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怪物達のトラジェディ  作者: 二口 大点
全ての始まり
2/5

おぞましき者共

 俺が目を開けたのは、冷たい牢獄の中だった。無機質で、陰湿な天井が俺を出迎える。そこへ、フロースが顔を覗かせた。


「アニマ? アニマ! 目を覚ましたのね」


 声に反応して、俺の同居人達が一斉に群がってきた。オルニット、グラディウス、ゼノ。変わらない俺の友人達が、不安そうな、喜んでいるような、感情を表に出しすぎて混ざってしまったなんとも言い様のない複雑な顔をしている。


 一つだけ変わったのは、以前にも増してみんな傷だらけになっていたということ。俺が眠っていた間に、どんな目にあったのだろう。俺のことよりも、自分の心配をしてほしいくらい、ボロボロじゃないか。


 目を伏せがちに、視線をぐるりと動かしてみる。ああ、頭がぼやけている上、体のあちらこちらから悲鳴が聞こえるようだ。起き上がろうとするが、体は言うことをきかない。


「駄目よ、まだ動いちゃ」


「アニマ、どこが痛いの?」


 フロースは過剰に心配し、オルニットはいつも通り質問してくる。痛々しい姿のお前らのほうが、俺は心配なんだけどな。


「どこがって、全身痛いよ。俺、どうして眠ってたんだ? あの女は?」


 記憶を巡らそうとすると、頭に激痛が走る。ここ最近のことを思い出せない。あの女になにかされていたような気はするのだが、なにをされたのだろう。


 視線を右から左へ動かしていけば、フロース達は表情を曇らせている。なにか隠しているのは、その時に分かった。


「アニマ、なんもなかった。いいな?」


 グラディウスがそれで納得しろと言わんばかりに、上から強い語気でそう言った。納得できるわけがない。


「なにもなくて、お前らがそんな不安そうな顔するかよ」


 重い腕を動かし、頭を掻こうとしたときだ。俺の髪が短くなっていることに気付いた。首にかかる程度に短い。腰まで伸びていたほどの俺の長髪がだ。あの女は俺の長髪が好みだったはずだ。だから切らせなかったというのに、なぜ短くなっているんだ?


「髪、切られたのか?」


「あ、ああ。あの女が切っていったよ」


 グラディウスは嘘を吐いている。こいつは嘘を吐くとき、笑うんだ。ただ、笑顔を作るのが下手くそで、必ず右側だけ口角を上げる歪な笑みを浮かべる。本人は気が付いていないようだが。


 フロースもそれに気が付いた。気まずそうに俺と目を合わし、そっと拝むような手を作る。その嘘を信じてほしい、というお願いだろう。


 事情を知りたい気持ちは強いが、こいつらが隠すことならろくなことでないことは確かだ。今は、なにもなかった、という嘘を信じることにしよう。


 俺はそうか、と一言告げ、無理矢理体を起こした。痺れるような痛みを感じるが、あの女に受けている苦痛に比べれば、我慢できないものじゃない。フロースがすぐさま俺の背に手を当て、起きるのを手伝ってくれた。


「今は、何時だ? 朝か、昼か?」


「あ、さだ、よ」


 ゼノがたどたどしく答えた。朝ということは、まだあの女はここに来ていないのか。


「俺、どれくらい寝てた?」


「……ええと」


 フロースが困ったようにグラディウスやオルニットと視線を合わせた。ゼノだけは、俺と目が合っても微笑むだけだ。やがて、オルニットが意を決したように口を開く。


「一週間寝てた」


 冗談だろう。一週間だって? 半笑いでフロースに目を向けるが、彼女は首を横に振った。冗談ではない、と諭しているようだった。グラディウスも、否定せずに俯く。


 本当に一週間寝てたのか? その前に、俺はなにをしていたっけ。なにか、悪い夢を見ていたような気がする。どんな内容だっただろう。もうすっかり記憶の中に残っていない。残り香のような断片的な記憶しかない。あの女に連れられて、鞭打たれて――それからなにをした?


 朧に霞んだ記憶が頭の中で再生される。だが、俺の求める答えが出てこない。


「まあ、悩むことはあるだろうが今はともかく無事に目が覚めたことを喜ぼう」


「うん。アニマが無事なの、嬉しいことだし」


 オルニットとグラディウスが微笑む。フロースもゼノも賛同し、その場の雰囲気が明るく変化する。だがそれは、俺に話題をぶり返させないためのものであるように感じた。愛想笑いだけ返して、やるせない気持ちを短くなった髪をいじって誤魔化す。


 一週間眠っていた割に腹は空いていない。痛みでおかしくなってるだけだろうか。ぼんやりそんなことを考えていると、重厚な扉が開く、いつもの音が鳴り響いた。


 足音が一歩、二歩と近付くにつれ、また牢獄内の奴隷たちが怯えた様子で壁の隅に縮こまる。女はいつもとは違い、護衛を連れずに一人で現れた。黒いドレスに身を包み、相変わらず笑顔の仮面を着けて、真っ先に俺達の牢へとやってきた。


「嘘……! ああ、可愛い私のアニマ、目が覚めたのね」


 女は一瞬、声を低くして驚いた声を上げたが、すぐにいつもの猫撫で声で俺の名を呼ぶ。


「俺になにをした? 一週間寝てたそうじゃないか」


「よく寝てたわね。でもそうなの、記憶を喪失しているのね」


 奴は顎に手を当てて考え込むような様子を見せていた。口ぶりからして、やはりこの女が元凶だろう。


 睨む俺の瞳に気が付いたのか、女は一笑いすると、突然ドレスの肩口をはだけさせ、自らの白い肌を露にする。肩には、鋭いなにかで斬りつけられた傷痕が残っていた。まだ治って日が浅いその傷痕を見せ付けると、女はもう一笑いしてみせた。


「憶えていないのでしょう。これ、あなたがやったのよ? 女を傷物にするなんて、イケナイ子」


「俺が、その傷を?」


「でもいいの、私は満足しているわ。あなたの見せてくれたもの、とっても素敵だったから。まあ、護衛が消されてしまったことは想定外だったけど。楽しみね? これからどうなるのか、とっても楽しみ」


 不吉な言葉だ。女は俺にそれだけ伝えて、ドレスを着直して優雅に踵を返すと、誰一人連れてはいかずに去っていった。


 俺があの女にあんな傷を負わせた? 馬鹿な、武器も持たない子供になにができるっていうんだ。爪や歯で喰らいついたからって、あんな傷になるはずがない。護衛が消されたとか言っていたな。まさか、それも俺がやったというのか。


 視線を彷徨わせていると、ゼノが不安そうな顔で俺を見ていることに気が付いた。ぎこちなく笑って返すと、ゼノは俺から視線を外して俯いてしまう。ゼノは怯えたような挙動を見せていた。


「なあ、ゼノ。お前もしかして、なにか知ってるのか」


「しら、ない」


「本当か? じゃあどうしてそんな顔――」


「しらない!」


 はっきりと、そして強い口調でそう言い放つと、ゼノは毛布代わりの布切れを頭から被り、俺に背を向けてしまった。驚いて固まっているのは俺だけではなく、他の皆も同様らしい。


「アニマ、ゼノのこと、怒らないであげて、ね?」


 フロースが優しく、壊れ物を扱うほど繊細な態度で俺を宥めてきた。怒るはずがないじゃないか。そんな気はあるはずもない。でも、だけど。ただ訊きたかったんだよ。


 ゼノ、お前――俺の『なにを』見たんだ?


 夜が近付いても、ゼノはそのまま動かない。月明かりが小さな窓から差し込む頃になって、ようやくもぞもぞと動き始めたほどだ。その間、俺は相変わらずなにも思い出すことなく、またなにをすることもなかった。


 そんな折、みんなが眠気に襲われてきた頃、横になったフロースが突然口を開いた。


「ねえ、アニマは外に出たらなにを見てみたい?」


 静かな夜に沁み渡るような問いかけだった。みんなどんな顔をしたのだろう。俺は心底驚いたような、フロースに見られたら困られそうな顔をしたに違いない。


「なんだよ、急に?」


「いいじゃない。私はね、お花畑を見てみたいわ。色とりどりでもいいけれど、白い花一杯のお花畑が見たい」


「花か。フロースらしいな。俺はこの牢獄以外の色をしていればなんでも目に入れたい。それで十分かな」


「なんだ、夢がないやつめ。俺は城だな。人の誇りを形にしたと言っても過言じゃないだろう。そんな荘厳な建物を一目見てみたいものだ」


「僕は空が見たい。窓から僅かに見える、ちっぽけな空じゃない、自分を包むくらい大きな空が」


 四人の言葉はそれぞれ、夢を孕んでいた。オルニットは手を伸ばして空を掴もうとしており、グラディウスは胸に拳を当てている。フロースは両手を重ねてお腹の上に当てており、そんな個々人の想いを見届けて、俺は腕で視界を覆った。


 牢獄の色。どこまでも暗い――あの女の纏う黒。俺を蝕む、汚すだけの嫌な色。この色以外ならなんでもいい。ここから生きて出ることがあるのなら、黒以外の色で世界を包む全てが見たい。


「ゼノ、寝ちゃった? ゼノならなんて言うかしら」


「おき、てるよ」


「ゼノはなにを見たいと思う? もしも外に出られたら、だが」


「……じ、ぶん」


「自分? どうして自分を見たいの?」


「ひと、かどうか、たしかめ、たい」


 言葉に詰まる。正にそんな状況だった。視界を閉ざしていた腕をどけ、ゼノへと目を向ける。相変わらず背を向けているから表情は分からないが、まさか笑ってはいないだろう。だが訊いて答えるものだろうか。


「なにを言うかと思えば、人に決まってるだろう」


 空気が読めない男、グラディウスが能天気な一言を発してくれたおかげで、ゼノに訊く空気が消失してしまった。フロースがまず笑い出し、オルニットも小さく笑い出す。グラディウスはなぜフロース達が笑っているのか理解出来ていないみたいだが、気にせずに自分も笑い出した。


 いつ死ぬかも分からない、絶望的な環境の中で俺達が自分を保っていられるのは、互いに笑っていられる仲間がいるからだろう。この仲間を失いたくない。


 叶わぬ夢であっても、思うくらいは自由だよな。


 その日、眠りについた俺は夢を見た。隣にいた誰かが、怪物に変化する不気味な夢だ。苦しそうに呻き、そして血を吐いて死んだ。俺もまた、体に異変を覚えた。腕が膨張して、体が軋みながら巨大化するんだ。手に繋がれた枷を砕いて、俺はあの女を見下ろす形になった。自分の姿は見えないが、女は笑っていた。それが無性に腹が立って、それから腕を振り上げたところで目が覚めた。


 グラディウスの足が俺の腹の上にあって、オルニットがなぜだか俺の頭を抱きしめている。無性に腹が立った夢を見たのは、こいつらのせいじゃないだろうか。今日という一日は、俺の怒声から始まった。


 そんな他愛ないことが、その日から七日続いた。続くことなど有り得ないはずの平穏が訪れている。あの女が俺達の前に姿を見せないのだ。他の牢屋にいる子供達も、突然のことに困惑しているようだ。俺達がそうなのだから、当然の反応ではあるのだが。


 護衛の男はいつの間にか補充されたのか、時折食事を持ってきては、俺達を蔑むような目で見下してきた。だが女は一向に姿を見せない。ただひたすらに不気味だ。あの女がこんなに期間を空けることが今まであっただろうか。


「あの女、どういうつもりなんだ?」


「僕達に飽きたんじゃないの?」


「どうだかな。少なくとも、飽きたのなら飯なんて与えんさ」


「餌を与えて肥えたところを……とか」


「ふとって、どう、するの?」


 俺達に学はない。疑問をぶつけ合っても答えなんか出せそうもなかった。


「話は変わるけど、アニマ。記憶はどうなの?」


「なにも。前と変わりないな」


 夢を見やすくなったばかりで、俺自身にそれ以外の変化は起きなかった。靄がかかった頭を晴らすことができない。


 会話を重ねていると、近くの牢屋から物音が響いた。驚いて見れば、食器が牢の扉に投げつけられて散乱しており、俺達にとっては大事な食料が床にぶち撒かれている。


「なにするんだ!」


「五月蝿い!」


 喧嘩らしい。取っ組み合いになっているらしく、結構な激しさでもみ合っている。他の牢屋の子達の中でも、格子越しに見ることができる子達はそれを眺め、見世物を楽しむように片方を応援するものまで現れる始末だ。


「やれやれー!」

「いいぞ! そこだ!」

「なにやってんだ!」


 熱気。普段無いものが、冷たい牢内に充満していた。グラディウスが熱の篭った目で注視しているのを、フロースがわき腹を小突いて責める。


「こわい、ね?」


 ゼノが恐がったように耳を塞ぎ、目を伏せて牢の隅に座り込んだ。オルニットが側にしゃがみ、その頭を撫でてあげている。


「喧嘩も珍しいけど、こんな見世物を楽しむようなこと、今まであったかしら?」


「ない。初めてだと思う」


「みんな、あの人がいないから緊張の糸が緩んだのかな」


「……どうだろう」


 嫌な予感がした。言葉にできないが、なにか、今までとは違う。あの女が姿を見せないことと、今の状況がなにを意味しているのか。意味はまだ、分からない。


 その日の熱気が冷めないのか、次の日も、その次の日も喧嘩は発生した。無論、それに対して歓声を上げる声も増えつつある。見える位置で起きるものなら、グラディウスも歓声を上げる一人になっており、オルニットも喧嘩が始まるとそれを観戦するようになっていた。変わりないのは、俺とフロース、ゼノ。そして極一部の奴隷くらいだ。


 おかしい。なにかがおかしい。確実になにかが進行している。あの女、なにかしているのか? 姿を見せなくなってから、俺達になにかした記憶は――いや! ある!


 唯一、俺達と奴の関係が続いていることを証明するもの、つまり食事だ。あの女、食事になにか混ぜているに違いない。でもなにを? 人を凶暴化させるものなんてあるのか? そんなことしてなんになるっていうんだ。


「フロース、できる限り、食事は控えられないか」


「え? まさか、ご飯になにか入ってて、それが今の状況を?」


 さすがフロースだ。飲みこみが早い。しかし、フロースは困り顔になり、俯きがちに口を開いた。


「控えたいことは、控えたいんだけど」


 フロースは恥ずかしそうにお腹を擦った。微かに腹の虫が鳴くと、顔を赤らめ、申し訳なさそうに顔を背ける。


 食事は毎日とはいえ、いつも満足に与えられるわけじゃない。少ない食事を成長期であるみんなで分けるとなれば、腹の足しになるはずもない。


「頑張ってみるけど、多分、無理かな」


「ごめん、無理なこと言ったな」


「ううん、でも、それが原因なら避けられないよね。餓死したくはないもの。どうしよう?」


 俺達の命を繋ぐものを抑えろなんて、無理な話だった。俺自身、数日は控えめにしたものの、飢餓には絶えられずに抑えることなどできなかった。むしろ、半端に抑えたせいで余計に食欲が増してしまい、苦しい毎日を過ごすことになる。


 女と会わなくなって十四日、奴隷達は女の護衛にすら噛み付きそうな目をするようになっていた。いつものように食事を持ってきた護衛に、俺は初めて声をかけた。


「訊きたいことがある、いやあります」


「……なんだ?」


「主は元気でしょうか?」


「健在だ」


「会うことはできませんか?」


 フロース達が驚いたように俺を見た。護衛は思案したように動きを止めたが、やがて重い口を開く。


「……他の者ならば駄目だが、お前はどうかな。待て」


 護衛はのそのそと牢を後にし、暫くすると戻ってきた。


「お会いになられるそうだ。着いて来い」


 護衛の後ろにはもう一人護衛がおり、もう一人はそのまま食事を奴隷に配り始める。それを満足げに眺めると、護衛は俺の手を掴む。


「奴隷共、味わって食えよ」


 歯並びの悪い口を開き、歪に笑うと男はそのまま俺を連れて行く。やはり、食事になにかある。声なくフロースに目で訴える。俺の視線に気付いたフロースに、食事に目を落としてみせてから首を横に振って伝えようと試みると、フロースは息を呑んで頷いてくれた。


 しかし、もう一人の護衛が扉の向こうに一度戻り、もう一度戻ってきたときに俺は信じられないものを目の当たりにした。食べたことのないような焼いた肉の塊に、色とりどりの野菜、そして魚介類の料理であろうスープらしいものを乗せた台車を押してくる護衛は、俺を一瞥するとにたりと笑う。


「喜べお前たち! 我らが主が慈悲をお与えになったぞ! 今日は好きなだけ食べるがいい!」


 普段とは違う濃厚な香り、充実した料理。そして絶対的な強者からの許可。それが差し出されて、手を出さないものなど、ひもじく飢えた俺達奴隷が拒む精神など、あるはずもなかった。


 食事が牢に運ばれた途端、奴隷たちは一斉に群がって、脇目も振らずに食べ始めた。どの牢でも反応は変わらず、グラディウス達も一緒だ。フロースは躊躇っていたが、震える手で肉の破片を掴み、口に入れると、後は理性が吹き飛んでしまったように、次々と口に運んでいく。その目からは涙が見えた。


 唯一、ゼノだけは布切れにくるまり、口に入れようとはしなかった。護衛たちは満足げに笑うと、その時俺はどんな顔をしていたのだろうか、手を引かれながら、そんな暗い顔をするな、と嘲笑うように言われた。


 俺は男に連れられて、あの屋敷へと入る。広い廊下に並んでいたはずの肖像画は一切取り外され、飾り付けられていた全てが片付けられている。俺は不思議に思いながらも進み、一室に案内された。いつもの拷問部屋ではない。


 中に入ると、女は待っていたと言わんばかりに余裕の笑みを浮かべ、白い円形のテーブルを前に、白い椅子に腰掛けながら、高価そうなティーカップを手にしてお茶を楽しんでいる。仮面を取っているその素顔は、女の本性を知ってなお、見惚れるほど美しい。


「ああ、愛しいアニマ。アニマから会いたいだなんて、私は愛されたものね。嬉しかったものだから、みんなにプレゼントをあげたわ。喜んでくれていたかしら?」


 ふざけやがって。奥歯を噛み締める。そんな俺を、笑いを堪えたような面で眺める女が無性に腹立たしい。だが、怒りにかまけたところで護衛にねじ伏せられて終わりだ。だけど! 怯えてものが言えるものか!


「まどろっこしいのはやめてくれ。俺は頭が悪いんだ。俺達になにをしている!?」


「なにを、とは?」


 冷徹な目が俺を射抜いた。汗が全身から噴出し、言葉はおろか、身動き一つ止められるほどの恐怖が一気に駆け抜けるも、俺は震える声で声を絞り出した。


「なにか、してるだろ。最近、みんなの様子がおかしくなってきてるんだ。殺気だってる」


「うふふ、そうね。知ってるわ」


「やっぱり、お前の仕業なのか!」


「最近というのは誤りよ? ずっと前、あなた達がこの屋敷に来てからずっと、私はアニマのいうなにかをし続けているわ。ここ最近になって効果が上がっているのは、あなたのおかげなのよ? いいえ、あなたのせいで、かしら」


「どういうことだ?」


「あなた、暴れたときの記憶がないのでしょう。その時に私の実験用の薬を尽く割ってしまったのよ。原液は上階にあったから無事だったけれど、中和剤は全部駄目になってしまったわ。だから、今は効果が強力なものを使わざるを得なくなったの。おかげで変化が著しいわ」


 女はくつくつと笑うと、愉快そうに微笑んだ。ティーカップをテーブルに置き、俺に迫ると頬を撫でてくる。混乱と恐怖で身動きの取れない俺は、為すがままにされる。


「だからね、今日で終わりにしようと思ってるの」


「終わり?」


「この屋敷のほとんどは、別宅に移動させた。あとはあなた達だけよ」


「どうする、つもりなんだ」


 そのとき、どこからか獣の雄叫びが聞こえた。一つではない。無数の猛り声が耳の奥を、俺の脳を揺らし、どうしてか立っていられない俺の体を女が支える。


「実験の効果のほどは身を持って知ったわ。でも個体差があるようでね。アニマ、あなたは多分今のところ傑作よ? 他のはどうかしら」


「なんの話だ」


「分からないかしら。無理もないわね」


 なにかを壊すような音が轟く。女は動けない俺を軽く持ち上げると、抱えられた俺はそのまま女に身を委ねるしかなかった。どうして体が動かないんだ。竦んでいるのか? どうして!


 苛立つ俺を眺めて、女は微笑みながら廊下に出た。そして、窓の手前まで来ると、恍惚の表情で外を眺めている。


「御覧なさい」


 促されるまま、俺は窓の外に視線を移す。外に見えたのは、俺達の隔離されている離れの牢獄。その壁が崩れている。そして、その崩れた壁から現れたものを見て、驚愕した。


 翼の生えた獅子が飛び立ち、入り口を吹き飛ばして岩石の巨人が現れ、次々と人外の化け物がそのおぞましい姿を見せた。


「美しい怪物でしょう? 一度に多量であれば適応できずに死ぬ薬でも、短期間に適量であれば耐性が生まれて適応できる。いや、適応できる肉体にできると言うべきね。あれが私の研究の完成形よ」


「そん、な。フロースは、グラディウス、オルニット、ゼノ!」


 女の腕の中で叫んでも、怪物と化した者たちはいずこかを目指して歩み出す。


「ここにいては、いずれ怪物(あれら)がここに来るわね。行くわよ」


「御意」


「離して、離してくれ、俺は――!」


 女に抱えられ、俺はもがいた。もがくたびに景色が遠のく。伸ばした手はなにも掴めない。


 その日、俺の全てが崩れ去った。

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