資料庫
王都へ戻って私たちが向かっているのは、リタチスタさんに教えてもらった元研究所で、今は資料庫だという場所。リタチスタさんから聞いた詳しい場所は、王都の北側。聞いた場所と一致する道は酷く錆びた低い鉄の柵が簡単に敷地を仕切っているような状態で植物に侵食され、触れば簡単に表面がポロポロと崩れる。その先に道が続いていて。五十メートル程奥には建物が見える。恐らくあれが資料庫だろう。
資料庫に近付けば近付くほどに木々や雑草が増え、人気はなくなり静かな場所だ。
リタチスタさんが資料庫を管理する人に分かるように話をしておくと言っていたものの、面識のある人と会うわけでも知った場所へ行くのでもないため、少しドキドキしていた。
道は綺麗なものとは言えない。積もった落ち葉を踏むたびにカサカサと軽い音がする。
資料庫の出入り口は低い二段の階段の上にあって、そこに上がってから見える範囲だけを少し観察する。白い大きな二階建ての建物だがツタやコケが壁を登り、全体的な事を言えば緑色だった。十分な光を取り入れられるであろう窓が数箇所あるものの、白いカーテンに仕切られ中の様子は窺えない。
はたしてここを管理している人とやらは今、いるのだろうかと思いながらも、扉をノックした。
数秒後、中から人の声がした。男性の声だ。極々小さな声で何と言ったのか聞き取れなかったが、目の前の扉がギーっと蝶番を軋ませながら開いた。
「はい、どなたですか」
開いた扉の中から顔を出したのはぼんやりと眠そうな男性だった。見た目だけだと歳は四十台、ジェイさんよりも上だろう。
「あの、リタチスタさんにここを教えてもらって訪ねて来ました、カエデと言います」
「ああ、聞いてるよ。僕はここの管理人のジズニ。よろしく」
この男性が資料庫の管理人だそうで、取りあえず、と中に招かれた。中は出入り口のすぐ横からすぐに天井まで届くビッシリの本棚があり、上から下まで本や紙の束、石や不思議な形をした道具などが並べられていた。それが部屋一面にだ。床にも乱雑に様々な物が置かれていて、部屋の中央に唯一ある大きな四角いテーブルにも同様に物が溢れていた。
正直、散らかってるなと思った。カルデノもどう思っているのかキョロキョロと中を見回している。
「悪いね散らかってて」
「えっ、あ、いえ気にしません」
思っていた事が顔に出ていたのかと、とっさに頬の辺りに手を当てて表情を確認してしまった。
「何せここに来るのは研究仲間ばかりだから」
本来ならば来客などない場所なのだろう。それならこの中の散らかりようも理解出来る。どこに何があるかなど、結局使う人が分かっていれば問題ないのだ。
とは言え足の踏み場もないほどではない。ジズニさんに案内されるままに奥の部屋へ通された。部屋の中には分岐する扉がいくつもあったが、出入り口とは対角線にある扉の先だ。
中は先ほど通ってきた部屋と同じように物が多いが、簡易のベッドが二つ部屋の奥の壁につけるように設置されており、片付いたテーブルがひとつあった。しかし椅子は一つだけで、ジズニさんはその辺から木箱を二つ調達して、それを椅子代わりとして提供してくれた。
「悪いねこんな場所で。椅子は君が座るといい」
「ありがとうございます」
カルデノとジズニさんが木箱に座る。リタチスタさんの名前がジズニさんの口から出てきた。
「ここに狼族の奴隷を連れた少女が来るはずだから、話しを聞いてやってくれってね、リタチスタがここに来た時には驚いたよ」
顔を見たのはアルベルム先生の葬儀以来だったから、と。
「ええと、お亡くなりになったのは、確か……」
アルベルムについて書かれた本では、いつ亡くなったと書いていただろうかと思い出すより先に、ジズニさんが答えた。
「もう十四年前になる。リタチスタの姿が昔のままだから驚いたよ」
こんな世間話がしたいわけじゃないか、とジズニさんは苦笑いした。
「それで、聞きたい話って言うのはなんだ? リタチスタは君たちから直接聞けとだけでね」
私は早速、バロウについて話を聞いた。今どこにいるだろうか、知らずとも最近は見かけただろうかと。しかしその問いにジズニさんは首を横に振った。
「最後にここへ来たのは、いつだったか……」
思い出そうと眉間にしわを寄せながら、目が閉じられる。途中何度か唸り声も聞こえた。
「確か、四、五年前だったろうか。先生の研究していた内容に昔から興味があったようで、先生が亡くなった後も頻繁にここに来ては何かを熱心に調べていたよ」
「何かっていうのは?」
「転位魔法についてさ。先生は転位魔法をもっと気軽に便利なように使えないかと研究していたから、それについてだと思うよ。バロウはすごい勉強熱意を持ってたね」
「はあ、勤勉だったんですね。でもここ四、五年は見てないんですよね?」
ジズニさんは残念そうに頷く。
「まあ必要な資料に全て目を通してしまったなら、ここに来る意味はなくなってしまうからね。そのせいじゃないかな」
となると、転位魔法の研究を引き継いでいるのはバロウだけなのだろうか。先ほどここへ来た時に、中が散らかっているのは研究仲間しか来ないから、と言っていた。もし他にも研究を続けている人がいれば、それぞれが成果を持ってこの場所に集まるなどしそうなものだが。
それについて尋ねれば、ジズニさんはうーん、と悩む素振りを見せた。
「研究を引き継いでいるのはバロウ以外にもいるよ。成果があればこの資料庫に新たに情報が増えていく。先生へのお供え物みたいなものだろうかね。でもあまりその成果を持ち寄る事はしないんだ。何せ進展がほとんどないから」
研究の成果を持ち寄らないのではなく、持ち寄るほどの進展がない、と。つまり進展があればここに新たな情報が追加されていくらしい。
「じゃあ、ここで研究仲間が集まることはなかなかなくて、最後にバロウを見たのは、ジズニさんが最後でしょうか?」
「そう考えてもらって差し支えないかと思うよ」
「……新しい研究の資料は、増えていないんですか?」
「残念ながらね」
バロウがここに最後に来たのは四、五年前。魔王討伐の任が完了したのも五年前。偶然だろうか。たまに顔を合わせていたというリタチスタさんも、最近とんと姿を見ないと言っていた。それは具体的にどれほど前なのか。やはりバロウは意図して姿を隠しているのか。
それに既存の資料に全て目を通した後、いくら進展がないからと言って数年も来ない事があるだろうか。もしかしたら新しい研究資料の追加が来ているかも知れないと、そこまで足は遠のかないと私は思うのだ。
「カエデ?」
「あ、なに?」
ふとカルデノに目を向ければ、どうも何か心配ごとがあるかのように険しい表情をしていた。
「いや、突然静かになったからどうしたのかと思ったんだが、考え事か」
どうやらそんな表情をさせていたのは私だったらしい。
考え事といえば考え事だ。バロウに関する情報はある時期から突然、まるで死人のように道筋を切らしている。
「あの、他の方にもバロウについて話を聞いて回っているんです。まだ話を聞いた方の人数は少ないですから何とも言えませんが、五年ほど前から、姿を見たという話を聞きません。何か心当たりはありませんか?」
しかしジズニさんはまたも首を横に振るだけ。
「ないな。犯罪を犯したとか、巻き込まれたとか、床に臥しているなんてのも聞いてない」
「そうですか……」
資料庫を管理するジズニさんが知らないと言うのだ、他にここへ出入りする人に聞いてみてもきっと望み薄だろう。
「そういえば私、リタチスタさんに教えられてここへ来たんですけど」
「ああ、そうだね」
「でもその、別荘としてここを教えられたんです」
別荘か、とジズニさんは笑った。
「寝泊りは確かに出来るようになってはいるがね。はは」
釣られて私も少し笑ったのだが、それよりも私の言葉に続きがあった。
「それで、別荘は教えられても自宅は教えてもらってないんですが、まさか普通に家で暮らしてるって事はないでしょうか?」
「自宅? とっくに引き払っているよ」
「そ、そうですか……」
となるとやはり、リタチスタさんが別荘として教えてくれたここと、他二件しかバロウの痕跡は残っていないようだ。
「ところで、バロウをそんなに熱心に探して、何か用事があるのかい?」
「え、ええまあ」
「そうか。じゃあ大した事を教えてあげられなくて申し訳ないね」
てっきりバロウを探している理由でも聞かれるかと思って身構えたのだが、その必要は無かったようだ。
「いえ、ここ数年見かけていない事や、自宅はないって事だけでも分かって良かったです」
バロウについてはほとんど何も分かっていないようなものなので、本当にそれだけの情報でもありがたい。
「他に何か知りたいことはあるかい?」
「他に……」
と言われても知りたいバロウの行方は知れず、自宅と呼べる場所がないことも分かりだ、他に何かあるだろうか。
「あ、別荘とか自宅とかそういうのじゃなくて、バロウが行きそうな場所とか知りませんか?」
例えば気に入った環境だとか、研究に必要な物を揃えるためには必ず足を運ばなければならない場所など。
「行きそうな場所、必ず足を運ぶ場所か」
ジズニさんは深く考えているようで、目を瞑ったまま思い切り天井を見上げるようにアゴを高く上げる。
これについても心当たりはないだろうと、ほとんど期待していなかった。しかしジズニさんは突然、あっと声を上げた。
「そうだ、バロウは王都に住んでいた時に、いつも魔石を買いに歩いていたよ」
「魔石?」
「ああ、知っているとは思うけどバロウは魔法の才能があったから魔石は必要ない。だと言うのにいつもいつも大量の魔石を買っていたんだ」
確かに魔法が使えない人でも魔法を使えるようにするための、魔石という石。それが魔法を生まれながらに使える人が大量に買って何をしていたのだろうか。
「魔石が、研究に必要なものだったのか?」
カルデノが口を開いた。
「んー、転移魔法に魔石か。結びつかないな。可能性があるとすると、ただ買い集めるのが趣味とか?」
ジズニさんの表情は冗談半分と語っていたため私は苦笑いで返したが、バロウのことを知らない私からすると、それもあり得ない話ではない。
「バロウが趣味を持ってるとすると少し意外だけどね」
そう言われるバロウとは、一体どんな人物なのだろう。私が首を傾げるとジズニさんは少しだけ話してくれた。
「もう、二十年以上も前になるね、アルベルム先生が少年を一人ここに連れてきたんだ」
ここと言うと、資料庫ではなく当時の研究所で、きっと今とは全く様子は違ったのだろう。当時の面影を探そうと無意識に目が部屋を見渡した。
「先生の自宅へ、弟子にしてくれと頼み込んできたらしい。それがバロウだった」
ジズニさんは懐かしむように語る。
「あの時バロウは十歳くらいだったのかな。でもとても子供とは思えないほど大人びていたんだ。頭は良かったし無駄にお喋りはしなくて子供らしさはなかったけど、何にしても飲み込みが早くて驚いた記憶があるよ」
「天才とか、そういう類ですか?」
ジズニさんはそれを否定しなかった。
「そうだね。先生もそんなバロウをいたく気に入っていた。同じ歳頃の子供と違って遊ぶ事もなくその時間を勉強に費やしていた。だから先生は転移魔法についても知識を出し渋ることはなかったし、バロウは先生の意思を次いで転移魔法の資料を読んで勉強していたんだろうね」
「そうだったんですか」
可愛げのない子供と言えばそれまでだが、魔法の研究をするアルベルムにはそれくらいが丁度よかったらしい。そしてジェイさんが、リタチスタとバロウは別格と話していた事も納得出来る内容だ。きっとリタチスタさんも子供としては可愛くない部類だったに違いない。
「今の昔話から分かるかも知れないけどバロウは自分について聞かれてもおいそれと話さない子だったから、行きそうな場所とか、思い出のある場所とか、好きなものとかも詳しく知らないんだ」
「そう、ですか」
ジズニさんとの話が終わり資料庫を出た。家までの道を歩きながら聞いた話を反芻していた。
まるで幼い頃から姿を隠そうとでもしていたようで気味が悪いではないか。弟子にして欲しいと自分から押しかけ数年前まで熱心に研究を引き継いでいたかと思えば、忽然と姿を消したのはなんだ、神隠しでもされたというのか。
隠匿本を私に持たせたのがバロウではないと、もはや考えられなくなっていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




