森の中に居る
馬車を乗り継いで門の近くまで来た後は、歩いて外に出た。
広がる緑の大地、穏やかに吹く風が草の匂いを運ぶ中、ぐーっと両腕を上に伸ばした。
 
「外、久しぶりだなー」
「ああ、私も久しぶりだ」
カルデノは耳をピコピコ、右へ左へ動かし周りの音を聞いてるようだ。
「えーと、森ってどこに行けばいいのかな」
 
王都の周りは広く拓かれていて、森や山と呼べる場所は遠くにしか見えない。
「あっちに行こう」
カルデノは向かってやや左側を指差した、その先は丘になっていて先が見えない。
「あっち?」
「ああ、確か向こうは森があったはずだ」
「行った事あるの?」
「別の奴に買われた時に、護衛として少しな」
「そう、なの?」
別の奴とは、どういうことか。
カルデノは売れ残りのようなものだと言われていたが、前に買われた?
以前買われたのに、また売られたりしたのだろうか、それともまさか返品なんて事があったりもするかもしれない。
そうは思っても聞けなくて、カルデノが指差したほうに歩き出した。
カルデノは隣りを歩幅を合わせながら歩いている。
「カエデは、不思議だな」
小さい声だったが、確かに聞こえたその言葉。
「誰でも知っていそうな事を知らなかったり、妖精の匂いがするのだってそうだ」
ピー、と、空から鳥の鳴き声が聞こえた。
「妖精が姿を現すんだ、純粋な人だということだろう?」
「純粋かなあ、よく分からないけど多分違うと思うよ」
「そうか?」
ピー、と、鳥の鳴き声が近づいてくる。
カルデノが空を見た、それに釣られて私も空を見上げると、大きな鳥がこちらに急降下してくる。
「ちょっ…!」
カルデノが慌てる私の腕を引き、自分の陰に隠した。
鳥が両足を突き出し鋭い爪がカルデノに襲い掛かる。
そう思ってぎゅっと目を瞑った。
しかしその瞬間、硬い布が地面に叩きつけられたような音がし、恐る恐る目を開けた。
「えっ」
鳥は片足をカルデノに持ち上げられたまま、ガクガクと痙攣しながら体は地面に伏せていた。
カルデノは怪我のひとつもしていない。
一体何が起きたのか見ていなかった。
「カルデノ、今何かしたの?」
「地面に叩き付けた」
さらっと答えてくれたが、あの一瞬の間に足を掴んでたたき付けたと言う。
「掴みやすい足を出して向かってきたんだ、簡単だ」
パッと手を離すと、カルデノは私に背中を向けて屈んだ。
「え、何?おぶされって事?」
「ああ、森まで結構距離がある、さっさと行こう」
「わ、わかった」
そーっと背中に張り付き、首を締めないように腕を回すと膝裏を支えられ、カルデノはすっと立ち上がった。
「うわわ」
視線がいつもより高くなったが、それを堪能する間も無く急に走り出し、慌ててぐっとしがみつく。
カルデノはとても足が速い、耳に風の流れる音が聞こえ、これが風を切るという感覚かと納得出来る。
ゆっくり後ろを振り返ると、王都が見る見るうちに遠くなり、先ほどまでは遠かった丘がすぐに近づいてきた。
「カルデノ速いね!」
風に声が流されないように、大きめの声で言った。
「私は狼族だ、犬とは一緒にしてくれるなよ!」
返って来た返事は声が弾んでいて、それだけで楽しいのだと伝わってくる。
「しないよー!」
さすがに犬には見えないからね。
丘を越え、草が生い茂り、木々が密集してきた所で、カルデノの背から降ろしてもらった。
相当な速度と距離を走ったはずなのに、カルデノは軽く息を整えただけでほとんど息切れをしていないし、汗もかいていない。
「疲れてないの?」
「いや少し、カエデに買われるまで運動らしい運動をしていなかったから、体が鈍ってる」
「え、あれで?」
そう言わざるをえない。
「まあいいや、今からアオギリ草を探そうと思うんだけど、カルデノは分かる?」
「名前なら聞いたことはあるが、どんな物かまでは分らない」
「そっかー、実は私も見たことはあるんだけど、自分で採りに来たのは初めてなんだよね」
「どんな見た目なんだ?」
少し考える。
「黒っぽくて、細長い葉っぱかな、一回見つけたら楽なんだけど」
「黒っぽくて細長い…」
カルデノはさっそく辺りを見回す、しかしそうそう見つかるはずもなく、少し歩いて見る事にした。
森は木が生い茂り、ほんの少しだが薄暗く、地面にだけ目をやっているとだんだん疲れてきた。
だがその辺に生えている草木には見たことの無い形のものや不思議な色の物もあり、疲れより好奇心が勝り、アオギリ草はもちろん探しながらだが、あちらこちらに目を向けていた。
「あ、カエデ」
「え?」
突然カルデノに腕を引かれて一歩ずれたかと思うと、ポトリと何かが落ちてきた。
なんだろうと思って振り返ると、腕を引かれるまで私がいた場所に、腕ほどの太さで30センチはあろうかという緑色の大きなイモムシが蠢いていた。
「え……」
素直に気持ち悪かった、もしカルデノが腕を引いてくれなかったら、この巨大なイモムシが私の肩か頭か分からないが、いずれかに落ちて来たかもしれない。
想像したらぞわっと鳥肌が立ち、背中がかゆい気がする。
「ありがとうカルデノ、死ぬ所だった」
「いや、このイモムシ相手なら、さすがにカエデでも死なないと思うぞ」
「うん、精神的な話だよ、とにかくありがとう」
イモムシは体をくねらせながら茂みの向こうに消えていった。
その後も大きなイモムシが出てきてはいちいち驚き、コウモリに似た生物が襲ってきてはカルデノに助けてもらいながらアオギリ草は見つからないまま時間だけが過ぎて行き、いい加減嫌になってきた時だった。
「カエデ、これは?」
カルデノが地面から何かをむしり取って、見せてきた。
それは黒っぽい色で、細長い。まるでニラのような草だ。
「あ! これだよこれ!」
「これがアオギリ草か」
カルデノは手に取ったアオギリ草をジッと観察し、私に渡した。
「よし、ここに生えていたんだ、近くにまだあるかもしれない」
「そうだね、探してみよう」
カルデノの考えは当たっていたようで、密集とまでは行かないが、先ほどまで全く見つからなかったことを考えると、ここらへんには結構な数が生えていた。
それでもアスルが一気に持ってきた時のようには中々行かない。
ひょっとしたらアスルは森のもっと奥まで行っていたのだろうか。
リクフォニアで聞いた話なら、森の入り口らへんにはそんなに生えていないと言われた、それがここでも通用する話なら、もっと奥に行かないと今日中に満足な量を採取するのは難しい。
しかしいくらカルデノが一緒とは言え、私自身が奥に行くのは怖い。
そこまで考えて、ふと今の状況を鑑みた。
さっきまではいくら探したって見つからなかったアオギリ草が、こうして少なからず見つかっている。
さきほどまではまるで見えなかったのにだ。
「ねえカルデノ、今森のどの辺かな?」
「どの辺かは分らないが、もう結構奥まで来たんじゃないか?」
そうだ、入り口らへんに見つからなかった物が奥に来て生息数が増えたんだ。
ここが結構奥なのだと理解した途端、周りが暗く感じた。
「あの、カルデノ、奥は危ないし、一回道戻ろうか」
「……」
カルデノは返事をしなかった。
もう一度名前を呼ぼうとして、止めた。
カルデノの耳が周囲の音を拾おうと、ゆっくり向きを変えながら動いている。
なにかあったのだと容易に理解する。
私も耳を澄ますが、さわさわと風で揺れる木々の葉の音しか聞こえない。
「誰か、奥で襲われているな」
背中が粟立った。
「襲われてるって、何がいるの?」
「分らない、それに近づいてきてる」
「こっちに!?」
どうしたらいいかとあたふたする前に、カルデノが片腕で私を抱きかかえた。
「ここまで来て引き返すのも馬鹿らしい、一度木に登ろう」
カルデノは太い木を見つけると、ほとんど足の掛け場も無いのに私を抱えたまま少し高い枝にまで登った。
そこに落ち着いて、改めて耳を澄ますと、今度は私の耳にもかすかに音が聞こえた。
人の声、それから魔法の類を使っているのか何かが弾けるような音。
いつの間にか手に汗をかいていた、それに心音が外にまで響いているのではと思うほど大きく脈打っている。
「カエデ」
「え、あ、どうしたの?」
カルデノが森の奥、右側を見つめている。
「もし私が倒せるようなモンスターなら、今襲われてる奴らを助けるか?」
「そう、だね、うん」
ここにたどり着けたならだが、と付け足された。
声がだんだん近づいてきた。
何か叫んでいる男性の声を確認するが、生い茂る草木のせいでよく見えない、目を凝らしているとバキバキと木を薙ぐ音、そして男性の姿を3人確認したと思ったら、その後ろを木々をなぎ倒しながら巨大なイノシシが迫っていた。
「でっか!」
走っている男性達がイノシシの高さ半分程度にしか見えない。
「あれなら行けるが、どうする」
「行けるって、助けられるの?」
「ああ」
悩んでいる時間は無い、私はうなずいた。
イノシシが木々をなぎ倒すけたたましい音がする中、カルデノは私をそっと枝に降ろし、枝の先端にまで歩いていく。
そして腰に携えた大きなナイフを抜いた。
男性3人が足をもつれさせながらもこちらへ逃げている。
「速く走れ!」
「走ってるんだけど!」
「置いていかないでよ!」
一人だけ遅れて走っていて、そのすぐ後ろまでイノシシが迫る。
先頭を走る男性二人が私達のいる木を通過し、遅れた一人が通過するや否やカルデノは飛び降りた。
「カルデノ…!」
目を離さないように見たつもりが、すでにカルデノはイノシシの牙に足を掛け、目にナイフを深く刺していた。
イノシシは走る勢いのまま崩れるように前足を折って倒れ、そのまま何メートルも滑って止まり、森に静寂が訪れた。
「か、カルデノ大丈夫?」
牙に足を掛け、毛を掴んで体勢を保っていたカルデノがイノシシから降りた、見たところ怪我はないようだ。
「大丈夫だ」
イノシシの目に刺さったままのナイフを抜き、そこらへんに生える葉っぱで付着物を拭ってから鞘に収め、すぐに私を木から降ろしてくれたので、追いかけられていた男性達はどうしたかと逃げていた方向を見てみた。
「あ、あんたら、助けてくれたのか?」
なんと3人とも地面に倒れていた、さっきまで走って逃げていたのに何故倒れているんだろう。
「助けたのはカルデノ一人ですけど、大丈夫で…」
「うあぁぁぁあ!怖かったああああ!」
大丈夫ですかと問いかける前に、逃げるとき遅れていた一人が突然泣き始めた。
どうやらまだ少年だったようだ。
「な、泣くなよギト」
倒れていた男性二人が起き上がって、ギトと呼んだ少年をあやすように背中をぽんぽんと叩く。
「だってええ!」
ギトという少年はよほど怖かったらしく、何を言っているか分らないが文句満載だろうなという、呪文にしか聞こえない何かを延々ともらしていた。
「泣くのは後にしろギト、命の恩人にお礼も言えないのか?」
そう言われ、次第に泣き声が収まり、引きつるような呼吸も落ち着いていった。
「あの、ありがとうございました、僕、死ぬかと思って…」
立ち上がってお礼を言ってから、またじわりと滲んできた涙を自分の袖で拭った。
「本当に助かった、俺はシサ、こいつはギト」
シサと名乗った男性の一人が、ギトの頭を叩く。
「で、俺はシギ。君たちは?」
「はい、私はカエデで、こっちがカルデノです。助けたのはカルデノ一人だったんですけどね」
「そうか、改めてありがとう」
「いや」
お礼を言われたカルデノはなんでもないような返事をした。
三人とも兄弟なのだろう、同じ青い髪につり気味の目がそっくりだ、それにシサとシギはよく似た顔をしてる、双子だろうか。
「助けてもらった上に図々しいとは思うけど、ポーション持ってたら分けてもらえないかな」
「あ、はい」
ココルカバンを開け、ありがとうと言うシギにポーションを3つ渡した。
「ほらシサ、使って」
「おう」
シギからポーションを受け取ったシサは、わき腹の裂けた服を捲り上げ、血が流れる傷にポーションをかけた。
しかし明らかに足りていないようで、私は慌ててまたポーションを出した。
「まだ使ってください、多めに持ってきてるので」
「いいのか?」
「はい、その傷は痛々しいです」
シサは苦笑いして、遠慮なく、とポーションを使った。
ギトもふくらはぎに、シギは肩と背中にポーションを使った。
その間カルデノはじっと見ていて、3人が傷を治したのを見計らって私の肩をトントンと叩いた。
「どうしたの?」
「これ、どうする」
これ、とはカルデノがさっき仕留めた大きなイノシシだ。
「どうするって言われても」
ナイフが刺された目は見ないようにしながらどうしたらいいか考えるが、まったく答えが出てこない。
「こんなに大きなイノシシが綺麗な状態で仕留められたんだから、本当はギルドに持って行ったら高く買い取ってもらえるんだろうけどね」
シギがそう言ったが、こんな大きなイノシシをどうしたら運べると言うのか。
「だが荷車だってここまで入っては来られないしな。ギト、お前物を浮かす魔法覚えてたっけか?」
シサはギトに問う、するとギトは頷いた。
「そうか、なら森の外まで持って行けばギルドから荷車を借りてくるが、カエデとカルデノの手柄だ、もちろん来るだろう?」
「え、いや実は私達、アオギリ草の採取に来てて、たまたま助けただけで」
「そうなのか?」
シサは目を見開いた。
「驚いたな、こんなに強いから、てっきり…」
カルデノは確かに強いので、そう言いたくなる気持ちは分かる。
「あ、じゃあさ、今回のお礼として後日でよければアオギリ草を渡すよ」
「え、本当ですか?」
「うん、そんなんじゃ足りないくらいだよ」
シギは先ほど治した肩をさすった。
「こんなの仕留めた本人が居ないんじゃ、ギルド側だって怪しむしさ」
カルデノに目をやると、頷いてくれた。
「じゃあ一度帰ります」
「よし、ギト、このイノシシ浮かせろ」
シサがギトに言う。
「分かった!」
ギトはイノシシに手をかざした。
すると巨体は見る見る内に浮き上がり、浮いたイノシシをシサとシギが押して、木に引っかかりながら森の外を目指した。
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