在時間はおおよそ五分程度で、健人はその間、暑苦しく腕に抱きつく榛名や、気の抜けたお化けと戦う羽目になった。


榛名が怖がっていなかったことを、健人は自信を持って断言できる。それでも、榛名は一向に健人から離れようとしなかった。また、お化けもやる気を出していなかったため、健人は損をしたと素直に感じる。


二人がお化け屋敷を出て再び廊下に出てきた時、健人はついに腕を振って榛名を引き剥がした。


「怖かったですねー」


「嘘つくな」


抑揚のない榛名の言葉に、健人は短くツッコミを入れる。学生が作ったという時点で期待はしていなかったが、クオリティは案の定良くなかった。


「……まだキャンプの肝試しの方が怖かったです」


榛名もついに、このお化け屋敷のレベルについて口にする。しかし、気分を損ねているわけではないようだった。


「あっちは本当の怖さだからな。何かが出てくるわけじゃないけど、見えない恐怖がある」


「……それにしても、こんなにたくさん人が来てるなんて、一体どんな方法を使っているのでしょう?」


健人らがお化け屋敷を出た後も、入場を待つ人の列の長さはあまり変わっていない。名前で売れているとはこのことだった。


「しかしまあ、今年はたくさんの人が来ているな」


健人は、列に並ぶ人と窓から見えるグラウンドを見てそう口にする。窓の外では、非常に多くの人がグラウンドを埋め尽くそうとしていた。


「去年は少なかったのですか?」


「天気が良くなかったからな。でも今年は、去年の二倍くらい来ている感じだ」


校門では多くの人の出入りが見て取れる。クラスによっては、この期間を使って面談を行っているところもあるため、保護者の姿も非常に多かった。


外を眺める健人は、そのまま無意識に校門の脇に目を向ける。そこでは、集合するために誰かを待っているのだと思われる人の姿が多くあった。


ただそんな人混みの中で、健人は門のそばに立つ一人の女性に目が止まった。スーツ姿のその女性は、周囲の様子をひっきりなしに窺っている。


「……誰かいたのですか?」


健人の動きが止まったことから、榛名が健人にそう尋ねてくる。そして榛名も校門の方向に目を向けた。


「……いや、何でもない」


健人は、すぐに何でもない旨を伝える。しかし、健人の言葉と同時に榛名は突然健人の腕を掴むと、そのまま健人を窓から引き離した。ただ本人は、何事もなかったかのように涼しい顔をしている。


「……どうかした?」


「何でもないです。……でも一言伝えておくとすれば、他の女の人にうつつを抜かしてほしくありません」


「そんなことしてない」


榛名の言葉を聞いて、健人は呆れ気味に言い返す。すると、それに対抗するように榛名は健人の目の前に立ち塞がった。健人も榛名と同じように立ち止まる。


「じゃあさっき、何を見てたんですか?」


「いや、別に何かを見ていたわけじゃ……」


健人はごまかしながらそう答える。まさか少し女性に視線を止めていただけで、ここまで言われるとは思ってもいなかったのだ。


「……もう。健人は自分が嘘つくの下手だって気付いた方がいいですよ?」


「だから何も……」


今さらスーツ姿の女性を見ていたなどと正直に言えば、榛名に幻滅されることは目に見えている。健人は、あくまでも何も見ていなかったという姿勢を崩さなかった。


「……そう、ならいいんですけど。くれぐれも変な気は起こさないでくださいね?健人は人柄が良いからなのか、すぐ人に好かれるようですから」


榛名はその言葉を最後に、健人への追及を止める。健人は榛名のヤキモチを見て、苦笑いするしかなかった。ただ、すでに榛名はふてくされた顔を元に戻し、最後には健人に笑顔を見せている。


健人はそんな榛名の表情を確認した後で、もう一度だけ校門に視線を向けてみる。しかし、すでにそこには先程の女性の姿はなくなっていた。


健人は確認が取れなくなったことを理解して、静かに息を吐く。そして、その女性について考えることを諦めた。


健人がスーツ姿の女性に視線を止めた理由は極めて単純で、それはその女性が昔から会っていない健人の母親に似ていたからだった。昔の記憶がほとんどない健人は、母親の顔を写真でしか見たことがない。ただそんな写真でよく見る顔に、その女性は似ていた。


しかし、両親は健人が幼い頃に離婚して、それから母親の消息は全くの不明となっている。そのため、健人はただの見間違いだったと、その時は自分の中で処理することにした。


お化け屋敷に行った後、健人と榛名はしばらく校舎を見て回ることにした。しかし、すぐにすることがなくなった二人は、最終的には模擬店の場所に自然と戻ることになった。


文化祭は何事もなく進み、夕方になると人の数はピーク時よりかなり減る。その頃になってたこ焼き屋も片付けに入り始め、健人はそれに手を貸した。


健人は、ガスコンロ周りの汚れを拭き取る作業を淡々と行う。そしてふと視線を上げたとき、グラウンドで部活仲間と話をしている春奈の姿を確認した。


春奈を見た健人は、今日は二人が一度も話していないことに気付く。健人と春奈の関係が悪くなっていることは間違いなかった。


また、そこから少し離れた場所では、守と早織が校門の方に向かって歩いていた。二人はそれなりに上手くいっているようで、健人はそんな二人を羨ましく感じた。


「……健人、これも拭いておいてくれ。こびりつく前に処理しておいた方がいい」


健人が遠い目で春奈や守のことを見ていると、龍時が鉄板を持ってやってくる。健人はそれを快く引き受けると、今度はそちらの片付けを始めた。


榛名はというと、今は面談中でこの場にはいない。希望者だけが行われる面談を健人は予定していなかったが、春奈は転入してきてまだ一年も経っておらず、話すべきことはたくさんあるらしかった。


健人が一通り作業を終えたとき、店の片付けはほとんど終わっていた。次の日の準備は、すでに龍時の指導のもとしっかりと行われており、龍時は押し付けられるように決められたリーダーをしっかりと遂行していた。


「……一人なのか?珍しいな、いつも隣に狭川がいるのに」


「別にいつもってわけじゃないだろ」


健人は龍時の言葉を部分的に否定する。ただ、龍時も本気でそう思っているわけではなさそうだった。


「さっき狭川がどこかの女子学生と一緒に歩いているのを見た。狭川が女性と一緒にいるのを見てかなり驚いた」


いつもは無口で無感情を貫いている龍時が、この時だけは積極的に健人に話しかけてくる。健人は横目で守がいた場所を見てみたが、すでに二人はその場所を離れた後のようだった。


「あいつにも春が来たんだろう」


具体的なことを言わないようにしながら、健人は自分の感想を述べる。ただ、龍時が気にしていることは別の話だった。


「……それで、健人はどうなんだ」


しばらく間があいた後、龍時が再び口を開く。健人は唐突な質問を受けて、頭の中で疑問符を浮かべた。


「俺がこんなことを言うべきでないのは分かっている。ただ、クラスの中でも健人のことはかなり噂になっている」


「……初耳だな」


健人は、噂がどのような内容か大体察しつつそう答える。ただ実際に、健人は自分の耳でその噂を聞いたことはなかった。


「始めは転入生との関係が噂されていただけだった。だけど、今は二人のはるなと二股しているという噂にまで発展している」


「ははは……そうなのか」


健人は龍時からの情報に思わず笑ってしまう。噂は健人の予想よりもはるかに肥大化していたのだ。


「俺が言いたいことはそういう事実があるということだけだ。まあ、頑張ってくれ」


話題を振ってきた龍時だったが、最後は適当な言葉で締めくくり、健人のもとを去っていく。健人は龍時がいなくなった後、抱える問題に頭を悩ませた。


確かに、健人が二人の「はるな」の間で揺れ動いていることは事実である。しかし、今の健人は榛名と付き合っている身で、春奈とは一度も付き合った事実はない。噂はあくまでも噂の範疇を過ぎないはずだった。


しかし、榛名と付き合ってから春奈との関係が悪くなっているという点では、接点がないわけではない。このことで健人はある程度悩んでいるわけで、思いを二分していると言われれば間違いではなかった。


先日の春奈の言動も加えて、健人は春奈の気持ちをある程度理解している。しかしだからと言って、健人ができることは何もない。その理由は、春奈がどういうことを求めているのかが、健人には分からないからである。


そうして最終的には、健人の考えは人任せになった。自分が無理に動けば事態が悪化しかねない。そんなことを自分に言い聞かせて、健人は行動を渋っていたのだ。


しかし、そんな曖昧な判断のために事態がさらに悪くなることを、健人はまだ理解できていなかった。

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