79話
一分、二分と時間がたつ。海の底へ何故か沈んでしまったメロを助けに共に海底へ向かったフォニさんが顔を出す気配もない。周りで作業していた他の人魚達も仕事を中断して、一箇所に集まる。
「あ、あのメロはどうしたんですか?」
近くにいた人魚の女性に問うと、戸惑いながら口を開いた。
「あなた達はメロとフォニが言っていた三人よね?」
「どう言う話かは分かりませんけど、多分」
「そう。それが、分からないの。突然意識を失ってしまったようで。とりあえずこのまま里に戻るみたいよ」
「里?」
私が首をかしげると、この辺りの人魚達が住んでいる場所のことらしい。
「心配だけど、私はもう仕事に戻らないと」
「あ、はい。ありがとうございました」
女性がいなくなると、ガジルさんとカルデノも隣から海をそっと覗き込んだ。
「どうしたか気になるが、何かしてやれるわけじゃないしなあ。俺らが居てもどうしようもないぜ」
「それは、そうなんですけど」
これできちんとメロも私達にお礼をしたいという願いも叶ったわけで、ここから去ってしまっても問題ないにはないが。
「このまま帰るのは、釈然としないと言うか、妙な気分だな」
カルデノが言った。正直、カルデノがそう言った事は意外だったのだが私も同じ気持ちだった。
「皆さん!」
覗きこんでいた水面から飛沫を上げて顔を出したフォニさん。
「ああ良かった。まだいてくださったんですね」
「ああ。そっちの様子はどうなんだ? さっきそこにいたやつに、里へ帰るらしいって聞いたぜ」
ガジルさんが聞いた事情をザッと話すと、フォニさんはそれに頷いた。
「はい。メロは治療のため里へ運んでもらいました。私は、あなた方にも説明しようと、こうして戻ってきたんです。……それでメロなんですが、少し様子が変なんです」
「変? そりゃあ倒れたんだからな。少なからず、どこかしら体の様子はおかしいだろ」
ガジルさんの言葉にフォニさんは首を横に振った。
「そうではなくて……、以前連れ去られた仲間とよく似ていたと言うか」
あのように突然意識を失うのを見たことがあって、それが海岸で作業していた仲間の人魚が、人攫いに連れて行かれてしまった時だったと言う。
「どのような方法や理屈かは分からないのですが、このままメロが目を覚まさなかったらと思うと……」
口にして、ぞーっとフォニさんの顔色が青ざめる。
「ず、図々しいお願いだとは分かっているのですが、メロを連れ去ろうとした人攫いを捕まえてもらう事は出来ませんか……?」
出来ることなら、してやりたいと思う。しかしフォニさんに頼まれるまま動くと言うのもまた難しい。
「倒れたのが、その人攫いのせいと決まったわけじゃない。もしかしたら普通の体調不良の可能性だってあるだろう」
静かに、丁寧に説明するような口調でカルデノが言う。フォニさんも心のどこかでは分かっているのだろう。反論などもせずに黙ってその言葉を聞いている。
「それに、人攫いを捕まえるのだって簡単なことじゃない。ああ言う連中は身を潜めているものだ」
「あと、それで無事にメロが目を覚ます確証もないな」
「そ、そう……ですよね」
納得したかのような事を言ってはいるが、青ざめた顔色が戻ることはなく、声も一段と小さい。胸の前に祈るように握られた両手は少しだけ震えている。痛々しいとさえ思える姿。
「冷たい言い方と思っただろうが、どうなってもいいと思ってるわけじゃねえんだぜ。心配はしてるんだ」
「はい、大丈夫です。分かっているんです。でも、でも……」
かすれた声。私は我慢できずに口を開いた。
「なら、せめてメロが目を覚ましたら教えて貰うことはできますか? それまで私達、ホルホウにいますから」
勝手な事を言った。だからそんな事を口にしてから窺うようにカルデノとガジルさんの表情を確認して、しかし二人ともそれで納得したように小さく頷いた。
「それで本当に人攫いの仕業でメロが目を覚まさないってんなら、改めて手伝いしたいと思う、いいか?」
ガジルさんが自ら手伝いを申し出たのが少し意外で、フォニさんも同じ事を思ったのか、目を見開いて一瞬固まったかと思うと、何度も何度も頷いて潤んだ目から涙が落ちた。
しかし、そんな約束もかき消されそうなほどの悲鳴に私は肩を跳ねさせ、その発生源へと目を向けた。桟橋の根元でぐったりとした人魚の女性を抱きかかえて支えるもう一人の女性の姿。
「どうしたの!?」
声を聞きつけたフォニさんがその二人のもとへすぐさま駆けつける。私達もその後を追って桟橋の根元へ。
「この子、突然意識を失ってしまったの! どうしてこんな……、まるでさっきのメロみたいな!」
フォニさんが息を呑んだのがわかった。
「は、早く里へ連れていかないと……」
倒れた女性は数人に介抱されながら里へと戻る。
「二人目、だな」
ざわざわと騒がしいトンネルの中、カルデノがこちらへかろうじて聞こえるほどの声量で言った。
二人目。メロとそして先程の女性のこと。メロ一人であったなら体調不良だろうと言えた。実際に先程はそのようにしてフォニさんにも聞かせていたしきっとそうだろうと決め付けにも近い形だった。
「こりゃ、ちょっと偶然か疑うもんだが……」
ガジルさんの視線がフォニさんに向けられる。さきほどに増して、不安が募っているようだった。
「や、やはり人攫いの仕業なのでは」
「そうと決まったわけじゃないだろ?」
言いながらガジルさんは他の人魚たちに目を向ける。確かに人攫いの仕業だと決まったわけではないが、信憑性は明らかに増しているだろう。
何気なく前に出した私のつま先に、コツンと何かが当たった。
「あっ」
軽くとは言え蹴ってしまった、と反射的に足元に目を向ける。
「なんだろう、これ」
特にこれと言って考えもせずに蹴ってしまって桟橋から落ちそうになっていたそれを拾い上げる。
大きさはビー玉ほど、手のひらに握りこめる程度。黒曜石のようなガラス質の真っ黒な半球体で、もとは何か台座に据えられていたと考えるのが自然な形をしていた。色々な角度から見てみるも、それ以外に発見はない。
「うん? これは……、なんだ?」
カルデノが私の拾い上げた黒い石を覗き込むように上から眺める。次いでガジルさんもそれを見ようと同じく上から覗き込んできた。
「何拾ったんだ?」
「分からないんですけど、何か……、飾りのような? フォニさんはこれに見覚えがあったりしますか?」
この海で魔石の採掘をしているのだから、もしこれも魔石だとしたらフォニさんの方が詳しいだろうと思っての質問だったが、フォニさんは首を傾げた。
「いえ、それは何でしょう? すみません見覚えはないです。魔石の一種なのかどうかも……」
フォニさんは申し訳なさそうに目を伏せた。こんな時だと言うのに何だか眠い時のように瞼が重くて、朝目覚めたばかりの時のようにゴシゴシと目を擦る。
「どうした?」
「なんでもないよ、ちょっと目がかゆかっただけ」
カルデノが私の様子をどう思ったのか、若干眉を顰めたものの目のかゆみを訴えただけに収まる。
「にしても結構綺麗じゃねえか?」
ガジルさんがヒョイと私の手からその石をつまみあげる。見た目が珍しいため、まじまじと見たくなるほどに興味が湧いたのだろう。
「誰かの落し物かもなあ……、って、あ?」
バタン。なんの前触れもなく、ガジルさんが顔面から受身も取らずに倒れた。
「……え、ガジルさん?」
「……おい?」
カルデノと私、ほぼ同時に倒れたガジルさんに声をかけたが、私は少なくともこの状況を理解しきれていなかった。
「ガジル、どうしたガジル!」
カルデノがガジルさんの体を転がして仰向けにすると、ころりと手からあの黒い石が落ちた。
「一体どうしたんです!?」
「分からない、とにかく私達も一度帰る。メロやさっきの人魚と関係があるかは分からないがとにかく、何か分かれば知らせる」
ガジルさんの腕を自分の肩に回してグッと立ち上がろうとした時、フォニさんが慌ててカルデノを呼び止める。
「ま、待ってください! 私からも何か知らせたくても陸の人に頼むしかありません、ご利用の宿を教えてもらわないと」
そんな中で、私は桟橋に転がったままの黒い石が気にかかり、何故か誰にも見られていない事を願いながらヒョイと拾い上げた。この石が私の手からガジルさんに移った時、不思議と謎の眠気は嘘のように消え去ったのだが、また拾って見ればこの石は、またも私の眠気を呼び寄せた。その間にカルデノがフォニさんに私達の使う宿を簡単に説明し終え、今度こそガジルさんを担いだカルデノが立ち上がった。
「行こうカエデ」
「う、うん」
握りこぶしの中に隠していた黒い石を拾ってどうするかなど考えていたわけもなく、袈裟懸けのココルカバンにはカスミがいるしで、ポーチのココルカバンにその石を放り込んだ。
医者に、宿で寝かせたままのガジルさんを診てもらった結果は、魔力の急激な減少のせいではとの事だった。
魔力はなくなれば急速に回復しようと気絶に近い形で眠りに落ちることがあるらしく、言わば疲れて眠っている状態らしい。疲れて眠っているだけならばその内自然と目が覚めるだろうが、では眠るまで魔力を使い果たしてしまった原因はなんなのか。医者もそこまで分からぬと言い残し診察を終えた。
カルデノはベッドで死んだように眠るガジルさんを心配そうに見下ろしていて、座ってはどうかと部屋の小さな椅子を指した。その椅子と私の座る椅子の間にはこれまた小さなテーブルがあり、カルデノが腰掛けたのを見計らってあの黒い石をテーブルの上に転がした。
「あの、カルデノこれなんだけど」
「うん? ああ、あの石か」
そこまで興味はないのか、ガジルさんのように触ろうとはしなかった。ココルカバンから出て部屋を飛び回るカスミがその石に触ろうとするのを阻止し、感じていた事を口にした。
「なんだか、これを触ると眠くなるの。それにガジルさんが倒れたのはこれに触った直後だったよね? 怪しいと思って……」
だから、カスミも触らないようにといい含める。
「……そう言われれば確かに、怪しいには怪しいが……」
訝しげな視線が黒い石に注がれる。つるりとした表面はかすかに部屋の中を反射していた。
「あと、この石が落ちてたのはメロの後に倒れた、人魚の女性がいた場所の近くだったよね?」
「ああ。でもまさか、この石のせいだと思うか?」
私の考えをカルデノは、いまいち信憑性にかけると思っている。そう言う私自身も確信などないし、これはただの憶測だ。根拠はと聞かれても明確な言葉として伝えられる自信もない。
「カエデがそう言いたくなるのは分かる。偶然では済ませられない事態だった。それでもメロを除く二人が気を失う原因がこの石だったとして、メロはどうだろうな」
「メ、メロは……」
別に何がなんでもこの石に原因を結び付けたいわけではない。しかしどこか意地になってしまった自分がいて、メロがこの石が原因で倒れたならば一体どこで触れたのかを考える。
「この石がそもそも、これ一つとは限らないし」
「…………」
カルデノは軽く目を見開く。
「それは、そうだな」
「えっ」
「ん? そうだなと。可能性はあるんじゃないか? その確率が高いか低いかは別としてだが」
とにかくガジルさんの魔力も夜か、あるいは次の日の朝には戻って目も覚める事だろうと簡単に考えていた。
翌朝、ガジルさんはまだ目を覚ましてはいなかった。呼吸はしている、寝息のようにスウスウと薄く開かれた口からも呼吸がもれていた。しかし、ただ眠っているだけと考えるのは難しいほどその眠りは深く、いくらカルデノが揺すっても身じろぎ一つしない。昨日宿へ運ぶ途中もそうだった。
「普通、寝むりこけるほど魔力を使ったとして、回復にどれくらいの時間がかかるの? ガジルさんがこれだけ多くの時間を眠りに費やす事は珍しくないもの?」
カルデノに問う。カルデノは悩むように少し俯き、それから首を横に振った。
「分からない。でも、ここまで長時間の睡眠を必要とするほど大量の魔力をガジルが有しているとも考えられない」
「じゃあ、何か変って事……、だよね」
昨日の黒い石が脳裏によぎった。
「……一度メロ達の様子も聞いてみよう。あっちは目覚めたかも知れない」
ここまで読んでいただきありがとうございます。




