喰らうもの
女に抱えられ、俺は活力なんてものを失いながら用意された馬車へと乗り込む。怪物の雄叫び、あるいは悲鳴に似た声は既に近辺から聴こえており、檻からは既に解き放たれているようだ。
馬車を引く馬には首がなく、しかして精強な肉体を持っており荒く地面を蹴っている。女が指示を出すと、馬は前へと駆け始めた。これだけでもおかしいはずだが、今の俺には大した衝撃ではない。
みんな化け物になったというのに、そんな馬ごときに驚く訳がない。いや、もしも化け物になり損ねた子がいたらどうだ。奴らは人を喰いそうな見た目をしていて、聴こえる鳴き声におおよそ理性など感じない。きっと襲われる。
なり損ないの子の中に俺のかけがえのない友人達が一人でもいたら。今頃は、もう……。
考えたくない考えを振り払いたくて、馬車の外に目を向けた。屋敷の外は森に覆われており、人里からは随分離れているようだ。護衛が馬に鞭を打って方向を調整しており、女は外を眺めていた俺を抱えて寝かせると、頭を撫でてきた。
「ふふ、お気に入りを一人手元に残すっていうのも悪くないわ。アニマが私に会いに来なければ、今頃あの中にあなたもいたのよ?」
「お前のせいで、みんなは!」
俺は上体を起こして女を睨みつける。だが情けないことに、俺の目からは涙が溢れていた。
みんな、あの化け物になった。もしくは、化け物に食われたか殺された。優しくて気配り上手だったフロースも、知識欲の深いオルニットも、元気が取り得のグラディウスも、一番守らなければいけなかったゼノも! みんな、あの中にいるんだ。
俺一人だけ、何事もなく生き残ろうとしている。いつだって痛みを分かち合った仲間、いや兄弟たちが苦しんでいるというのに、俺だけがこんな形で生き残るなんてできるわけない!
女が俺の頬を撫で、そして首を掴んできた。自分の顔の直ぐ側に引っ張られると、狂気を孕んだ笑みを浮かべて、俺の瞳を覗き込んでくる。
「アニマ。思慮深い私の可愛いアニマ。聴こえるかしら?」
なにを、と言い掛けたが、獣の猛り声が近くで聴こえた。それは犬の鳴き声のようだが、遥かに大きく、そして二重になった獰猛な鳴き声だ。
「我が主! きます!」
「分かっている。足の速いことね。さて、アニマ。あなたの記憶を呼び覚ましてあげる」
馬車が減速し、やがて停止すると女が俺の手を引き、外に出て行った。おぼつかない足で外に出ると、馬車に追いすがってきたものの姿を肉眼で捉える。馬車二つ分程度の距離を空けて制止したそれは、人の原型など留めていなかった。
双頭の犬が吼えた。犬と言っても、馬を超える大きさだ。毛並みは深い茶色で、目は爛々と赤く輝いている。杭のような犬歯を剥き出しにしながら、涎をぼとぼとと垂れ流す姿に理性など感じない。そこにいるのは紛れもない捕食者だ。
「行きなさい」
「え?」
「あなたが、この獣を相手なさい」
「そんなこと、俺ができるわけないだろ!?」
「あらアニマ、なにを勘違いしているの? お願いしてるんじゃないのよ、これは命令。行きなさい」
脳に焼きついた最低の日々の記憶が、俺の足を勝手に動かした。逆らう意思はあっても、体は命令に従順になりきってしまっていた。双頭の犬が唸りをあげる前に出ると、今にも噛み付いてきそうなほど歯を何度も噛みあわせている。
恐怖が思考を塗り潰す。同時にそれは、俺の中にあったものを揺り起こした。
強烈に残る記憶。死の恐怖を強く感じたのは、これが初めてじゃない。あの女に連れられて――そうだ、あの真っ黒な薬を飲んだその時、俺は体の内側に炎が燃え盛る錯覚を覚えたんだ。死んだほうがマシだと思えるほどの苦痛だった。
内側を灼熱で焼かれ、そして全身を剣で刺されるような感覚。異なる二つの痛みをはっきりと感じながらも、俺の意識が途絶えない。気が狂うほどの激痛に苛まれながらも、実際は無傷であり発狂することもなく正常であることが、より一層俺を苦しめた。
死ぬと思えるほどの痛みを超えた先を、今この化け物を前にして思い出しかけている。苦痛の先に、俺の心の中で一つの欲求が強まったはずだ。それはなんだった? 徐々に戻る記憶と共にそれが甦ってきている。
女に怒りを覚えた。だが違う、怒りじゃない。もっと単純なものだった。湧き上がる衝動を抑えられなかったんだ。それってなんだった? 思い出すたびに、怪物に対する恐怖心が薄らいでいく。ああ――俺はあの薬を飲んだんだ。隣にいた子を蜥蜴人間に変えた、あの悪魔の薬を。そうだった、そうだよ。
俺は――。
双頭の犬が俺に大口を開けて迫った。真っ白い牙が交差し、俺の肉体を引き裂いた。上半身と下半身が分かれて、腹から上だけになった俺は犬の口の中で笑った。笑うしかなかった。渇いた笑い声が、犬の口に響いた。
痛みがない。半分に分かれた体から血も出ていない。ああ、思い出したよ。俺はもう既に人間じゃないんだ。そうさ、皆化け物になったって、自分で言ったじゃないか。間違いない――俺が先駆けだったんだ。
「俺も化け物なんだよ! お前らと同じ! 化け物なんだよ!!」
体の底から叫ぶ。指先に力が篭ると、俺の体を黒色が侵食していく。俺の大嫌いな黒色が全身を覆っていくと、力一杯腕を上に突き上げる。硬い肉を突き破り、指先が口内よりも冷たい外気に触れた。力なく犬の口が開くと、俺は腕を引き抜いて外に転げ落ちる。
下半身はそのまま倒れていたが、俺が腕だけで這い寄ると、反応したのか俺の下半身もまた黒色に染まり、形なく水のように変化すると、そのまま俺にくっついてきて、そのまま足の形を再構築した。足は、犬のような逆関節になっており、しかして腕は人間のような骨格を成している。真っ黒い尾のようなものが尻の上らへんから出てくると、それは不安定に形を崩しては整って形どった。
俺の姿も犬に似ている。だがそんなものはどうでもいい。今の俺には、心の底から湧きあがる衝動があるのだ。怒りではない、悲しみ、恐怖、そんな複雑なものじゃない。もっとシンプルな欲求が思考を埋め尽くしていく。
食べたい。あの犬を、喰らい尽くしたい。肉の一片も残さず、骨の髄まで全てを食い尽くしてやりたい! どうしようもない食欲が俺を突き動かす!
頭を貫かれた片方の頭は動かない。もう一方は怒り狂って俺に襲い掛かってくるが、俺は何度食い千切られようと、その爪で引き裂かれようとも、痛みは感じない。裂かれた先から、傷は元通りに戻っていく。水を棒で叩いたときのようなものだ。
俺には形がないんだ。だが、俺が攻撃する意思を示すと指先に感覚が走った。それを犬に向って振り下ろすと、確かに深くその肉を抉ることができた。一撃加えると指の先から感覚が失せる。一度そのまま爪を振るってみるが、感覚がない状態で攻撃をしても、自分の指先が崩れてしまうだけだった。
どうなってるんだ? 自分の体に慣れない。ああ、早く目の前のこいつを喰らいたいというのに!
俺の形なき尾が肥大化した。一呼吸ごとに、大きくそして薄く。それは巨大な刃のように見えた。それを見てか一度尻込みしたものの、双頭の犬が唸りを上げて襲い掛かってきた。俺は衝動に任せてその尾を思い切り犬の頭に叩き込むと、抵抗など感じることなく、双頭の犬は真っ二つに裂かれて血だまりに沈んだ。巨大な肉塊を前に、裂けた口が歪む。
獲物の側に寄ると、全身に熱が篭った。指先がまだ温かい血に触れ、試しに舌で血を舐め取ると、甘美な味わいが食欲を増進させる。俺は耐え切れず、夢中になってその獲物に喰らいついた。骨ごと肉を食い千切り、咀嚼を始めて味を堪能し始めたところで、声に反応した。女の声だ。
「素晴らしいわ」
俺は今、至福の一時を楽しんでいるんだぞ。これを邪魔する奴は許さない。女に向って唸りを上げ、黒い指先を鋭く尖らせる。
「でも、いいのかしらアニマ?」
この女は、なにを言っている。誰を呼んでいる。誰のことだ。
「そんなものを食べるなんて、あなた嫌いそうだけれど」
俺を知っているこの女は、見覚えがある。アニマって言った? アニマ、聞き覚えがある、いつの日か、ついさっき? 誰かが俺をそう呼んでいた気がする。金髪の子が、フロースが。ゼノ、グラディウス、オルニットがそう呼んだ。そうだ、アニマは俺だ!
我に返った俺は、今自分の口の中にあるものがなんなのか理解した。即座に嘔吐感がこみ上げ、俺は血だまりに自分の胃の中身をぶちまけた。同時に、体が元に戻っていく。それはちゃんと人の肌で、確かな感覚を持っていた。だからこそ、わかる。口に入れた血の味、肉の食感、自分がなにをして、どうしたのか。
何度も咳き込み、吐き出した。もう胃になにも入っていないと分かってもなお吐かずにはいられなかった。我を失っていた。なんで、分かっていたのに、あの化け物がなんなのか分かっていたのに、どうして俺は食べたいなんて思ったんだ!?
「俺、俺はなにを、なにをした? なにが起きて」
さっき俺は化け物と対峙して、化け物になって殺して人を食って、完全におかしくなっていた。直前まで確かに俺は人だったはずなのに、化け物と対峙してからどうなったのか記憶が曖昧になっている、気が付いた時にはまるで他人事のように、自分の名前すら忘れていた。
あれが化け物になるってことなのか? 異常な食欲が俺を飲み込んでしまった。自我など無視して俺は、化け物を美味しいと思いながら一心不乱にその肉を食って――。
「落ち着きなさい」
俺の口を塞ぎ、胸に手を当てるようにして抱いてくれたのは、忌まわしい女だった。だが、誰よりも憎いはずの女が、今はなによりも安心させてくれる温もりをくれた。零れる涙を拭いてくれたその手を、俺は握って嗚咽を漏らした。
「ああ、うあ」
「美しかったわ、あなたの姿はなによりも。形のない狼男。影のような体を持っていたから、名付けるなら影狼とするべきかしら。さあ、まずは休みましょう」
女に抱えられて、俺は再び馬車に乗り込み、どことも知れない道を走る馬車に揺られ続けた。女になにか言われていたが、覚えることはおろか、なにも考えることができない。俺はどうしたらいい。なにを考えればいいんだ。みんなはどうなったんだ? 頭が痛い。
体を丸めて目を瞑っていたせいだろう。気が付くと、寝ていたらしい。どれだけ馬車に揺られていたのか分からないが、体のあちらこちらが痛い。窓から外を覗いて見ると、知らない森が続く景色の先に古びた館が見えてきた。長い年月によって風化した壁に植物の蔦が絡んでおり、おおよそ人が住んでいるような様子はない。錆びた門と崩れた塀も合わさって廃墟のようだ。隣に座る雅な女の館とは大違いだ。
「着いたわ」
馬車が停止して降りると、朽ちた洋館が眼前に広がる。館を見上げていると、間抜けな顔をしたのだろうか。女は笑ってここが目的地であると告げた。聞けば、この今にも崩れそうな館が女の住居だという。俺達がいたあの館は女の所有する別館だというから驚きだ。
軋むような音を立てながら開く扉を開けて中に入れば、外見からは判別できないほど清掃が行き届いており、隅まで埃一つ見当たらない。別館にあった装飾品が移動されており、内部は高価そうなものが整然と装飾されている。ホール中央から二階へと上がる階段があり、そこから足早に降りてくる黒を基調にした衣服に身を包んだ女性が、女の手前で姿勢を正して一礼する。
ショートの黒髪に、切れ長の深い青色の瞳。肌は白く、身長はあの女と変わらないが、胸は女よりも大きい。多分美人な部類に入るのだろうが、衣服も合わさってほとんど黒色なのが俺の嫌悪感を煽る。
「我が主、お帰りさないませ。お出迎えが遅くなりまして申し訳ございません」
「いいのよ、ルシオラ」
「寛大なお心、感謝に絶えません……おや?」
ルシオラ、と呼ばれた女が俺を見て、嫌なものでも見たような顔をする。
「我が主、なんですこの小汚いのは」
「小汚っ……!?」
「今日からここに住む。部屋を与えてあげなさい。私の愛する子だから、丁重に扱いなさい」
「ぎ、御意のままに」
女――レディと呼ばれているらしい。奴は深々と頭を下げるルシオラから視線を俺に移して目で着いていくよう促し、自身は護衛を連れて一階の奥の部屋へと姿を消した。一階ホールに残された俺は、どうしようもないのでルシオラを見上げる。彼女は納得していないらしく俺を上から下まで刺すような瞳で見回すと、腕を組んで見下してきた。
「君、名前は?」
「アニマ」
「アニマ? 身の丈に合わない名前だな」
「あの女に名付けられたんだけど」
「こ、高貴すぎて今のお前には合わない名前だと言っただけだ! 決して名前を貶したわけではない! 我が主に今言ったことは内緒だからな、分かった!?」
必死になるルシオラは、顔を赤くしている。あの女の僕にしては随分と感情豊かなものだ。面白くて少し笑うと、笑うなとルシオラに頬を引っ張られた。
「あんた、あの女よりかは人間味あるな」
「からかうな。それよりも、着いてきなさい」
不機嫌そうに案内を始めるルシオラの後に続くと、二階へと足を進める。部屋がいくつか並んでおり、その内一番隅の部屋へと案内された。中に入れば、ベッドが右隅に、他はなにもないような部屋ではあるが、それでも俺にとっては破格の待遇だった。
「君にはこの部屋がお似合いよ」
「俺の、部屋? ここを使っていいのか?」
「え? ええ、我が主の言いつけだから」
俺が喜んでいるのが予想外だったのか、ルシオラが目を丸くしている。
「元々物置になっていた部屋だったのだけど」
「牢屋に比べれば、どこでも天国に見えるぜ」
「牢屋? ああ、そう。汚らしいと思ってはいたけど、あなた奴隷の子なの」
「汚くて悪かったな」
「荷物――なんかあるわけないか。どうして我が主は君なんかを連れてきたのか」
言葉が出なかった。俺が聞きたかったくらいだ。レディは俺が化け物であると分かっていて、それでもなお手元に置いておくつもりらしい。怪物化すると自我を保つことすら危ういというのに、あの女はそれを理解してなお俺を館の住人として認めている。
仮に俺が暴走したとして、あの女は意に返さないということなのか。いや、そもそも怪物を生み出したのはあの女なんだ。ということは、元に戻す方法、あるいは正気に戻すような手立てを知っているんじゃないのか。だから俺を手元に置いてなお冷静でいられるに違いない。
色々と考えるうちに昨日のことを思い出して、気分が落ち込む。ルシオラは急に黙り込んだ俺を不審に思ったのか、腕を組んだまま偉そうに俺の顔を覗き込んできた。
「アニマ、君はそのボロ布しか服がないの? なんだか血の臭いがするし、なにより汚いわ。まずはお風呂に入れないと、私の気が休まらない」
ルシオラの目が光ったように見えた。彼女は俺の手を引いて一階の一室に入ると、俺の一張羅を剥ぎ取って、石を削って造られた池のような大きな風呂の中に蹴落とされた。既にお湯が張っており、温度はやや高めだ。頭だけ石で出来た縁に乗せて、初めて味わう風呂を堪能した。なにか混ぜられているのか、不思議な香りがする。
「本来であれば我が主のために用意していたものだが、君のような汚らわしい存在がこの館を歩き回っているのは我慢ならない。汚れをきっちり落として、清潔にしなさい」
酷い言われ様だが、館に入ったときに異常なほど中が綺麗だったのは彼女のおかげなのだろう。清潔好きというのか、潔癖というべきなのか。
思えば、このルシオラってやつはあの女に仕えているんだよな。つまり、こいつもまともな人間じゃないんじゃないか。なにかしらおかしい部分があるのかも? 例えばなんだろうか。
「上目遣いに私を見ているけれど、なにか用なの?」
「お前は人間なのか?」
「……その質問ができるってことは、君は人外に遭遇しているの?」
「みんな怪物になった。その内の一体にここに来るまでに襲われて、俺が、殺したんだ」
目を伏せる。血溜まりに沈んだ化け物は、俺が目にした時には肉を食い千切られ、食い散らかされた残骸にすぎなかった。あれをやったのは俺なんだ。あの惨状を、俺が。
記憶を巡らしている内、体に違和感を覚えた。お湯の熱じゃない。体が燃え上がるような熱さを感じると、俺の腕が真っ黒に染まる。湯を割って黒い尾が出てきたところで変異が止まり、ルシオラが驚いたように俺の尾を見つめている。
俺自身、よく状況が飲み込めていない。右腕だけが黒い影のようになっており、後の変化は尻と背中の中間辺りから尾が生えているぐらいで、自我は保っているし、あの時のような食欲は沸いていない。不完全な変化だ。尾は俺の意思で動くようで、右と念じれば右に、左と思えば左に揺れる。
「遭遇どころか、君自体が化け物というわけか。成る程」
「ルシオラは、知ってるのか? 驚かないのか?」
「十分驚いているわ。まったく、なにをお考えなのやら。こんな危険な存在を館に置くだなんて」
悪態を吐くルシオラは眉を顰めて不快そうな顔だ。暫し何事か考えていたようだが、やがて組んでいた腕を解いて、俺を冷たい瞳で見下した。
「汚物の処理は私の役目。我が主は丁重に扱えと仰ったが、君をこの館に留めるには危険すぎる!」
あの双頭の犬と同じ気を感じた。突き刺すような、凍てつくような空気を生むそれは殺気というものだ。ルシオラは俺を殺す気なのだと気付いた時には、彼女が服の下からナイフを取り出して素早く投擲し、それが俺の胸に深々と刺さっていた。しかし、怪物化している俺の体を刃は通り抜ける。
血の一滴も出ない俺の胸を見て、ルシオラは若干の隙を見せた。その瞬間、剣が胸を貫く。俺の胸ではない。口から血を流すルシオラの背後には、レディが立っていた。剣を引き抜き、血を払う。ルシオラはその場に崩れ、風呂場に血を垂れ流した。
「丁重にしなさいって言ったでしょう? お仕事熱心なことは良いことだけれど、命令には従ってもらわないと困るわ」
女は剣を手にしたまま、固まっている俺の側へと歩み寄る。俺の部分的な変化を見て、興味深そうな目を向けた。
「不完全体ではない、部分的な変異も可能だなんて驚いたわ。自我を失いながらも正気に戻ったことを考えると、やはりアニマは特殊なのね」
「なにを言ってるのか分かんないけど、お前やっぱりおかしいぞ。ルシオラは仲間じゃないのか? なんの躊躇いもなく殺すなんて……!」
「仲間、ね。それは違うわ。彼女は私の従僕に過ぎない。その命、その存在そのものが私のモノなのよ? 自分のものをどうしようと私の勝手。それに、勘違いしないで欲しいのだけど、私は彼女を殺してなんかいないわよ?」
「殺してないってそんな馬鹿な」
ルシオラに視線を移すと、彼女は血溜まりから平然と立ち上がり、胸に空いた服の穴を見て溜め息を吐いた。衣服に付着した血を見てさらに項垂れ、目を怒らせてレディを睨みつける。常識なんてものを覆してしまった彼女に驚き、傷よりもなによりも服が破れたことと汚れたことにのみ怒る彼女の様子により驚いた。
「我が主! 血がどれだけ落ちにくいと思ってるんですか! それに穴まで空けて! なんと面倒なことをしてくれるのですかまったく! 私の苦労も少しは労わってくださいませ!」
「うふふ、ごめんなさい。でも、命令を無視したあなたの責任でもあるでしょう? それにアニマにこの館の住人のことを伝えるのに、手っ取り早いと思ったの。ねえアニマ、わかったでしょう?」
目の前の女二人が、俺を見据える。確かに女の言うとおりに理解できた。ここにいるのは普通の人間ではない。性格であれ、肉体的なものであれ。こいつらは異常だ。
「ようこそ、不死者の館へ」
怪物と、それを生み出す化け物共。何も始まっていない内から、訳も分からない中で感じたんだ。俺の世界に亀裂が入ったのは、今この時なのだと。