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 まず私たちはリタチスタさんからバロウの家の中での行動の傾向と予想を聞いて共有し、それからこちらはどのように行動するかも頭に入れた。

 バロウはいつも普通の家庭よりも少し早いと思うくらいの時間に夕食を食べて、あとは自室に籠って何をしているやらリタチスタさんにも分からないらしいが、深夜になってリタチスタさんや勿論他の住人たちが寝静まったであろう時間、バロウはソッと家を出て行く。

 なので行動を始めれば自然と月明かりだけを頼りにする事になり、下手に明かりを持てば即座に気付かれると見て間違いはない。

 だからティクの森には無灯で入るのだと言う。

 今考えれば、ガジルさんが私に指摘したような足音がどうのに加えて、夜目が効くのかどうかも重要になっていた。

 バロウが家を出てからはカルデノ、カスミ、ガジルさんの三人でバロウを追う事となり、私は一人でリタチスタさんの手伝いとやらをする。

 正直な事を言ってしまうとカルデノ、それにカスミさえも隣りに居なかった時はほとんどなくて、心細い。

 そうも言っていられないのは理解しているが緊張がしっとりした手のひらの汗として現れている。

 そして深夜、私たち四人はバロウの家が確認出来ながらも最大限離れた街角から、コソコソと動きがあるのを見張っていた。目を凝らせば暗くても人の出入りの確認くらいは出来る。

「今誰かに見られたら、すごく怪しいって思われるよね」

 カスミは小さくて遠目から目視しづらいとは言え、これだけの人数が深夜隠れて同じ方向を見ているのを目撃したら、私なら怪しくて誰かに伝えてしまう。

「おい、バロウが出たぞ」

 一等早く気付いたガジルさんが身を屈めた。常人ならば気付かれようもない距離を離れているものの用心に越したことはなく、私たちは小さな声でやり取りした。

「じゃあここからは決めてあった通り、カエデだけがリタチスタの所へ行く。私たち三人はバロウを追う。いいな?」

 カルデノは私の目を真っ直ぐに見て言った。

「う、うん」

 不安なのが私の顔に出ていたのか、カスミまで不安そうな表情で私の周りをウロウロと飛び回って止まらない。

「カエデ、ひとりなの?」

「ひ、ひとりだけど、大丈夫だよ」

「カスミ、カエデは私たちよりも危険は少ないだろうし、心配しなくていい」

 それでもまだ納得出来てはいないだろう。しかしリタチスタさんの指示では、バロウの家に向かうのは必ず私一人で、との事だった。

「おい、もう行くぞ見失っちまう」

 ガジルさんだけがバロウの行方を一瞬たりとも目を逸らさずに追っていた。

「じゃあ、気を付けて」

 カスミにはもう一度大丈夫だからと告げて、そうして私たちはその場で二手に分かれた。

 三人はドンドン離れて行くバロウとの距離を一旦縮めようと駆け足に去り、その背中を見届けてからそっと、出来るだけ物音を立てないよう気を配りながらバロウの家へ向かった。

 バロウの家にはリタチスタさんが待っていて、到着したらまず玄関の扉をノックをと指示されていて、言われた通り、到着してコンコンとノックした。すると中からリタチスタさんの声が聞こえた。

「扉を開けて」

 扉を一枚挟んでいるので小さくしか聞こえなかったが、確かにそう言った。

「はい、それじゃあ開けますね」

 私は緊張で強張る手で扉の取っ手を静かに、ゆっくり引いた。

 開きながら、わずかに覗いた屋内は真っ暗。そんな暗闇から、ひょこりとリタチスタさんは顔を出した。

「やあ、待ってたよ。入ったら扉をゆっくり閉めて」

 言われる通り、開けた時と同様に静かに閉める。

 中は暗く、リタチスタさんは手にランタンを持っているのに使っていないから、頼りない月明かりでさえ遮られた。

「バロウの方は?」

「カルデノたちがしっかり後を追いかけて行きました。私が見た範囲だと気付かれてる様子じゃなかったかと思います」

 私が言っても説得力の欠片もないけれど。

「それなら良しだ。こっち、付いて来られるかい?」

 この暗さで何事もなく後ろを付いて来られるか心配されたが、壁に手を沿わせる事で解決する。

 暗がりで影にしか見えないリタチスタさんの背中を追う。

「そのランタンは使わないんですか? こんなに暗いのに」

 他人の家に夜、無断で上がり込む罪悪感で声は思いの他小さくなってしまったが、それでも静かな屋内ではそれで十分な声量だった。

「ランタンはもう少ししたら使おう。今はまだバロウが出て行ってそう経ってない。外から明かりを見られたら大変だ」

 考えがあってこの暗い中を進んでいるようだ。

「言われるまま入って来ましたけど、バレてないですかね? 出入りが感知されるとか言ってたのに」

「ああ、大丈夫だよ。何せカエデには魔力が無いから」

「え? あ、はあ確かに無いですけど……」

「出入りの時感知されるのは魔力だから、カエデが出たり入ったりするのには問題ないんだよ。バロウは何も感知出来てないはずだ」

 時折通り過ぎる窓から差し込む月明かりに照らされるリタチスタさんは、私とは違い壁に頼らずまっすぐに歩いている。それでも歩みがゆっくりなのは。やはり暗いからだろうか。

「ならバロウは、私がこうして勝手に上がりこんでるなんてきっと考えてもなかったでしょうね」

 それはそうか、と苦笑いする。

「ふふ、それはどうだろうね」

 リタチスタさんは私の表情が見えないはずなのに、まるで釣られたように少しだけ笑った。

「それにしても、どうして魔力の感知なんでしょう。人の感知とかにしたら、私の侵入だって防げたのに」

「中々厳しい事を言うねえ」

「え?」

 厳しい? と腑に落ちなかった。そこに大きな違いがあるとは思えなかったからだ。

「家からの出入りを感知するのだって魔法だ。そもそも魔法が無きゃ離れた場所から何を感知する事だって出来ないだろう」

 つまり、何が言いたいのだろう、と考えて会話が途切れたからか、リタチスタさんは私にも分かるように説明してくれた。

「魔法は、発動するのも反応するのも魔力が必要なんだ。だから魔力を感知して私だけを警戒してるって言うよりも、魔力しか感知出来ないから私しか警戒出来ないって方が正しいよ」

「なるほど」

 要は魔力を持たない人はこの世界に存在しない、だから人と魔力はイコールで結ぶ事が出来る。人を感知するには魔力を感知する方法しかなくて、魔力を持たない私は魔力感知の魔法に対して透明人間みたいな存在なのだ。

 けれどリタチスタさんの口ぶりから、バロウは私がこうして家に侵入する可能性を捨て切っていない、見越しているやも知れないと言う事。

「ああ、ここだよ書斎。到着」

 真っ直ぐ進んで、突き当たりを右へ曲がった先の扉を前に。リタチスタさんは立ち止まる。

「ここの書斎も魔力の感知があるかも知れなかったから。カエデに開けてもらいたいと思ってるんだけど、頼めるかな?」

「私で役に立てるなら扉なんていくつでも開けますよ」

「それは頼もしい。じゃあ早速頼むね」

 書斎の扉の前を私に譲るようにリタチスタさんが横に移動する。

 私はバロウの家の玄関扉を開けた時同様、慎重になりながらゆっくりと取っ手を引こうとしたが、ガチガチと引っかかったように抵抗があって扉は開かなかった。

「あれ、これもしかして鍵がかかってませんか?」

「あちゃー、それは大変だ、今日もかけ忘れてるんじゃないかと思ったんだけどなあ」

 わざとらしい棒読み口調のリタチスタさんの方からカランと、小さな金属を壁に打ち付ける音がして、私はリタチスタさんに目を向けた。

「今の、もしかして鍵の音ですか?」

「正解。本気で鍵をかけ忘れていたらラッキーだったんだけど、こうして自分で何とか用意してみたんだ。今度こそ本当に開けてみてくれ。私はこの扉には一切触れないようにするから」

 鍵を受け取り、開錠、今度こそ書斎の扉を開けた。

 書斎はカーテンが引いてあるのか、窓があるだろう室内なのに頼りにしようと期待していた月明かりは無く、完全な暗闇。

「リタチスタさん、暗すぎて何も見えないです」

「ああ、ちょっと待ってくれるかな」

 何か、きっと扉を潜っても平気なのかを調べているのだろう、リタチスタさんは念入りに扉の付近を調べてからヨシと言って室内へ足を踏み入れ、ようやっとランタンに火を入れた。

「待たせてすまない。扉に触れると感知される仕組みなのかは調べていたんだけど、念のため再確認してた」

「いえ、全然待ってませんから大丈夫ですよ。それより……」

 そう、それよりも部屋の中が気になった。ランタンで照らされた室内は書斎と聞いていたけれど、物置と言われた方が納得出来る有様だった。

 部屋に入ってすぐ左の壁に本棚があるものの、収納が足りなかったのだろう、床から高々と詰まれていくつもの塔になった本にはほこりが積もっているし、本棚をふさぐ様に置かれた机の上にも同じくほこりの積もった大小様々なガラス瓶。

「ここは、鍵をかけて隠しておくような場所でしょうか?」

「私も少しそう思ってきたところ。でも鍵をかけたのはそれなりの理由があったから、そして鍵をかけ忘れたって事はこの部屋に用事があるから出入りしてるって事。必ず私の目が無い時ばかりだけど出入りしてたみたいだよ」

「なら、こんな場所でも頻繁に来る理由があるって事ですね」

「そう」

 二人で書斎の中をアチコチ見て回り、そんな中でリタチスタさんが一箇所不自然な場所を見つけたようだ。

「ああほらごらんよ。こんなほこりだらけの部屋なのに、ここだけほこりがない」

 入り口から見て右側の方に間取りが長方形のクローゼットがあり、どうやらリタチスタさんはその取っ手を見て言ったらしい。

 私も見せてもらったが、この部屋の物はどれもほこりでくすんでいるのに、木製の取っ手だけはピカピカとランタンの灯りを反射している。

 リタチスタさんは躊躇なくクローゼットの扉を全開する。

 中は少し無理をしたら人が二人立って入れるくらいの広さで、小さな木箱や紙袋が置かれているだけ。それだって中身はほとんどがただの空き瓶やらガラクタ。

「クローゼットの中は何も無いみたいですね……」

「なら用があるのはクローゼットじゃないんだろうね」

「え、じゃあもう一度他の場所を探しますか?」

 けれどリタチスタさんは、そうじゃなくて、と言ってクローゼットの床、とりわけ壁際を気にして、片膝をついて指先を当てる。

「ん、隙間風がある……。下かな?」

 コンコン。クローゼットの床を拳で強めにノックするよう叩く。木製の床はコツコツと固い音を響かせた。

「ちょっとこのランタン、持っててくれる?」

「あ、はい」

 ランタンを受け取り、リタチスタさんの手元が見えるよう照らす。

 その間にリタチスタさんはクローゼットの中にあった物を全て外に出してしまう。すると壁際の木箱の下から拳なら入りそうなくらいの雑にくり貫かれたような穴がひとつ姿を現す。

「下、多分地下がある」

 驚いた風でもなく、やはりと言う様に自分の言葉で小さく頷くと、立ち上がって、その穴を頼りに床の片方を跳ね上げるようゴトンと持ち上げた。

「だ、大丈夫ですか?」

「ん、大丈夫、少し重いくらいだ」

 リタチスタさんが床板を壁に立てかけると、見えたのは真っ暗な穴。ランタンで照らしても穴の側面を支えるボロの木材と下まで続いている梯子が目視出来るようになっただけで穴の底はどこまでも続いているような闇。

「梯子だけれどカエデは降りて来られる?」

「た、多分」

 目を凝らせば凝らすほど恐怖を感じた。

「こう言った床下に物を隠す作りって、よくあるんですか?」

「そうだね。隠すと言うかこれはどちらかと言えば地下室か地下収納だね。私も先生の所で使っていたよ。日に当てたくない物とか、お酒やら不必要な道具とか……」

 言いながらリタチスタさんは自然と私からランタンを受け取り、梯子を下り始めた。

「こ、ここ、大丈夫ですか? 下が見えませんけど」

「見えないから下りるんじゃないか。まあ多分危険は無いと思うよ」

 木製の梯子はリタチスタさんの動きに合わせてキシキシと軋む。

「下りきれたよー」

 上から真っ暗な中を覗いていた時に想像していたよりはずっと近くに感じたが、それでも高さが四、五メートルはありそうだ。

 地下に降りたリタチスタさんは辺りをランタンで照らして窺っているようで、キョロキョロと一通り周りを見渡して、こちらを見上げてくる。

「おいで、大丈夫みたいだ」

「い、今行きます!」

 こんなに長い垂直の梯子を下るなんて経験はないので片道だけで腕が疲れた。

 そうしてようやっと私も、謎の地下空間を見渡した。

「……洞窟みたいですね」

 広さは人が一人生活して不便がないほど広いものの、土混じりの岩肌が露出していて、けれど殆どが固定し垂らされた布で隠されている。自分で掘り広げたにしては広く、一人でここまで出来るとは思えない。恐らく拡張石など使って広げたのだろう。

 部屋の形は円形でも四角形でもなく歪だ。

 書きかけの文書と転がされた筆記具で散らかった机、それに付随した椅子でさえ分厚い本が数冊積まれている。それと傷だらけで汚れの染みた作業台、乱雑に詰まれた木箱、麻袋、カバン。布を敷いた上に積み上げられた紙の山の全てが壁際へ置かれていて、ここも一つの部屋と言えるだろう。

 汚れた作業台の上に、両手で持つほどの大きな石が置いてあって、リタチスタさんはそれを指先でツンと突く。するとランタンなんかよりもずっと明るく部屋の中を照らす光が灯る。

 そうして明るくなった部屋。壁際はゴチャゴチャと物が多いものの、中央はすっきりと片付いている。

「バロウが作業して過ごせる最低限は整えてるって感じだ。それに見てごらんよ」

 リタチスタさんは壁に垂らされたいくつかの布に目を向け、私も同じく目を向ける。

 布は大きな一枚の物だったり帯のように細長かったり小さかったり、生地の色も様々だが、そのどれもがよく見れば精巧な模様はすべて手で書かれている。

「この布なんだと思う?」

「え、飾りじゃないんですか? 岩肌を隠すための壁紙代わりとか」

 違う違うとリタチスタさんは首を横に振る。

「陣だよ」

「これが?」

 魔法を構成する陣。それは目に見える形にした時必ずしも円を描くかと思っていたが、布の模様はどれも、なんと言うか丸くない。

 沢山の文字が絡まったような様々な模様がランダムに書かれている布だったり、まるで迷路の中一面に複雑な文字がビッシリと書き込まれた布だったり、目が疲れそうな物ばかり。

「陣って円形じゃないんですか?」

「ああ、円形なのは魔法円って言ってね、今は魔法円を使うのが殆どだ。魔法の方向や範囲が定めやすいし。けどこんな感じの円形じゃないものもあるんだよ」

 へえ、と声をもらす。改めて布の陣を見てみるが、円形の魔法円と言うらしい形の方が美しいと言うか、整っていると言うか、完成した形に感じられる。

「この陣の書かれた布、何でしょうかね。沢山吊るしてありますけど」

「多分黒板の代わりに適当に使っただけだと思うよ。忘れやすい文字とか思った物を書き込んだりとか」

「なるほど」

 リタチスタさんは目を布からまた部屋全体へ戻す。

「それじゃ、まずはここの物を全て調べるとしようか」

「えっ、ここの……」

 床のそこかしこに散らかる紙の山、束、本。全て丁寧に目を通すとなるとかなり根気も時間も要するだろう。

「ぜ、全部ですか?」

「当然」

 リタチスタさんは紙の山に手をつけ始めた。

「カエデは木箱や他にも何か隠れていないか調べてくれる?」

「あ、はい」

 私は魔法に関する書き物を見てもさっぱり分からない。なのでリタチスタさんが紙の束や本に目を通し始めたのを確認して、自分も動き出した。

 壁の役割にもなっている布の際に置かれた木箱は私が両腕で抱えるには大きすぎるくらいのサイズが七つ。それに動かそうとしてもビクともしないので、取り合えずいくつか重なったまま一番上の蓋を開けてみた。

 とても動かせない重さだったため、一体何が入っているのかとは思ったが。この大きな木箱一杯に晶石と思しき石が入っている。

 他の開けられる木箱も全て中身は晶石だった。この分では恐らく重なって手も出せない木箱の中身も魔石だろう。

 後は投げ捨てるように転がったカバンや麻袋も全て調べたが、驚いたことにほとんどが晶石だった。

「リタチスタさん」

「んー? 変わったものでも見つけたかい?」

 両膝をついていくつも手に持った紙の束を調べていた目がこちらに向く。

「いえ、ここの物は全部晶石でした」

「晶石。魔力の蓄え用か」

 他の物を期待していたのだろう、声には若干落胆の色が窺えた。

「バロウもいつ帰ってくるか分からない。とは言えまだ時間はあるはずだ。晶石以外を探してくれるかな」

「はい」

「晶石以外があればいいんだけど」

 バロウの家に忍び込んでから今に至るまで、わずかとは言い難いだけの時間を費やしているためだろう、いつ戻って来るか分からないバロウを警戒してリタチスタさんの部屋を探る手が速まる。

 私はリタチスタさんに言われた通り、本や紙の束以外で私にも分かる物を調べることにした。

 しかしどこにある物も関係があるように思えなくて、すぐ隣に岩肌を隠すように垂れた布と布のほんの僅かな切れ目の向こう側に目が行った。やる事がなくなってしまったな、と、リタチスタさんには申し訳ないものの単なる暇つぶしの類だった。

「あれ……」

 黒い穴のような物が見えた気がした。ただの気のせいかとも思ったが布を捲ってみればそこだけ、岩肌に細い通路がどこかに通じていた。

「リタチスタさん、布の後ろに道があります」

「道?」

 すぐさま報告すると、忙しそうに紙の束を相手にしていたのに、パッと顔を上げる。リタチスタさんにも見やすいように布を捲って見せると、興味が完全にこちらへ向いた。

「なんだろう、ちょっと行こうか」

 そうして手にしていた物を全て床に投げ捨てるように手放すと、ランタンを指先に引っ掛けてこちらへ来た。

 部屋を明るく照らしていた作業台の上の石も、布に遮られたこの裏側までは照らせず、ランタンで初めて奥が見えた。

 どこかに通じている。布が揺れなかったのが不思議なくらい、ユラリと冷たい風が吹き込んでいた。

 ここも先頭はリタチスタさんが進んで足を踏み入れる。

「何かありますかね」

「どうだろう、単なる通風孔って可能性もあるっちゃあるけど」

 通路は短く、その先にある小さな空間には簡単にたどり着いた。広さを言うなら四畳ほど、ここから通じる先ほどの部屋と比べるととても狭く、しかし明らかに違ったのは床一面を埋めるような布に大きく複雑な陣が描かれている事。

「これ、転移魔法じゃ……!」

 リタチスタさんが珍しく声を荒げた。

「も、もしかして私がこの世界に来た原因の?」

 リタチスタさんがアルベルムさんの弟子として過ごす日々の中で見慣れた転移魔法の陣なのか、それともバロウが作った、私を呼び寄せる事になった転移魔法の物なのか。

「そう、多分そうだ! ああ、ええとそうだほら! 行き先の指定がデタラメで、いや違うデタラメなんじゃない、……欠けてる? 私が見た事ないだけなのかこれは。記憶の情報に関連している文字列……?」

 急に無言になって足元に広がる陣をジッと目に焼き付けるように、考え込むように、睨むようにリタチスタさんは動きを止めた。しかしハッと弾かれたように自分が身に着けていたポーチから数枚の紙と筆記具を取り出し、私はランタンを押し付けられる。

 次は床の陣を書き写し始めた。

「少し照らしてて。これ書き写すから」

「これ全部ですか!?」

 床一面を覆いつくす大きさの布にビッチリとさまざまな模様としか思えない複雑に絡んだ線。文字であろう事は想像付くが私には読む事の出来ない形が並ぶ。正確に書き写すなんて気の遠くなる作業だ。

「当たり前だろう。と言っても、これが完成された物かは、詳しく調べてみない事にはなんとも」

 すでに最初の一筆を紙に入れながら、手と口が別人のようにスラスラと作業が開始された。

「キミが帰れるかどうかの問題でもあるのは分かってるだろうね」

「も、勿論です」

「バロウだってそう長い時間家を空けているわけじゃない、もう一度侵入出来るとも限らない。この部屋を見つけられたのは幸運だった」

 饒舌だな、とリタチスタさんのランタンに照らされた暗い横顔を見て思ったが、その顔は他人と話している時とはまるで違って無表情。いや表情を作る暇もないほど真剣そのものだ。

 それから私も頷く程度に言葉を発しはしたものの、それきりリタチスタさんは口を閉ざした。今は私とお喋りするよりも優先するべき事はこの陣の書き写し。しかしながら気になっている事があって口がムズムズと落ち着かない。

「何か、聞きたいことでも?」

 こちらも見てもいないのに、リタチスタさんは私の心を見透かしたようにそう問うた。

「え、あ、いえ」

「言ってごらんよ。お喋りして手が動かなくなるわけじゃないんだから」

 私がリタチスタさんの作業の邪魔をするのではないかと懸念している、と見透かされていたようで、本当にこうして話していてもリタチスタさんは苦もなく手が動く。

 ならお言葉に甘えて、と私は口を開いた。

「その、こうして侵入してる事がバロウにばれたら、どうするのかなと思って」

「どうするって?」

 バロウだって腹を探られるのは嫌なはずだ。ましてこんな地下に作った部屋ならば当然、他人に見られて平気なわけはない。それともリタチスタさんが家にいるのだからこの部屋が見つかるのも覚悟の上なのだろうか。

 それにしたってリタチスタさんや私が物を動かした形跡は完璧に消す事が出来ないだろうし、他人が自分の家の中で好き勝手した事をバロウは見過ごさないだろう。

「リタチスタさんが追い出されるとか、もっと悪ければバロウが知らない土地へ逃げてしまうかもとか、色々考えてしまって」

「なるほど」

 リタチスタさんの手元の紙の中の魔方陣はどんどんと形を成してゆく。道具もなしに美しい円を描き、精密に書き込まれる様は、どことなく機械じみていた。スウと引かれる線は物差しに頼ったように一つのブレもない。

 数枚の紙に渡って陣を解体して記しているらしい、文字以外の複雑な模様は写し終わったのか、今は文字ばかりが書き写されている。

 物が動いたりしたとかならまだ記憶違いとかで誤魔化せたとしても、この布が無くなるのは非常にまずいはず。持ち出せるなら書き写す手間もないのにと考えたが不可能だ。

「追い出されたって屋根でもどこでも寝て過ごすよ。それにバロウは今、魔力残量が少ない状態だろうから魔法を使って逃げる事はおそらく困難だ。だから見張ってさえいれば生身で動くしかないバロウを逃がすなんてありえない」

 私は首を傾げた。

「どうして魔力が少ないって分かるんですか?」

「……このところ魔力を晶石に溜め込んでるみたいだから」

 少しだけ口を曲げながら答えた。

「カエデは魔力の消費、回復の感覚が分かるかな?」

 私は首を横に振った。もとから無い物が無くなる感覚だってそれが回復する感覚だって想像は出来たとしても正しくはないだろう。

「分からないか。そうか」

「はい。……でもどうしてそんな事を?」

 リタチスタさんはずっと手を動かし忙しなくしていたのに、その手が一瞬止まったように見えた。

「どうして? うん、興味かな。魔力がないって、普通はありえないだろう。私は人一倍多くの魔力を持ってるから、なおさらね」

 そんな事より、とリタチスタさんは話を切り替えた。

「恐れるべきは、何も掴ませたくないからって、こうした陣や独自の研究成果を廃棄される事だ」

 バロウは一度頭に入れたものだからどうにかなるかも知れないけど、私たちはそうは行かない。

「自棄になってでもごらんよ、きっとカエデは元の世界に帰るなんて出来ない」

「自棄になりますかね? だってバロウはずうっと異世界へ行くって事を目標にしてたわけですから」

 死んでも諦めないだろう。けれど私とリタチスタさんでは考え方が違った。

「一つにしか執着してないって事だろう? それならなおさら」

「…………」

 一つにしか執着していない。それで自棄になる事態って言うのはつまり、バロウが異世界へ、日本へ行く事を断念せざるを得ない事を指す。

 バロウがこの世界へ生まれて数十年。諦めず、周りにどう思われようとも一辺倒に突き進んでいた転移魔法をだ。

 台無しにしてやる、とリタチスタさんは言っていた。バロウが人生の全てをかけた転移魔法を全て台無しにしてやると。

「私がしようとしてるのはそう言う事だよ。だから順番は間違えられない」

「順番……」

 全ての手がかりや情報を手に入れた後ならバロウが自棄になろうと、どうなろうと構わないと?

 考えすぎだろうか。アルベルムさんとの約束を忘れていた事が許せないから、きっと静かに怒っている。アルベルムさんを尊敬していたのは分かる、でもバロウだってリタチスタさんの中で小さな存在ではないはず。情がある相手の全てを奪うような事するのは平気なんだろうか。

「リタチスタさんは、アルベルムさんをすごく尊敬してるんですよね?」

「先生かい? そりゃあね。すごく、すごくお世話になったんだ」

 アルベルムさんの話題になった途端、若干表情が和らいだ。いつも見せている笑顔とは違った、心の底から湧いた愛しさが溢れて滲んだみたいに、とても温もりが伝わって来る目。

「リタチスタさんは何がきっかけで、アルベルムさんと知り合ったんですか?」

 作業の妨げになるとは、リタチスタさんのスラスラと動く手元を見て思う事はなくなっていた。そしてリタチスタさん自身から構わないと言われた事も手伝って、私は質問する事へ抵抗が無くなった。

「……私は昔、遠い土地から一人でギニシアまで旅をしたんだ。それで土地勘もなかった私はアルベルム先生のお世話になって、そのまま魔法も教わる事にした。私は魔力量が豊富だったから先生も可愛がってくれてね。それでいくら感謝しても足りない恩を感じてるんだよ」

「そうだったんですか」

 簡単な内容ではあったが、それでもリタチスタさんが旅をしてギニシアに来た事は初めて聞いた。

「それで、アルベルムさんを蔑ろにしているようなバロウを許せないんですね」

「そう言う事。バロウの泣き面が今から……」

 気分が良さそうに話していたと言うのに、突然リタチスタさんは何もないはずの天井を見上げた。

「まずい、バロウが戻って来る」

「ええ!?」

 私も同じく天井を見上げたが、何も感じ取る事が出来ない。

「で、でもここからじゃ分からないし、物音とかなら聞き間違いじゃ……」

「馬鹿を言うんじゃない。私だってバロウが帰ってきたら分かるように魔法で細工してあったんだから」

 どれほどの時間バロウが家を空けるかを聞いてなかったが、勘違いではなく本当にバロウが戻ってきてしまったらしい。

「ど、どうしましょう? 私たちがここにいるって気付かれたら不味いですよね!?」

 リタチスタさんにも若干の焦りこそ見えるが、それでも陣を書き写す手は止まらず衰えない。

「カエデ、もう直ぐバロウが家の中に戻る。その前に上に戻って書斎の施錠をして、クローゼットの扉と開けた床板を戻して来てくれるかな」

「はっ、はい!」

 バタバタと走って梯子に手をかけた。

 もう直ぐと言うのがどれほどか分からないがとにかく言われた通り書斎を内側から施錠、クローゼットの扉を閉めて、床板を下ろしつつ息を切らしながらまだ陣の書き写しの終わらないリタチスタさんの隣に戻る。

「か、鍵かけて来ました」

「クローゼットの床は?」

「そっちも、なんとか」

 私はこめかみに伝った汗を手の甲で拭った。

「よしよしありがとう。もう写し終わるからね」

 手元の紙は細いインクで沢山の文字や模様で埋め尽くさんばかりて、この短時間で書き込まれてた物とは信じられない。

「でも上の様子を戻してきたって、ここに閉じ込められる形になってるじゃないですか。どうするんです?」

 問いかけるが最後に追い込みなのかリタチスタさんは何も答えてはくれない。それがただの意地悪なんかではないのを真剣な表情から見て取れるため、大人しくしていなければと口を閉じた。

 どれほどリタチスタさんが手と口を別に動かせても集中するには口を動かしていた分の労力も必要となるだろう。

 あとどれほどの時間を要するのかと待つこと十秒ほど、リタチスタさんの忙しなく機械のように動いていた手が止まった。

「よし終わった」

 ビッシリと書き込まれた紙は丁寧に折り畳まれ、ポーチへ仕舞われる。

「どうやってここから脱出しましょう?」

「うん……、方法が無いわけじゃないんだけど」

 手段があるならどんなでもいい、今すぐに脱出してこの緊張感から逃れたかった。

「あるならさっそく出ましょう!」

「そうだね。ならこれから使う魔法、誰にも内緒にしてくれるかな?」

「え? あの、どういう意味ですか……?」

 内緒? 何故? 何となく重たいものを背負わされそうで、しかも話が唐突過ぎる。一体なんの魔法なのかも説明されていない。

 トコトコと隣の広い部屋に戻り、私たちがここに来た痕跡を片付け元に戻しながらリタチスタさんは続けた。

「理由かい?」

「理由もですけど、どんな魔法を使おうとしてるのかも分かりませんし」

 前もって説明していて貰わないとこちらとしても不安になる。

 私もリタチスタさんを真似て、覚えている限り自分で動かした物、主に木箱をもとの状態に戻す。

「転移魔法だよ。ここから抜け出すにはそれしかない」

「転移魔法ですか?」

 オウム返しする。

 転移魔法は勝手な思い込みかも知れないがリタチスタさんにもバロウにも一番慣れ親しんだ魔法だと思っている。それを何故他言するなと釘を刺すのか。

「何でそれを隠す必要が?」

「うーん……。知られたくないんだ。単純だろう」

 その知られたくない理由が知りたいのだが、待っていても一向にその理由を教えてはくれない。

 なのでリタチスタさんが人に魔法を知られたくない理由は何だろうと少し考えてみた。けれど私は魔法に詳しくないし、思い付くとするとアルベルムさん関係の魔法だろうか。アルベルムさんが作り上げた魔法で、他には知られていないからリタチスタだけが知っているとか、もしくは少数にしか知られてないとか。

「アルベルムさん関係で、とかですか?」

 思わず聞いてしまった。

「へえ。どうしてそう思ったんだい?」

 部屋を元の状態に戻す手早さがあったのに、リタチスタさんは私の質問に強い興味を持ったように作業の手を止めた。止めたと言うよりこの時丁度終わらせてしまったようだった。

「いえ、どうしてって事もないんですけど」

 そりゃあ理由を言いたくなかったなら触れられたくない内容だろうが、一応自分で思っていた事を口にしてみただけ。

 するとリタチスタさんは少しだけ目を大きくして、次に口角を片方だけ吊り上げるようにして笑った。

「……カエデも中々勘が鋭いじゃないか。驚いたよ」

「え? じゃあ、本当にアルベルムさん関係の魔法なんですか?」

「そう。実は先生が私を信用して、たった一人私にだけ、と教えて貰う事が出来た魔法なんだ」

 言いながらリタチスタさんは汚れた作業台に腰を下ろすように寄りかかった。

「転移魔法は膨大な魔力を必要とするから限られた人しか使えないだろう? それに点と点を繋ぐように決まった場所から場所へしか移動出来ない」

「なら、ここで突然どこかに逃げるなんて出来ませんから、だから誰にも言うなって事ですね」

「分かって貰えたようで何より」

 リタチスタさんは私に手招きをする。特に何も考えず招かれるまま近づくと、ガッシと私の手首が掴まれる。

「カエデが思う万倍大変な事態になるからね。だから決して、誰にも、何も言わないように」

 言葉が終わるや否や作業台の上の灯りが消されランタンの灯りだけになった瞬間、視界が一瞬青く光ったかと思うと、場所はどこかの部屋になっていた。

「え……!?」

 靴の下に伝わる感覚は板の間。六畳ほどの質素な部屋はベッドとカーテンの下がる窓があるだけ。

 私が驚いて上げた声が思いのほか大きかったのか、リタチスタさんは私に向かって口に人差し指を立てて見せた。

「静かに。バロウはもう家に戻って来てる」

 と言う事は、ここはバロウの家に程近いどこかだろうか。

「え、あのここは?」

「バロウの家だよ。私が使ってる部屋だ」

 事もなさげに告げられた言葉。予想外にも、本当にあの地下室からただ脱出しただけだったようだ。目的地だって目と鼻の先どころか同じ屋内。

「カエデは窓から外に出て宿に帰るんだ。バロウが帰って来たんだから多分カルデノたちも近くにいるだろう」

 締め切られたカーテンをそっと開ける。この部屋が二階に位置していたらどう外に出たらいいだろうと恐る恐る暗い外を覗くと、ここは一階なようでホッと胸を撫で下ろした。両開きの窓の片側をゆっくり開けばソヨ、と柔く風が吹き込む。

 とにかく物音を立てず、静かに行動する事を心がけ外に出る。

 リタチスタさんはそんな私を窓から身を乗り出すでもなくただ室内で佇みながら見守って、口を開く。

 ランタンの火はいつの間にか消えていた。部屋の扉から明かりが漏れる事を警戒してだろう。

「じゃあ、あの、私行きますね」

「後で行くから寝ないで待っててくれよ」

「今日ですか……!?」

 私の小さな声にリタチスタさんはコクリと頷く。

「そうだよ。まあ色々先にやることをやってから」

「は、はあ。色々……?」

 バロウには寝たふりでもしておくんだろうと考えていたのに、一体他に何をやろうと言うのか。

「じゃ、ほら行くんだ」

「それじゃあ、失礼します」

 なんだか追い払うように見送られるので、私は若干早足でバロウの家を離れた。

 リタチスタさんが言っていたようにバロウが帰ってきたのだから近くでカルデノたちが隠れてこちらの様子を窺っているだろう、とキョロキョロ辺りを探す。

「カエデ、カエデこっちだ」

 どうやらカルデノも私が探していたのを気付いていたらしく、少し離れた草陰からここ下でこちらへ呼びかけ手招きしていた。

「あ、カルデノよかった、いた……」

 草陰にはカスミとガジルさんもいて、無意識に強張っていた肩から力が抜ける。もしカルデノたちが近くにいなければ一人で暗い夜道を歩く事になっていたから。ホッと胸を撫で下ろして駆け寄る。

「私が思ってたより早くバロウが戻って来て、焦ったんだよ」

 あの焦り。笑い話にするなど出来もしないのに苦笑いして、カルデノも私の表情を見て同じように少し苦笑いした。

「そうか。こっちもバロウがまさかこんな早く戻るとは思わなかった」

「それで、バロウがどこに行ってたのかは分かったの?」

「ああ、一応……」

「おい、話すのはとにかくここから離れてからでもいいだろ」

 ガジルさんはカルデノの言葉を遮り、宿の方を指差す。

「見つかるかも知れないんだ、行くぞ」

 ガジルさんが一足早く宿の方へ歩き出す。

「そうですね。あ、そうだリタチスタさんが、後で行くから宿で待っててくれって言ってたよ」

「よし、ならとにかく戻ろう」

 背を向けたバロウの家から、何からガタンバタンと物音がしていたが、私たちは振り返る事無く宿へ戻った。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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遅まきなロマンスがアルノカナー
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