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 コンコン。熟睡していた頭が扉を叩く音により意識を浮上させる。

 私たちの使う宿の部屋の扉がノックされたため、私は眠い目を擦ってベッドから立ち上がった。

「どなたですか?」

 当然同じく目を覚ましたカルデノがジッと扉を睨みつける。

「私だよ、リタチスタだ。ちょっと開けてくれないか?」

「リタチスタさん?」

 本人の声。扉は念のためとカルデノが開けて確認してくれたが、開けた扉の先には小さな紙袋を片手に抱えたリタチスタさんが立っていた。

「やあ、おはよう。早起きだね」

「……起こされたんですけど」

 外はといえば、きっとあと少しすると日が昇るだろうかと言う時間帯であったため薄暗い。

 用件だけ聞こうと立ち上がって扉の方へ歩み寄ったが、我が物顔で入って来て私の使っていたベッドに座る。枕元で一緒に寝ていたカスミはパッと物陰に隠れてしまい、カルデノは冷めた目をしている。

 それでリタチスタさんはと言えば紙袋からサンドイッチを取り出して食事を始めたため、何故今、と疑問に思わずにいられない。

「ずいぶん眠そうだね?」

「いやだって、あの、寝てましたから。こんなに朝早く、どうしたんですか」

 人を訪ねるにはあまりに早すぎる時間で、追い返されるとは思わなかったのだろうか。私はまた眠い目を擦った。

「バロウがなかなか眠らなくて、こんな時間になってしまったよ」

「バロウ?」

「そう。バロウが寝ている隙に家の中を探して何を隠してるのかを突き止めたくてねえ」

「はあ……」

 頭がうまく動かない。とりあえずベッドは取られてしまったので、部屋にある小さなテーブルとセットの椅子の内の一脚に座る。カルデノはもう眠れないと観念したようで、自分のベッドに腰掛けて迷惑そうにリタチスタさんの話に耳を傾ける。

「……ん、え? 家の中を?」

 どうにか思考が現状に追い付いて来て一番に引っかかった家の中を探すと言う言葉。という事は、リタチスタさんがもしかして元の世界に戻るための転移魔法について何かを見つけてしまう危険性があった。いや、もしかしたらすでに何かを見つけ出しててもおかしくない。

 リタチスタさんはアルベルムさんの研究していた転移魔法を引き継いでいるかが怪しいバロウを良く思ってない。それ故に何か目的を持ってここまで来たと考えられる。

 もし今リタチスタさんにバロウの考える陣が見つかる事は私が元の世界に戻れない事を指すのではないか。

「何か、見つかったんですか?」

「今のところは何も。何せバロウの家だ、見えている物が全てとは考えづらいから、まあ納得出来るまでとなると、それなりに時間がかかる事も覚悟の上さ。ただ、バロウが寝ている間にこっそり気づかれないようにってのは、中々難しいけれどね」

 ガサガサと紙袋から一つサンドイッチを取り出すと、私に一つ差出してくれた。

「当然朝食はまだだろう。食べなよ」

「え、あの、お気持ちだけ受け取っておきます。起きたばかりででまだ何か食べる気分じゃないので」

 寝起きなものだから当然朝食はまだだが、だからと言って今の今まで寝ていた人がどうしてサンドイッチを食べられると思ったのか。

 リタチスタさんは口先だけ残念そうに今度はカルデノに差し出す。

「カルデノは? 食べるかい?」

「いらない」

「いらないか、残念」

 また口先だけ。表情にその残念に思う感情は出ていなかった。

 そんなリタチスタさんの理解の出来ない行動のせいで聞きそびれてしまったが、もう一度聞いてみる。

「それであの、どうしたんですか?」

「ああ、用事?」

「はい」

 サンドイッチが一口分減る。

「君たちの隠し事なんだけど、ちょっとだけ分かった事があるんだ」

 分かった? 何が? どこまで? 私は口を開く事すら出来なかった。ただ一気に眠気の覚めた頭で、目で、読めない笑みのリタチスタさんの次の言葉を待つしか出来ない。

「おお、気になるって顔だね。眠気はどこかに行っちゃったかな?」

 だって何を分かったと言うのか、と口にしたいのは山々だが、それだと私とバロウが何かを隠していると認める事になる。私は何も言えない。

「君は、バロウの事は知らなかったのに、どうしてか今は協力しているように思う。それって何故?」

「私がどうしてバロウを探していたか知りたいって事ですか」

 リタチスタさんは頷き、食べかけのサンドイッチを袋に戻して立ち上がる。

 カルデノは眉間にシワを寄せながら、同じくベッドから立ち上がった。

「ホノゴ山にあった魔力溜り。リクフォニアの路地裏にあったバロウの魔力。君の持つ隠匿書。バロウがコソコソ調べてる転移魔法。君がいつぞや例えで出した別の世界はあるかって話」

 スラスラと並べ立てられた言葉は、私から落ち着きを奪うものだった。そもそもどうしてリタチスタさんは今そんな事を口にしたのか。私は顔を俯けてしまった。それから思い出す。

「リ、リタチスタさんは、私の事をまだ疑ってるんですね」

「疑う? ああ、バロウと君がグルで、何か企んでるって? 確かホノゴ山からの帰りのことだったね」

「はい」

 リタチスタさんはあの時疑いは晴れないと言って、だから私を同様させるのもバロウの情報を引き出すための一環だと、そう思った。

 けれどリタチスタさんは笑顔で否定した。

「大丈夫、もう疑ったりしてないから安心して欲しい」

「え、何でですか?」

 私は顔を上げた。その疑いを晴らすために私が何をしたんでもないのにも関わらず。

「何でですかって……」

 少し悩む素振りを見せて、それから誤魔化すように目元の笑みが深まる。

「何でだろうね」

 笑っていられるのはリタチスタさんだけ。私にとってみたら理由もなく疑いが晴れるだなんておかしい。私が知らない内に何かを知られたのだろうか。そうなら一体何を知られた?

「そうだねえ。私の考えは、君が自分で言った別の世界とやらから来たんじゃないかと、そう睨んでる」

「…………」

 いや、いやいやいや、いや。睨んでる? 睨んでるって、憶測の域を出ないみたいなそんな言い方。

 カマをかけてる? 本当は確証がある? それとも本当に憶測の一つとして言っただけ?

 分からない。リタチスタさんはジッと、まるで私の目が揺れる様子が楽しいとでも言いたげに、ただジッとこちらを見つめてくる目に恐怖さえ感じる。

「私の今の言葉に対しての返事、二通りで片付けられるね。そんなわけ無いじゃないですかとかの否定的なものか、はいそうですとかの肯定的な言葉。それなのに多分キミは今、言葉を見つける余裕が無いんだろう?」

 どんどん、追い詰められている。リタチスタさんは私が別の世界から来たって、やっぱり気付いてるんだ。

「やめろ」

 カルデノが私とリタチスタさんの間に立ち塞がり、私は少しだけ息を大きく吸った。それでも言葉は遮れない。

「キミの今の表情は、はいそうです。だったんだよ」

 ギシ、とベッドが軋む音。どうやらリタチスタさんが立ち上がったらしい。

 私はテーブルを見たままの状態から顔を上げられない。コツコツと控えめな足音が扉の前で止まる。

「何を怯えているのか、何を隠しているのか、教えて欲しい。私が信用ならないのは分かるけどバロウの事だって信用してないみたいだから。そうだなあ、今日の昼食でも食べながら話そう」

 扉が開く。それから廊下に出る足音。

「時間は短いが決めてくれ。私を気長と思わないようにね」

 パタン。扉が閉まった。

 次第に足音が遠ざかるのを聞いて、私は顔を覆った。

「どうしよう……」

 リタチスタさんにとって、この話は朝食にサンドイッチを食べながら軽くするような物だったのだろうか。

「カエデ……」

 カルデノが私を心配そうに見下ろす。私は顔を覆っていた手を膝の上に下ろして、震える唇を開いた。

「リ、リタチスタさんはバロウをどうする気だろう。バロウに何かするようなら私は帰れなくなる? じゃあリタチスタさんに本当の事を言って、それでどうなるかな」

 大体、今日の昼に話そうなんてそんな、あと数時間で決めろって? 何を話せばいいか分からない。何を言って大丈夫なのか分からない。どこまで確信を持っていたのか分からない。

「リタチスタは話そうと言ったんだ。向こうは言いたい事を言って聞きたい事を聞いて来るはずだ。だからこちらも同じく聞きたい事を聞いて、それで判断するしかない」

「じゃあ、結局話し合いはしなくちゃいけないって事だよね」

「ああ、そうなる」

 もしかしたら、リタチスタさんがバロウをどう思っているかで結果は変わるのではないかと思う。言いたくはないが殺したいほど憎んでいるなどと言われればそれはバロウが新たに魔法を作る事も、私が帰る事も出来ない。改めて、それは心底怖い。何度も何度も同じ考えが頭の中を回っている。

「とにかく、一度寝よう。こんな朝早く起こされて疲れただろう」

「……寝れないよ」

 寝れない。脱力してテーブルに突っ伏す。カルデノが私の背中をポンポンと軽く数回叩く。

「なら寝れなくていい、横になるんだ」

「うん……」

 頭も体も重い。あれやこれやと色々考えながらベッドまで向かって体を横たえる。言われた通り、横になるだけで少しだけ頭が晴れるた気がした。

「カルデノは寝る?」

「カエデと同じ、あまり寝れる気がしないな」

 でもカルデノは寝ないとと言いながらベッドに腰掛けるだけで、中々横にならない。

「カルデノも横になろう」

「ああ」

 それでようやく、カルデノも横になった。

 天井を見上げる私の視界に、ふらふら飛び回るカスミが入り込む。

「どうしたの?」

「カスミも心配してるな」

 私の顔はどうなっているだろう。真っ青だろうか、それとも今も不安に染まっているだろうか。

「なんでもない……、わけじゃないけど、カスミさっきのあの人の事どう思う?」

「うーん」

 もう姿は見えないが、カスミは扉の方に目を向けた。その表情は恐怖をたたえていた。

「……私もそう思う」


 私はやはり眠る事が出来なくて、カルデノも私が眠らないからか同じく眠らずお昼を迎えた。

 とは言っても待ち合わせの方法は話し合っていなかった。こちらからバロウの家に赴くべきか、と部屋を出るためドアノブに触れた瞬間、私が力を込めるより先にひとりでに動き、一気に扉が開いた。

「!?」

 びくりと肩が跳ねる。

「やあ」

 扉の前には、両腕を後ろに回したリタチスタさんがいた。

「ど、ど、どうも……」

 恐らく見張っていたのだろう。と言う事はリタチスタさんはこの話し合いを重要視していると考えて間違いない。

「さてどうする?」

「どうする、と言うのは……?」

 恐る恐る問う。

「決まってる。どこで話をするかだよ。私としてはここの部屋がいいなあ。あまり外でする話じゃないと思うからさ。そのためにキミたちの分の昼食まで用意して来てしまったんだなあこれが」

 背に隠していたらしい布の包みをこちらへ差し出してきた。

「え、あ、ありがとうございます」

 せっかくだから、と宿から出ずに話をする事になった。

「じゃあ、二人はベッドに座って貰えるかな」

 リタチスタさんは部屋の小さな椅子とテーブルを引きずって二つあるベッドへ近づけるよう配置し直すと、そのまま包みをテーブルに置いて椅子に座った。私とカルデノがベッドに座ると位置関係が三角になるので、まあ話をするに悪くは無い。大人しく座る事にした。

「さて、じゃあ聞きたい事は三つ。一つ目は君はどこから来たか。二つ目はそれにバロウはどのように関係しているか。三つ目は君はバロウがしようとしている事をどの程度知っているか、だ」

「…………」

 いきなり、どれも答えられない質問。一瞬頭が真っ白になった。

「おいおい、答えられないのは肯定と受け取るから沈黙はやめてくれないかな」

 それでも口を開けない私の気配を察してか、リタチスタさんは幾分か柔らかな表情を見せた。

「事情があって話せないなら、それはどんな理由か教えてくれないか? 単純に信頼関係から庇ってるわけじゃないよね? キミが私に事情を話す事はキミ自身の不利益になるって事? それなら私だってキミの不利益にならないよう協力するよ。巻き込んだりしないさ」

 他人の頭の中が見えない限り、言葉が真実かどうかなど分からない。見た目にどれだけ優しげな今のリタチスタさんだってそう。

 けど三つの質問の内容が嫌に断定的だった事からして、私が別の世界から来た事も、それにバロウが関係してる事も、バロウが何かをしようと考えているのも、知ってるんだろう。

「なら、私から少し話すよ」

 このままでは時間だけが過ぎると判断したのだろうか、リタチスタさんはテーブルに両肘をついて指を組んだ。

「とりあえず、そうだなあ君が別の世界、とやらから来たのは知ってる」

「え!?」

 思わず声を上げるとリタチスタさんが満足そうに笑う。

「よしよし、どうやらこれは本当みたいだね」

「え、あ、その……」

 私の声が聞こえていないかのように言葉が続く。

「多分バロウが幼い頃から熱心に調べていた魔法、きっとその異世界こそが目的だったんだろうね。しかしバロウがいかにしてキミがいた異世界について知ったのか、またどうやってこの世界と繋がりを持たせたのかは分からないんだけど、恐らくカエデはその転移魔法の類をバロウに頼るしかない。だから信頼しているでもないし具体的にどうなるかも分からないまま疑心にかられ、けれどバロウの事を軽率に話すわけには行かないんじゃないか?」

 スラスラとまるで台詞を読み上げるように言葉に詰まる事も迷う事もなく、虫食いだったはずの解答欄が埋まって行くのに似た感覚。

 そこまで予想出来ていながら私と何を話そうとしていたのだろう。そもそも本当に話す気なんてあったんだろうか。

「確認を、したかっただけですか?」

 もう隠すだの、とぼけるだのの次元の話ではない。話し合いの体でありながらリタチスタさんにとって答え合わせでしかないなら認める他ない。

「……確認? うん、そうだね。それもある」

 リタチスタさんは私の悪い顔色を見ても普段と変わらず、むしろただのお茶の席かと思わせるほど寛いでいる。

「なんで私がバロウにこんな執拗になるかは多分、分かるね?」

「ええと、アルベルムさんとの約束を守らなかったから、ですか?」

「そう。しかも覚えてもいなかったとは衝撃だった。腹立たしいだろう?」

 そこで初めて眉間に誤魔化しのきかないシワが寄り、これでもリタチスタさんは怒っているんだと知った。

「だからバロウの転移魔法の全てを邪魔してやるんだ。幼い頃先生に弟子入りしてから遊ぶ事もなく、脇目も振らず、寝る間も惜しんで、先生との約束も忘れて、何よりも優先して必死に何十年もかけてきただろうあいつの全てを台無しにしてやる。あいつが今までの人生全てをつぎ込んだものを全て無駄にしてやるんだ。あいつの人生を無駄にしてやるんだ。そう決めた。決めたからには情報が必要で、その情報がキミだ」

 テーブルの上で少し身を乗り出して、リタチスタさんとの距離が若干近付く。

「まずは君の求める条件だけを言ってもいい。情報も小出しでいい。絶対に君の求める物は手に出来るよう協力する。だからバロウの思惑を阻止する私に協力して欲しいんだ。頼む」

 私の求めるものは、元の世界に帰る事だ。そのために必要な魔法はバロウ以外にも作れるのだろうか。無理なら、今まで通り信頼していようとしていまいと、バロウが魔法を完成させるまで待つしかない。

「私、元の世界に戻るためにバロウの魔法の完成を、待っているんです」

 私の求めるものから話し始めてもいいと、リタチスタさんは言ってくれた。リタチスタさんは私が別の世界から来たのだと知っているし、もしかしたら私の求めているものだってコレと気づいているかも知れないけれど、しっかり言葉にした。

「そのための魔法がバロウにしか作れないって思ってて、だからリタチスタさんがバロウの邪魔をして、そしたら私は帰れなくなるんじゃないかと不安なんです」

 途端に、申し訳なさそうに悲しそうな表情を見せたリタチスタさんは深く椅子に座り直した。

「……うん。そうか、そうだったんだね……」

 何かを懐かしむようにゆっくり目が伏せられる。どこか遠くに思いを馳せているような寂しげにも思えた目が、スッと私へ向けられ、そのまま目が合う。

「帰れないのは寂しいよね、私にも分かるよ」

 自分にもそんな経験があったと語るような、私を慰めるような、慈愛の込められた声。だからつい聞いてしまった。

「帰りたい場所があるんですか?」

 聞いてから何て質問をしてしまったんだ、と後悔して、取り消そうとするより先にリタチスタさんは答えた。

「うん。先生のいた時間にね」

 時間は巻き戻らない。過去には行きたいと思って行けるものではない。リタチスタさんの求める場所は、もう二度と戻る事も行く事も出来ずただ懐かしむだけ。それほどまで大切にしていた過去。でもバロウはその大切な時間の中にいたアルベルムさんとの約束をまるで忘れていた。果たすつもりもない約束をただその場を穏便に乗り切るための道具として消費した。

 そう考えると、少しだけリタチスタさんの怒りが理解出来た。

 リタチスタさんはアルベルムさんをとても尊敬しているようだし、長年お世話になってきっと恩もあるだろう。私には想像も及ばないほど大きく大切な存在のはずだ。

「けどカエデの帰る場所がまだあるなら、私はやっぱりキチンとキミを送るよ。君の望みを聞くよ、叶える。こんな口約束なんて信用出来ないのは百も承知だけど、協力してくれないか。この通り」

 座っていた椅子から立ち上がったリタチスタさんは、膝の裏で椅子を押しながら私に頭を下げた。帽子の広いツバが表情を隠してしまっても腿の横でギュッと握られた拳から必死な気持ちを感じられた。バロウが泣いてまで見せた姿からは感じなかった深い感情が胸に突き刺さってくる。

「あの、……頭なんて下げてもらわなくても大丈夫です。申し訳ない気持ちになりますし、多分協力なんて少ししか出来ないだろうし。だからもう一度、座って話しませんか」

 今の心境と状況でリタチスタさんを信用するのは勇気が必要だ。でも信じて、話をしてみようと思った。

 顔を上げたリタチスタさんは思いのほか真剣な表情で、小さく頷いて椅子に座ってくれた。

「ええと、どう話せばいいか分からないんですけど、でも一番最初に確認したいのは、私が帰るための魔法はバロウ以外にも、リタチスタさんにも作れるかどうかです」

「諸々条件が絡んでくるから一言で作れるとは簡単に言えない。より正確に答えるなら、作れる可能性がある、だね」

 可能性? と聞き返す。リタチスタさんはコクリと頷いた。

「魔法は必ず、紙だろうが地面だろうが壁だろうが埋め込みだろうが、陣を書き起こす必要があるから破棄されない限り必ずどこかに残ってるんだ。私は異世界があるとは考えた事も無かった。世界を渡る魔法は当然作れない。でもバロウは異世界があると知っていたから作った。また異世界に渡るための魔法を作る段階で、どのようにして異世界へ点となる陣を設置したかの疑問もある」

 点には聞き覚えがあったが、改めてリタチスタさんが軽く説明してくれた。

 転移魔法は点と点の間を移動するように使うものなので、その場の思い付きで好きな場所へは移動出来ないわけだから、転移魔法を使いたいならまずは誰かが苦労して生身で移動して、目的地に点となる陣を設置しなければならない。便利の裏には必ず苦労が存在するもの。

 けれどそもそも転移魔法を使って初めて行く事の出来る異世界にあらかじめ陣を設置するなど不可能な話で、そこをバロウがどの様に解決したのかを解き明かさなければ、私を元の世界に戻す魔法を作る事が出来ないのだと言う。

「まあカエデがこの世界にいるって事は、バロウの魔法はすでに一度作って試したからなわけで、陣の設置は済んでいるって事だから転移魔法の陣の場所の特定さえ出来れば君を元の世界へ帰す事が可能だろうと思う」

「そうですか……」

 口にするのは簡単だが、リタチスタさんの話す内容には少し気になる部分があった。

「何か気になるかな?」

 見透かされたようで、私は頷いた。

「その、確かバロウは入れ替わりを起こすんだとか、どうとか言っていたんです」

「入れ替わり?」

「はい。別の世界にいた私と、この世界にいた自分を入れ替えるような仕組みだったみたいで」

 私がいた場所にバロウが、バロウがいた場所に私が、と成功していたら綺麗に位置が逆転していたんだろう。

「お互いの魔力で引っ張り合うようにするはずだったとか言ってたな。だがカエデに魔力が無い事を忘れていたんで失敗したんだと言っていた」

 説明の補足をするようにカルデノが付け足してくれる。その説明に間違いがないと私は頷く。

「それも点が関係あるんでしょうか」

 私の言葉を聞いた途端、リタチスタさんは眉間にシワを寄せて何かに納得出来ないような表情でアゴに手を当てた。

「それ、もう少し詳しく聞いてないか?」

「いえ、魔法に詳しくないから説明しても理解出来ないだろうってそこまで詳しくは聞かされてないんです。でも、そうした方が魔力の消費が少なくて済むらしくて、三度目でようやく私だけがこちらに来るところまで作れた……? とかなんとか」

 三度、とリタチスタさんは呟き、考えるように目が閉じる。そのまま一分、二分と待ってみたものの身じろぎすらしないので、待ちきれなくて聞いてみる。

「あの、何か引っ掛かる事とかありました?」

「うーん……。うーーん」

 数回唸るような声の後、パチリと閉じていた目が開かれた。

「もしかして、バロウはカエデがこの世界に来たと認識してなかったんじゃないかな」

「え? はい。はいそうでした」

 言ってから、バロウが私を知らないと言ったあの時の衝撃を思い出し、心の中がズンと重くなる。とは言えリタチスタさんが私の心情を知るわけも無いため、私の話した内容を交えて続きを話し出す。

「バロウは君がこの世界に来ていた事に気が付いていなかった……。三度目か。つまりその辺の感知が出来てなかった……?」

 私に言い聞かせるようでいて自分の中で情報を整理しているようにも見えて忙しいかとも思ったが、もう一つ伝えておく。

「私がいた元の世界に一緒に行けるように新しく魔法を作り直すけど、沢山魔力も蓄える必要があるから時間がかかるのは理解してくれみたいな事も言われてます」

 魔法の事は本当に分からなくて、申し訳なくて謝る。リタチスタさんはその必要はないと言ってくれた。

「しかし、情報は小出しでも構わないと言ったのに、聞けば聞くだけ全て話してしまうんだね」

 まるで小さな子供を甘く叱るような表情。それはそうだと私は苦笑いした。

「何を言って平気で、何に気をつけて話したらいいのかも分からなくて」

「うん。苦手そうな顔をしてるよね」

 苦手そう、ではない、しっかり苦手だ。

 だからこそ一度言葉に躓いたり考えが纏まらないと何も言えなくなるし、そもそもこの話も聞かれた事に答えないと進まない気がしてならなかった。

「だから苦手ついでに、私がバロウから聞いた事を伝えておきます」

 聞かれた事に答えるのは楽だ。自分で伝えるべき情報なのか否かを考える必要はないから。それでもこれだけは、と思う事。

「リタチスタさんが信じられるかは分からないんですけど、バロウは私がいた世界で生きた前世があるんだって言ってました」

 言った途端、ポカンと間の抜けた顔で数秒、固まった。

 気持ちは分かる。前世がどうこうなんて言われてすぐに飲み込めるほど小さなものじゃない。

 ただ、リタチスタさんはそれから大きく一呼吸置いて口を開いた。

「なるほど、……前世ね。つまり前世の記憶を持ってこの世界に生まれたから、カエデの世界を知っていたからこそ異世界間の転移魔法を作ったと。うん不思議じゃない」

 さすが昔からバロウの事を知っているだけあってなのか、信じられないだの、ふざけているだのと言わなかった。

 だからバロウから聞いた全てを、リタチスタさんに渡す。前世、その世界へ帰りたがっている事や、家族の記憶、全て。

「バロウがそんな過去を持ってたとは……。なら記憶かも知れないね」

 そう呟くように言った記憶が何を指すのかは分からない。バロウが前世の記憶を手放さず生まれた事にリタチスタさんは関心を持ったようではあるが。

「ホノゴ山に残っていた、あの覚え書きを覚えてるかい?」

「リタチスタさんが熱心に読んでた覚え書きの事ですよね?」

 断片的で不確かながらも、それまでの転移魔法と違い好きな場所に好きなように移動する事を目的としているような魔法、と言っていただろうか。

 リタチスタさんはそうだ、と言った。

「それと、記憶を組み合わせるなんて事は出来ないだろうかと今考えてみた。記憶は豊富な情報だろう?」

「は、はあ……。確かに情報ですよね」

 ピンと来たようにカルデノが口を開いた。

「前世の記憶を頼りに、点を設置せずともその場所へ行けるか? この世界じゃなくても記憶にさえ異世界の情報があれば渡れるって事はあるのか?」

「おお、魔法に詳しくないわりに察しがいいね。それが言いたかった」

 パチンと指を鳴らしてカルデノを指差す。

 言いたいことの手間がカルデノで省けたのか、ウンウンとリタチスタさんは満足そうにしているものの、私自身は認識に不安があったため進みそうだった話を一度止める。

「ええと、すみません、記憶で見た場所に行けるから、前世の見覚えのある場所にも行けるって、そう言う事で合ってますか?」

「そう。だからバロウにとって、成功出来ればこれほど嬉しい魔法もないよね。これをこの世界で悪用目的でないってのがなんとも……」

 ただ、とリタチスタさんは少し声を潜めて続ける。

「この魔法が日の目を見る事はないだろうけどね」

 さきほどの高いテンションと打って変わって静かで、まるで人が変わったようだ。

「気になるのがバロウに残ってる記憶の量だ」

 バロウの記憶。生まれ変わって前世のものなんて一目も見られないのに今までよく覚えている方だと思っていたがリタチスタさんに言わせるとそうではないらしい。

「うん。だってバロウの前世の記憶って、もう三十年以上も前って事になるんだから、そりゃあ忘れている事だって多かろうさ」

「それでも家族の話や恋人の話なんかはしていましたよ」

 けれどこれは場所の情報と言うよりも人物、とりわけ自分のごく身近なものだ。

 私はバロウからどこに住んでいたかなどは聞いていない。忘れているのかただ話題にならなかっただけかは定かでない。

「転移魔法にはね、それなりに情報が必要になるんだ。それが点と言った陣に集約されてる。カエデちゃんの家の隣には何があったか思い出せるかな? 出来るだけ細かく言ってみてくれるかい」

 それに何の意味があるのか気になったが、それでも記憶の中で自分の家を外から正面に見つめ、そのすぐ横に目を向ける。

「ちょっと仲の良いお隣さんの家がありました」

 思い出すために、用があるわけでもなく天井を見上げる。

 隣の家は青い屋根、クリーム色の外壁と車庫、小さい花壇、大きな窓には白いカーテン。

と次々に思い出す事が出来た。ほとんど毎日見るもので、まるで写真のごとく細かに覚えている。

「ほら、その記憶の量がバロウにもあるかどうかだよ」

 家族の記憶があったとして、大切な思い出があったとして、それが通常の転移魔法のように、点の変わりになるほどの情報量として、位置の情報として成り立っているかどうかが問題だと言う。

 印象強い建物だったり看板、友達と一緒に遊んだ空き地だとか公園、そう言ったものばかり覚えていて、記憶なんてすぐ穴だらけになってインクが滲む頼りない地図みたいな物で、けれど転移魔法には欠点の少ないその地図が欠かせない。明確にここ、と示せる根拠となる情報を陣に書き込まなければならない。

「バロウの大切な記憶だろうから言いたくないが、両親や恋人を覚えていたとしても転移魔法じゃあ何の役にも立たない」

 そうリタチスタさんは言った。ただ淡々と。

 もしそうだとすると、バロウが転移魔法を三度も失敗しているのは記憶が薄れすぎて情報として成り立たなくなっているから? それにバロウは気づいていない? それともただ単純に転移魔法がバロウの目的とする形にまだ成り切れていないだけだろうか。

「バロウは、薄れていない記憶を持った人間が必要だったんだと思わない?」

 一瞬、理解が出来なかった。

「え、と……」

 それでも理解しないわけに行かない。

「自分の記憶の情報量が足りないのを分かっていて、最初から誰か前世の世界の人間を呼ぶつもりだったって、言いたいんですか?」

「そう。記憶は抜き取る事が可能だからね」

「ぬっ、抜き取る!?」

 思わず大きな声が出て、信じられない事を告げられた事もあり開いた口に手を当てた。

「記憶って、だって、それは自分だけが持っているものですよ? 手で掴めるとか移し変えるとか出来るものじゃないでしょう?」

 そう思うのが普通だろうが、小さく首を横に振りながらリタチスタさんは私の言葉を否定した。

「出来るんだよねえこれが。あまり見かけないかもしれないけど、それでも身近な所だとギルドの顔写真とかだろう。知ってるかい」

「顔写真……」

 そうだ、私には顔写真に関して戸惑った覚えがある。丁度リタチスタさんが言ったようにギルドで撮られた覚えのない写真。

「知ってます。私もギルドカードを作った経験があるので。でも、それがどうして抜き取るのが可能って事に繋がるんですか?」

「なら話は早いね。あれは君のギルドカードを作った者が君の顔を見たときの記憶を出力して作ったものなんだ。自分で用意があるんでもなきゃ、大きな施設で作る顔の写真はそんなものだ」

 記憶は出力出来る。つまり他人に自分の記憶を見せて共有する事が可能だと言う事。

 たとえ話に持ち出されたのは写真としての出力であっただけで、自分しか持ち得ないはずの記憶と言うものが盗まれたりするんだろうか。

 けれどこれを疑問に思ったのがカルデノだった。

「それは話がおかしいな。リタチスタ、お前の言い方だとバロウの記憶の情報量が足りていたからこそ異世界と転移魔法で繋ぐ事が出来たって事だろう。ならそのまま世界を渡る事は可能じゃないのか? 何故カエデが必要になる」

「そこを言われると難しいなあ」

 本当に困ったように眉間にシワを寄せる。

「中々説明が難しいけど、それが情報量の差としか言える事がない」

 トントンと眉間を指先で叩いて、まるで頭から何か転がし出そうとしているようだ。

「バロウの情報不足な記憶では精々が世界同士に繋がりを持たせられる程度。転移魔法に限らず、行き先が不明瞭なのは問題でね、郵便屋に街の名前だけ伝えたって個人宅に行き着けないだろう。加えて転移魔法で行き先の情報が無いなんて命に関わる」

 郵便屋なら街に着いてから色々と探し回る事も出来るだろうが転移魔法はそんな曖昧な事が出来ない。

「とにかく難しい話を抜きにすると、バロウに残ってる記憶だけじゃ元の世界に戻るには至らないって事ですよね」

「と、私は考えてる。転移魔法で目的地がハッキリしないなんて体がどうなるか分からないし相当危険だ」

 その危険を分からないバロウじゃない。だからこそ、最初から私の記憶が目当てだったんじゃないかとリタチスタさんは推察した。

「…………」

 なら、バロウが今まで言っていた言葉は、どこまでが本当だったんだろう。すべて嘘だったんだろうか。

 家族の事を思い出して泣いていたようだったのに、今の自分が受け入れられなくて取り乱して見せていたようだったのに。一緒に帰れる手段を取ると言ったのに。

「何か気にかかってる?」

「いえ、特には……」

 気にかかっていると言うならそうだが、だからって問題があるんじゃない。リタチスタさんが必ず私を元の世界に戻らせてくれるなら、バロウが世界を渡れなくたって知らない。知るもんか。

「じゃあ、今日の話し合いはこんなものでいいかな」

 私は今後出来る限りリタチスタさんに協力する。リタチスタさんは私を元の世界に帰れるよう努める。リタチスタさんの目的はバロウの転移魔法実行の阻止で、私の目的は元の世界に戻る事。再確認され、私は頷いた。

 私が元の世界に戻る事は自分の中で今一番大切な目標で、見返りとして釣り合うのがバロウの情報。私が話した内容など微々たるものだろうが、リタチスタさんにとっての価値は違う。

「私にとって、これ以上ないほど有益な話だった。ありがとうカエデ」

「いえ、こちらこそ……」

 リタチスタさんは立ち上がって部屋を出るためこちらへ背を向けた。これで本当に良かったんだろうかと、私はまだ意思が揺らいでいる。

 部屋を去ったリタチスタさんは、結局一緒に食べようと言っていた昼食を包みから出す事もなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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