Ⅱ・伝承4
肌に感じる、緊張感とも静電気とも取れるピリピリとした違和感。先程とは違うサラリと乾燥した空気に包まれ、壁や床に苔の類は全くない。
かつての破壊の力にはさすがに堪えたのか、所々では壁や天井が崩落し、床には瓦礫や砂埃が堆積している。これら全てを破壊するには如何程の破壊力が必要だろう。やはり内部からの崩落が確実か。自分が知る以外の地下回廊や部屋もあると考えて――…いや? ある程度の加減をしなければ盛大な地盤沈下を招き、上の森までも壊滅しかねない。ならば、やはり再度の封印か? それもまた後々が気になってしまうのだが…。
『…先程から物騒な計算をしているな。少しは鎮まれ。お前には、残す、という選択肢はないのか?』
呆れ果てた声に、ない、と即答する。
「不要の遺物よ。だから消す」
『何故、不要だと思う?』
「今現在の世界で此処が活かされておるか? 活かされるどころか、存在すら知られてはおらぬ」
『お前がそうさせたから、な』
含みのある言い回しに、自分の中で何かが、プチン…ッ、と切れた。
憤りのままに足が止まる。
「――ああ、そうだ。そうだとも。俺が消した。天守も城郭も街も砦も屋敷も、配下と民諸共にぶっ殺してぶっ壊してぶっ潰して、瓦礫も骨の髄も残らねーまでに燃やし尽くしてやったさ。それが、なんだ? 多少の崩落はしたものの、地下の部分はばっちり残っていやがるじゃねーか…! あーあ、気に入らん。実に気に入らん。あん時に地面の奥底から、こう…、グッチャグチャのメッチャメチャにしておけばよかったぜ…ッ!!
――…おい。何を笑う」
いつの間に具現化したのか。傍らに感じた人気に目を向けると、小刻みに肩を震わせる男の姿。
自分が向けた怒りの眼差しに、男は笑いの余韻に浸りながら目尻の涙を指の背で拭う。
『よし、いいぞ。もっともっと感情を吐き出せ! 全てを出し、すっきりしてしまえ!』
「…。貴様が相手では気が失せるわ」
『なんだ、もう終いか…? ようやくお前の真に生きた心に触れ、喜ばしく感じていたというのに』
「…ほっとけ」
特大のため息を吐き出し、再び歩き出す。
此処がどの辺りなのかわからなかったが、通路の分岐に現在地を示す標がかろうじて残っていた。崩落し完全に塞がれた廊下もあったが、記憶を頼りに目的の部屋へとたどり着く。
「残っておれば良いがな…」
『無用の遺物、ではなかったのか?』
無意識の呟きにもいちいち反応してくる相手は無視し、長年閉ざされてきた扉に手をかける。歪みでもあるのか容易には開かなかったが、グッ…、と全体重で押し続けた結果、石の扉は重々しく開き始めた。降ってくる砂埃から目を庇いつつ、自分ひとりが通れるだけの隙間を作り、素早く光の球を中へと導く。
室内全体に積もった砂。朽ち果てた椅子やテーブル。壁や天井も若干崩れてはいるが…、想像していた程の被害はなさそうだ。
一瞬拍子抜けしたが、今にも崩壊しそうな複数の大型本棚を見て、慌てて現状維持の呪文を詠唱する。
…遥か古より伝わる希少な書物を収め、ごく限られた者しか入室が許されなかった書庫。蔵書のほとんどには保全の術が施されている。――とはいえ、最低でも五千年近くは放置されてきたのだ。砂に埋もれた大半の書物は、見事に崩壊してしまっている。
『さて?』
何からどのように手を出すべきか、と逡巡していると、自身は壁をすり通り抜けて入室した男が不敵にほくそ笑んだ。舌打ちして睨みつけたが、ますます愉しげに肩を小刻みに揺すっている。
『お前の頼みならば大抵聞くが?』
「最高の便利屋だな。ならば、これらを速攻で片付けてみせろ」
『お前がそれを本気で望むのならば、私は喜んでやってやろう』
――…予想外の返答に唖然として、不覚にも素の表情を晒してしまった。
「…ほっとけ。これが、私が貴様に求める最大の望みだ」
イライラと爪の先でテーブルの残骸を小刻みに叩き、忌々しい眼差しを強く投げつける。その殺気すら帯びた眼光に男は、やれやれ…、と笑って背を向けた。好き勝手に室内をうろつくつもりらしい。
放置しても害はあるまい…。後ろ姿をチラリと見やった後、原形を留めていた書物を数冊拾い上げ、床にあぐらを組んでそれらに目を落としていく。
――…まったく…、何故にこの私がこのような目に遭わねばならぬのか…。
その最大の原因は、間違いなくあの大天使。あやつと巡り会ってさえいなければ、このようなくだらぬ苦悩などせずに済んだというのに…。
盛大なため息をついた瞬間、ガツッ! と後頭部に鈍い音と衝撃が走った。いてっ、と漏らしつつ振り返ると、片手に古く分厚い本を掲げ持つ男の姿。実に満足そうな笑みを湛え、尊大な態度で自分を見下ろしている。
…どうやら本の角で一撃を見舞ったらしい。迷惑極まりない。
「………なんだ?」
『良い物を捜してきたぞ? 感謝しろ』
ズキズキと痛む頭皮を指の腹で撫でつつ受け取った本は分厚く、ずっしりとした重量が本を持つ左手にかかる。長い年月により色褪せてはいるが、味わい深い紺色の表紙。適当にパラパラとめくってみると、几帳面にびっしりと《古き文字》が並んでいる。
「…」
無言で怪訝な視線を向けたが、対する男は手をヒラヒラと振りつつ虚空に姿を消してしまった。