第五章 困惑(2)
夏休みが終わって九月に入ると、各人は再び学校で顔を合わせるようになった。ほとんどのクラスメイトは各々と夏休みの間に顔を合わせておらず、全員が夏休みの出来事について、話の花を咲かせていた。
健人もいつも通り、守や榛名と暇な時間を過ごす。夏休みの間、守とはしばしば顔を合わせており、榛名とはそれ以上の頻度で会っていた。そのため、健人は比較的暇を弄ぶことなく夏休みを終えた。
しかし、夏休みの終わりと同時に、健人はある一つの懸念事項を抱えることになった。それは、春奈との関係についてである。
夏休みのほとんどの時間、春奈は部活に時間を使っていた。ただそれを踏まえても、健人と春奈はいつもの夏に比べて顔を合わせていなかった。それは夏季キャンプを終えた後から続いており、健人はそのことで困っていた。
二学期が始まって数日後には、守でさえそのことに気付いた。
「……健人、春奈ちゃんと何かあっただろ?」
学校生活に再び慣れてきたある日の放課後、守が前触れなく健人に尋ねる。健人は自分も守と同じようなことを感じていたため、いつものように適当にあしらうことはできなかった。
「何もないはずなんだけどな。……守も気付いていたか?」
健人は教室に春奈がいないことを確認してから口を開く。榛名は二人の会話が聞こえない場所で、クラスの女子と話している。
「当たり前だ。放課後になれば必ず健人に声をかけてから部活に行ってた春奈ちゃんが、今では健人が見えていないみたいだ。……まさか酷いことしたとか?そうだとすれば、俺は親友として健人を殴らないといけない」
「馬鹿言うなって」
健人は守の言葉を聞いて否定する。春奈を傷つけるようなことをした記憶など全くない。そのために、健人は原因を突き止められないでいたのだ。
「あとそういえば、健人と遠藤さんの仲が噂されてるけど。……これは何かの誤解だよな?」
守は続いて、榛名との関係について質問してくる。健人は心の中で焦った。
「そんな噂があるのか?」
健人は何も知らないふりをする。すると、守は流れている噂について話し始めた。
「夏休みの間、俺に内緒で遠藤さんと何度か出かけていただろ?たくさんのクラスメイトがそれを目撃してる」
「……あ、ああそういえば。でもちょっと顔を合わせただけだ」
健人は少し挙動不審になって答える。しかし、守の表情は厳しかった。
「健人、正直に答えてみろ」
「な、何をだ?」
「遠藤さんと付き合ってるだろ」
「………」
ストレートな質問に、健人は何も言い返せなくなる。守に追及されたことが今までになかった健人は、初めての経験に顔を引きつらせた。
「やっぱりな。実際この時になってみると、笑うことも出来ない。何で言ってくれなかったんだよ?」
「……だってお前に話すと言いふらすだろ?」
健人は、夏季キャンプの時から守に隠していた理由を伝える。守はそれを聞いて、大きくため息をついた。
「確かに俺は言うかもしれない。だから俺に隠してたことは許してやる」
「なんでお前の許しがいるんだよ……」
健人はそう小さく文句を呟く。ただ、健人は守のその言葉に安心していた。榛名との関係を隠していた健人だったが、内心守に申し訳なく思っていたのだ。
しかし、守は違う視点から健人のことを責め始めた。
「ただ、俺は別のことでちょっと怒ってる。どうしてか分かるか?」
「……どうしてだよ?」
「春奈ちゃんにそのことを黙っていたからに決まってるだろ?俺は鈍感だから、健人と遠藤さんが付き合ってるって気付いたのは最近になってからだったけど、春奈ちゃんはきっと違うはず。今までずっと健人の隣にいた春奈ちゃんが、すぐに気付かないはずがない」
「それはそうかもしれないけど。……でも気付いてるなら俺から言う必要もないんじゃ?」
健人は守の主張に言い返す。健人自身、榛名との関係について春奈が気付いていないとは思っていない。しかし、それが春奈に何か影響を与えるのかと言われれば、それはないはずだった。
何故ならば、春奈はこれまで健人と親しく過ごしてきた人間であるが、それ以上の関係を望んできたことが全くないからである。榛名よりもはるかに長い時間をかけて何もなかったということは、健人と春奈に幼馴染以上の関係は存在しない。健人はそう考えていたのだ。
ただ、そんな考えを守は批判する。
「健人は俺以上に馬鹿野郎だな。春奈ちゃんがどう思っているかなんて……。いや、俺がこのことを言うのはやめよう。……ただ、親友として一つ言っておく。遠藤さんと付き合うことはいいことだと思うけど、だからと言って春奈ちゃんを蔑ろにしてあげないでくれ」
「そんなことしてないだろ……」
「約束だぞ!」
健人が文句をつけようとするも、守は強い口調で詰め寄ってくる。健人は仕方なく、頭を掻いてから頷いた。
「この話は終わりにしよう」
健人が守に提案する。健人と榛名の関係は、言い争うほどの話ではないのだ。
「分かった分かった。じゃあ、春奈ちゃんのことは健人を信じるとして、俺は一つ知りたいことがある」
「……まだ何かあるのか?」
健人はまだこの話が続くのかと感じて、ややぶっきらぼうに答える。守は周囲に誰もいないことを確認してから、ある一つの質問を健人に行った。
「どっちから言い始めたんだ?健人から告白を?それとも遠藤さん?」
「それは……向こうから」
健人は事実だけを述べる。守はそれを聞くと、大きく頷いて納得した。
「そうだよな、健人に自分から言いだす勇気なんてないよな」
「言い方がムカつくな」
守は何も間違ったことを言っていない。健人から女性に声をかけたことなど、今までの人生で一度もないのだ。しかし、守にも同じことが言えるはずだった。
「で?なんて言われたんだ?」
「普通な感じだ。普通が分からないけど、多分あれは普通だったと思う」
健人は面倒臭く感じつつ適当に答える。ただ勿論、守はそんな返答では満足しなかった。
「どこが好きかとか言われてないのか?いや、言われてるはずだ。言え!言って楽になれ!」
守は声を大きくして追及する。その声はクラスに響くほどである。健人はそんな今の状況を見て、鞄を素早く肩にかけた。
「帰りながらでいいだろ?」
健人は守にそう伝え、急いで教室から出て行こうとする。守も話のためならばと肯定して用意を急ぐ。しかし、そんな二人を捕まえるように、健人の肩はがっしりと誰かに掴まれた。
「何の話をしていたのですか?」
いつの間にか帰り支度を終えていた榛名が、健人の後ろから声をかける。健人は配慮を全くしなかった守を恨みながら、作り笑いで榛名に対応した。
「いや、何もない。今から帰ろうとしていたんだ」
「そう……。狭川君、何の話をしていたの?」
健人からは情報を得られないと思ったのか、榛名は守に声をかける。ただ、、榛名が本当に何も分かっていないはずはなかった。
「いやぁ、この鈍感野郎をどうやって落としたのか気になっただけで」
守も榛名を目の前にして少し萎縮する。しかし、榛名はそんなことを気にする素振りも見せず、にこりと笑って頷いた。
「好きっていっただけです。そうですよね、健人?」
「……そ、そうだったかな」
健人は短く答える。健人も健人で、榛名が変なことを言いださないか心配になっていたのだ。
「じゃあ健人のどこがいいとか、そういうことは何も?」
守は頬を痙攣させながら質問を付け加える。自分で言っていて恥ずかしさがあるようだった。
「それは……言ってませんでした。あの時の私、かなり緊張していたから。聞きたいなら教えましょうか?ね、健人?」
「そんなのいいから」
榛名の笑顔に襲われる中、健人は榛名の申し出を断る。この場でそんなことを言い出されては、健人の身が持たないのだ。
ただ、榛名も本気で言っていたわけではないようで、守から新たな質問がないと判断すると健人の隣に陣取った。健人もこれ以上話すことはないと思い、やっとの思いで教室を出た。榛名は健人の隣を、守は二人の少し後ろを歩いている。
三人はその立ち位置のまま校門まで向かう。するとそこで、榛名がおもむろに口を開いた。
「そういえば、狭川君は早織とどうなんですか?」
「……は?な、なんだ突然?」
守の動揺した声があがる。すると、榛名は言葉を続けた。
「この前メールでやりとりした時、狭川君がすごい優しいとべた褒めしていました」
「へぇ。良かったな、守?」
健人は今まで散々遊ばれたお返しとして、守に意地悪くそう口にする。守は視線を泳がせて動揺していた。
「早織の好きなところを教えてくれたら、私も健人の好きなところを言います」
「どうしてそうなる!?」
守が標的になったと思っていた健人は、巻き添えを受けそうになってツッコミを入れる。ただ、これが榛名の目的だったのかもしれないと考える。
それから少しの間、榛名から色々な質問を受けた守は、最後は逃げるようにして分かれ道に逃げ込んでいった。健人と榛名はそんな守の背中を二人で眺める。
ここから榛名の住むマンションまでは二人きりとなる。健人は自分が榛名の標的になるのではないかと心配しながら、駅に向かう道を進んだ。
二人きりになってから、最初に口を開いたのは榛名だった。
「それで?教室では何の話をしていたのですか?」
「それは……守の言った通りだ」
健人は恥ずかしく思いつつ事実を述べる。すると、榛名は少しだけ考える素振りを見せた後、再び健人に話しかけた。
「心配になっていたんですか?」
「何の話だ?」
「私が健人の好きな理由を言ってなかったことです」
榛名は直接的な表現で健人に詰め寄る。曖昧にしたり誤魔化したりしていないため、健人にははっきりとした返答が求められた。
「……心配はしていない。だけど、不思議に思ったことはある。はっしーは俺と今年会ったばかりで、お互い何も知らない。だからどうしてはっしーが俺にそんな感情を持ったのかと思って」
「そんな感情というのは恋愛感情のことですか?」
健人が遠回しに表現したことを、榛名は直接的な言葉に言い換える。間違ってはいなかったため、健人はそれを否定しなかった。
「その言い方じゃ、健人は私に恋愛感情を持っていないってことですよね?」
「それは……」
健人は榛名に指摘されてから、自分の失言に気づく。建前上であるとしても、健人は榛名のことを好きだと言っている。そのことを榛名が気付いていないとは思えなかったが、それでも自分の口から言ってしまうことは大きなことだった。
ただ、榛名はそんな健人を責めることはしなかった。榛名は落ち着いた様子で説明を始める。
「確かに私も、キャンプの時の自分の行動は突拍子で大胆だったと思います。欲を言えば健人から言って欲しかった言葉も、健人の周りの様子を見ていたら待てなくなってしまいました」
「どうしてそこまで……?」
健人は核心をつく質問を榛名に投げかける。榛名は苦しそうな様子で話を続ける。
「健人は今までに誰かを好きになったことがありますか?私は健人を含めて、今までに何度かあります。だから私には分かるんです。何かの条件だったり、ある程度の関係を作っていなくても、人は誰かを好きになれるということが。不良に絡まれている私を健人が助けてくれる前から、私は健人が好きでした。これはおかしいことですか?」
榛名は唇を噛み締めて健人を見つめる。対する健人は、榛名の感情のその奥を知って返答に困った。恋愛感情に疎い健人は、榛名がここまでしっかりとした考えを持っているとは思ってもいなかったのだ。
「俺は……正直まだはっしーのことが分からないし、だから本当はどんな感情を自分がはっしーに持っているのか分からない。だけど、はっしーと一緒にいて少しは分かったかもしれない。俺も雰囲気に飲まれていたことは否めないから」
健人は正直に、自分の行動が空気のように流れ、不安定であったことを認める。榛名はそれを聞いて、小さく何度も頷いた。
「私が特殊なだけで、健人は普通だと思います。……でも、きっと私のことを本当に好きになってくれると信じています。私がそうしてみせますから」
榛名は健人の前で決意してみせる。それを聞いた健人は、純粋に榛名の考えを不思議に感じた。また、人間の感情ほど複雑なものはない。健人はそう思うしかなかった。
健人は、自分でも比較的分かりやすい行動をしていると思っている。榛名ほど理由もなく自分の行動を決定していないのだ。
しかし、榛名は賢く理性的であるのにもかかわらず、健人に対して不可解な行動をすることが多い。また、不可解な点が多いからといって、榛名が考えを鈍らせている様子はない。健人はそのことを面白いと感じていた。
占い師は今や健人の知らないところにいて、進展してしまった榛名との関係をどうするべきか、彼女に尋ねることはできない。健人は二人の「はるな」と注意して接触していたが、結局は榛名の異常な行動力の前にその計画は失敗に終わっている。健人には、このことを占い師が笑って見ているような気がしてならなかった。
ただ、物事の転がり方は突然だったものの、結果として健人は榛名の感情に飲み込まれることになった。問題がないのであれば、健人はこのまま身をまかせても良いのではないかとさえ考えてしまう。
しかし、占い師が残した「はるな」という問題はそう簡単には終わらなかった。問題が表面化したのは、二学期に入って一ヶ月ほどが経った頃だった。




