本物
「お待ちしてましたカエデさん」
ノアさんはシチューを頬張りながら挨拶してきた。
朝は少し寝坊してしまったせいで時間が無いと慌て、そうして慌ててしまったせいで昨日適当に放った上着の下になってしまっていたココルカバンを探し出せず、無い無いと騒いでカルデノもカスミも困らせ、それからやっと魔力ポーションを作って家を出た。
「こ、こんにちは」
時間に間に合わなかっただろうかと懸念したが、ノアさんは数日前と同じお店の同じ席で同じ内容の食事をのんびりととっていた。軽く挨拶をして同じテーブルにつくと、ノアさんは首をかしげた。
「あれ、もしかして急いで来ました?」
馬車を降りてからは体力の続く限り駆け足でここへ向かっていたこともあり、カルデノはともかく私はノアさんにくたびれた印象をあたえたのではないだろうか。
「はい、約束の時間に間に合わなくなりそうで」
ノアさんはポカンとした顔で、ははあー、と気の抜けた返事をよこす。
「いやそんな、一時間や二時間の遅れくらい待ちますがね……」
それはさすがに遅れすぎだろうと、首をふった。
「あ、それで魔力ポーションなんですけど……」
さっそくノアさんに渡してしまおうとココルカバンを開けると、ノアさんはそれを手で制止した。
「それよりもカエデさんたちは、もう昼食は済んでますか?」
「あ、いえまだです」
でしょうね、とノアさんはため息をつく。急ぎここへ来たのだ、それくらいの予想は出来たのだろう。
「どうです、先に食べてからゆっくり話しませんか?」
私はカルデノと顔を見合わせた。
見計らったようにカルデノの腹の虫が鳴き出したので、ノアさんのお言葉に甘えることとなった。
空になったシチューの器に、使い終わったスプーンを置いた。
「ふう、では腹ごしらえも終わりましたし、さっそく先ほどの話をしましょうか」
ノアさんは食事に満足したのだろう、にこやかに切り出し、食べ終えた空の食器を綺麗に積んで並べ、テーブルの端へ寄せた。
「それで魔力ポーションなんですけれど、いくつ頂けるんでしょうか?」
ノアさんはこれ以上ないのではと思える程の笑顔で尋ねてきた。ここで心配なのが、数に不満を持たれないか、という事だ。
「あの、魔力ポーションなんですけど……」
私はソロリとココルカバンの中を覗いた。
「全部で20個なんですけど、どうでしょう」
「え? そんなに頂けるんですか?」
先ほどまでの笑顔が嘘のように無くなり、信じられないと言いたげに目を見開いた。その言葉に驚いたのはこちらだ。まさか不満を言われてもそのような反応が返って来ようとは思っても見なかった。
「え、あの。少ないとかは……」
「いえいえとんでもない! こちらとしては、まだ量産もされていない貴重な物をほんの一つでも貰えたら、と思っていたくらいで」
そう言った言葉に嘘はないようで、では何故あんな言い方をしたのか。
「でも、具体的な数は言わないけれど多いに越したことはないって、言ってたじゃないですか」
「ああ……」
疑問を口にする。その言葉はノアさんも忘れていたわけではないようで。申し訳なさそうな表情で頬をかいて苦笑いした。
「どうも誤解させてしまったようで、申し訳ない。本当にいくつでも構いませんという意味で言ったのですが」
「そう、だったんですね」
誤解したのはこちらだ。頭を下げるとノアさんがパタパタと両手を振る。どうやら頭を下げる必要はないと言いたかったらしい。
ココルカバンから魔力ポーションを取り出し、ノアさんの目の前に一つずつ並べてゆく。
「全部いただけるんですか?」
目の前に好物の品を出された子供のように目を輝かせるノアさん。
「はい、誤解したとは言え、ノアさんに頼まれた物ですから」
しかし魔力ポーションに伸ばしかけた手は、魔力ポーションに届く前に静止した。
「うーん。しかしこれ全て受け取るのは、どうも気が引けてしまいますね」
「でもノアさんに用意したものですから」
「本当にいいんですか? 本当に?」
もちろんだと頷くと、ノアさんは嬉しそうに三つ手に取った。
「じゃ、じゃあ、これだけ……。あ、いやもうひとつ」
合計で四つ、手にしたノアさんは大変満足そうに自分の荷物の中へ魔力ポーションを大事そうにしまい込んだ。
「……もういいんですか?」
「ええ! もう、大変満足です!」
興奮を隠せないようで、テーブルの上に置かれた両手が握りこぶしを作り、少々鼻息の荒さを感じた。自身でそれに気付き恥ずかしく思ったのか、誤魔化すように一度咳払いをし、落ち着いた声色で話を始めた。
「それで先生の所へお連れするってお話ですけど、いつにします?」
ノアさんが言うには、今日がその先生であるジェイさんの所へ行く日なのだと言う。私達が良ければこの後、共に教室へ向かい、今日の都合が悪かったとしてもまた後日の予定を伝えるという。
私達にこの後の予定があるわけでもないので今日一緒に行くことは可能だ。ジェイさんのいる教室は王都の中心近くにあるという。
「ではさっそく行きましょうか」
たどり着いたのはレンガ造りの建物だった。沢山の生徒がいると聞いていたので、とても大きな建物を想像していたのだが、面積で言えばアイスさんの家の方が広いだろう。二階建てで、一階には極端に窓が少ない。それに両側をまだ高い建物に挟まれていて、そこだけ少し寂しさを感じさせる。
「ここが先生の教室です」
ノアさんは入り口の扉を引いた。
「こんにちはー。今日もよろしくお願いします」
ノアさんは臆さず中へ入ったのだが、私はそろりと顔を覗かせるように、ゆっくりと中を覗く。しかしカルデノに背中を押され、二、三歩中へ踏み入れた。
中には30人から40人ほど、男性から女性、大人から子供まで区分けなく居て、見覚えの無い私を不思議そうに見ていた。
中は奥に長テーブルが二つ並べられている以外に机などはなく、椅子だけは壁に沿うように人数分が用意されているようだ。窓が少ないため壁には照明となる石が埋め込まれている。
「ノア、その子達は?」
生徒の中の一人がノアさんへ尋ねる。その人は顎に短いひげを生やし、中肉中背、茶髪を後ろにピシッと束ねた40代ほどの男性だ。
「ああ、先生へのお客人です」
ノアさんは笑顔で私を手招いた。そろりと歩み寄ると、男性は何の悪意もない細い目で不思議そうに私を見る。
「このお嬢さんが俺への客人?」
俺? 今この男性、俺への客人、と言わなかったか。
「はい。カエデさんとカルデノさんです。先生」
「せ、せんせい?」
この人が? とノアさんに目を向けると、にっこりしたままに大きく頷いた。
それならそうと先に言ってくれたらよかったのに。突然緊張してきて、体の前で両手を握る。
「あ、あのはじめまして、私はカエデと言います。こっちはカルデノです」
カルデノを手で指す。
「ああ、俺はジェイ。ここで魔法についての教室を開いている者だ」
ジェイさんはにこやかに自己紹介をし、手を差し出してきた。軽く握手してから、ジェイさんは周りの生徒へ目を向けた。
「用事があるなら、申し訳ないがもう授業の時間でな。終わるまで待っていてもらえるか? なんなら終わるまで見学していてもいいが」
「いいんですか?」
魔法の授業だ。一体何をするのか気にならないわけがなかった。椅子を用意してもらい、他の生徒と混じるように座る。
授業の内容は、よくわからなかった。魔力の移動がどうだとか。しかし見ていて楽しかったのは生徒が魔法を実際に使い出した時だ。各々が手のひらで小さな炎を出したりするのが見ていて心が躍った。私の知る純粋な魔法使いと言えばギトだけで、他に見たことがあったとしても晶石や魔晶石など、魔石を使っての魔法だったからだ。
授業が終わったのは夕方の5時過ぎで、私とカルデノ、そしてノアさん以外の生徒が帰ってしまってから話を始めた。
「それで、俺に用事っていうのは?」
ジェイさんは適当な椅子を私達が座っていた場所へ向かい合うように向きを変えて座った。他の生徒に混じって何と無く立っていた私は、もう一度椅子に座る。
「ええと、まず確認なんですけれど、ジェイさんは、アルベルムという方のお弟子さん、なんですよね?」
ジェイさんはそれに迷いなく、誇らしげに頷いた。
「いかにも。アルベルムは俺の師だ」
それを聞いて、私の勘違いではないことを確認する。
「それで、隠匿書というものを作る事が出来る人物について伺いたいんです」
そう聞くと、ジェイさんは驚いたな、と細い目を見開いた。
「特に魔法に強い興味があるわけでもなさそうだが、隠匿書を知っているとはな」
それほど知られていないものなのだろう。ジェイさんは驚くのをそこそこに、私の質問に答える。
「隠匿書を作れる者は、師匠を除いて俺は三人しか知らない」
図書館で見た、隠匿書を作れる弟子の数と一致する。しかし口ぶりからすると、ジェイさん本人には作れるものではないのか。
「けどこの続きを答える前に確認させてもらいたい。隠匿書について君は知っていて、さらに作る事が出来る者を探してる。それは何故だ?」
私は答えに詰まった。
「答えに困ることなのか?」
ジェイさんの細い目は私をずっと見据えている。ノアさんは顔を顰めてそんなジェイさんを見ている。
「先生。そんな意地悪を言わなくてもいいじゃないですか」
「ノア……」
ジェイさんはため息をついてノアさんの方を向いた。
「俺は意地悪で言ってるんじゃない。隠匿書は用途が用途なだけに、簡単でもいい、理由を聞いておきたいだけだ」
そうか、と頭の中で合点が行く。隠匿書は事実と違ったもの、もしくは白紙に見せかけられるものだったはず、それを作る事が出来る人物の事をたとえ私のような子供にであっても簡単に教えることが出来ないのだろう。
しかし、理由を問われてもなんと答えたらいいのか。
「理由の説明は簡単にでもいいのか」
いままで口を開くことのなかったカルデノ。ジェイさんはゆっくりと頷いた。
「カエデは隠匿書と似たものを持っている」
「カルデノ!?」
私は慌ててカルデノに目をやるが、カルデノは口を閉じない。ジェイさんは真剣にカルデノの話に耳を傾ける。
「しかし似ているものであって本当に隠匿書なのかが不明でな。それにもし本当に隠匿書であれば、何故それをカエデに託したのか、何故カエデでなければならなかったのかを知りたい」
カルデノの説明を聞いて、ジェイさんは興味深そうに声を漏らした。
「それはまた、気になる内容だな。実際に今、その隠匿書は持っているか?」
私は本の内容が私にしか見えないことを隠してきていた。それを明かさず、ただ白紙の本なのだと相談したら、それでいいのだろうか。しかしそれが魔法によるものなら、それを解除されることになったりはしないだろうか。
不安に駆られながらも、ココルカバンを開く。中にはレシピ本が入っていて、それをそっと手に取り、カバンから出す。
ジェイさんはそれを手渡してもらおうと、手を差し出してくる。だが簡単にポイと渡せるものではない。
「これを私から取り上げたりしないと、約束してくれますか?」
ジェイさんは差し出していた手を一度膝の上に戻すと、私をまっすぐと見つめる。
「もちろん。これが、あの三人の誰かが君に託したというなら、俺は何も言うことは無い」
真剣な表情だった。信じなければ、ここから進むことはできない。私は緩慢な動きで本を差し出した。
ジェイさんはそれを慎重に、両手で受け取った。そしてすぐに何か気がついたようだった。
「これは、本物だな」
本物。それが本当に隠匿書であることを指しているのはすぐに分かった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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