銭湯産、ハイポーション
目の前にまで迫った銭湯、もう何度と訪れたことのあるその建物が、今はとてもじゃないが気軽に出入りしていた場所のように感じることは出来なかった。
のれんが下げられただけの入り口を前に立ち止まった私の背中をアスルが遠慮なく押したことで、簡単に中に入ってしまった。
少し広めのロビーには湯上りに少し休めるように椅子がいくつか置いてある、そして奥に女湯と男湯に分かれた出入り口があり、その間にカウンターが設置されている、カウンターでは背中の丸まった小さなおばあさんがニコニコしながらこちらを見ていた。
「あ、あのー」
「はいはい?」
のんびりした返事のおばあさんに、おそるおそる事情を説明してみた。
「実は大量の水をいっぺんに使いたいんですが、しばらくの間浴槽を貸してもらうことは出来ますか?」
「浴槽をですか」
「はい、決して乱暴な事だったりではないんです」
「うーん」
おばあさんは難しい顔をして、ただ返事を待つしかなかった。
「まあ、浴槽の掃除をしてくれるなら、閉店後に貸しますよ」
「本当ですか!」
「ええ。後ろのお兄さん、いい男だしねえ」
私は銭湯に来てから一言も口を開いていないアスルを睨んだ、なぜこいつの功績みたいになってるんだ。
「……感謝しますおばあさん」
目が合ったにもかかわらず、あからさまにその目を逸らしたアスルはおばあさんにお礼を言った。
「それで、店終いをするのは何時ごろですか?」
「いつも最後のお客さん次第だから正確に決まってるのではないけど、すっかり暗くなったころ来て頂戴」
「わかりました、行くぞカエデ」
「は?え?」
アスルに腕を引かれて外に出ると、そのまま早足でどこかに向かうようだ。
「え、どこ行くの?」
「まだ時間があるからな、もう少しアオギリ草を探しに行く」
「そうなんだ、頑張って」
ぴたり、アスルは足を止めてこちらを向いた。
「カエデも行くんだ、用意しろ」
一瞬何を言われたか理解できなかった。
私も行く?街の外に?
「いや、いやいやいや可笑しいでしょ何で私も行くの?死ねって事?」
「なんだ、外に行った事がないのか?」
「いや、護衛を付けてならあるけど、それも近くの川までだったし」
「そうか、まあ無理強いすることでもない、一人で行くが、時間に遅れるなよ」
「えー、迎えに来てよ、荷物預かってるんだし」
アスルはあっさり頷き、こうして話す時間も惜しいのか駆け足で離れていった。
しかし、と空を見る。太陽は真上より少しずれたくらいの位置にある、夜まで私は何をして過ごそうかと考えた。といってもすぐには浮かばないので宿に戻る。
ベッドに座って、寝そべるのに邪魔なリュックサックを床に降ろし、ばふんと仰向けに倒れこんだ。
無駄に数分目を閉じていると、ふとあの謎の本の存在を思い出し、仰向けに寝返り、リュックサックの中を漁って謎の本を引っ張り出した。これはもう謎の本ではなくレシピ本なので、次からはそう呼ぶことにしよう。
レシピ本のページを開き、ポーションのページを過ぎる。以前は毒消しで終わっていたレシピは「麻痺治し」「気付薬」「ポイズン」「キラーポイズン」が追加されていた。
「ポイズンって薬なの?これ薬のカテゴリーなの?」
まあ薬だって使い方を間違えると毒になると言うし、似たような意味で薬のカテゴリーになるのだろう。またページを捲るが、どうやらこれだけしか増えていないようだ。
他のカテゴリーはどうだろうかと見てみたが、武器も防具も増えていなかった。しかし「?」と書かれていたカテゴリーの字ひとつが「石」と変わっていた。
石とは一体何か、せかす気持ちを落ち着けて、レシピを見る。
「炎晶石」「雷晶石」の二つが書かれていた、赤い見た目の石が炎晶石、黄色い見た目の石が雷晶石。
それぞれに共通した材料は「水晶」「牙」それに炎晶石は「赤石」雷晶石は「紫石」というものが必要らしい。
だが炎晶石や雷晶石とは一体どのようにして使うものなのだろうか。それに材料の牙だ、なんの牙でも良いのか、ポーションの材料にあった草と同じように何でもいいのならその辺を行き交う蜘蛛の牙でもいいだろう。
あと赤石と紫石も分からない、どうせ夜まで暇なのだからギルドの本でも見て調べようと思い至った。
「えーと、石……」
立ち並ぶ本棚の間を目を凝らしながら探すのは、晶石についての本だ。
先ほどまで赤石と紫石についてを見ていたのだが、赤石は火を、紫石は雷を封じ込めた色石の一種で、他にも沢山の色があり、それによって封じ込められているものが違うらしい。
その色石を何に使うのかと言えば、ただの火付け石の代わりだったり、魔力で威力を増大させて攻撃につかったり、様々なようだが、色石自体は弱いので、魔力の量が多いとすぐに壊れるらしい。
そしてその色石を材料に使う晶石とはどんなものなのか、見つかった晶石に関しての本を開いた。
晶石は魔晶石とは違い、使用者の魔力を必要としない魔晶石に似通った物で、一見便利に思うが威力の調節は出来ず運任せ、おまけに使い捨てなのでおすすめは出来ないらしい。
ページの序盤から読む気を失せさせる一文があるらへん、本当にお勧めはできないのだろう。しかし気になっていたので読まないと言う選択肢もなく、黙って読み進める。
どうやら威力はまちまちでも魔力保持量の少ない人は運任せでも使っているらしいし、意外と価値はあるようだ。
作ってみたいなーという気持ちと、自分には必要が無いという正当性がせめぎ合いつつ本を戻した。
でも話を聞くだけならと、下におりて、窓口で接客するクリスさんが空くのを待ってから、そろっと近寄った。
「ようこそ、いかがなさいました?」
クリスさんは相変わらずの笑顔で私に話しかけてきた。
「こんにちは、また聞きたいことがあるんですけど」
「はい、私に答えられることでしたら何でも」
「えーと、水晶、色石、牙ってどこで手に入りますか?」
クリスさんはすこし首をかしげたが、何事も無かったかのように答えた。
「色石と牙でしたら、ギルドの3階に売っていますよ、水晶は魔法石店に売っていますが、取り扱いしているかはそのお店によりますね」
「そうですか、ありがとうございます」
「いえ、また何かございましたらお気軽にお声かけ下さい」
会釈して3階に足を運ぶと、意外と人がいて驚いた。
三階は仕切りが一切なく、広い空間に幾つも棚やテーブル、敷物などの上に見たことも無いような物が並び、壁に吊るされた大きな革を眺める人や、棚に置いてある乾燥した草を選ぶ人、カウンターで骨と思わしき物を購入する人など、何人もいた。
私も色石と牙を捜してうろちょろしてみたら、色石は簡単に見つかった、まるでキャンディーポットのようにガラス瓶に色分けされて入れられていて、値段はどれもひとつ7タミル。紫石をひとつ手にとって見ると、まるで紫色のラピスラズリのようで、おもわず見とれてしまった。しかし色石はすべて色の違うラピスラズリのような見た目だ。
そして紫石と赤石を購入する決意をしてしまった。こうなればやはり牙も欲しいので探し回り、粗皮の隣で並ぶ牙も発見した。
オオイモムシの牙3タミル。コウモリの牙3タミル。狼の牙5タミル。この三種類があって、イモムシもコウモリも生理的に受け付けず、狼の牙をふたつと色石を購入した。
残りの材料である水晶も欲しいが、清め石を買ったあの魔法石店には二度と行きたくないので、他の店を探す事にした。
まずギルドのある西門の通りをくまなく探し、2軒あったお店には水晶がなかった。
次に北門の通りを探すが魔法石店が無かった。このまま水晶が見つからなかったらせっかく買った色石も牙も無駄にしてしまう、そう思いながら東門の通りで見つけた魔法石店に入った。
「いらっしゃいませ」
それほど広くないお店で、掃除をしていた女性が出迎えてくれた。
「すいません、水晶って売ってますか?」
「水晶ですか?普通の?」
「え?あ、はい」
その時はじめてまともに女性の顔を見た。切れ長の目には縦に開いた瞳孔、ハイネックの服からちらっと見えた首の赤い鱗。まず人間じゃないなと思い、他の露出した肌も赤い鱗が光を反射していたのを見た。
「龍族が、珍しいですか?」
「龍族、とは……?」
聞き返すと、女性は驚いたように目を見開いた。
「ご存じない?」
「え、あの……、すいません」
女性はやんわり笑って、首を横に振った。
「いえ、私が妙な警戒心を持ったせいですから、お気になさらず。今水晶をお持ちします」
「はあ……」
警戒心とは何に対しての警戒心か、女性が一人で店を仕切るのだから警戒心も必要なのかもしれない。そう結論付けて、水晶が来るのを待った。
「お待たせしました、水晶です」
「うお……」
私が想像していた水晶とは違ったものが出てきた。私が想像していたのは、よく占いで使われるような丸い透明な水晶なのだが、今持ってこられたのは一本の結晶の形のままだった。
「すごい、これいくらですか?」
「この水晶は300タミルですが、まだお安いものもありますよ、お持ちしますか?」
「お願いします、300タミルはちょっと……」
女性は楽しそうに笑って、水晶を持って行った。
次に持ってきたのは先ほどよりも小さく、所々欠けた水晶、それと欠片なのか小さくてバラバラの物がいくつか。
「これは130タミルです、小さいし、欠けてますから」
それは小さい水晶の値段、バラバラの水晶が気になって聞いてみた。
「これはもうほとんど使い道の無い物ですから、1つ9タミルです。買いますか?」
「買います、この欠片みたいの2つ下さい」
「はい、ありがとうございます」
18タミルを払ってから、布で出来た小さい袋に2つ入れて手渡された。
「またお越しください」
「はい!」
材料が集まったので、早速宿に戻って作りたいと外に出て気がついた。もう日が暮れて辺りが薄暗い、店を探すのに夢中で気がつかなかったようだ。
早く戻らなければアスルに何を言われるか分からない。
宿に着いたのは空が暗くなってからだった。
「遅い」
アスルは不機嫌な顔で宿の前に立っていた。
「ごめんなさい」
自分が悪いのは火を見るよりも明らかなので素直に謝ると、いからせていたのか、アスルの肩が少し下がった。
「素直に謝ったから許してやるが、人との約束はしっかり守れよ」
「はい」
しょんぼりして部屋に戻ると、買ったものをベッドに置いて、清め石とアオギリ草だけを持って銭湯に向かった。
中を見るともう誰も居ないようで、しーんとした中におばあさんがひとりでうつらうつら船をこいでいた。
「おばあさん、起きてください」
「ん、んん……」
おばあさんはぱちりと目を開けて、私たちの姿を確認すると、すっと立ち上がった。
「すいませんね、寝てたようで」
「いえ、こちらこそ今日はありがとうございます」
おばあさんはその言葉を聞き流し、ロビーのすみに置いてあったデッキブラシを私とアスルに握らせた。
「いえいえ、こちらこそ掃除をしてもらえるんだから、浴槽くらい貸しますよ」
そうだ、掃除をするのが条件だったのをすっかり忘れていた。
「じゃあ、さっそく私は女湯を掃除しますね。アスルも男湯よろしくね」
「ああ」
のれんをくぐってそれぞれ男湯と女湯に別れ、さっそく洗い場から浴槽にかけてデッキブラシでこすって行く。終わる頃には腰が痛くなっていた。
「いたた、アスル終わった?」
てっきりロビーにいるものだと思って、女湯から出て声をかけたが、おばあさんがまたうつらうつら船をこいでいるだけで、アスルの姿がなかった。
「アスル?」
男湯ののれんをくぐって中の様子を見ると、どうやら浴槽を掃除していたようだ。
「もう終わりそう?」
「ああ、もう少しだ。ブラシが短くて無駄に屈まなくてはいけないから腰が痛い」
「ああ……」
アスルは身長が高いので、確かに背中を丸めて掃除をする姿がつらそうだ。しかし手伝う気はない。
「と言うかここは男湯だろう、何故入ってきているんだ」
「アスルが終わったか見に来たの、それに今お客さんいないからいいじゃん」
「それもそうか」
ガショガショデッキブラシでこすっていたかと思うと、アスルは浴槽から出て浴槽に手をかざした。
瞬間、大量の水が浴槽を舐めるように洗い、やがて排水溝から流れていった。
「今の、なに?」
「水だ」
「それは分かる!そうじゃなくて、なんで突然水が出てきたの?」
「は?」
アスルは私を疑うように見る。これはもしかしなくてもまずい、知らないなんてありえない、表情がそう言っている。
「も、もしかして魔晶石?」
「なんだ、知ってるなら聞くな」
「いや、すごいなーと思って」
「街から出ないなら、なかなか見ないのも無理はないか」
どうやらあの疑いの眼差しからは免れたようで、ほっと息をついた。
「じゃあ水溜めて、清め石使おう」
「ああ」
アスルが排水溝の口をふさぎ、先ほど同様水を出して浴槽を満たした。
「じゃあ入れるよ」
ポケットから清め石を出し、ぽとんと落とした。
清め石が浴槽の底に落ちきると、清め石を中心にほんのりと青く色づいて行く。
「うわ、すごいこれ」
「俺はアオギリ草を取ってくる」
「うん」
まじまじ見ていると、水はすべてほんのりと青くなり、清め石を取り出した後もそのままだった。
不思議な石だなと眺めていると、横にアオギリ草の入った袋がどさっと置かれた。
「では頼む」
「うん」
袋の口を開けて、浴槽のすぐ隣に置いた。
「生成」
アオギリ草と清水が光り、青い液体の入ったビンが洗い場に大量に現れた。
「おおおお、ハイポーションだ」
私はハイポーションが作れたことに喜んで、拾おうとした時、アスルが全く思ってもいないことを叫んだ。
「一度でこんな大量に作れるのか!?」
「えっ」
私はハイポーションを拾おうとした体勢のまま固まってしまった。
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