67話
目の前でカルデノではないと白状した誰かは、不思議そうに首を傾げる。
「お前そんなにカルデノと仲が良かったのか?」
男なのか、女なのか。見た目も声もカルデノでは分からないことがとてつもなく不気味で、質問の内容など聞き流していた。
「無視か。まあ答えるとは思ってなかったけど。それにしても……」
目の前の誰かは辺りを見渡し、それから私に問いかける。
「ここまでの道のり、覚えてるか?」
「え……?」
倣うように私も辺りを見回した。
山や森、それに限らずこうして自然溢れる場所は、どうしても同じに見える。歩いた時間だけが私に距離の感覚という物を与えはするが、それと道を覚えている事はまったくの別問題。
ここまでまっすぐ進んでいただろうか? 何の目印もない場所でただカルデノだと信用して進んできたばかりに、必死で自分の足元ばかり見ていた。
「覚えてないか」
私が答えるまでもなく、目の前の誰かは分かっていたように肩をすくめた。
「俺の案内がどこまで続くか不安に思ってたんだろうが、それなら何故今、俺の正体を暴いた? 知らないふりしてた方が安全だったんじゃないか?」
「あ……」
今度は何も答えられなかった。何も考えていなかったのだ、正体を暴いた後の事など。
けれど目の前の誰かがカルデノでないとしたら、私はカルデノを助けていない事になる。それなのにテンハンクからどれくらい離れただろう。
ガジルさんに一言も告げていない、カルデノも助けられていない。このままでは何もかも台無しになる。
「カ、カルデノはどこに!?」
「教えると思うか?」
もっともである。しかしカスミは確かにあの小屋にカルデノが居ると言った。私自身、長い時間拘束されていたわけでもない。その短い時間で別の場所へ移されたと考えるのが自然だろうが、それにしても場所を聞き出せない事には助ける事が出来ない。
「あなたは、魔法を使えるの? だからカルデノに化けて?」
「はあ。本当はガジルを釣るつもりでいたんだけど……」
カルデノに化けていたのは、ガジルさんを罠にはめるため?
「どうして、ガジルさんを」
「ああ、お前に言う事じゃなかったな」
ふうーっと大きく息を吐いた目の前の誰か。
「お前も魔法が使えるんだろ? 厄介なことに」
先程手渡したダガーの先端が、私の方へと向けられる。
ダガーは武器だ、戦うため、自分の身を守るための刃物。それを向けられて恐怖を覚えないなど不可能で、今すぐにでも逃げ出したかった。けれどそれは出来なかった。
カルデノを助けたい。その一心でその場に踏みとどまる。
「おいおい、何だ逃げ出さないのか?」
「カ、カルデノを……」
カルデノをどこへ連れて行ったのか、そう聞きたいのに緊張からか、口からは震える呼吸しか出てこない。
恐らく何度聞いても答えは返ってこない。
「勘弁してくれ」
そう語る表情は本当に困り果てていて、ダガーはあっさりと下げられた。どうやら威嚇のために向けて来ただけのようだ。
「こんな弱々しいんじゃ、やっぱり俺の良心も許さないな」
「私を、殺すつもりで……」
「まさか。ティクの森に放り投げてやるつもりだったんだ。丁度そこらへん、ティクの森に続く崖があってな」
そう言って向かって左の方を指差した。
「気付かなかったならごく自然にティクの森へ行くつもりだった」
どうやら気付かれてしまったからには脅してでも、と言うことらしいが、ティクの森はランタンの無い今放り込まれても宙を漂う魚に襲われてしまう。
「それがお前、俺が化けてるって気付くから気になっただろ。何でばれたか」
「どうしてそんな事を!? こ、殺すって言ってるのと同じだよそれじゃあ!」
「ティクの森でお前がどんな行動するかまでは知らないからな。でも俺は殺さないさ、俺は。それどうしてって質問、お前カルデノと仲がいいみたいだからな、理由はそれだけ足りる」
一歩後ずさる。すると突然押さえ込んでいた恐怖に襲われ、もう逃げ出さずにはいられなかった。自分の持てる力の全てを使い全速力で、来た道と思われる方へ走り出した。
「逃げるのか待て!」
追って来ないわけは無く、今まで何の行動も見せなかったカスミが私の肩から後ろを覗く。
「カ、カスミごめん助けて!」
言った直後、カルデノに化けた誰かは叫び声を上げながら木の葉を巻き上げる突風に吹き飛ばされた。上空へ突き抜けるほどの強さであったが、上手く近くの木を使い、綺麗に着地して見せた。
チラリと後ろの様子を窺うとかなりの距離が空いていたが、相手の足ではすぐに縮められる距離だ。
「あの風お前の魔法かと思ってたがその妖精の手助けだったらしいな! 騙されたぞ!」
騙されたも何も勝手に勘違いしたのは向こうの方だ。それに今は答える余裕もない。走っている方向が正しいのかも分からない。泣き出したいし、本当は今すぐにでも立ち止まりたい。私の足じゃ逃げられっこないし体力だって歴然の差がある。
けれどカルデノに化けた誰かは一向にこちらとの距離を詰めて来ようとはしない。恐らくいつ来るか分からないカスミの風を警戒しているのだろう。
後ろを睨むカスミが視界の隅に映る。カスミは私を助けてくれている。何も出来ない私に代わって。それならどれだけ苦しくたって、このまま走り続けるくらいしなければカスミの気持ちを踏みにじる事になる。
しっかりと前を見据える。何かほんの少しでもいい記憶に残る目印はなかったか。変わった形の木、不自然に盛り上がった地面、妙に大きな岩。そんな物は何か。だが残念な事に何一つとして目にした記憶はない。
だがふと、先程聞いた言葉を思い出す。それはカルデノに化けた誰か、後ろから追ってくる人が言っていた事だ。
丁度すぐそこからティクの森に続く崖があってな。と、確かに言って向かって左の方を指差した。それは真後ろに逃げ出し、こうして走っているとすると右側にあるはず。
テンハンクはティクの森を抜けてすぐに民家があった。つまりティクの森へ続くと言う崖から離れずに走り続ければ、道に迷う事無くテンハンクへたどり着けるのではと考えたのだ。
ゆっくりと右側へ進路を変え、痛むわき腹を手のひらで押し込むように押さえつける。
そうしない内に、少し遠くへ崖と思われる場所を見つけた。ある場所から突然景色が遠くなっている。そこから地面が無くなり、崖となっている証拠だ。あとはこれを辿っていけばきっとテンハンクへたどり着くはず。
気がつかない内に遅くなっていた足を叱咤し、速度を上げる。
カスミのお陰で近づいて来られない今ならば、と思った矢先だった。腕にガツンと衝撃が走った。
「いっ……!」
痛みに足が止まる。その痛みは左側二の腕の後ろにあり、ぎゅっと右手で押さえつける。
「やっぱり弱いな! たかが石ころ一つで足を止めるとは笑える!」
カスミが慌てた様子で私の腕に手を当てる。どうやら風で攻撃までは防げなかったようだ。石を投げてきたという事はまだ手にはダガーを持っている。目を離しては危険だとバッと振り返った瞬間。すでに目の前にその人はいた。
「や……!」
咄嗟に抱えたままのレシピ本を盾に構えた直後に伝わった、ズドンという大きな衝撃に耐えられず地面に尻餅を付く。
「大人しくし……うわあ!?」
突然、目の前で姿が消えた。姿だけではない、声までも大きな風の音と共に居なくなった。
バタバタと舞い上がる髪の方向は崖の方へ流れていて、何が起こったのか理解出来なかった。すぐに風は止み、私の髪はボサボサのまま落ち着きを見せ、崖の方へ目を向けマジマジと見渡す。どうやら崖の下へ落ちたらしくカルデノに化けた誰かの姿は見えない。それから風の元を辿るように反対側へ顔を向ける。
「……カスミ」
カスミがいた、私が立ち上がった顔ほどの高さで飛びながら泣いていた。そんな小さな体なのにそんなに涙を流して大丈夫なのかと問いたくなるほど。ボロボロと大粒の涙を零し、私と目が合うと強がるようにその止め処ない涙をゴシゴシと腕で乱暴に拭い始めた。
「な、泣かないでカスミどうしたの? あの、ありがとう助けてくれて」
慌てて立ち上がりカスミのもとへ駆け寄る。カスミは何も言わないままヒックヒックとしゃくりを上げるばかり。
「カスミ?」
カスミはぎゅっと私の服の袖を掴んだ。そこは私が怪我をした二の腕の場所ととても近く、ようやく理解した。カスミは私が怪我を負った事が原因でこんな反応をしているのだと。
「怪我したのはカスミのせいじゃないよ。そんな事より私すごく助かったんだから」
カスミのせいではない。むしろ私の方こそ何も出来なくて、のしかかる罪悪感の重さは今にも肩を押し潰すほどの錯覚を与える。
私に出来る事はそう多くない。ガジルさんが囮として動いている間にカルデノを助ける事も数少ない私に出来る事であったのに、今現在は助ける所か森の中。ガジルさんも聞いて呆れるだろう。
「カスミ、おいで」
カスミを肩に誘導する。カスミは先程よりやや落ち着いた様子で大人しく肩に座り、襟にしがみついた。
体も少しだけ休まったようで、再度走り出す。
ガジルさんの協力を台無しにしてしまっただろうか。タンテラはもうすでに小屋に戻ってしまっただろうか。そうなればカルデノに化けた誰かが居なくなっているのだ、異常を察するだろうし、私が逃げ出した事もばれているかも知れない。
もっと上手くやれたか、過ぎた事だと言うのに方法を模索したが何一つ正解は見つからなかった。
やがて、民家が見え始めた。
戻って来られた安堵と、誰にも見つかってはいけない緊張、随分と走った事で乱れた呼吸とが合わさり、その場にへたり込んだ。
丁度近くに木が生えていることもあり、四つんばいで背を低くしたまま、民家から身を隠すようにして息を整える。それと同時に様子を窺う。
ガジルさんはボヤ騒ぎを起こすと言っていたが、煙が立っているわけでも、人が騒いでいるわけでもない。あれから随分と時間が経っているのだから当たり前とも思う。
つまり、まっすぐ小屋を探して向かってもタンテラは戻っている可能性が高い。
「ああ……、カルデノもガジルさんも大丈夫かな」
無事を祈らずにはいられなかった。
いつまでも民家の様子を覗いていても動きはない。そっと立ち上がり、中腰で小屋のある方を目指す。
同じ道を歩いて向かうわけではないが方角は合っている、民家が見えなくなって来た頃、捕まっていた小屋が見えた。
「誰も居ない……」
てっきりガジルさんの事があり、私が逃げ出したのも気付かれ、少しは動きがあると思っていた。
「もしかして、逃げた事ばれてないのかな? ガジルさんはまだタンテラを引き付けてくれてて、カルデノに化けてた人が居なくなったのも気付いてないとか」
首を傾げながらカスミに聞いてみるが、同じく首を傾げられただけだった。
カスミは目に若干の赤みを残してはいるが、それ以外はいつも通り。心に平常を取り戻していた。また偵察を頼もうと私がお願いするより先に、カスミは私の目の前で右手を大きく上げた。
「……行ってくれるの?」
コクコクと大袈裟なほど頷く。
「じゃあ、よろしくお願い!」
カスミはグッと親指を立てて、すーっと空高く飛んでゆく。あれが見つからないための方法なのだろう。
その間に私が誰かに見つかっては元も子もない。息を殺してそっと茂みに身を潜めた。
この茂みから小屋はいくつか見えるものの、カスミの行動までは分からない。空高く飛んでいた時にはそこにいると知っているので目で追う事も出来たが、小屋の陰に入ってからはまるで様子が分からない。
「あの小屋、カルデノは居なかったもんなあ……」
初めからカルデノでなかったなら、そりゃあ樽なんかを椅子代わりに寛いでいたわけだ。私が入れられた牢にはそんな物なかったけれど。
「…………」
何故樽など置いてあったのだろう。言い方は悪いが暇な時間の今、ふとそんな事が気になった。
あそこは誰かを閉じ込めるための場所。私が閉じ込められた牢と同じで、カルデノを助けに向かったあの小屋にだって樽なんて必要なかっただろう。わざわざ椅子の代わりにするために持ち込んだのだろうか。いや、だったら最初から素直に椅子を持ち込むだろう、樽を選ぶ意味はない。
「……まさか、カルデノが入れられたりして、ないよね……?」
恐ろしい独り言に、自分の言葉であるというのにゾッとした。
ここまで読んでいただきありがとうございます。