解放2
いつもの二倍以上のポーションを作り、カルデノの手も借りていつもの場所に露店を開いた。早朝だがやはり人の動きは多い。昼前にいつもとあまり変わらない量が売れ、一旦昼食を食べるためその場を離れた。そのせいで午後からの売れ行きに影響が出るかと気がかりだったのだが、杞憂であった。もとから私が露店を開く場所は人通りが多い。
夕方にはすべてとは行かずともほとんどのポーションを売り終えた。大成功だった。
この調子で三日、四日。更に露店を開きついに目標の金額を手にした。
「集まった……」
私とカルデノ、そしてカスミの三人でテーブルの上のお金を見下ろす。集まったのはカルデノを奴隷から解放するための金額は勿論、旅先で暫く困らないだけの金額だ。
私は慌てて今の時間を確認した。午後四時。今から奴隷商に行くには遅い。
「カエデ、そんなに急がなくてもいい」
私が何故時計を見て時間を確認したかカルデノには意味が丸分かりだったようで、自分自身の問題だと言うのにカルデノはいつも通り冷静だ。
「でも、カルデノも早くその首輪外したいでしょ? いや、私の方がそわそわするなんておかしい話だけどさ……」
「感動ならもう済ませたからな」
それはきっと、カルデノを奴隷から解放したいと伝えたあの日の事だ。ああまで感情を表に出すのはあれが最初で最後ではないだろうか。
「じゃあ明日! 明日起きて準備が出来たらすぐに行こう!」
「ああ」
カルデノは嬉しそうに口を端を吊り上げた。
そんな中でカスミが今ようやく状況を理解したかのように、テーブルの上に投げ出されたカルデノの手を、いや指を掴んで握手の体勢を取った。これはカスミなりに祝っているようだ。
ついに、明日だ。
が、しかし。ベッドに入ってからそう思えば思うほど、考えれば考えるほど気になった。私とカルデノは今まで奴隷とその主人という関係だった。勿論私はカルデノを奴隷だと口にすることすらはばかっていたわけだが、ではカルデノが奴隷から解放された後の関係を何と呼ぶか。答えを出さす眠りに落ちた。
今朝は目覚めがとても良かった。寝癖は直したし購入証明書は持った。そして何より大切なお金も持った。それらを袈裟懸けのココルカバンに入れて口をボタンでしっかり閉じた事まで確認し自室から出る。
リビングには背筋を伸ばして椅子に座るカルデノ。そしてカルデノの頭の上で眠りこけるカスミ。
「ん、準備は出来たのか?」
「ば、ばっちり。いつでも行けるよ」
私の言葉を聞いてカルデノは立ち上がった。その揺れでカスミがハッと目を覚ます。
「カスミ、寝ている所を悪いな、今日はもう出かけるんだ」
すうっとカルデノの頭の上から降りてテーブルの上に足を着くと、カスミは私とカルデノを見上げた。そして両手を目一杯天井に伸ばしていってらっしゃいと両手を振り回した。
「行って来ます。すぐ帰ってくるからね」
そう告げて家を出た。
奴隷商までの道中、馬車で移動していると手持ち無沙汰で私の方がそわそわと落ち着かなくずカルデノに注意されたくらいで、これではまるで立場が逆だ。
「はあー……」
大きなため息を私がついたあと、カルデノは控えめな声で尋ねて来た。
「前は、私が奴隷じゃなかったらどうなるか心配していたが、今もそんな心配をしているか?」
「あー、そんな時もあったよね」
恥ずかしいなと思い、誤魔化すように笑った。
「今は全然そんな心配してなくて、あの時だってどうしてそう思ったんだったかなーって感じだよ」
「そうか。だがあまりそわそわしないでくれ、こっちまで落ち着かない」
「うん、ごめん気をつけるね」
カルデノが奴隷じゃなかったら、どうしてそんな心配をしたんだったか。確かあれはアイスさんの屋敷で、何かがきっかけで……。
ふと、アイスさんの顔を思い出した。そして芋づる式で呼び起こされる記憶。
アイスさんの言葉がきっかけだった。嫌われてはいないだろう、だが奴隷でなかったらどうか。そんな事を言われた。
アイスさんはカルデノの事が気に食わなかったのだろう、ずっと。だからあんな事を私に言ったのではないか。いや深い意味などなくただ本当に思った事を口にしていただけか。全て今となっては過ぎた事だ。
馬車が動きを止めたため外に目を向ける。ここが奴隷商に一番近い乗り合い所だったためカルデノと二人で馬車を降りた。
そして再び、重い空気を纏った奴隷商の前に。
先日とは違い、取っ手を掴み一気に扉を開けた。外の光が薄暗い室内に差し込む、その先に案内役の男性が立っていた。
「あ、あの先日も来たんですけど……」
「奴隷解放の件ですか? こちらへどうぞ」
私の返事を必要としないまま、やはり同じ部屋へ案内され、同じ男性が対応に当たる。テーブルを挟んだ向かいで男性は、若干驚いたように眉を吊り上げていた。
「どうも。やはり奴隷から解放なさるのですか?」
「はい、今日はそのために来ました」
男性はやめろなどと言うことはなかった。
「では先日ご説明しました通り、購入証明書と現金を」
「はい」
ココルカバンから言われた通りの物を取り出しテーブルに置いた。男性はまず購入証明書と確認し、それから現金の入った袋を開き、数え間違えのないよう丁寧な手つきで金額を数えた。
「確かに、不足はありません」
ほっと胸を撫で下ろす。
男性は無言で立ち上がり、部屋の壁に埋め込むように設置された戸棚を開いた。中は紙のような物が束でぎっしりと詰まっていて、それらの中から一枚、古く黄ばんだ紙が取り出された。
「それは?」
尋ねると、ああ。と気の抜けたような返事をしながら再び向かいの席に座ってよく見えるようにテーブルに出した。
「これがその方の登録情報です」
名前、奴隷になった経緯、登録年月日、そう言った細かな文字が並んでいた。
奴隷になった経緯にはカルデノが言っていた通り町を破壊した事が原因。カルデノに賠償能力なしとみなされ奴隷として売られた金額から賠償金が支払われたようだ。
そして登録年月日は1942年とだけ記されていて、詳しい日付はない。
その紙に男性が手のひらを乗せる。一秒と立たず手のひらから何かが滲んでいるかのように文字が消えてゆく。最終的に白紙になった紙から手をどけても、どこにも何も文字は見当たらない。
「これで登録情報は抹消されました。最後に首輪の取り外しを」
カルデノは言われた通り、自分の手で首輪を外した。私に魔力がないから今までも首輪は好きに外す事が出来たはずだ、けれどカルデノは気まぐれに首輪を外す事は一度だってなかった。だからカルデノの首から外れた小さな拘束具を、清々しいような、寂しいような何とも言えぬ感情のまま見つめた。
「これでカルデノさんは奴隷から解放となりました。その首輪はこちらで引き取りますので、返却を」
「ああ」
カルデノはそっと首輪を男性に手渡した。
「確かに。ではこれで終了となります。お疲れ様です」
男性は最後まで淡白であった。こちらの感情には一切の同調もなく、ただ仕事をこなすだけ。何も祝いの言葉が欲しかったわけではないが、この室内同様ほの暗い男性だ。
先に立ち上がったのはカルデノ。行こうと声をかけられすぐに外へ出た。
「……」
カルデノはぼーっと空を見上げ、首輪がもう無い事を確かめるように自分の首をそっと触る。
「自分で想像していたより、ずっと簡単に終わった……」
中にいたのは20分程だろうか。費やした時間のほとんどが支払った金額の確認で、あとはカルデノの情報が書かれた紙を、ただ、白紙にしただけ。白紙にする事が肝ではあったのだろうが見ている側としてはアッサリしていて、いずれ重要なこの日と思い出すにはあまりに味気ない。
「これで、カルデノは奴隷じゃなくなったんだね!」
しかしジワジワと喜びが湧き上がって来る。肝心のカルデノはどうだろう、そう思いとなりのカルデノを見上げた。
私の言葉を聞いてカルデノは首を触っていた手を下ろした。
「なんだか、実感がないな」
「え? そ、そうなの?」
「あ、いや……」
カルデノは少し困ったように眉尻を下げた。それ以上何も言葉が出てこないのか黙りこくって、そうなると会話がなくなり沈黙が訪れた。
「あ、じゃあお祝いしよう!」
「……私の?」
「そう、お祝いしたら実感が沸くかもしれないし、きっと今日の事ずっと覚えていられるよ」
これはいい案だ。誕生日のお祝いだって毎年の事であれど祝ってもらうのは嬉しい事だし記憶にも残る。今日はカルデノにとってのそんな日にしたい。
「祝いか……」
カルデノは腕を組んで熟考しているようで、果たして本人の答えがどうなるかと緊張が走る。
「いいな。じゃあ祝ってもらっていいか?」
「よし! じゃあ家に帰る前に準備しよう!」
「準備?」
「カルデノが好きな物を買うんだよ。食べ物とか、えーと……」
好きな物、カルデノが欲しがりそうな物。食べ物以外に欲しがりそうな物……。
「うーん、食べ物とか!」
欲しいものは目の前に現れればおのずと手が伸びるもの。だから今すぐ何かを聞く必要はないのだ。
だからカルデノの感覚が、嗅覚が赴くままに街を歩いた。そして気が付けば大量の荷物がココルカバンの中で息苦しそうに場所を取り合っていた。
カルデノはあれもこれもと目に付いた物すべてを要求しているのではと錯覚させるほど様々購入した。途中から大量の買い物に笑ってしまい私はずっと気分を高揚させたまま帰宅。
ココルカバンからテーブルへ、改めて何を買ったかの確認も含め一つずつ出して行く。
いつも食べるパンから始まり、ジャムや串焼き、ソーセージ。普段なら買わないポットに入れられたスープ、肉団子。油紙に包装された鳥の素揚げ。クッキーや果物の砂糖漬けなどの甘いもの。私が笑ってしまったのは想像通り多くが食べ物だったためだ。
カスミはテーブルに次から次と出される品を見るため忙しそうにテーブルの上をグルグルと飛び回る。
「今日はカルデノのお祝いだからねー、沢山買ったんだよ」
最後にテーブルへ出したのは唯一カルデノが買った中で食べ物では無い物、腰へ回すポーチ。あらかじめ拡張石で中の面積を増やしてあり、マチのあるポーチは口を大きく開くことが出来るためカルデノの拳を容易に飲み込む。
時間のかかる旅になるなら、あれば便利だろうとカルデノが提案したため購入した物だ。
並べている内に、いつの間に椅子へ腰かけ、手を伸ばしたのかカルデノが串焼きを手に大きく口を開いてかぶりつく所だった。
「今食べるの!?」
「もう昼は過てるだろう?」
そう言って食べ進める。そんなに長いこと買い物で歩き回っただろうかと時計を確認すると、とっくに昼を過ぎている。
「カルデノのお祝い今から開始ね!」
「今日ずっと?」
「ずっと。夜寝るまでずっとお祝いだよ」
楽しそうだな。カルデノが呟く。
楽しそう、ではない。実際に楽しくて仕方なかった。いつもより豪勢な食事が並び会話が様々な方へ弾んだ。有り余る食事は夜まで持ち越され、普段よりも嬉しそうに食事するカルデノの姿を見ると、これがしがらみの無いカルデノ本来の表情なのだろうと思えた。
きっと余ってしまうと決め付けていた食事は、街が寝静まる頃綺麗になくなった。
満腹ですでに寝息を漏らしテーブルに横たわるカスミと若干苦しそうにお腹を摩るカルデノ。私も勿論満腹で、もう一口だって食べられない。
「はー、お腹一杯。カルデノも無理して食べなくても良かったのに」
「それはそうだが、今日食べて終わりたかったんだ」
それはまた何故、と聞くと、カルデノは頬杖をついて食事の後に残った包みや殻に目を向けた。
「……何でだろうな。今日のためのものだから、多分今日ですっかり終わらせたかったんだ」
「そっか」
私にはいまいち分からなかったが、分かったふりで返事をした。
「カエデ、本当にありがとう」
カルデノを奴隷という立場から解放したい。そう最初に話した時にくらべるとずっと落ち着いた様子だ。お礼ならその時に受け取ったのだからもう十分だと言ってもカルデノは首を横に振った。
「あの時とは違うんだ。今のは私を祝ってくれた事に対して言った言葉だからな」
「あ、こっち」
「誰かに祝ってもらった事なんて無かったんだ。だから本当に嬉しかった」
「祝ってもらった事ないの? 誰にも?」
少し意外だった。カルデノの故郷の人はともかく、その中で一人カルデノを保護してくれたコルダと言う人がいたのだ、だから何か一度くらい覚えていないだけで経験しているのではないだろうか。
「ああ。コルダはよくしてくれたが、祝われた事はないんだ」
誕生日はどうだったのかと聞こうとして、ぐっと言葉を飲み込んだ。カルデノは自分が保護された記憶がないと言っていたのだから、自分の誕生日を知らない可能性もある。
「後は私の分の旅券としっかりした旅の支度を整えたら、いつでもカフカへ行けるな」
「そうだね。カルデノが居た国なんて、どんな所かすごく気になるよ」
「驚く程の違いはないぞ、そんなに期待してたらガッカリする。と言っても国中歩いて回った事があるわけでもないが」
「でも、カルデノが居た国って事が重要なんだよ」
やはり今日のカルデノは饒舌だ。
私があくびをしたのがきっかけで、今日はもう寝る事に。カルデノはテーブルの上で手足を投げ出し、ぐっすりと眠るカスミを優しく持ち上げ二階へ上がった。私も簡単にテーブルを片付け自室へ戻る。
今まで止まる事のない会話を続けていたおかげか、耳が音を欲し会話を反芻していた。
これでカルデノは奴隷ではないし、私も主人ではない。だとすると私とカルデノの関係はなんと名が付くものだろう。考えながらベッドに潜り込み、これは友達って関係に違いない。そう決め付けて眠りに付いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




