森を抜ける
「カエデ、ここが登れそうだ」
そう言ってカルデノが指を差したのは、以前は川だったのか、大きくえぐれて溝になった場所だった。崖となっている箇所とは違い、私の目からみても登れそうだと思えるくらいのものだった。
まずカルデノが崩れてこないかなどを確認しながらその斜面を登り、問題ないことを確認すると、私の手を引いてくれた。
「ありがとう」
一度足を滑らせただけで、難なく登ることが出来た。
「あとは来た道を戻るだけだな」
私達が滑り落ちた所まで戻れば、今居る場所がどこだろうと迷う事無く森を抜けられるだろう。しかしこうも似た景色ばかりだというのにカルデノには見分けがつくのだろうか。
辺りを見渡してみた。代わり映えのない景色で、私にはどうしても場所の区別が付かない。
だが私が悩むまでもなくカルデノは歩き出し、私もその少し後ろを付いてゆく。
「そういえば、私が寝ている間に何もなかったか?」
「えっ?」
何もやましいことなどないと言うのに、ドキっとした。
「あー、ちょっと虫が出たくらいかな」
ね? と、カスミに同意を求めると、いかにも大変でしたと言いたげにウンウンと頷くカスミ。
「虫? またイモムシか何かか?」
「クモだよ、すごく大きなクモ」
サクサクと草を踏んで進んでいたカルデノの歩みが止まった。私はその背中にぶつかりそうになり、慌てて歩みを止めた。
「大きいって、あのくらいか?」
カルデノが指差したのは上だった。カスミがサッと私の頭にしがみつき、どうしたのだろうかと思いながらカルデノが指差す先を見た。
そこには人が四つんばいになったほどの大きさのクモがいて、木と木の間に巣を張っている最中だった。不気味に動く足、モサモサと動く口に一瞬で鳥肌がたった。
「カエデがあんなのを夜中に見て、よく悲鳴の一つも上げずに過ごせたな」
カルデノは私が虫に苦手意識を持っているのを知っている。巨大なクモを眺めながら感心したように言うものだから、何も言葉を発せないまま何度も大きく首を横に振った。
「ち、違……。あ、あんなに大きくなくて……」
やっとのことで否定し、両手でバスケットバールを持ったくらいの大きさをカルデノに見せ付ける。
「こ、これくらい、これくらいだったよ」
カルデノは私の示す大きさと、巣を張るため懸命に歩き回るクモを見比べた。
「なんだ、たいしたことはなかったんだな」
たいしたことがないと言われたら言われたで何だか癪に障る。カルデノにとってはなんでもなくとも、私にはとても恐ろしい出来事だったのだ。
「そうふて腐れるな」
私は無意識の内に口を尖らせていたらしく、不機嫌さが目に見えていたようだ。
とは言っても私の感じた恐怖に共感してもらえなかった事が少し気になっただけなので、本当に不機嫌になったわけではない。カルデノは私に気を使ってくれたのか、巨大なクモを大きく迂回してしてくれた。そうして歩いている内に、見慣れた食人植物が目に付くようになってきた。
「私達が落ちたのって、この辺?」
「いや、まだ向こう側だ。とは言ってもまた同じ植物に襲われるんじゃ困るな……」
そう言って一度立ち止まると、キョロリと辺りを見回すカルデノ。そんなカルデノを私とカスミは首を傾げて見ているのだった。
もしやここから元の道に戻るのだろうかとも思ったが、さすがにカルデノも目印も何も無いこの場所でそんな無謀な行動はしないだろう。
「カスミ」
カルデノはカスミの名前を呼んだ。呼ばれたカスミは、自分を指差した。
「カスミなら、ラティがどの方向にいるか分からないか?」
それは同じ妖精同士だから、ということだろう。確かにカスミが道案内をしてラティさんがいる泉に真っ直ぐ進む事が出来ればそれが最短距離で、しかも道に迷う事も無いだろう。だがいくら同じ妖精だからといっても、遠く離れた相手がどこにいるかまで分かるのだろうか。カスミもカルデノに言われた事に困惑しているようで、しかし集中するためか、目を閉じた。
私は何となく、静かにしなければと注意をはらう。十数秒の時間をじっと待った。ゆるやかな風が走った時、カスミは目を開けた。
もしや方向が分かったのだろうか。目を見張る。
「あっち?」
戸惑いぎみのカスミの指は、ふらふらと一方を指差した。それが自信有りげに指を差していたなら信用も出来ただろうが、いかんせん不安げだ。これを信用していいものか考えあぐねていると、カルデノは何かに気がついたようだった。その方向はカスミが指差した方向と一致していて、スンと鼻をならした。
「……くさいな」
くさい? 言われて私も臭いに意識を向けてみる。しかしカルデノの言うようなくささは感じられない。
「昨日、こちらに来る途中、何かに食われた獣がいたのを覚えてるか?」
「……ああ、あの生々しい」
まだ所々に肉が残っていた、白骨化したのではないあの骨だ。
「かすかだが、くさい。肉の腐った臭いだ。もしこの臭いがあの骨のものなら、カスミが指差した方向も必ずしも間違いではないかもしれないな」
カスミは表情を明るくさせた。カルデノの感じている臭いのもとがあの骨なら、そこまでたどり着けば見知った場所だ。迷う事無くラティさんのいる泉まで戻れるだろう。
確認のためカルデノに尋ねれば、大きく頷いた。
カルデノの鼻は何も間違えていなかった。行った先にはあの骨があったのだ。昨日と比べて臭いが強い気がした。
「ここまで来たらもう迷うことはないな」
カルデノは大きく息を吐き、もう一息だと見覚えのある道なき道を歩き進む。
森で夜を迎えた時にはどうなるかと思ったが、安心した。安心すると眠ることが出来なかった分の眠気が襲ってきた。
「眠いか?」
「うん。ちょっとだけ」
大きくあくびをすると自然と涙が目に溜まる。
「でも家に着いたらゆっくり休めるし、それまでの我慢だね」
「そうだな。魔力ポーションの受け渡しは、確か明日だったか」
そう明日。あまりのんびりはしていられない。ノアさんに魔力ポーションを渡しそびれたりしたらあの約束はなくなってしまうのだ。
作る数は足りるか、ノアさんの先生であるジェイ、そのジェイさんに会ったらまず何を聞いたらいいかを考える。
ぼーっとしていたからだろうか、途中で石に足を取られてよろめく。先を歩くカルデノが振り返るが、何でもないと答えた。
「どうする、泉には寄って行くのか?」
「うん、ラティさんにもアリスさんにも挨拶がしたいから」
ラティさんはともかく、アリスさんは泉にいるのだろうか。そう思いながらも泉にたどり着くと、まだ森を抜けたわけでもないのにホッと胸をなでおろした。
「ああ! 戻ってきた!」
いるかどうか分からなかったアリスさんはラティさんと一緒に何かしていたのか、泉の淵に座っていたのに全力でこちらに走ってきた。
「よかった、全然戻ってこないから心配してたんだ」
そう言って眉尻を下げるアリスさんと、同じく心配していたらしいラティさんが、何かあったのかと聞いてきた。
私は昨日の出来事を簡単に話し、それから今に至るのだと説明した。
「そうか、それは大変であったな。しかし無事に帰ってきてよかった」
ラティさんはちらりとカスミに目をやった。カスミはそれだけで嬉しくなったようでそそくさとラティさんの隣に並ぶ。ラティさんはまたグルグル回ることを強要されると思い身構えたが、カスミはそうはしなかった。ただニコニコと笑ってラティに握手を求めるのだった。
「な、なんだ。握手か」
そうしてカスミとラティが遊んでいる内に、カルデノが口を開いた。
「いつまでもここで遊んでもいられないんじゃないか?」
それもそうだ。約束の日は明日。早めに帰ってゆっくり体を休めたいし、カルデノにいたっては休んで貰わなければ私が心配でたまらない。カスミはその言葉が聞こえたのかラティさんと戯れていたというのにカルデノの頭の上にすんなりと収まった。
「あれ、もういいの?」
私が聞くとカスミはコクンと頷いた。表情を見る限りそれに不満があるわけでもなさそうだ。
「じゃあ、私達今日はもう帰りますね」
「気をつけて帰るんだよ」
いざ帰るとなるとアリスさんは不安げで、大丈夫だと言ってその場を後にした。
家に帰った後はゆっくりと休み、魔力ポーションは次の日に作ろうとカルデノと話し合った。約束は昼食の時間まで。少し早起きをすれば問題はない。
「カルデノはポーションで治したとは言っても怪我をしたんだから早く寝てね」
「ああ、そのつもりだ」
カルデノが二階に上がるのを見送り、私も自室へ向かう。
カバンを下ろし上着を脱ぐとその辺へ適当に放る。少し行儀が悪いかなとは思ったが拾う気にもならずベッドへすぐさま寝そべる。
本当はカバンからアモネネの入ったビンを出して、買ってあるマンドラゴラの花と生成してしまえば魔力ポーションは出来上がるが、それすら面倒なほどに眠りたかった。疲れきって今にも閉じてしまいそうなまぶたをこじ開け何とか掛け布団を掻き抱くと、まぶたは自然と閉じてしまう。意識はすぐに心地よく、暗く深いところへ落ちていった。
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