到着
空を飛ぶ、しかも飛行機でなどとは違い、まさに魔法の力。私はその事にとてつもなく感動していた。
荷台がぐーっと前に進みだしたため体が転がりそうになるのを、床に手をついて支える。
この世界に来てから自分の中でなんとなく、魔法とはこういう物という定義が出来ていたが、空を飛ぶと言うのは、魔法が御伽噺でしかなかった頃の代表的なものではないだろうかと私は思う。
生まれがこの魔法の世界であるカルデノでさえ驚きの表情を隠せずにいるのだ、よほど貴重な経験に違いない。
そして私とカルデノの反応が気に入ったらしいリタチスタさん。目を向けると得意げに笑っていた。
「正直な話、私以外にこんな移動方法の奴は見た事がないよ」
「確かに荷台が空を飛んでいるのに気が付いたら目立ってしまいますね。だからこの時間に出発すると言ったんですか?」
リタチスタさんはそうだと頷いた。
私は外にばかり気を取られていたので、改めて荷台の中を見るとリタチスタさんの荷物と思われる物が前の方に詰まれていた。私とカルデノの荷物はココルカバンの中にあるので見た目には少ないが、リタチスタさんは大荷物だ。大きなカバンがふたつと小さいカバンがひとつ。ホノゴ山は遠く、場所が場所なだけにそれなりの準備は勿論必要だろうが、それにしても多いのではと、首を傾げたくなった。
「荷物がなにか気になるかい?」
私の目線で何か気が付いたらしい。カルデノも外に向けていた目を同じく荷物の方へ向けた。
「大荷物だな」
カルデノが言う。
「そうだよ。これから向かうのは穏やかな町でも管理された土地でもない。何があるか分からないんだ、万全の準備は必要だろう?」
リタチスタさんの真剣な表情に、はしゃいでいた私は少し恥ずかしくなって背筋を伸ばした。
「本来なら町があればそこで確実に宿をとることをするけれど、今回はカエデの予定や、その先にある私の予定のために急ぎになる。だから一日で行ける場所まで行ってそこで野宿という形になるが、構わないね?」
急ぎならばそれで構わないのでは、と頷こうとしたのだが、リタチスタさんは大丈夫なのだろうか。一日中浮かせた物を移動させて、疲れというものの心配はいらないのだろうか。
「だけどそうだ、その代わり夜はたんまり寝かせてもらう。その間、夜の番はそちらに任せることになるけど……」
リタチスタさんは一瞬私を見たかと思うと、すぐにカルデノへ視線を移した。
「ああ、構わない」
カルデノは軽くそれを了承した。私にも道中、何か出来る事はないかと聞いてみる。
「カエデに出来る事か……。君は野犬にさえ勝てなさそうだからねえ」
リタチスタさんが抱く私への印象に間違いはない。だからこそ私は何も言い返す言葉もなく、リタチスタさんは私に何を頼む事があるだろうかと考えているようだった。
「君、お金は持っているかな」
「お、お金ですか? 持っては、いますけど……」
ホノゴ山までの道中で宿を使うとか足りない物を買い足す事もあるだろうとお金を持ってきている。
まさか運んでやる代わりに持ち金をすべて渡せと、そういう意味だろうか。一瞬身構えたのだがそれを察したらしいリタチスタさんは耐え切れないといった感じで吹き出した。
「はははっ、よしてくれ。まるで私が恐喝しているような態度じゃないか」
「え、違うんですか……?」
思わず口をついたのでハッと口を閉じた。
「違うさ。恐喝ではない。ただもし道中に私が金が必要な事になったとしても、それを全て負担して欲しい。君が何も出来ないのならせめて金を使ってさ」
確かに私に出来る事は少ない。むしろないとすら言えるのだろう。だからリタチスタさんは、それならせめて金銭の負担をと言ったのだ。
「お金を負担する事になっても大丈夫です。むしろそれくらいしか出来なくて申し訳ないくらいで」
「申し訳なく思う事はないさ。人にはそれぞれ出来る事と出来ない事がある。今回、この場での君の役割がそれだったってだけの話だ」
恐らくリタチスタさんは私を慰めるために言ったのではない。それがリタチスタさんの普通の事としての考えで、それを言葉にして伝えただけなのだろう。
「無駄な浪費はしないと誓うよ」
ホノゴ山へ向かうため王都を出て最初の夜。リタチスタさんが荷台を下ろしたのは山の麓だった。やはり人目につくのを嫌うらしく茂みの中へ埋めるように荷台は置かれた。
「もう疲れた。私は先に寝るよ」
食事もそこそこに、リタチスタさんは用意していた寝袋へさっさと入った。
カルデノは夜に見張りだからと昼間眠れるだけ眠ったので、今はもう目が冴えているらしい。
リタチスタさんの睡眠の妨げにならないよう、小さな声で話しかける。
「リタチスタさん、今までこんな大きな荷台を運んでいて、相当疲れたみたいだね」
「ああ。私は魔法が使えないから分からないが、相当な魔力を持っているんだろうな」
そっとリタチスタさんへ目を向けると、帽子もろとも寝袋の中へすっぽりと収まっていてその上毛布をかぶっている。髪の毛一本さえ見えなくなっていた。
「カエデはまだ寝なくていいのか?」
「うん、今日は何もしてないから」
ただ座ってリタチスタさんと他愛ない話をぽつりぽつりとしていただけ。まだ眠気はちっとも私を誘ってこない。
カルデノは荷台から降りようと、そっと立ち上がった。
「私は少し外で見張りをする。カエデも眠くなくとも眠った方がいい」
「……うん。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
カルデノは荷台を降りた。
私は寝袋を準備して、眠りについた。
その後もリタチスタさんは馬車での移動時間をはるかに凌ぐペースで移動を続け、王都を出て七日目の夜にはリクフォニアへ到着。それは私にとって、いや誰の目から見ても驚異的な速度だったろう。
リクフォニアは私がこの世界で最初に目にした町。
荷台は門から離れた塀のそばに放置し、荷物は全て持ち出してこれから宿を探すらしい。荷台を放置して大丈夫なのだろうかと心配したものの、馬もいない荷物もないただの荷台を一体誰が盗むのかとカルデノがその心配を吹き飛ばした。
「今日は暖かいベッドでぐっすり眠りたい。少しいい宿に泊まってもカエデ持ちだから気楽なものだ」
リタチスタさんは眠たげに隠すでもなく大きなあくびをして、荷物を手に門の方へ歩き出す。私とカルデノも同じく歩き出し、リタチスタさんの少し後ろを歩く形になった。
「カエデはここにいたんだったな。宿にどこか当てはあるか?」
「うーん。当てって言っても、私は安い宿に泊まってたから、参考にはならないと思うよ」
「ふうん、カエデはリクフォニアにいたことが?」
「はい、王都へ行く前はここで過ごしていました」
そう。と短い返事が返ってきただけでリタチスタさんの興味は今日の宿へ移っていた。
結局宿はリタチスタさんが外観を見て気に入ったらしい場所に決まった。
部屋はリタチスタさんだけが一人部屋で、私とカルデノはいつものように二人で一部屋を使う形になった。
明日には山を歩く事になる。そう思うほど早く寝なければと緊張してしまうのか、目は冴えたまま。
ベッドに入ってどれほどの時間がたっただろうか。隣のベッドを使うカルデノを見て見るが、こちらに背を向ける状態ですでに寝入っていた。私は音にもならないような小さなため息を漏らし、眠る事が出来たのは空がうっすら白んできた頃だった。
恐らく私はそれほど眠れていない。リタチスタさんが出発を告げて私たちの部屋をノックした時、眠気で頭がボーっとしたままだったからだ。
だが出発する事に変わりはなく、リタチスタさんに大丈夫かと声をかけられはしても時間を遅らせようとは言わなかったし、私も言おうとは思わなかった。
街の外に放置していた荷台は昨日の夜に見た時と何も変わらず私たちを待っていて、さっさと荷物を積んで移動を開始した。
うとうとしていた私も目的の場所が近付いてくるとさすがに目が覚めた。
「ここからは徒歩だ。この大きな荷台ごと、移動していられないんでね」
そう言ってリタチスタさんが荷台を下ろしたのはホノゴ山の麓だった。人の出入りの多い登山口から行ければよかったが、やはり人目につきたくないらしいリタチスタさんは獣道と変わりない細い道の近く、そこに荷台は置いた。
リタチスタさんが手にしたのは小さなバッグひとつだけ。さっさと降りて山へ足を進める。置いて行かれぬよう私とカルデノもその後ろを追いかけた。
外に風はなかった。朝日が昇り清清しいはずなのだが、ただ靴が地面を撫でる音だけがして鳥の声ひとつとして聞こえてこない。異様だ、と感じた。
「あの、この山はこれと言ったことのない、普通の場所ですか?」
「普通というと?」
「何か、恐ろしいものが住み着いているとか」
そう感じたのは恐らくこの妙な静けさのせいだろう、リタチスタさんは私が何を恐れているのかトンと理解出来ないらしい。
「恐ろしいというなら、君にとって何もかも恐ろしいんじゃないかい?」
それは確かにと頷く寸前、そうではないだろうと自分に言い聞かせた。リタチスタさんの言動を見ていれば自分の身を守る術に自信があるのだろう。そしてカルデノも十分に強いと言える。その二人がいながら窮地に陥る事態にはならないかと、私はそう聞きたかった。
「バロウにね」
私は質問する言葉を変えようと開きかけた口を閉じた。先頭を歩くリタチスタさんは一寸の迷いもなく、かろうじて道と呼べる急な斜面の獣道を進む。
「ここで何を調べる事があるんだと質問したことがあったんだ」
ここというのは、ホノゴ山にあるというバロウが使っていた小屋のことだろう。
「バロウは迷うことなく先生の意思を継いでいるんだって言ったよ。ホノゴ山でなければならない理由は何だと聞くと、先生の意思を継いでいないお前に教える事は何もないだとさ」
バロウはここで研究に必要なことを調べていたと言うより、ここで人目を避けていたような印象を受けたらしい。
「お前は何故、その研究をしようと思わなかったんだ?」
カルデノの問いにリタチスタさんは、うーんと悩むように軽くうなる。
「単に、興味がなかった。こう言ってはなんだけど、あの研究は先生の趣味みたいなものだったんだ。興味のある奴が勝手にやってればいいのさ」
「趣味? でもあの、転移魔法について研究している人だったって……」
リタチスタさんはやはり歩みを止めないままその質問に答えた。
「先生がしていたのは魔法の才能を持つ者を集め、高度な魔法をより簡素な陣で組み直しその使い方を教え、魔法の水準を高めること。それが先のためになるんだって考えでいたんだ。なのに誰かが勝手に先生の研究対象が転位魔法だと言って勘違いしたのが始まりだったんだろうね」
さらに言葉は続く。道は急な斜面から少しなだらかな場所へ変わった。
「確かに転移魔法も先生が取り組んでいた内のひとつではあったさ。けど、転移魔法一筋じゃなくて、あくまでも数多い魔法の中のひとつとしてさ。まあ他よりは多少熱心ではあったけどね」
「とりわけ転移魔法についての研究だけが話題にされてしまった、ということか」
「その通り」
カルデノの言葉にリタチスタさんは頷いた。
「転移魔法にだけ向けられた余分な情熱は先生の趣味だった。しかし先生のその情熱に対して寄ってくる連中もいた。いつの間にか先生は多くの弟子を持つようになっていたんだ。その弟子達も、転位魔法以外の研究をどう思っていたのか知らないけどね」
先生の意思を継ぐとして、今も転位魔法の研究を続け、それ一点に絞っている人達がいる。リタチスタさんからしたら、そうじゃないんだと、きっとそう思っていることだろう。
「リタチスタさんは、アルベルムさんの研究を引き継いだりしていないんですか?」
「私かい? まあ、ぼちぼちね」
やがて獣道を抜け、人が通るための道に出た。
相変わらず鳥の鳴き声ひとつしない不気味さはあるものの、それ以外には何もない。ただ静かな山と思えた。
だいぶ進んだ頃、リタチスタさんの足がぴたりと止まった。
「どうかしましたか?」
リタチスタさんの前方に目を向けるも警戒すべきものは見つからない。ただ少し、枯れ木が目立つような気はした。
「そろそろ、と思ったけれど……。以前と様子が違ってるみたいだ」
リタチスタさんは帽子のつばを片手で押さえた。
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