ジャムが美味しい
「カエデ」
「う…、なに…?」
カルデノに起こされて目を開けると、寝ている私を覗き込むように見下ろしていた。
「お腹が空いた」
「え、もうそんな時間? ごめん」
と思ったが、まだ外は暗い。
状況が理解できずカルデノを見上げた。
「まだ夜明けじゃない」
「えー、じゃあ戸棚の果物とか食べて良いから、明るくなったら起こして」
「わかった」
カルデノは貸していた掛け布団を私にかけてから部屋を出て行った。
これでいい、そう思ったのだが、朝起きた私が食べるものは無くなっていた。
嘘だろう、信じられない。
絶望する私に、カルデノは提案してきた。
「パンを買いに行こう」
「いや、いいけどさ、今度からは私にも残しておいてね」
「わかった」
しかしお金を消費してばかりもいられないので、ポーションを作ってから出かける事にした。
ポーションを売ってそのままパンを買って、カルデノのためのベッドの値段も見て、空腹は多少我慢しよう。
ココルカバンを持って井戸まで行くと、カルデノは何をするのか気になるのだろう、ピッタリと付いてきた。
「カルデノ、適当に雑草採ってきて、沢山」
「沢山?」
「うん」
カルデノは数分しない内に大量の雑草を抱えて戻ってきた。
「これくらいか?」
「うん、多分いいんじゃないかな、足りなかったらまた頼むから」
井戸から水を汲んで地面に置く。
「生成」
カルデノは光った水と草に驚いたのか若干の距離をとった。
「今の、何だ?」
「今ポーション作ってるの。出来たやつカバンに入れてくれる?」
警戒していたカルデノだが、数回も見てしまうと慣れた様子でヒョイヒョイとココルカバンにポーションを詰めていった。
そうしてココルカバンが一杯になったら、いよいよ出かける準備を整えていつもの場所で露店を開いた。
いつもの通りポーションは売れていた、しかしいつもと違うのは、今日はカルデノが私の後ろでじっと佇んでいる事。
カルデノはじーっと売りさばかれるポーションを見て、私に話しかけてきた。
「カエデはずっとこの値段で売ってたのか?」
「え? うん」
アイスさんに変える必要はないと言われていたので、ずっとこのままだ、しかしカルデノは何か言いたそうに口を開きかける。
しかしそれより前に、店の前にいた猫族の男性がカルデノを見てムッと表情を変えた。
「なんで狼族がいるんだ?」
「え?」
私は意味がわからず、猫族の男性をきょとりと見たままでいた。
それが気に食わなかったのか、もう一度強い口調で言われた。
「なんで狼族がいるんだって言ってんだ、俺は狼族が大嫌いなんだよ!」
私が何か言い返す前に胸倉を掴んで上に持ち上げられ、周りからかすかに悲鳴が聞こえた。
「ちょ…っ!」
なにするんですかと言う間も無く、カルデノが猫族の男性が私の胸倉を持ち上げる手首を掴んだ。
「離せ」
ぞっとするような低い声が聞こえ、猫族の男性は真っ青な顔で私からすぐに手を離した。
しかしカルデノはその男性を離す気は無いようで、そのまま私に問いかけた。
「カエデ、どうする」
「どうするって…」
猫族の男性が腰に吊るしていたナイフを抜き、拘束するカルデノの手目掛けて振り下ろした。
カルデノはパッと手を離してナイフから免れたが、拘束を解かれた猫族の男性は他の人にぶつかりながら逃げていった、カルデノも私の指示がないからか追いかけようとはしない。
「あ、あなた大丈夫?」
手に籠を持った女性が心配そうに声をかけてきた。
「だ、大丈夫です、怪我もないですし」
「よかったわ、突然何事かと思って」
女性は胸を撫で下ろした。
周りでざわついていた人たちも、何事も無く終わったのを見届けていつものような雰囲気に戻った。
女性とは少し言葉を交わしただけで終わり、相変わらずカルデノに対する視線を感じながらポーションを売り切った。
「なんか今日は疲れたー」
「いつもは疲れないのか?」
パン屋を目指して歩いていると、さっきの猫族の男性のことを思い出し、つい口に出していた。
「多少は疲れるけど、あんな風に悪意を向けられたのって初めてだし」
「そうか、ならこれからは私がいるから安心しろ」
「ありがとう、パン屋行ったらジャム買ってあげる」
「ジャム?」
カルデノは首をかしげた。
「うん、果物を砂糖で煮詰めて、パンに塗って食べるの」
「…おいしそうだ」
「おいしいと思うよ…」
経験の無い味を想像しているのか、空中を眺めるカルデノは今にもヨダレを垂らしそうだ。
「パンでお昼は済ませるとして、その後はカルデノのベッド買いに行こうかと思うんだけど、二階の天井低くない?」
二階の天井はカルデノの頭上10センチほどしかない、いくら広くとも窮屈に感じるだろう。
「確かに低いな」
「私と部屋変えようか?」
「いやいい、腰を屈めなければいけないわけでもないしな」
「そう?」
カルデノ本人がそう言っているのなら無理に換わろうとする必要はないが、それでも、いつでも部屋を換われる準備をしていた方がいいかもしれない。
「それにしてもカルデノって背が高いよね、狼族は皆そうなの?」
「いや、あまり覚えていないが私が特に大きいかもしれない」
カルデノはこちらを見るでもなく、ただ真っ直ぐ前を向いている。
「奴隷になってから他の狼族とは会った事がないから、なお更分からない」
そこで私は不思議に思った。
あれほど色々な種族が集まる場所なのに、他の狼族に会った事が無いのは何故だろうと。
それは意図的に会わないようにされていたのか、それとも狼族が元から少ないのか。
聞いてみようかと口を開きかけたが、カルデノが先に話し始めた。
「狼族は、元から数が少ないみたいだしな」
「そうなんだ」
カルデノの顔を見ても表情は変わらず、今どんな気持ちで話しているのか分からなくて、じっと見上げていると、前を向いていたカルデノがこちらを向いた。
「どうした?」
「え、なんでもないよ」
「そうか」
そういえば少しだけ、カルデノの口数が増えたような気がする。
でん、と、二階のすみにカルデノのふかふかベッドが鎮座した。
一緒に買った布団だってふかふかで、同じく一緒に買ったクローゼットにはまだ少ないカルデノの服が収納された。
カルデノは早速そのふかふかベッドに寝そべって心地よさを堪能している。
「どう?気持ちいい?」
「うん」
またこの返事だ、嬉しいと「うん」と言うのだろうか。
「ありがとうカエデ、天井は気にならない」
寝そべったまま天井に手を伸ばしてそう言った。
「そっかー、買ってよかったよ」
何度か寝返りをしてからベッドから起き上がったカルデノの頭上は、やはり見ていると何かの拍子に頭をぶつけそうで怖い。
そんなことは微塵も気にしていなさそうなカルデノ。
「パン、食べよう」
「そうだね」
相当ジャムを食べたそうだ。
下におりて買ってきたパンとジャムを出し、小さなスプーンでパンにジャムを塗って見せた。
林檎ジャムのようにも見えるが、なんのジャムだったか…。
「あんまり濃く塗るとしつこいかもしれないから、気をつけてね」
一口かじった。
イチゴに似通った味がするが、もう少し酸味があった方が私は好みだ。
「わかった」
カルデノも私と同様にパンにジャムを塗り広げ、一口目をかじった。
すると、目が見開かれ、ジャムを凝視したまま動かなくなった、何事かと思い、口の中のパンを急いで飲み込む。
「どうしたの?美味しくなかった?」
私が食べてみた分には美味しいと感じたが、カルデノの口には合わなかっただろうか。
私の言葉を聴いた後に、やっと咀嚼し、ごくんと飲み込んだ。
「美味しい」
それを聞いてホッとした。
どうやら初めて食べた味に驚いただけのようだ。
「これ、少ししかないな…」
カルデノが目を向けて言うように、ジャムの入ったビンは拳より小さくて、今ふたりで満足に食べるだけは絶対にない。
しかし値段もお手ごろと言えるような物ではなかったので、とりあえず今回のジャムはカルデノにあげよう。
「このジャム全部食べていいよ」
「…いいのか?」
尻尾が揺れる。
「うん、明日外に行こうと思うから、このジャム食べて体力つけてね」
「わかった」
パンを堪能した後は、お風呂を沸かすための水を汲んできてもらって、体を温めてから眠りについた。
「カエデ、起きろ」
カルデノに肩を揺さぶられて目を覚ました。
「おはよう」
大きくあくびをしてぐーっと上に腕を伸ばした。
「おはよう、今日は外に行くと言うから少し早く起こしたが大丈夫だったか?」
窓から外を見ると、まだ薄暗い程度の空。
早い時間から外に行こうと思うなら丁度いい時間だろう。
「うん、じゃあ準備しようか」
「ああ」
カルデノが部屋から出て行ったのを確認して、外に行くために買った服に着替えた。
そうしてリビングに出ると、カルデノは行儀よく椅子に座っていて、昨日残ったパンが入っている戸棚を見つめていた。
「パン食べていいよ、私の分も残しててね」
「わかった」
カルデノがパンを食べている間、私はココルカバンを持って井戸の方へ行き、今日持っていくためのポーションを作る。
雑草を集めて井戸から水を汲んでいると、いつの間にか井戸のへりに妖精が立っていた。
「あ、元気だった?」
そういえばカルデノが来てから姿を見ていなかった。
私の挨拶に妖精はにっこり笑った。
「カルデノがいるから姿を見せないの?」
妖精は少し首をかしげてから、私の顔をうかがいつつ頷いた。
「そっか、でもカルデノは怖くないよ。君を捕まえたりしないし」
何の危害も無いと伝え、カルデノにも姿を見せて欲しかった。
しかし妖精は腕を組んで大げさに悩むそぶり、どうやらすぐにとは行かないようだ。
「気が向いたらでいいよ」
そう言ってポーションを作り、ココルカバンに入れる。
その間妖精はずっと私の周りを飛んだり、髪を引っ張ったりして遊んでいた。
ポーションをいくつ持って行ったらいいのか分からず、念のためにと作った50個をココルカバンに詰めた辺りで、カルデノがこちらへ歩いてきた。
それに気付いた妖精はすっと姿を消してしまった。
「カエデ、準備は?」
「ポーション作り終わったから、今準備するよ」
カルデノはもう着替えて腰には大きなナイフも携え、準備は出来ているようだ。
ココルカバンを持って一旦家に入ったあと、具体的に何を準備したらいいか分からず、カルデノに聞いてみた。
「最低でもポーションを持ったならいいだろうが、他には日帰りできない可能性を考えて水と食料、明かりもいるかもな」
「うーん、水と食料なら買っていけるけど、明かりって、これでもいいかな」
リビングで、夜には使っている明かりがつく石を指差した。
「ああ、いいと思う」
出来れば日帰りできない可能性は顔も見せないで欲しいが、絶対はないのだ、準備はしておかないと後で後悔する羽目になる。
「えーと、ポーションと明かりは用意したし、他は買っていけばいいかな」
「そうだな」
いつものパン屋でパンを、それとカルデノの要望で干し肉を買った。
「後はいいんじゃないか?」
「そうだね」
カルデノは辺りをキョロキョロ見回し始めた。
「どうしたの?」
「馬車の乗り合い所がどこかと思って」
「乗り合い所?」
「ああ、門まで遠いだろう」
確かにそうだ、今まではずっと徒歩だったので気にも留めなかった。
こんなに広いのだからそういった移動手段があったっておかしくない。むしろ無いほうが不便だろう。
「どこだろうね…」
知らなかったとは恥ずかしくて言えない。
結局近くの人に聞いて、ここから少し離れた場所にある事が分かった。
乗り合い所は馬車の絵が描かれた背の高い看板があるだけの場所だった
結構混んでいて、丁度人が乗り込んで行くところに行き着いた。
「あの、この馬車は門の近くまで行きますか?」
馬の手綱を握る運転手に聞いてみたところ、馬車を乗り継げは行けるとの事。
「けど残念だね、今満員だから次の馬車を待ってね」
「次の馬車が来るまで、どれくらいかかりますか?」
「ええーとね…」
運転手は懐から懐中時計を出した。
「あと10分ちょっとかな、次の乗り合い所とここは2台で往復してるからさ」
「わかりました、わざわざありがとうごさいます」
「いやいや」
運転手は私との会話をにこやかに終わらせると、乗客が全員座ったのを確認して走り出した。
「ねえ、馬車ってどういう経路で走ってるか分かる?」
カルデノに聞いてみると、しゃがんで地面の土が溜まった場所に指で絵を書き始めた。
円を描き、それをピザを八等分するかのように線を引いた。
「王都の大雑把な道だが、この線は一番大きな通りだ。中央から外側にむかって8本の通りに何箇所か乗り合い所が設置してあって、それが往復している。特に難しい経路でもないだろう」
「へえー」
「……」
カルデノが何も言わずに私を見上げてくる。
「何か言いたいこととかある?」
「…いや」
嘘だ、こんなことも知らないのかと目が語っていた、私の思い込みなんかじゃない。
リクフォニアでもちらほら馬車は見かけていたが、もしや王都に来たばかりだから知らなかったとの言い訳が通らないほど、当たり前の事なのだろうか。
「カエデはたまに当たり前の事を知らなかったりするんだと、思っただけだ」
「やっぱり思ったんだ!」
重たいため息を吐き出した、カルデノは慌てて立ち上がり、私の肩をぽんと叩いた。
「すまん、その、誰でも知らないことはある」
どうやら慰めてくれたようだ。
気持ちは嬉しいが、私はこの世界について少し学んだほうがいいのかもしれない。
今はただ、次の馬車を待つ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
 




