そこにいる誰か
女の屋敷に居ついて七日が過ぎた。相変わらず暴走することはあれど、ルシオラとハウメルが抑えてくれるおかげでさほどの問題にはならずに済んでいる。自分の体をコントロールできないのは、やはり大きな問題だな。
他の怪物について、女は情報をハウメルに集めさせていた。いい情報は未だに見つからないものの、一つだけ確かな情報を持ってきた。
あの女の別館にもハウメルは訪れており、そこで牢屋跡を見てきたらしかった。食い殺された無惨な死体はあったそうだが、その中でも俺達がいた牢には誰の死体もなかったという。つまり、みんな生きてはいるんだ。人の範疇から外れてはいるのだろうが。
みんなを捜したい。生きている可能性が見えた以上、いても立ってもいられない。だが、どこを捜せばいいのだろう。他のみんなには家がない。どこに行って、どこで寝て、なにをしているのだろう。想像が付かない。同じ世界のどこかにいるはずだというのに、あまりに世界は広すぎる。
当てもなく捜しても、一体いつ出会えるのか分かったものじゃない。ここは忍耐だ。耐えることには慣れている。もう少し、待つんだ。
部屋のドアがノックされ、ルシオラが入ってきた。起き上がって見上げてみれば、彼女は嫌そうな顔をしている。なんだ、なにかしただろうか?
「汚い部屋だな。掃除するから、外にでなさい」
ああ、そういうことか。綺麗好きな奴だな。どうも俺が思う綺麗な部屋と、彼女の思う綺麗な部屋は違うようだ。一昨日掃除したばかりなのだから、そう汚くないと思うんだがな。牢屋に比べれば天地の差がある。
いや、これは最早あいつの仕事を通り越して、ルシオラの趣味が掃除なのではないかと疑うレベルだ。事実、掃除をしているときのルシオラは清清しい表情をしている。部屋の外から黙ってその様子を眺めていると、ルシオラがそれに気付いた。
「なんだ、まだいたのか。食事もできる頃だろう。食堂にいったらどうだ?」
「ルシオラは行かないのか?」
「私の仕事は食事を作るだけじゃないんだ。君の世話もしなければいけないが、掃除を怠るわけにはいかない。食事に関してはハウメルが用意しているはずだ。我が主にはお一人で食事されるより、君がいたほうが退屈しのぎになるだろう。だからご一緒しなさい」
「ルシオラがいないと、少し不安だな。俺、いつ暴走するかわかんないし」
「……私に懐くなよ。犬は嫌いなんだ。私がいなくともハウメルがいるし、なにより我が主もいるんだ。もし暴走したら――私のしつけよりよっぽど厳しくしつけられるだろう」
手で追い払われると、俺は渋々食堂へと向った。相変わらず廊下が長く、また雅な装飾が施されている。花瓶一つでさえ繊細な絵が描かれていて、多分その価値は俺が奴隷として売られていた時の値段を遥かに上回るのだろうと思った。
最近、ルシオラによく犬扱いされるものの、確かに犬染みた能力を身に着けつつある。嗅覚が敏感になったのはその一例だろう。離れた場所でも、魚介類の香り、パンの香ばしさ、食後に出すのであろう茶葉の香りすら判断できる。そして混じる女の匂い、ハウメルの香り。どこか血の匂いすら感じる。
身体能力も日に日に向上している。狼化するのはまだ不安定だけど、これもその内扱えるようになるんだろう。食べ物の香りに釣られてか、影の尾が出てきた。それは左右に勝手に動き、俺の心情を表現しているようだ。食べ物の匂いで喜んでいる辺り、情けないな。
食堂へ入ると、女が先に食事を始めていた。俺に気付くと席に座るよう目で促し、ハウメルが椅子を引いて場所を指定する。俺がそこに座ると、すかさずハウメルが食事を持ってきてくれた。さっきかぎ分けた通り、魚介を中心にしたメニューらしい。
「アニマ、もう屋敷には慣れたかしら?」
「ああ、おかげ様でな」
「そう、それは良かった。ハウメルから聞いたかしら? 怪物の話」
俺が目を点にすると、女は冷たい瞳を従者へ向ける。すると、ハウメルが前に出て誇らしげに語り始めた。
「長らく情報がありませんでしたが、各地に放った従者達から興味深い情報を得ることができました。自我のある怪物と、自我を失った怪物の話です。どういうことかといえば、アニマ君のように自我を保った奴隷達はその身を隠しているようで、こちらは動きがなければ掴みようがない。
しかし、自我を失った怪物――例えばあの双頭の犬のような怪物ですね。こちらは憚ることなく出現を確認できています。しかし、どうもこの自我を失った怪物は一頻り暴れると人に戻るようで、永続的に怪物であるわけではないようなのです。そして、人に戻れば怪物の記憶がなくなっていると思われます。
現在、一人の奴隷を従者が尾行しています。場所はここから西方にある町、ネィゴ。こちらは自我を失うタイプですね。人に戻った後、困惑してなにが起こっているのか分からないといった様子も確認できています」
ようやく出てきた情報。みんながどれほど離れているのかは知らないが、まずはその子を捕まえてみる必要がある。そうさ、ようやく先に進めるんだ。この力で必ずみんなを――!
いや、待て待て落ち着け。捕まえたとして、どうすればいい? この女、元に戻す方法を本当に知っているのか? 知っていたとして、協力するのだろうか? 疑問を孕んだ俺の瞳を覗きこみ、女が小さく笑んだ。
「元に戻せるのか、なんて訊かないで頂戴ね? 私を誰だと思っているの? あなた達の製作者よ? もし、あなたがお友達を連れてこれるのであれば、治してあげるわ」
「嘘じゃないだろうな?」
「つまらないことを訊くようなら嘘ってことにしようかしら?」
「えっ、いや、信じるから! 必ず治せ、いや治して、ください」
「ふふ、本当に愛らしい子。そうね、治してあげてもいいけど、一つ条件があるわ。生かして私のもとに連れてくること。これが絶対よ、いいわね? 泣こうが喚こうが、怪物を捕まえたら私の元に連れて来ない限り、助けてあげないから」
俺が頷くのを見て、女は再び食事に戻る。俺も腹の虫が鳴いてしょうがないため、食事に手をつけた。これも食べたことがない味で、とても美味しい。夢中になって食べていると、女が俺を眺めているのに気付いた。その目はどこか愛おしげだ。
「な、なんだよ?」
「いいえ、なんでもないわ」
少し恥ずかしい。悪かったな、まだ子供なんだよ。いいじゃないか美味しいものに夢中になったって。ああもう、なにこの魚、すっごい美味しい! みんなにも食べさせてあげたい。グラディウスが食べたら、きっと騒ぎに騒ぐことだろう。
ハウメルがやたらと誇らしげに胸を張っている。料理、意外と上手なんだ。ルシオラがいないと駄目なわけじゃないのか。女の従者は優秀な人材が揃っているらしいな。
とりあえず、そのネィゴとかいう町に行ってみないと。自我を失わないように気をつけなきゃ。もしもそこにいる奴隷がフロース達の誰かであるなら、なおさらだ。
ちらりと女を見れば、女は何も言わずに頷いた。行くなら勝手に行ってよいらしい。別に許可がいるわけではないだろうけど、一応な。一応確認は取っておかないと。
「ハウメル。そのネィゴってところまではどの道を通って行けばいいんだ?」
「ご案内します。お一人では心細いでしょうし」
「そんなことない。一人でもいい――けど、付いてきたいなら付いてきてくれても、いいけど」
「ではご一緒します」
「……なあ、その、レディ? こいつ連れてってもいいか?」
「それが使いたいなら使っても構わないわ」
実の弟をそれ呼ばわりか。どうも、あの女はハウメルのことが好きではないらしい。だがまあ、許可は取れた。飯を食べたら、早速行こう。
食事を終えると、ハウメルは町へ行く準備をするため、俺には部屋で少し待機して欲しいとのことだった。偵察に行った町で買ってきた服を持ってきてくれるらしい。なんとなく思ってはいたが、やはりあの女からもらった服は高級品で、そこらの一般人が持てるような代物じゃないとのことだった。
俺にとってはどちらも高級品なんだがな。
それにしても、あの女どうやって金を稼いでいるんだろう。いや、不老不死がどうの、奴隷を怪物に変える薬だの、そんなものを生み出せる奴ならどうとでも稼ぎ方はありそうだけど。
ハウメルの言う通りにし、一度部屋に戻った。戻ったのだが、自分の部屋かどうか悩むほど様変わりしており、少しの間、入るのを躊躇う。光沢すら見えるほど磨き上げられた床。しっかりと伸ばされ皺のないベッド。埃など微塵も舞っていない。そして、すっかり綺麗になった部屋の中に、ルシオラがいた。
「ふ、ふふふ……いい輝きだ。この輝き、ああ! 清潔な部屋はいい!」
床にへばりつき、光る床をうっとりと眺め恍惚とするルシオラに、どう声を掛ければいいのか分からない。出入り口から向こうに行くことを体が拒んでいる。
こいつは人の部屋でなにをしてるんだ……?
やがて、ルシオラが俺の存在に気付いたらしい。恐らく、あの女に匹敵するであろうほど冷めた目をした俺と目が合った途端、彼女の顔は赤く染まった。床にへばりついた体勢のまま。
「い、いつからそこにいた?」
「少し前」
「いたならいたと声くらい――」
「なあ、ルシオラ」
「な、なに?」
「ルシオラが自分の部屋に戻ってきたとして、ハウメルが床に頬ずりしながら悶えてたら、なんて声をかける……? いや、声かけれる……?」
「そ、それは――私、そんなに酷かったか……?」
「自分の部屋戻ってきて、床見て笑ってる奴がいたら、変態、変人、不審者以外の言葉は出てこないと思わないか?」
「……潔く認めよう、すまなかった」
「俺も今見たものは忘れるから」
ルシオラが立ち上がって壁に立てかけていた掃除用具を手にする。まだ顔は赤い。恥ずかしさを消すかのように、一度咳ばらいをする。
「と、ところで食事は終わったようだな?」
「あ、うん。これからネィゴって町に行くんだ」
「君一人でか?」
「ハウメルが案内してくれるらしい。あの女の許可も取った」
「なるほど、例の怪物とやらが見つかったのね」
「ああ、どうにかしてここに連れてくる。そうすれば、元に戻すって約束だ」
「……約束ね。まあ、なんだろう。見苦しいものを見せた詫び、というわけでもないけれど」
「なんだよ?」
「我が主は気まぐれな方だ。約束など守るかどうかはあの方のさじ加減だぞ? あまり信用しないほうがいい。そもそもそんな約束をするということは、我が主は君が一人としてお仲間を連れてこれないと判断したに違いない」
「ふん、あの女の性格なんて、あの別館で嫌という程知ったさ。だけど俺は怪物で、連れてくる奴だって怪物だ。あの女がどれだけ優秀かは知らないが、怪物二匹で脅せば治さざるを得ないだろ」
「力で脅すつもりとは、呆れた奴だ。だが、あの方はそんなに甘い人ではないよ」
少しだけ、ルシオラの表情が暗くなった気がした。前から思っていた。ルシオラはどうしてあの女に仕えているんだろう。普通ではない体だし、もしかしたらルシオラも俺と同じように……?
考え事を遮るように、わざとらしく壁をノックする音が聞こえた。振り返ると、ハウメルが服を手にして立っている。もちろん、ルシオラにも見えるようにして。
「仲が良いようですな。少し、二人きりにした方が?」
「変な勘繰りはやめてもらおうか。私がこんな子犬、相手にするわけもない」
「誰が子犬だ!」
「君以外に、該当する子はいないと思うのだけど?」
「はっはっは、喧嘩するほどなんとやら。実に仲睦まじくて羨ましいですな」
「「ふざけるな!」」
俺とルシオラの意見が合致した瞬間だった。ハウメルは肩を竦めて怖がるふりをしている。すごく腹が立ったせいか、勝手に腕が黒く染まり始めた。それを見て、さすがのハウメルも謝ってくる。
「いや、ルシオラがこうも話しているのは久しぶりに見るのでね。ついからかってしまったよ」
「そんなことだから我が主に嫌われるんだ。ところで、何しに来た?」
「町に行くのです。そのためには、我が主のお与えになった衣服では目立ちます。着替えてもらうことにした」
「やれやれ、ではハウメルは部屋の外に出ていてもらおうか? 着付けは私の仕事だ。この子犬では、服の着方もわからないだろうからな」
「ふ、服くらい、俺だって……」
「折角の新品なんだぞ! 皺をつけるのはもったいない!」
「おい、思いっきり私情が絡んでるぞ!」
「では任せるよ」
ハウメルから新品の服を嬉しそうに受け取ったルシオラ。そして嫌そうに俺へ視線を移すと、ため息交じりに着付けを始める。その間に、ハウメルは部屋の外に移動した。
「折角の新品が……」
ぶつくさと言いながらも、手慣れた様子で衣服を着せ替えるルシオラ。さすがといえばさすがなのだが、嫌そうにやられるとこちらも気分が悪くなる。
服を着替えると、確かに肌触りが違う。あの女にもらった服に比べると、非常に荒くて硬い印象だ。白の生地なのは、黒い人狼に変わる俺への当てつけなんだろうか。
「おい、終わったぞ」
「おお、さすが私の見立て。よくお似合いですよ」
ハウメルは屈託なく笑った。当てつけじゃない。こいつ、素で相手にとって都合の悪いプレゼントを選ぶタイプだ。あの女が嫌う理由が、なんとなくわかったかも……。
「では参りましょう。ネィゴへ」
「ああ、頼む」
外に出て、馬車に乗り込む。向かう先は人の町。そこに、俺と同じ怪物がいる。