不機嫌
家に帰ると、カスミがテーブルの上で大の字になって寝そべっていた。今までの経験上カスミは音に人一倍敏感で、扉の開く音が聞えていないわけではないだろうに、全くの無反応。
「ただいま、カスミ」
そう声をかけ、むくりと起き上がったその顔は口を尖らせて不機嫌そのもの。一度家の前まで帰ってきた事に気が付いていないわけがない。それを気にしてむくれているのだろう。
「帰るのが遅くなっちゃった……」
ごめんね、と申し訳なく小さな声で謝ると、口を尖らせたまま一度コクンと頷いた。どうやら許してくれたようだ。
長い時間家を空けていて機嫌が悪いのか、それとも家の前まで帰ってきたにも関わらず帰宅が遅くなった事に拗ねているのか。どっちにしてもまだカスミにはテンハンクにも行かなければならない事を伝えていない。もはや立ち上がってそわそわ私達を見つめ拗ねている体裁を保てて居ないカスミに、言い出しづらいなあと息を吐いた。
夕食の時間を過ぎてもカスミは目に見えてはしゃいでいた。最近一人で過ごしていた事を考えると罪悪感が胸をチクチク刺してくる。
明日にでもテンハンクへ向かうというわけではないが、予定を伝えているのは早い方がいい。分かってはいるが言い出せないまま次の日を迎えた。
「じゃあカスミ、今日はアイスさんの所に行くね。早めに帰ってくるから」
カスミは上機嫌でブンブンと両手を振って見送ってくれた。
ややしばらく歩き、カルデノが口を開いた。
「このあとはどうするんだ?」
「このあと?」
「テンハンクにもあると言ってた別荘とやらに行くんだろう、いつにする? それにリタチスタにでもバロウの故郷を知らないか聞く機会も必要だ」
「うん……」
リタチスタさんにバロウの故郷を知らないか尋ね、それからテンハンクへ向かうのが順当だが、リタチスタさんの答え次第ではテンハンクへ行く必要もなくなる可能性がある。
いつ出発するかに関してはまだ曖昧だが、そう時間を空けるつもりはない。
「まだいつってハッキリは言えないけど、積極的に動けばそれだけ早くバロウを見つけられるのは分かってるつもりだから」
「そうだな。じゃあ今はアイスの家に行くのが最重要事項か」
「そんな言い方すると何だか堅苦しいね」
ははは、と乾いた笑いがこぼれた。
アイスさんの家に到着した。扉に括られた手紙の通り午前中に来たので私が気にしているのは、ずいぶん待たせたのではという心配。
だがドアベルを鳴らし出迎えてくれたメイドさんが、何とも言えない表情だった事が気にかかった。
「あの、アイスさんから手紙で午前中にと呼ばれていたんですけど」
「伺っております。しかしその、ええと、今アイス様は体調が優れず……」
メイドさんの言葉をかき消すように、屋敷の中からガシャンガシャンと何かを破壊するかのような音が響いて来た。
私とカルデノが驚いて思わず中を覗くも、広いロビーからは何も見えず、一等先に反応してもおかしくないはずのメイドさんが私達の視線を遮るように立ちふさがった。
「その、ですので後日また改めて頂く事は出来ませんか?」
「私は構わないんですけど、あの、なんかすごい音してましたけど大丈夫ですか? アイスさん体調悪いのに」
同意を求めるようにカルデノの方を見ると、カルデノの耳がピクピクと探るように動いていた。
「ご心配ありがとうございます、大丈夫です。アイス様にはカエデ様がいらっしゃった事を責任もってお伝えいたしますので」
メイドさんの有無を言わせぬ雰囲気に黙って頷く。
「じゃ、じゃあ失礼します」
「ちょっと待って」
この場にいる誰でもない、そして他ならないアイスさんの声が響いた。本人はロビー奥の二階へ繋がる階段の途中にいて、スタスタと降りてくると大股で私の前に歩み寄ってきた。その姿はくつろいでいる時とは違い、まるで戦いから帰ってきたばかりかと思わせる汚れた武装姿だった。
「久しぶりねカエデちゃん」
見慣れた微笑を湛えた表情ではなく、無表情と言うには少し険しい。
「お久しぶり、です。すみません最近家を空けていて昨日帰ってきたんです、手紙がいつ来たのかも分からなくて……」
何故か言い訳がましくなってしまった。ただ家を空けていて手紙に気づけなかったと伝えたいだけなのに。
「そのようね」
いや、険しいと言うよりは疲れているのだろうか。服装は見るからに仕事終わりと言った感じであるし、帰宅直後に私達が来てしまったのなら申し訳ない。
「あの、体調が悪いってメイドさんに聞いてて、だから日を改めようかと思ってたんですけど」
「……」
アイスさんは無言でメイドさんに目をやると、メイドさんは申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「余計な気遣いは不要よ」
「も、申し訳ございません」
何があったのかは知らないが、メイドさんはアイスさんに気を使って今日のところは私を帰らせようとしたようだ。だがそこにアイスさん本人が来た。
「カエデちゃんはせっかく来たんだからお茶でも飲んでいって。手紙を出したのは頼みがあるからなの」
にこりと、ようやく笑顔を見る事ができた。
「はい、じゃあ……」
断る理由もなく頷くと、アイスさんが着替える間に何度か見た客間に通された。ソファに腰掛けるとメイドさんが目の前でテーブルのカップに紅茶を注いでくれる。よい香りが柔らかな湯気と共に立ち込めた。
「カエデ様、先ほどは私の勝手な判断で失礼をいたしました」
「え、私ですか?」
紅茶を注ぎ終えたメイドさんが頭を下げてくる。
「お客様であるカエデ様に無駄足を踏ませる所でしたので」
「ああ、いえ全然。何だかアイスさんの様子いつもと違いましたし、メイドさんが気遣いたかったのは分かりますから」
メイドさんは困ったような、ほっとしたような表情で控えめに笑うと、ありがとうございますと言った。
「では、ごゆっくり」
部屋からメイドさんが立ち去る。それから程なく、武装を解いたアイスさんが客間へやって来た。
「待たせたわね」
言いながら、アイスさんは私の向かいのソファに腰掛けた。
「いえ」
紅茶から立ち上る湯気を見て、それほど時間は経ってないと分かる。
玄関先で見た人物は別人だったのかと思うほど、今目の前にいるアイスさんはにこやかな表情をしている。どんな事情があったにせよ、あんな顔は初めて見た。それに何かを壊すような音も内心気になっているのだが、果たして聞いてもいいものか。
「ねえ、カエデちゃん」
「あっ、はい」
余計な思考を中断し、アイスさんの方へ意識を向ける。
「随分長い事、留守にしてたみたいね」
「はい、ちょっと用事があって」
「そう……」
やはりどうも、いつもと様子が違う。いつもならサクサクと話を進めるアイスさんの事だからと口を閉じて少し待つ。
「それでカエデちゃんを呼んだのは勿論用事があったからなのだけれど」
「はい、ポーションですか?」
思いつくのはそれか、魔力ポーションの方で何かあったか。
「そう、ポーションが必要になったの。何せ大掛かりな依頼が来たものだから多めにね」
「それは大変ですね」
「ええ、これから頼む数が増えるかも知れないし、カエデちゃんにも都合があるのは分かるけど、出来れば王都にいる時間を優先してもらえたらと思うの」
グッと言葉に詰まる。今の私にそれは難しい話だ。ホノゴ山に短期間で往復出来たのはリタチスタさんの協力あっての事だが、次に行こうと考えているカフカのテンハンク、正確にはアンレンにリタチスタさんが同行する話はない。つまり帰ってくるには時間がかかるためアイスさんの言う王都にいる時間を優先というのは約束出来ない。どれだけお世話になった人と言えどこれを譲る事は難しい、いや出来ない。
「カエデちゃん?」
私からの返事がないと不思議に思ったのか、名前を呼ばれる。
「あの、それはちょっと難しくて。近いうちにまた家を長い事留守にすると思うんです。思うと言うかもう、決まってて」
「それ、無理ってことよね」
アイスさんのたおやかな声が硬いものに変わる。その瞬間体に緊張が走る。もしや怒らせたのではと小さな子供のような思考に切り替わり焦りが生じる。
「す、すみません。今回はしっかり作ります。でも次私が居ないようだったら別の方に頼んで貰って……」
「当然よ」
言葉が遮られる。私の勘違いでもなんでもなく今日のアイスさんは虫の居所が悪いようだ。
「カエデちゃんが居なかったら作ってもらおうにも無理な話だもの。ただポーションが効きづらい体質の人にカエデちゃんの作るポーションはとても有効だし。私も頼りにしてるの」
「でも、あの……」
小さな声で呟くように口を開く。アイスさんは何も言わず私の言葉を待っている。
「本当に大切な用事でカフカに行くんです。ですから今までお世話になったアイスさんの頼みを聞けないのは本当に申し訳なく思ってます」
「カフカ? 隣国にまで一体何の用が?」
「人に会うんです」
「人にねえ」
アイスさんは何か考えるように腕を組んだ。
「つまり国を超えるための旅券が必要になるって事ね」
「え、旅券?」
「そうよ。国境を越えるには旅券を持たないと」
旅券と言われるとピンと来ないが、パスポートのような役割を持つ物だろう。しかしパスポートは確実に身分を証明出来る物が必要となるがここではどうだろう。持っている物といえばギルドカードだが、あれは簡単な記入で済ませただけの物だ。それをもとに旅券が発行出来るとは思えない。
「旅券の発行って、どうしたらいいんですか?」
「旅券を必要とする人物の魔力を提供をしてお金を払うだけよ。そこそこ高額だけれど」
「ま……」
魔力の提供はまずい。魔力を持たない私には出来ない、そして人に知られる事も避けたい。しかし旅券がなければ最悪不法入国? そんなリスクを背負う事は出来ない。ならどうしたらよいか。考えているとアイスさんの声がした。
「カエデちゃん」
「あっ、はい」
ハッと意識が戻された事で、どれだけその思考に頭が傾いていたのか気付かされた。
「もしかして、何か後ろ暗い事でもあるんじゃないの?」
ドキッと心臓が跳ねた。
「い、いやそんな後ろ暗い事なんて……」
確かに魔力がない、この世界の人間ではないと他人に知られたくない事ではある。であはるが、私がそれを必死に隠そうとする姿はどうやら後ろ暗いものを感じさせるらしい。
「カエデちゃんがお金で生活が苦しいとは思えない。となると魔力の提供に抵抗を感じたんでしょう? それが後ろ暗い以外になんだと言うの?」
「や、それは……」
答えられるわけがない。喉に言葉が詰まり、目がどこを見ていいのか分からず彷徨うのが自分でも分かった。
「何か事情があるの?」
「……」
私が無言で数秒を消費すると、アイスさんはふうっとため息をついた。
「まあ、カエデちゃんが私の言う条件を呑むんだったら。私が変わりに旅券の発行してあげてもいいわ」
「え? いやでも今、旅券を必要とする人物の魔力が必要だって。それって私のじゃないとダメってことじゃないんですか?」
「勿論それはそうだけれど、世の中の全員それに限った話じゃないのよ」
私のように魔力の提供が出来ない事情のある人が多いという意味だろうか。しかしアイスさんが変わりに旅券を発行出来るのと一体なんの関係が?
「例えば旅券を通常と違った形で発行出来る人もいるってことよ」
「それって、違法ですか?」
「違うわよ。周知されていないだけで代理発行っていう行為はあるもの」
それを聞いてほっとする。いくら旅券が必要と言えど違法と聞いてはそれも手が出せない所であった。
「それで、旅券を発行する変わりの条件って、一体なんですか?」
「簡単よ、ポーションを作ってくれたらいいの」
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