バロウの居場所
「あ、あの、ロレンツィさん、でしょうか?」
「ええ、いかにも」
どうやら今帰ってきたらしいロレンツィさんは、歳は三十代はじめ頃の男性だったらしい。金髪は刈り上げで、目の下には数日寝ても消えるのか疑問に思うほど濃い隈が。
「それで、あなた方は?」
「私はカエデで、こっちはカルデノです。ジェイさんからあなたの話を聞いて会いに来たんです」
「ジェイ、ですか」
ロレンツィさんはぼんやりとその名前を呟いた。もしや怪しまれているのではと、この時のために預かった手紙をココルカバンから出した。
「これ、ジェイさんからの手紙です」
手紙を差し出すと、無言で受け取って私と手紙を比べるように見た。
「拝見します」
二つ折りの手紙を片手で開くと、文章を追っているのが目の動きでわかる。何度も読んでいるのか、目の動きにそぐわないほど時間をかけてから、手紙はまた二つ折りに戻された。
「なるほど。何故私のもとを訪ねることになったか、大体の事情はわかりまました。ありがとうございます」
ロレンツィさんは読み終えた手紙を手にしたまま、ポケットから家の鍵を取り出しながら自宅の玄関の前まで足を進めた。
「話も長くなるでしょうから、どうぞ中へ」
開錠した玄関の扉を開けて私達を招き入れた。長く続く廊下は何もなくて薄暗く、案内された部屋は大きな窓から光を取り入れて明るかった。そこから先ほどの緑豊かな庭が見える。
「今お茶を入れてきますので、適当にくつろいでいて下さい」
お構いなくと声をかけるより早く部屋の扉が閉められた。
部屋の中央から少し窓に偏った位置に真四角のテーブルと、それを囲うように四脚の椅子が配置されている。私が窓を右側になる位置に座ると、カルデノは窓と向かい会う位置に座った。
「仕事帰りだったみたいだし、まずかったかな?」
隈もあったことだ、きっとひどく疲れていたに違いない。
「仕方ないだろう。それに家に招いたのは向こうだ」
それはそうだが、と私は口を閉じた。
それから数分、湯気の立ち込める三人分のカップを盆に乗せたロレンツィさんが戻ってきた。
「お待たせしました」
ロレンツィさんはカップをそれぞれに配ってから私の向かいに座った。
「ジェイは、私の仕事について何も言っていなかったのですか?」
突然の問いかけに私は首をかしげた。しかし何も言われていないのは事実なので、ゆっくりと頷く。
「そうですか。いえ何、私は仕事の都合で家を空ける事が多いので、それも知らせずただあなた方を送り出したのは、いささか無責任かと思いましてね」
顔を合わせたときから思っていたのだが、ロレンツィさんは表情をピクリとも動かさない。機嫌が悪そうだとか、顔が怖いとは思わない。けれど言動もとても静かで、私はどうにも緊張していた。
「ジェイさんが私達にロレンツィさんの仕事の都合を伝えなかったのは、もしかしたら私が急かしたせいかも知れませんから、気にしてません。ロレンツィさんはお仕事の帰りだったんですか?」
「ええ」
「あの、お疲れのところすみませんでした」
なんと言って話を切り出そうかと、どこへ向けていいか分からない目のやり場を湯気の立つカップで休ませる。ふんわりと紅茶の良い香りが漂う。
「先ほど……」
ロレンツィさんの声に慌てて顔を上げた。
「手紙で隠匿書を本にしたものがあると書いてありましたが、それを見せていただくことは可能ですか?」
「はい、もちろんです」
私はココルカバンからレシピ本を取り出し、ロレンツィさんに手渡した。
ロレンツィさんは受け取ってすぐに丁寧に表紙を開き、一ページ一ページ、じっくりと眺めてゆく。
「なるほど、確かに何一つとして目に見えるものはありませんね」
「これが、バロウかリタチスタという人が作ったのではないかとジェイさんは言っていました」
そのどちらでもない可能性もあるが。
「バロウもリタチスタも、隠匿書を作る事は出来ましたからね、これだけであの二人の内のどちらが作ったかを判断するのは難しいですね」
貰えた答えはジェイさんと変わらず。ロレンツィさんは私にレシピ本を返してから紅茶を一口飲んだ。
「ちなみにジェイは、リタチスタの居所を知っていましたか?」
「いえ、分かるのはロレンツィさんの居場所だけだと言っていました」
「そうでしたか」
口ぶりからするとロレンツィさんは知っているようだ。そう思って居場所を聞いて見たが、首を横に振った。
「私もリタチスタがどこに住んでいるのかは知りません。しかし頻繁に顔を合わせているのも事実ですね」
「仕事の関係かなにかですか?」
「いえあれは、趣味ですね。私の庭の植物を調達しに来るんです」
庭と聞いて、大きな窓の外の風景を見た。
本当に色々な木々、鉢植えにも寄せ植えで色々な植物。それらが細い通路一本だけ残すように所狭しと綺麗に並べられている。
「あ、あれ?」
「どうかしましたか?」
庭を眺めている途中に私が疑問の声出したものだから、ロレンツィさんもカルデノも椅子から腰を浮かせて窓から庭を覗き込んだ。
窓を斜めに覗き込む角度で見える大きな木の陰に、風に揺れる布のようなものが見える。布の色は黒く、その内ピッタリとした同じく黒い布で包まれた足が見えた。つまりあそこには誰かが立っていると言うことだ。
「ああ」
ロレンツィさんは窓際に立って私と同じものを見たらしい。納得したような声を漏らすと、コンコンと窓をノックした。
それは木の陰にいる謎の人物に向けてだったらしい。木の陰に隠れて見えなかったその人がヒョコリと顔を出した。
若い女性だった。まるで魔女のような装いだった、つばの大きな黒いトンガリ帽子に、ヒラヒラと風にはためく薄いマントのような物もこれまた黒く、さきほど見えた足も黒い履物で全身真っ黒だ。黒くない場所と言えばマントの隙間から見える白いシャツと、帽子の下から垂れる橙色の長い髪。
「あの人は?」
「リタチスタです」
ロレンツィさんは迷う事無く答えた。
行方の分からない人物の一人が突然目の前に現れたことで私は目を見開いた。だって、いきなり会えるとはまったく思っていなかったのだ。
リタチスタだという橙色の髪の女性は音のした窓、つまりこちらへ来るかと思いきや、逆に玄関の方へ遠ざかって姿が見えなくなった。
「あ、あれ? 帰ったんでしょうか……」
「いえまさか。今にこの部屋へ来ますよ」
ロレンツィさんの宣言通り、玄関の開閉音が聞こえた。コツコツと廊下を歩く音と共に部屋の扉へ目を向ける。
ガチャリと、扉は突然開いた。
姿を見せたのは庭で見た女性に間違いなかった。
「……」
右、左。部屋の中の様子を伺うように視線が行ったり来たりするばかりで口を開く気配はない。
「リタチ……」
「とうとう君も、女を囲うようになったんだね」
言わずとも察したさ、とでも言うような生暖かな眼差しをロレンツィさんが向けられると、向けられた本人であるロレンツィさんは、部屋のどこにいても聞こえるような大きなため息をついた。
「なんです、その冗談は?」
「おや違ったのか、それは失敬」
クスクスと笑ってはいるが目に表情を感じられない。不思議な雰囲気を纏う人だ。
「では君達はロレンツィのお客人か。挨拶が遅れて申し訳ない。私はリタチスタという者だ。君達は?」
二人の掛け合いが終わりを見せた。私はカルデノの方に一歩歩み寄る。
「私はカエデ、こっちはカルデノです」
自分とカルデノを指差しながら、自己紹介するとリタチスタさんは一度頷いた。
「カエデにカルデノか、よろしく」
すっと差し出された手は握手を求めるもので、私はそれに応じた。しかしカルデノは怪訝な目をリタチスタさんに向けるだけで手を差し出そうとはしなかった。
「……うん」
カルデノの態度をリタチスタさんがそれをそこまで気にする様子も無い。自分の中で何かしらの形で消化したのか、黙って差し出していた手を下げた。
「それで、庭でゆるゆるしていた私をここへ誘ったのは君だけど」
ロレンツィさんの方へ目が向けられる。
「お客人がいるのによかったのかい?」
「ええ。この方々が私を訪ねた理由に、リタチスタも関係があるかと思いましたものでね。そろそろ来る頃だろうと思っていました」
「私に関係が? まるで身に覚えがない」
「そうですか。とりあえずこれを」
ロレンツィさんがそう言ってポケットから取り出したのは、先ほど渡したジェイさんからの手紙だった。ポケットの中で少々形が崩れていた。
リタチスタさんは無言で手紙に目を通す。
「ジェイからか、懐かしい名だね」
「それはリタチスタが連絡を取らないからです。バロウもね」
「……」
リタチスタさんはちらりと細めた目でロレンツィさんを睨んだ。すぐに目は手紙に戻り、そうかからない内に読み終えた。
「なるほど」
読み終えた手紙をバシンとロレンツィさんの胸に叩きつけるようにして返すと、ゆっくりと窓の方へ足を進め、窓を背にする椅子へ腰を下ろした。
私も座っていた椅子に同じく腰を下ろした。
「手紙には隠匿書の本の事と、それを君に託した人物を探しているという事が書かれているけど、結論から言えば私はそんな物作ってはいないよ」
では、残る候補はバロウだけ。
「バロウがその本を作って君に渡した理由を知りたいので探しているということだね。ジェイに言われなかったかい? その労に見合うだけの理由なのかと」
確かに似た事は言われた。だが自分はそうするしか元の世界に帰る手立てがないのだ。何としても探す、どんな苦労が待っていようともだ。
「言われましたが、絶対に探します。私の中では理由と苦労は十分に釣り合っていますから」
「そうか。まあそうでなければここまで来ていないだろうし、私も知りたいな、バロウが何故君に隠匿書を渡したのか。まあバロウが渡したのであれば、だけどね」
「それは、探すのを手伝ってくれるって取ってもいいんですか?」
「構わないよ。疑うならバロウの別荘を教えようか」
「疑ってるわけではないんですけど……」
リタチスタさんが、自分が知る限りだと言って教えてくれたのは三箇所。まず別荘が三箇所もあることに驚いた。
「い、一箇所じゃないんですね」
驚く私の顔が愉快だったのか、リタチスタさんの眉がクンと上がった。
「そう驚く事もないよ。家の二つや三つ持っていることなんて珍しくない」
それはふらふらしていると言われるリタチスタさんの中の基準では? と思わないわけではなかった。
「ではまず一箇所目だ。王都にあるアルベルム先生の元研究室。今は資料庫だ、正確に言えば別荘ではないのだけど寝泊りは出来るから数に入れておくよ」
「王都にあるんですか? 私達、今は王都に住んでるんです」
詳しい場所を教えてくれたので、忘れないようペンと帳面を取り出す。
「でも、どうしてその資料庫をバロウが使っているんですか? 譲り受けた?」
「使っているのはバロウだけじゃない。先生の研究の意思を継いだ者達が使っているのさ」
だから別荘ではないと言ったのだろう。他にも使っている人がいるなら、もしかしたら最近見かけた人がいるかもしれない。
「次に、リクフォニアの近くにホノゴ山というのがあるんだけど、知ってるかな? その山の中にあるんだ」
「リクフォニアなら知ってます。前に少しだけそこで過ごした事がありまして」
知っている街の名前が出てきただけで身近に感じる。それにホノゴ山も行ったことがあるのではないが、よく覚えている。アスルやアイスさんと出会ったものホノゴ山に逃げ込んだドラゴンを追う道中だったからだ。
「山の中なだけに、確か目くらましの魔法が使われているはずだけどね」
「目くらまし?」
リタチスタさんは私の疑問にすぐ答えた。
「そこに建物なんて何もないように見せかけているんだよ。もし行くとなれば私が同行しよう」
それで何とかなるだろうと、言葉とは裏腹に自信ありげな表情だった。
「最後はカフカなんだけれど、ティクと言う名の森の近くにアンレンという町があってね」
カフカ、どこかで見た事があるようなないような。どこだろうと考えていると、カルデノがふいに呟いた。
「ティク?」
意外なものを耳にしたような声。
「知ってる場所なの?」
「ああ」
カルデノは私の問いに頷いた。
「テンハンクとアンレンの間にある森だ」
ここまで読んでいただきありがとうございます。




