帰り
カルデノの行動の意味を考えた。半端に発動した魔法の事を考えろという事だろうか。
あらかじめ設置しなければいけない点を必要とせず、転移することが可能な魔法。それらが半端に発動したところでどうなる?
それとも単に、半端であっても魔法が発動する可能性はあると伝えたかったのか。そうであればどんな形であれ私がこの世界に連れてこられた事も説明は出来る、だろうか?
ひとり唸っていると、風もないのにざわざわと木の揺らぐ音がし、リタチスタさんが口を開いた。
「あまり、ここに長居しない方がいいかも知れないね」
覚え書きをバッグに入れながら、ゆっくりとした足取りで散歩するように歩き出した。私もカルデノと二人でリタチスタさんの後について歩き出した。
「どうしてですか?」
別にここにずっと居たいと言っているのではない。長居してはいけない理由があるのかとするならそれは何なのかだ。
「ここは魔力が溜まっていると言っただろう?」
ギギッ、とどこかで聞いた事があるような軋み音がした。
「そこらの朽木が動き出しそうだ」
私はバッと辺りを見渡した。数本、鈍くはあるが枯れた木がギシギシと動き出し、慌ててカルデノの陰に隠れる。オルモン山で大量の朽木に襲われた恐怖はまだ私の記憶に新しい。
カルデノは腰のナイフに手を添えたのだが、リタチスタさんがそれを不要と言うように右手を肩の位置まで上げた。
「ここはもういい、帰ろうか」
慌てる私と違い、リタチスタさんはいつもと変わらない表情でその上げた右手を大きく左へ一度振る。強風に紛れる雪のような物がその手から放たれ、動き出そうとする朽木を襲った。余った左手で飛びそうになる帽子を押さえる。
動こうと軋む朽木だけでなく、周りにも魔法が及び雪の触れた部分から侵食されるように厚い氷に覆われ、数秒もすると辺りは氷付けになっていた。
「す、すごい……」
周りの木々、そして小屋も含めて透明な厚い氷に覆われていた。しかし地面は凍りついていないので、リタチスタさんも適当に魔法を放ったわけではなさそうだ。
ひやりと漂う冷気が肌を撫でるので、寒いほどではないものの何となく手をこすり合わせた。
「一瞬でこんな……」
カサリと背後から音がした。何の音だろうと振り返った瞬間何かが一瞬で目の前に迫るのを見た。
「え」
声と同時に目の前に迫ったそれがビタリと動きを止めた。私の足が力を無くしたように膝が折れ、その場に尻餅をついた。
目の前で弾かれたのは大きな狼の前足だった。久々の餌を見つけたように獰猛な目をした狼がよだれを垂らしながら数歩下がって距離を取る。その体は大きく、いつぞやカルデノが退治した狼と変わらないほど、立っているカルデノよりも大きな体格をしている。
カルデノが私と狼の間に立ちふさがり私の名前を叫んだが、耳に聞える心臓の音のせいか上手く聞き取れない。まるで耳がキンとして頭の中の音がこもったようだ。
「カエデ! 大丈夫なのか!?」
こくこくと頷いて小さな声で大丈夫と答えるのが精一杯だ。心臓の暴れる胸を落ち着かせようと手を押し当てた。
狼は一度飛び掛ってきたきり、こちらの様子を窺うように一定の距離を保ったままウロウロするだけで、再度こちらを襲うような素振りを見せない。
「カエデ、君魔除けを持っているかい?」
カルデノは手に持つナイフを構えている。だと言うのにリタチスタさんの声はあまりにのんきだった。
「ま、魔除け?」
しかし言われてから思い出した。私の持つココルカバンの中にはロレンツィさんに貰ったウルブロの魔除けがある。
私はそろりと震える足で立ち上がった。
「ロレンツィさんから貰った物が、あります」
「ウルブロの魔除けかい? それならあの狼はあれ以上近付いてこないだろう」
何故私の命が助かったのかという疑問が解消されたと同時に、ロレンツィさんに感謝せずにはいられなかった。もし魔除けを持っていなかったらどうなっていたか、恐ろしい想像が頭をよぎる。
「それはいつでも大切に身に着けている事をおすすめするよ」
リタチスタさんは先ほどと同じ魔法を狼にぶつけた。魔法から逃れようとする姿のまま氷付けにされた狼の横を、リタチスタさんだけが平然と通り過ぎ、帰らないのかいと言って首を傾げた。
私達は移動のためすぐに荷台へ戻った。すでにホノゴ山へ来た通りの道を戻りつつある。後は出来るだけ早く王都へ戻るだけ。そんな中リタチスタさんはここ数日で定位置となった私の真向かいで、また飽きもせず小屋で見つけた覚え書きに目を通していた。長い物語のページを捲り読んでいるように真剣な表情で、ひたすら数枚の紙を順に変えながら何度も何度も。
カルデノはカルデノで、隣で目を瞑ったまま。寝ているわけではないのだろうが、今にも寝息が聞こえてきそうだ。
風に幌がはためく音はするものの、静かな空間であるのに違いはなかった。自分ひとりが手持ち無沙汰なような気がしてリタチスタさんに目を向けた。私がそうすることを予期していたようにリタチスタさんが顔を上げ、視線がぶつかる。
「どうかした?」
「あ、いえ……」
まさか目が合うとは思わなかったのだ。必要もなしに見つめるのは失礼だろうかと、少し話題を探してみた。
「あ、そう言えばさっきリタチスタさんが言っていた事なんですけど」
「と言うと?」
「転移するはずだった先にも魔力が溜まらないだろうかって話です」
しかしリタチスタさんは覚えがないと首を傾げた。確かに小さな呟きだったが、どうにか思い出してもらおうとその前後の話題も伝える。
「バロウはこれを一度試して失敗してるって。そうすると転移するはずだった先にも魔力が溜まるんじゃないかって言ってたんですけど、覚えてませんか?」
「ああ、そんな事も言ってたかな。でもそれがどうしたんだい?」
「いえ、その……」
私が目覚めたリクフォニアの路地裏に、何かしら関係があればひょっとして魔力が溜まっていたりしないだろうか、そう思ったのだ。
「見てもらいたい場所があって」
リタチスタさんは考える素振りもなく素早く頷く。
「それはカエデがバロウの魔法と関係があると考えたんだね?」
「はい。場所はリクフォニアなんですけど」
「いいよ、行こう」
王都へ真っ直ぐ戻るはずの予定はあっさりと変更された。
私は、リタチスタさんがずっと目を通していた数枚の覚え書きを指差した。
「それ、何度も読むほど難しいものなんですか?」
「うん……」
私が見てもやはり何も分からない。しかしリタチスタさんは曖昧に笑いながら肯定した。
「難しい、かな。本当、何がしたいのか本人に聞かないと納得出来ないな」
ふうっと隠しもしない大きなため息が聞こえた。どうやら疲れているようだ。
「大丈夫ですか? 毎日長い移動時間で疲れが溜まってるんじゃ?」
「いや、疲れてるのはそのせいじゃないよ。バロウのことだ。あいつが何を面白そうな事してカエデと接点を持ったのかと軽い気持ちでいたんだけど、こんな馬鹿げた研究してるなんて思いもしなかったから」
「……」
それほどまでにショックを受ける事なのだろう。自分に似たような経験がないため何とも言いがたいが。リタチスタさんはアルベルムさんの研究をそれほどまで続けていて欲しかったのか。
資料庫で管理人をしているシズニさんから聞いた話だと、バロウは幼い頃から頭がよく考えもその歳の子供とは思えないほど賢かったそうだ。リタチスタさんもバロウと過ごした時間があるのだから当然知っている。だと言うのに馬鹿げてるとまで言ったこの研究をしている事がショックだったのだろうか。
「ところで見てもらいたい場所って、具体的には?」
ここで深い考えなしに私が目覚めた場所を見てもらおうなどと言ってしまったが、そこをなんと説明したらいいのかと、アゴに手を当てた。
「あ、えーと。なんと言えばいいか……」
確かリタチスタさんは、私がいつのまにか持っていたレシピ本を持たされていた事しか知らないはずで、下手な事を言うと嘘がばれてしまう。
「私が持っているレシピ……、隠匿書なんですけど」
「ああ、ジェイに少し話を聞いたよ。気絶させられて荷物に入れられたんだって?」
「えっ」
リタチスタさんは数日の間ジェイさんのもとで過ごしていた。私について色々と話を聞いていたらしい。どこかで辻褄が合わないなどと言われないよう緊張しながら、はいと頷いた。
「そ、それでえーと、その気絶させられた場所に何か残ってないか、リタチスタさんと一緒に見て見ようかと」
「なるほど。魔力の痕跡があることも考えられる。行って損はなさそうだ」
やがてリクフォニアに到着し、私はあの時の記憶を頼りに目を覚ました路地裏へ足を進めた。
街並みは変わっていない。その場所はすんなりと探し出す事が出来た。
土がむき出しの湿気を含む地面、日の差さないそこはまさしく私の、この世界の始まりの場所。
「ここです」
私は路地裏に踏み入ることなくただ道を指差したのだが、リタチスタさんは無言ですんなりと路地裏へ足を踏み入れた。
「ここがねえ。とくに変わった物があるとは思わないけど」
そうは言いつつも薄暗いそこへしっかりと目を凝らし、細かなものすら見逃さないほど険しいものとなっていた。
私も恐る恐る路地裏に足を踏み入れ、リタチスタさんの後ろから中を覗く。
「本当に、何もないですね」
「うーん……」
曖昧に返事をしながら、リタチスタさんは屈んで地面の土を手でガリガリと削るように浅く掘る。そうしてその土を少量手に持つと、立ち上がって私の目の前に突き出してきた。
「この土、かすかにだけど魔力の残留が感じられる。確かにここで魔法が発動した証拠だ。そしてバロウの魔力ととても似てる」
私は生唾を飲み込んだ。私にはただの土にしか見えないが、それはとてつもない発見だった。つまりやはり、私はバロウの魔法によってこの世界へ来る事になったと言うことなのだから。
「君は、バロウの魔法に巻き込まれでもしたのかい?」
リタチスタさんは掬った土を、すでに不要とでも言うように手をひっくり返してその場に捨てた。その目は無感情にも思え、それが不気味だった
「いや、けどそう考えるのは大変難しい。それともバロウと面識がないと言っていた事自体が嘘かな?」
一歩、リタチスタさんは私に詰め寄り、嫌な空気を感じ取った私はそれとなく一歩後退する。
「い、いえ、そうじゃないんですけど……」
「おい……」
カルデノが割って入ろうとするのをリタチスタさんは睨み、そして言葉で制した。
「私はカエデに聞いているんだ。君が出てくる必要はない」
「カエデは何も……」
「聞えなかったかな。私はカエデに聞いていると言ったんだ、君にじゃない。それ以上君が何か言おうとすると、私に不利な隠し事でもあるんじゃないかと勘繰ってしまうね」
リタチスタさんが私とバロウに面識があると疑っていて、それを私が隠していると勘違いしているなら、自分を罠にでも嵌めようとしているなどと考えていても可笑しくない。だからこそリタチスタさんは私にしか言葉を喋らせたくないのだろう。カルデノから咄嗟の助け舟が出て話を合わせられては困るから。
カルデノは薄く開いていた口で何か言おうとしただろうが、言葉が出てくる事はなかった。
私が喉に言葉を詰まらせて押し黙っていると、細められたリタチスタさんの目と目が合った。
「私は本当にバロウと会った事はないし、ここは私が気が付いたら気を失っていた場所で、その後荷物の確認をして隠匿書が紛れている事を知ったんです!」
「……」
依然として、リタチスタさんの目は疑心をありありと感じさせる。どのような言葉が疑いを晴らしてくれるのか、またそれが疑いを深める可能性を秘めているのではないかと恐ろしくなる。
それから数秒後だろう。リタチスタさんは目を閉じて、ゆっくりと息を吐き、そして同じだけ時間をかけて胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
「……すまない。少し神経質になっていたようだ」
謝罪の言葉を口にするリタチスタさんの目にすでに疑心はなく、突然の変化に戸惑いながらも私はほっとしていた。
「カエデ達がロレンツィの家にいた時、私がまたまた遊びに行っていなければそもそも会う事もなかっただろうし」
「あ、そうでした。そうですよ」
リタチスタさんはうんうんとにこやかに頷く。
「あと人を騙すにしてはあまり賢くもなさそうだね」
そこは素直に喜べない。
「それからカルデノも、さっきはすまなかったね」
「……いや」
カルデノは短い返事だけをしてリタチスタさんから目をそらした。
「それでさっきの話だけど、カエデは気が付いたらここで気を失っていたって?」
「え、あ、はい」
「詳しく聞かせてもらってもいいかな」
私はゆっくりと頷いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
遅くなってすみません




