第五章 困惑(3)
「このクラスは文化祭の模擬店として、たこ焼き屋を出すことになっています。数日後から準備にかかるので、協力してください」
十月初めのある日の放課後、文化祭委員の明石龍時がクラスに説明を行う。ただ、クラスのほとんどはその話を耳に入れないまま、文化祭という言葉に胸を躍らせていた。龍時は説明が通っていないことを分かっていながら、自分の席に戻っていく。
「……大変そうだな」
龍時の席は健人のすぐ隣である。健人は同情しつつ龍時に声をかけた。しかし、龍時は何も思っていない様子である。
「別にいい。準備をしっかりしてもらえれば問題ない」
龍時はいつも通りの淡白な口調で健人に答える。健人はそんな龍時の様子に苦笑いを浮かべた。
龍時とは高校から知り合い、去年も同じクラスであったことから、たまに話す程度の関係を持っていた。龍時は無感情なことで有名で、考えていることを表に出さない。そのため今も、健人には龍時の考えていることが分からなかった。
「しかし、龍時も大変だな。半ば強引に委員させられて、最近は文化祭の説明会で忙しいって聞くけど?」
「気にしてない。大したことでもないからな」
「そっか。俺はいつでも暇だから、人手がいる時は使ってくれ」
健人は最後にそう龍時に伝える。部活をしている人間はクラスの準備に時間を割きにくい。その点、健人はいつでも時間だけは余っていた。
ただ、返答の代わりとして、珍しく龍時から健人に話題が振られた。
「健人、お前と遠藤の関係のことが俺の耳にも入ってきてる。それと、深瀬の元気がやけになくなっていることもだ。そっちに手を回すのが先決じゃないか?」
「なっ、龍時にしては珍しいな。知ってたのか?」
健人は龍時の言葉に圧力を感じる。龍時の言葉には謎の力があった。
「ちょっと耳に挟んだだけだ。くれぐれもクラス企画をドロドロにしないでくれよ」
龍時は最後、冗談を口にして話を締めくくる。健人はそれに頷くだけで、言い返すことはできなかった。
他人に興味を示さない龍時でさえ、健人が抱えている問題に気付いて心配している。健人は龍時の言葉を聞いて、問題が肥大化していることを理解した。
クラスの話し合いが終わると、健人はいつも通り守と教室を出る。健人は守のたこ焼きに対する持論を聞き流しながら歩いた。
健人は複雑になった問題について、ずっと頭の中で考え続けている。しかし、答えという答えは何も得られていなかった。そもそも、健人は春奈と不仲になったわけではない。健人と榛名が付き合っていることに、春奈が何かを感じている確証は何もないのだ。
しかし、夏休みのキャンプからほとんど春奈と話していないことも事実である。こんなことは、春奈と知り合って十年以上になるが初めてのことだった。
守の熱弁は二人の別れ道まで続いた。その後、健人は適当な感想を述べてから守と別れる。一人で歩いている方が考えは捗る。しかし、それ以上に心配が募って、健人は考えをまとめられなかった。
「健人」
落ち着いて一人で歩き出した時、健人は後ろから声をかけられた。健人は反射的に振り返って声の主を確認する。健人のやや後方に立っていたのは春奈だった。
「……あれ、部活はどうした?」
健人は、どうして春奈がここにいるのか質問する。すると、春奈は苦笑いを浮かべて首を小さく傾げた。
「今日は休んじゃった。……サボりってやつかな」
春奈は少しふざけた様子で答える。ただ、そんな春奈の態度はどこかよそよそしい。
「ついてきてたのか?声かけてくれれば良かったのに」
健人は他人任せなことを伝える。しかし、春奈は首を横に振って健人の言葉を否定した。
「ここで隠れて待ってたの。健人と二人で話したいことがあって……」
「………」
春奈の言葉に健人は何も言えなくなる。そんなことまでして話すことといえば、内容は一つしかなかったのだ。
「帰りながら話そっか」
春奈が短い言葉で提案する。健人は静かに頷いて、重たい足をゆっくりと動かした。
「最近は全然話してなかったね。だから話したいことがいっぱいあるの」
春奈はわざとらしく本題を隠そうとする。ただ、本当に隠したがっているわけではないことは、健人でさえ雰囲気から掴んでいた。
「帰り道はそう長くない」
健人はそう言って、二人で話せる内容が限られていることを伝える。とはいえ、時間的な制約があるわけではない。
「そうだね。聞きたいことはそんな大したことじゃないんだけど……」
春奈は始めに前置きを入れる。しかし、このように話し始めるときは、たいてい春奈にとって重要な問題であることが多い。
「健人、最近はっしーと仲がいいよね?何かあったの?」
「それは……」
今の時期の春奈が、健人と榛名の関係を知らないわけがない。健人に事実を話させようとする春奈の思惑は明白で、健人はそれに戸惑うことになった。
「付き合ってるんだよね?私驚いちゃったな……」
春奈は作り笑いを浮かべて素直に驚いた様子を見せようとする。しかし、春奈も健人と似ていて、隠し事が下手だった。
「言ってなかったな。……ごめん」
健人は無意識の内に謝罪の言葉を漏らす。しかし、健人がその言葉を呟いた瞬間、春奈は一瞬だけ眉間にしわを寄せた。しかし、次の瞬間にはいつも通りの表情に戻る。
「謝ることじゃないでしょ?いつから付き合ってるの?……あのキャンプから?」
「ああ」
健人は尋問されている感覚に陥りながらも、必死に平静を保とうとする。そのため、健人の言葉は少なくなっていた。しかしそれでも、春奈は健人に対して質問を続ける。
「付き合ってるってことは、健人もはっしーのことが好きなんだよね?……どこを好きになったの?まだ会って半年も経ってなかったのに」
徐々に春奈の語気が強くなっていく。健人はそんな春奈に気圧されて、無意識の内に黙り込んでしまう。ただ、春奈は我慢強く健人の言葉を待っていた。
「……あまり人に聞かせる話じゃないだろ」
健人は苦し紛れにそう言って回答を避ける。春奈はそんな健人の言葉に少しの間黙り込んだが、すぐに次の質問に移った。
「じゃ、どっちから付き合うことを提案したの?……多分はっしーだよね?」
「………」
これまでに知り得た情報から、春奈は健人を多面的に追い詰めていく。春奈にそんなつもりがなくとも、少なからず健人はそんな気分だった。
「俺の性格を知っているなら大体分かるか」
健人はこのまま追い詰められていくことに抵抗を感じる。ただ、話題の転換を図ろうとする健人だったが、春奈はそれを許さなかった。
「まさかだけど……!」
「ん!?」
突然、表情を厳しくした春奈に健人は詰め寄られる。健人は立ち止まって、そんな春奈と目を合わせた。
「まさかだけど、断れなかったから付き合ってるとか、そんなのじゃないよね?雰囲気に流されたとか……。ね、健人?」
「………」
春奈の追及は核心に迫っていた。事実を突きつけられた健人は、身動きが取れなくなる。そして、健人がしばらく硬直しているのを見て、春奈は自身の考えに確信を持ったようだった。
「やっぱりそうだと思った。健人のことだからそんな気がしてたの。……でも、このことを知ることが出来て良かった」
「良かった……?」
「うん、良かった。健人は本気ではっしーのことを好きになったわけじゃない。……そうでしょ?」
駅前までやってきた二人は、少し間合いをとった状態で向かい合う。たまにその間を通過する歩行者がいるものの、それでも二人を分け隔てるほどではなかった。
「……何を考えてるんだ?」
「さあね。……私今日ちょっと行くところがあるから、ここで別れないと。じゃあね」
春奈は勝手に話を終わらせて、別れの挨拶を口にする。
「ちょっと待て……!」
健人は春奈を呼び止めようとするも、春奈は足早に駅の改札口へと去っていった。健人は春奈を見届けた後、その場で立ち尽くす。
春奈が何を考えているのか、健人は必死になって考える。しかし、春奈と長く一緒にいた健人でさえ、理解するには至らなかった。ただそれもそのはずで、こんなことは二人にとって初めての体験である。健人に春奈の気持ちが分かるはずがなかった。
健人は一人になってからしばらくした後、ゆっくりと足を動かし始める。辛い目にあったわけではない。それでも健人の心には、何かが深く刺さっていた。
「……あれ、健人?」
健人が力なく家に向かって歩いていると、今では聞き慣れた声が届くいてくる。健人はゆっくりと顔をそちらに向けた。
「元気ないですね、どうかしましたか?」
何も知らない榛名が健人に明るく話しかけてくる。ただ、今の健人にはその明るさが面倒に思えた。
「……何でもないよ」
健人はそう答えて足を再び動かす。しかし、榛名に手を掴まれて健人はすぐに立ち止まった。
「嘘ばっかり。何かあったんですね?」
榛名はすぐに健人の異変に気付いて心配する。健人はそれでも、榛名に勘付かれないように振る舞った。
「今日は用事があるんだ。悪いけどまた明日な」
健人は最後にそう言い残すと、逃げるようにその場から離れた。榛名はただ健人を心配していただけである。後になって、健人は自分のことを強く責めた。




