テンハンク
カフカに入り三日ほどはカルデノの顔に懐かしさにかられた表情があり、やはり故郷に帰ってきた嬉しさはあるようだ。
馬車に揺られながら、購入した地図を広げる。
「この馬車の到着地がテンハンク?」
「いや、テンハンクへ行くんじゃなくて、アンレンだ」
「じゃあ目指してたアンレンはもうすぐそこって事だね」
先に行ってしまったガジルさんはもうテンハンクに帰っただろうか。カルデノはあれからガジルさんについて一言も口にせず、カルデノは内心ではどう思っているのだろうと気になっていた。
だがカルデノが何も言わないのだから私から聞くのもしつこいようだし、そっとしておく他なかった
「テンハンクへ行くには、アンレンからティクの森を通る事になると思うんだ」
私からなにか質問したわけではなかったが、カルデノから自然とそう切り出した。
「そうなの?」
「まったくその道しかないわけじゃないんだが……」
ティクの森はアンレンとテンハンクの間にある森でリタチスタさんから聞いた覚えもある。森と言えば危険、と直結するような頭になってしまったので、出来ればティクの森を通るのは遠慮したい。
「他の道、と言うか本来使われている道の方にはテンハンクの連中ばかりだからな。私の顔など忘れていればいいんだが」
ただでさえ狼族は他の種族と違い数が少なく、カルデノは身長が高く赤い髪も目立つ。カルデノの言うようにテンハンクに住む人達がすっかりとカルデノの事を忘れていたりするなら、拒まれることも無いのだろうか。
「ティクの森からなら、あまり人目に付かず行けるの?」
「ああ、まあ比較的な」
話している内に、馬車はアンレンの町中へと入り駅の前で止まった。
カルデノと共に降りると、右、左と見渡す。小さな村から大きな街まで、この国は植物が溢れている。
先に宿で部屋を取りベッドに腰掛けて、これからどうするかを話し合う。
「カルデノがお墓参りを先にした方がいいよね?」
「ああ。すまないがそうさせてくれ。それからバロウをゆっくり探せばいい」
カスミがココルカバンからひょこりと顔を出す。
すん、と何かをかぎつけたように鼻を少し上に向けたかと思うと、窓に張り付いて外を眺め始める。
「どうかしたの?」
カスミに問いかけると、嬉しそうにこちらへ振り返った。
「この辺には妖精が多いからな。もしかしたら気配を感じ取ったのかも知れないな」
カルデノの言葉を聞いてカスミはコクコクと何度も頷いてみせる。
「そっか。そう言えば妖精がいるって、前に言ってたね」
「ああ。森の中でひっそりと暮らしているはずだ」
また外を眺めているカスミに習ったように、カルデノも懐かしそうに外を眺め始めた。
「移動で疲れたし、今日はゆっくり休んでいいよね」
「ああ、そうしよう」
私はひとり、ぱたりとベッドに倒れこんだ。
翌朝、私は森へ入る心の準備をするため窓の前で深呼吸を何度か繰り返していた。それをおかしな物を見る目つきでカルデノに見られたので笑って誤魔化す。
「……ティクの森は通らないで普通にテンハンクへ行って見るか」
「えっ、どうしたの急に?」
せっかくの心の準備が空振りしたような気分だ。
「いや、あれからもう何年も経ってるんだ。もしかしたら何事も無く墓参りくらい出来るかと思ってな」
「……」
カルデノはそう言うが、きっと私を気遣ってくれたのだろう。その気遣いを無駄にするようで申し訳ないが、私はそれを断った。
「ねえ、もし私が森を避けてるからって理由なら、大丈夫だよ」
今度はカルデノが困ったように眉尻を下げた。
「いや、本当にそう思っただけなんだ。勿論森を通るより普通に行った方が安全だって事もあるが」
「そっか……」
どこか腑に落ちないが、カルデノが自分で言うのだし森を通らなくて問題ないだろう。
話が終わったのを見計らい、カスミが私の袖を引いた。どうやら早く外を歩きたいようだ。そそくさとココルカバンの中へ自ら入って行く。
「カスミも出かけるのを心待ちにしているらしい。早速出るか」
「うん!」
宿を出て、カルデノの案内のまま歩き出す。
「アンレンって森に沿うみたいに細長い町みたいだけど、これが全部ティクの森なの?」
アンレンは地図で見ると、昨日馬車で入ってきた方角を正面とすると裏はほぼ森に面している。
丁度今歩いている場所から、町を覆う壁を隔てた向こうに森が見える。
「ああ。私も森の中を全て見たわけじゃないんだが、広いんだ。それで森を渡るには必ず火が必要になる」
「昼間でもそんなに暗いの?」
森は薄暗いと知っているが必ず火が、つまり明かりが必要になると言うのだから薄暗いどころではないのだろう。
「特別暗いわけじゃない、ただ火という存在が必要になるんだ。ティクの森には色々いてな」
「え、明かりのためじゃないの?」
カルデノは首を横に振る。
「妖精に死霊、魔物も様々。火を持たなければ食われると言われているが、火を持たないでティクの森に入った奴を見たことがないな」
「そ、そうなんだ。でも逆に言えば火を持ってさえいれば安全ってこと?」
「そうなるな」
ティクの妖精も死霊も魔物も、全てが火を嫌っているようだ。
暫く歩くといつの間にか民家は数を減らし少なく畑や空き地が目立つようになって来て、百メートルほど先に木で作られた大きな橋がある。近付いて見れば橋は広い川を渡るためのもので、川は割と深い。落ちたら危ないと一目で分かるほど流れも強い。
「この川を渡って、森を抜ければテンハンクに付く」
「え? 森に結局行くの?」
「ああ、けど道は整備されているしさっき話した魔物なんかもいない。警戒しなくても安全な道だ」
私はそうかと頷いた。
橋を渡り、大きな道がカーブを描き続いているその途中に、カルデノの言う道があった。
そこから突然植林したように木が生えていて、恐らくここから切り開く事をしなかったのだろう。道も大きな石やおうとつが一つもない綺麗な道だが、上を見れば見慣れた森。安全とは言われたが今までの危険な森を彷彿とさせ思わず唾を飲み込んだ。
何となく隣を歩くカルデノの顔を見上げると、少しだが眉間にしわが寄っていた。
「カルデノ?」
どうしたのかと問いかけるとカルデノはすぐさまこちらへ目を向け、その時に眉間のしわはなくなっていた。
「どうかしたか」
「あ、いや。なんか険しい顔してたと思ったんだけど……」
「気のせいじゃ?」
「……そうかも」
テンハンクに来たのはカルデノがそうしたいと言ったから。カルデノがお墓参りをしたいと言ったから。だから私がカルデノの顔色を窺って止めようとするのは違う。
道は長く緩やかな坂になっていて、歩いていると上りきった場所で終わりを向かえ家屋の見える土地があった。
「ここがテンハンク?」
私は足を止めた。
「ああ」
大きな木、その間を縫うようにぽつぽつと家が建っていて、人はまばらだがカルデノと同じ狼族の人達が暮らしている。
「わあ、ここにカルデノが住んでたんだね」
住人は私たちを見知らぬ顔だからか、チクチクと視線を感じはしてもいきなり詰め寄って来る事はなく、案外すんなりと事が進みそうだ、と足を進めた。
「お前たち、旅の者か」
数歩進んだだけで、突然かけられた声でまた歩みを止めた。
少し離れた場所に生えた木の上にいる少年の声だったらしく、地面に飛び降りると私とカルデノの目の前まで歩いてきた。
「旅の者か?」
「え、あ、はい」
返事が無いことに気を悪くしたのか、もう一度同じ質問をされ、私は慌てて頷いた。
「何か用があってここに来たのか? それとも知り合いが?」
「ええと、まあそんな所で」
「ふうん」
少年は私に興味をなくしたようにカルデノへ目を向けた。
「……よその狼族?」
「ああ。世間話ならしている時間がない。通せ」
少年はムッとして言い返した。
「礼を欠いた言い方だな」
私はカルデノの腕を掴み気を引いた。
「ちょっと、カルデノ。お墓参りするだけなんだからそんな言い方……」
「墓参り?」
少年が首を傾げると同時に、今度はカルデノが私の腕を掴んで、来た道を早足に引き返す。
「カルデノどうしたの?」
「すまない。タンテラがいたかも知れない」
「タンテラ……」
カルデノが奴隷になった原因で、ガジルさんにも会わないようにと言われていた人のはず。
「その人が今いたの?」
「ああ、気づかれると面倒になるかも知れないから、すまないが一度引き返そう」
「わ、分かった」
早足で橋のある道まで戻ってくると、カルデノは後ろを確かめるように振り返り、小さく息を吐いた。
「やっぱりティクの森から行った方が、よさそうだね」
そうしよう、というつもりで言ったのだが、カルデノは目を俯けて、それから小さな声で頷いた。
「そうだな」
一度アンレンに戻ると、森を抜けるために火を調達する必要があった。
適当な店でランタンと、それに付属されるように売っていた色石の赤石をいくつか購入しカルデノに任せる。
「そのランタンと赤石は何か関係あるの?」
「ああ、ランタンに火をつけるために必要だったんだ」
なるほどと頷く。
「ティクの森にはどうやって行くの?」
「少し歩いた所の壁に、小さいが出入り口がある。そこから行くんだ」
カルデノの案内のまま歩き進むと確かに、古くなり錆の浮いた柵が壁に取り付けてあった。
「ここから行けるんだね」
「ああ」
誰かその場所を見張る人がいるのでも、人が好んで近寄る場所でもなさそうなその場所で、カルデノはランタンの中に赤石を一つ入れた。カランと硬いもの同士がぶつかる音がした。
ランタンは持ち手の付いた屋根のような部分があり、そこからガラスの筒が下の小さなタンクのような部分と屋根を繋ぐように取り付けられていて、ガラスの筒の中には白い棒のような物が立っている。
赤石がその白い棒に触れるとひび割れ火が付いた。
「火はこれでいい。じゃあ行こうか」
カルデノは残った赤石を自分の荷物として持ち、ギーっと耳の痛くなりそうな甲高い音を鳴らし、錆付いた柵をゆっくりと押し開く。
そこから外は、不思議な事に細い獣道のような物が続いていて、カルデノはなんの疑いもなくその道を辿る。
あと十メートルも進めばそこから突然、植林したように木々が高く生え、積もった落ち葉や深い草が獣道以外を歩こうと言う気を奪う。
「この道は何? 今も誰かが使ってるのかな」
細い道ゆえに縦に並んで歩く私たち。私は先頭を歩くカルデノの背中に問いかけた。
「私がテンハンクから居なくなって長いからな。そう考えるのが自然だろう」
木の群れの中へ足を踏み入れる。
カスミがココルカバンから抜け出して、私の肩へ立つ。
「カエデ、あまり離れて歩かないよう気をつけてくれ」
「うん、分かった」
薄暗くなる森の中、ぼんやりとカンテラの明かりが周囲を照らす中で、すうっと前方を何かが横切った。
「いま、何かいた?」
「ああ」
カルデノは足を止め、私に辺りを見回すよう言った。私はそれに従い、大きく首を回して周囲を見回した。
「えっ」
言葉が出なかった。ウロウロと魚のような姿をした何かが森の中を泳いでいる。地面の上を這うように泳ぐ魚もいれば、頭上高くを泳ぐ魚も。大きさも形も様々で。弱く弱く発光しているらしいそれらを、不気味と思う反面綺麗だとも思えた。
「魚みたいだと思ったろう。私も思ってる」
カルデノはとても落ち着いていて、その様子から慌てる必要のある存在ではないのだと悟りほっと胸をなでおろす。
「ちょっと綺麗だなって思った。なんだか海の中みたい」
カルデノはこちらを振り返ってキョトンとした顔を見せた。
「カエデが怖がらないのは珍しいな」
「だって、危なくない存在なんじゃないの?」
「まあそうだな。この火が消えればすぐにでも襲われるだろうが」
危険がないのは火がある間だけ。カンテラの火が遠ざけているのは、主にこの魚によく似た存在なのだろうか。
だがカスミはそんなのお構いなしに私の肩から離れ、スンと何かの匂いを気にしている。
「カスミ、あんまり離れると危ないよ」
コクコクと頷いてみせるも、私の肩の上に戻ってはこない。
「この森には妖精もいる。その気配を探ってるんじゃないか?」
「そっか……」
それにしても、とカルデノは前を向いたまま話した。
「海の中みたい、だなんて言葉をよく思いついたものだな」
「え?」
さきほど、この宙を泳ぐ魚を見た時に口にした私の感想だ。
「そもそも海を見た事がないんだ。海の中なんて想像出来ない。カエデは見たことがあるのか?」
「うーん……」
水族館、あるいはテレビ。そう言った類の感覚で私は言った。だがカルデノは、自分の目で、この目で見たのだと思っているだろう。
「正確に言えば私も本物の海の中を見たことがあるわけじゃなくて、でもすごく綺麗な事は知ってるんだよ」
「……? 見たことがないのに?」
「見たことないのに。テレビ……んー、大きな水槽の中に海の生き物を集めて、それをお客さんに見せる場所があって、そこでならこんな風に魚が泳ぐのを見たことがあるよ」
「見世物小屋みたいなものだな」
「そ、そう言われると少し印象が違うかな」
カスミを手招き、そうしてようやく肩の上に戻ってくる。宙を泳ぐ魚が多少綺麗に感じたとは言え不気味である事に変わりない。それなのに肩の上に戻ってきたカスミはどことなく嬉しそうだった。同じ妖精の存在を感じ取っているからでは、とカルデノは言ったが、カスミが初めて泉の妖精ラティさんに会った時の事を思い出すとそれも頷ける。
「こんな森じゃなかったら、少しくらい他の妖精を探してもよかったんだけどね」
何となくカスミに言うと、カスミはブンブンと頭を横に振った。
「気にしなくていいってこと?」
優しいカスミの事だから、と思いながらカスミの言葉が耳に届くより先に、森の奥から声が響いた。
「お前はカルデノか!」
くわんくわん、と広い森に女性の声がこだました。
カルデノはその声を聞いて足を止めた。私はカルデノの後ろから覗くように目を凝らし、声の主を探した。薄暗い中ですぐにその人物を見つけられたのは、向こうも同じくカンテラに火を点していたから。
ぼんやりと照らされたのはカルデノと同じ狼の耳。そしてこちらを鋭く睨む金色の目だった。




