75話
バロウから書き込みのされた地図、お金、ココルカバンを受け取った。ココルカバンは見た目も容量も大きく、私一人入れそうなほど広い口を紐で収縮させる事が出来る。
それら三つを受け取りバロウの家を後にした私達は、ゆっくりと宿に向かっていた。
「さて、どうするか……」
カルデノが呟くように言うので、私は時計を確認する。
バロウの家を訪ねたのがそもそも早い時間だったため、まだお昼も遠い。
「今日中に出発する?」
「そうだな。割と近いのはレクレブ、だったな」
「うん。今までの移動距離に比べると楽だとは思うけど……」
「おーい」
突然聞えた声に私は途中で言葉を止める。どうやらガジルさんのようで、ようやく見えてきた宿の近くでこちらに大きく手を振っているのが見え、駆け足でこちらへ寄って来た。
「随分早くに出てたんだな。結構待ったぜ」
「ずっとここに居たんですか?」
「ああ、どうせ戻るだろうと思ってな。で、どうなった? 問題は解決しそうか?」
「ええと、一応そうですね」
ガジルさんは私達には何か事情があるのだろうと自分から身を引いてくれた人だ。曖昧な回答であったが納得したように頷く。
「でも今すぐにってわけじゃあ、なさそうだな?」
問題を解決するには晶石が必要になり、今からそれを集めに行くところなのだと説明すると、ガジルさんはパッと楽しそうに笑う。
「それ、俺も行っていいか?」
「お前も?」
私よりも先に反応したのはカルデノ。あまりいい顔をしていないがガジルさんはそんな表情をものともしない。
「ああ、どこ行くか知らんけどまあ、道案内くらい出来ると思う」
「道案内、出来るほど詳しいんですか?」
「事細かにってわけじゃないが、言っただろ? 俺はカルデノの事探してたんだ。国内も割りと歩いた方だぜ」
確かに地図に書かれ道案内だけでなく、実際に隣を歩いてくれる人がいれば心強くはある。
「……どうする、カエデ」
カルデノも私と同じく悩んでいるのか、少し難しい顔をしている。
ガジルさんが一緒に行動したいと言うなら、断る理由はない。カスミの存在は知られているしそれでカスミに何かする人でない事も分かっている。
「正直、一緒に来てくれると助かる気がする」
「だろー?」
ガジルさんは嬉しそうに笑い、得意げに腕を組む。
「で、行き先ってのはどこなんだ?」
私はバロウに渡された地図を広げて見せる。
「ここと、ここです」
レクレブ、ホルホウと続けて指で差す。
「レクレブは行った事あるが、ホルホウって海に面したとこだな。そっちまで行った事はないが人魚がいるって有名だぜ」
「え、人魚がいるんですか!?」
人魚と言えば御伽噺に見る、あの美しい姿が頭に思い浮かぶ。
「すごい、見てみたい……」
カルデノも海を見たことがないと言っていた。もしかしたら私と同じく海や人魚に興味はあるだろうか。
「カルデノも見てみたいと思わない?」
「ん……、うん。まあ……少しはな」
照れ隠しのように顎に手を添えて、視線が適当な場所へ泳ぐ。
「よし、じゃあ俺も行くから準備してくるけど、置いていくなよ」
「分かってる。宿で待ってるから早く準備なりして来てくれ」
カルデノが言うとガジルさんは駆け足で去ってゆく。その間、宿の部屋で荷物の整理をする。
整理と言ってもそう時間がかかるでもなく、ほとんどベッドに座って休んでいるようなものだ。
「場所が分かったとは言え、ガジルさんが道案内してくれるのは助かるね」
「ああ、そうだな」
窓の外を眺めていたカルデノがこちらへ顔を向ける。
「元はカフカに住んでいたと言っても、ガジルほど遠出もした事がないからな」
改めてガジルさんがいると助かると認識する。
勿論今までだって誰か道案内をしてくれる人がいたわけではない。だから多分今回も、ガジルさんがいなくても目的の場所へは行けるだろうが、その確実性や効率は違ってくると思うのだ。
「助かるには助かるが、そもそも今日出発するとして、馬車の出る時間はいつだろうな」
「確かにそうだね。入れ違いにはなりたくないし、どっち道ガジルさんが来てから時間を確かめる事になるけど」
「それもそうか。早く来るといいが」
「そんな財布片手に買い物気分でもないし、やっぱり時間はかかるんじゃないかな」
ガジルさんはそれから三十分ほどして宿の前に来たのをカルデノが窓から見ていて、外で合流。馬車が出る時間を確かめるため駅へ足を運んだ。
「じゃあまず、近場のレクレブから行くんだろ?」
駅の壁に貼られた大きな地図の前を陣取り、レクレブを指差す。
「そうですね。貰った地図に簡単な道筋を書いてもらってるんで、とりあえずはその通りに行こうかと」
「そうか」
その後馬車に乗り込み、途中で乗り換え。予定した通り次の日の昼頃にはレクレブへ到着した。
「ここがレクレブか」
カルデノが駅から出るなり、ぐるりと街を見回す。
街は大きいようで人も馬車も多く、適当な方へ歩きながら駅から離れる。
駅の方へ流れてゆく人と、私達同様に遠ざかる人達に、時折肩がかする。他に見たことのある街のどこよりも荷物を積んだ台車が道を占めていて、若干狭くも感じる。
「おう。で、結局なんの用事でここに来たんだ?」
「あれ、言ってなかったですっけ? 晶石を買いに来たんです」
「言われてねえなあ。しかし晶石……。そういやここって魔法石が採れるんだったか」
まずはどこへ行けばいいのか、とキョロキョロしていると、ガジルさんがスッと進んでいる方を向いて右側を指差した。
大きな道路を挟んだ向かいの道で、先はカーブになって建物に隠れているため行き先は分からない。
「向こうの方から、やたら馬車やら荷台やらが流れて来てるみたいだぜ」
言われて見ると、駅の近くが込み合っているのはガジルさんが指差す道に人通りが多いためだった。
「あっちの方に何かありそうだが、誰かに聞いてみるか」
きょろりと辺りを見渡したかと思うと、前方で雑談していた二人組みの男性のもとへ駆け足で向かい、言葉を数回やり取りして戻ってくる、ガジルさんはカルデノを探すためと言ってカフカを出てギニシアにまで行くような人で、かなり行動力はあるらしい。
「やっぱりあっちの方で、魔法石が採れる場所があるんだとよ。で、そこの近くで晶石が売ってるらしいぜ」
「ありがとうございます」
「いいって。ちょっと行って聞いてきただけだろ」
さあ行くぞ、とガジルさんは率先して右の道へ行くために大きな道路を渡った。
その右側の道と言うのはおおきな道路に対して直角に道が続いていて、途中からは若干の上りになりつつ大きく、先ほども見て分かっていた通り緩やかなカーブを描いている。 道の両脇には人が歩く歩道だけを残して建物に埋め尽くされていて、隙間から遠くを覗く事も出来ない。だから道はどれほど続いているのか、また先にどんなものがあるのかまで分からなかった。
「まさか晶石を買うためだけにここまで?」
先ほどの話の続きなのか、ガジルさんが突然そう言った。
「そうです」
それ以外に用はないのだと言うと、少しつまらなそうだった。
「じゃあ、ホルホウにも晶石をただ買いに行くのか?」
「まあ、目的だけを言うならそうなるな」
今度は私でなくカルデノが答えると、ふーん、とため息のように、やはりつまらなそうな返事。
「それが悪いって言うんじゃねえが、旅にゆとりはあるか?」
ゆとり? 何故? と首を傾げる。
「せっかくカフカへ来たのに、まさか晶石だけ買って遊びも無く帰るのか? せめてホルホウでくらい観光なんかしてみたらどうだ? 俺も行った事ないからな」
どうやらガジルさんはカフカを何も見ずみただ晶石だけを買う事を少し不満に思っていたようだ。
確かに興味はある。カフカはギニシアとは違い獣人の数は桁違いであるし、以前も感じた通り自然が多い。この街はギニシアでも見慣れた都会の雰囲気だが、テンハンクやアンレンは手入れが行き届いていないとかではなく、建物と樹木が上手く共存、と言うのかお互いを殺すことなく成り立っているのはただ歩いて見ているだけでも面白い。
「多分、遅いよりは早い方がいいとは思うんですけど、でもホルホウについて教えてもらった人魚には本当に興味がありますし、観光出来そうなら、してみたいとは思います」
「そうか!」
つまらなそうな表情から転じて嬉しそうに笑った顔をこちらへ向ける。
カルデノもそんなガジルさんの様子を見て口の端が若干釣りあがる。
「カエデが言っていただろう、大きな水槽の中に海の生き物を集めて、それを見たことがあるって」
「うん、言ったね」
ティクの森で、初めて宙を泳ぐ魚のような物を見たときの話だった。
「海を中から眺めたりは出来ないだろうから、せめて見たいんだ。海は、話に聞いたって本当に想像が出来ないから」
私にとっては慣れ親しんだものだ。まず実際に見たことがなくとも何かしら映像やら写真やらで目にするし、波が打ち寄せては引いていく音だったり防波堤にぶつかり白く砕け散る姿も容易に思い出す事が出来る。
私には初めて海を見た時の記憶なんてものはない。そしていつの間にか特別なものではなくなった。
だからカルデノが海に期待を寄せる姿を見て、私も今初めて海を見たとしたら何を感じただろう、思っただろうと意味の無い事を考えた。
「ガジルは海を見たことがあるか?」
「俺も見たことはないな」
でもとある酒場で、元は海辺に住んでいた人と話す機会があったとき、聞いたのだそうだ。
話に興味があるらしいカスミが、もぞもぞとココルカバンの隙間から顔を出すのが動きで分かった。
「青くて広くて、空と海の交わる境界線が見えるらしい。中天に浮く太陽が海を輝かせる。沈む直前の赤い太陽が海の姿を変える。月が浮くと海は光の道を作る。そんなのを聞いたんだ」
「……見てみたいな」
呟くような小さな声であったが、私もガジルさんもしっかりと聞えていた。
「じゃあ、ホルホウに着いたら何より先に海を見ようぜ」
海について興味の尽きない二人の話はぽつぽつと続き、やがて辿っていた道に変化が見えた。
細かな砂や土が靴の底と地面で擦れ、時たまジャリッと音を出す。
「お、もしかして晶石が売ってるってこの辺の事か?」
そして隙間もないほどあった建物は密度を無くし、代わりに倉庫のような場所や雑に石が詰まれた空き地などが目立つ。
まだまだ先へ進むと、人が大きな建物に行列を作っているのが見えた。
「お、あそこか?」
大きな建物の中を覗くと、仕切りなどは一切なく箱のように一つの空間。その中に沢山の石がいくつもの山に分けられ大量に積まれていた。山は色毎、大きさ毎に分かれていると思うが、その山の一つ一つが人よりも高く積まれているのだから凄い。
「うわあ、すごい。あれ全部魔法石かな」
どうにも人が多いせいでよく見えないため、興味が尽きない。
「なあちょっとすまない。晶石が欲しくて来たんだが、あの倉庫で買えるのか?」
ガジルさんはたまたま横を通りすがった男性に話しかける。
「ああそうだよ。見ての通り行列が出来てるから並びな。中に入れれば目当ての山まで行けばいい」
「ありがとな。引き止めて悪かった」
男性はなんのなんのと言って去った。
「だってよ」
勿論聞こえていた会話の内容をあえて説明することもなく、ガジルさんはただ行列を指差した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




